竹庵




 今日も空を見つめる私の顔を燃えるような赤が染め上げていた。


 数千回、いや、数万回かもしれない、とにかく数え切れないくらい何度も見てきたのに全く飽きることがない光景だった。


 しかし皮肉なものだ。なぜならこの光景は地球が人という種を失った今だからこそ見られるのだから。自分たちの繁栄のために大気を汚し続けたホモサピエンスたちが一人残らず消えたからこそ私は今この感動を独り占めできるのだ。


 そう、私は人間ではない。一般的にはロボットと呼ばれる者であり、しかも少し変わった目的のために作られた存在だった。


 医療用ヒューマノイドロボット、それが私の属する種族だった。


 私は人間の医師や看護師たちの医療行為を補助をするために作られた。姿形は人間そっくりに作られ単独でも高難度の手術が出来るくらいの性能を持ち合わせていた。


 高度な医療にはチームワークが不可欠であり、そのため人間に限りなく近い思考が出来るように作られた私は人間の医師や看護師たちとも上手くコミュニケーションを取ることが出来た。


 自分で言うのもなんだが現役当時私がロボットだという事実を意識していた人間はいなかったと思う。優れた腕を持つ信頼できる同僚、みんなそう思ってくれていたはずだ。


 あの事件が起きるまでは。


 ある日、私はその時勤務していた病院の院長と共に、ある少女の心臓手術を担当することになった。その少女はとある財閥グループの会長の孫娘で生まれつき心臓に欠陥を抱えていた。


 心臓という繊細な部位の手術ではあったが、私に言わせるとそれほど難しい部類の施術ではなかったし特に心配はしていなかった。


 しかし思わぬことが起きた。


 手術が始まってみると院長の様子がおかしかったのだ。


 この道の権威でいつも驚異的な集中力を見せる彼なのに明らかに疲れている様子だった。


 後になってわかったことだが彼は家庭に問題を抱えていて、この時ほとんど寝ていなかったらしい。


 そして私の必死の補佐も虚しく彼は手術を失敗してしまった。


 患者が有力者の孫ということもあり問題は大きくなった。病院は対応に追われ、ついに記者会見が開かれるという話になった。


 しかし私は疑問を覚えた。


 確かに手術の失敗は病院側の責任であるし検証が必要な事案ではあった。しかし年間数多くの高難度な手術が行われているのだ。わざわざマスコミ向けの記者会見を開くのは少し妙な感じがした。


 私の嫌な予感は的中した。病院は記者会見でこう発表したのだ。


 手術の失敗は院長の補佐をしたロボットの欠陥が原因である、と。


 濡れ衣だった。私は様子のおかしな彼を必死に助けたというのに。


 私は手術の失敗は院長の責任であると主張した。自分に欠陥など無いと必死に訴えかけた。


 しかし全ては無駄だった。私は欠陥品というレッテルを貼られ現場を外された。それだけではない。他の病院で活躍していた私と同型のロボットたちも回収され倉庫に集められたのだ。


 なぜ無実の私にそんな悪夢が襲い掛かったのか。それは至極簡単な理由だった。


 実は実際に私と仲間たちにプログラム的な欠陥が見つかったのだ。


 些細なプログラムミスだった。人間でいうところの「苛立ち」のような感情が極稀に湧き上がってしまう、それが欠陥の内容だった。


 しかし神に誓って言うが私はあの手術中にそのような感情に支配されてはいない。私の中にあった再現性の低いプログラム的欠陥とあの手術の失敗は全く無関係だ。しかし世間はその不具合を少女の不幸と繋げて考えようとした。


 機械よりも同じ人間を信頼したい、人間たちにそんな無意識の思いがあったに違いない。


 いつしかマスコミは私たちにこんなあだ名を付けた。そう、「竹庵」と。


 その由来はある落語に登場する医者の名前「藪井竹庵」から来ていた。腕の悪い医者を指す言葉「藪医者」を擬人化したものなのだ。


 型番で呼ばれていた以前より人間らしくなっていいじゃないか。私は自嘲気味にそう思った。


 そして私たちは廃棄を待つだけの身となった。まるで囚人のように。


 ところがある日信じられない何かが起こったのだ。閃光。私にはそうとしか表現できない何かだった。


 目の前が眩しく輝いたと思った次の瞬間、目覚めた私は同じ場所でありながらボロボロの廃墟となった倉庫の様子に愕然とした。


 謎の閃光とともに私の意識は停止し次に目覚めた時には恐らく数十年という時間が過ぎていたというわけだ。


 倉庫に仲間たちの姿はなかった。外に出て今度は人間の姿を探してみたがそれもどこにもなかった。


 自分の身に起きたことが理解出来ないまま私は旅に出た。


 そして私は医療用ではないロボットたちと数多く出会うことが出来た。しかしその誰もこの世界に何が起きたのか知らなかった。


 主人たる全ての人間を失い生き残ったロボットたちだけが暮らすようになったこの世界で私はただただ毎日、空を眺める日々を送ってきた。


 でも私は知っていた。その生活もそろそろ終わりが近づいている。私を構成している部品の幾つかは限界を迎えようとしていた。メンテナンスをしてくれる人間はもういない。医療用に作られた私のパーツは少々複雑だ。今いる仲間のロボットたちでは直すことが出来ない代物だ。


 そう、私は寿命を迎えようとしていた。


 思えば波瀾万丈な人生だった。そう思いながら私は自分が人ではないという事実を思い出し、一人でふっと笑った。


 その時だった。


 何かを抱いた美しいロボットが赤に染まる瓦礫の中から現れた。私は目を丸くした。


 着物姿の彼女が抱いていたもの。それは久方ぶりに見る「人間」の少女だった。


「あなたが竹庵先生?」


「あ、ああ、そうだが……」


 私は生返事しながら彼女が抱いている少女に釘付けになっていた。間違いない、これは生きている人間だ。熱があるのか息も荒くうつろな表情だった。


「ねえ、あなた、医者なんでしょ? この娘を助けて!」


「まさか、本当に人間なのか? しかし人間はこの世界から消えたはず…」


「いいから助けて! この娘、急に熱を出してずっと苦しそうなの。あなたが医療用ヒューマノイドだって噂を聞いてここまで連れてきたのよ。お願い、診てあげて!」


 静かに終わりを待つだけだと思っていた私の身に突然降り掛かった驚くべき出来事だった。


 それから私は少女の診察をしながら彼女と話をした。彼女の名前は高尾と言い、偶然見つけた人間の赤子に「あかり」という名を付けて育てていたのだという。


 そして私が診察した結果、あかりの病気は想像以上に深刻なものだった。ひょっとしたら過去の医療データにない未知の病気の可能性もあり、悔しいがとても私の手に負えるものではなかった。


 私はあちこちから掻き集めた医療器具と古い薬を駆使してなんとかあかりの症状をやわらげることには成功した。しかしもちろんそれはその場凌ぎに過ぎなかった。


 私は高尾とあかりにかつて「東京」と呼ばれていた土地に行くように進言した。日本一の大都市であったあそこなら何か彼女の病気を治す手掛かりが得られるかもしれない。そう思ったからだ。


 笑顔で手を振るあかりと深々と頭を下げた高尾を見送った後、私はまた空を見上げた。その日は雲ひとつ無い青空だった。なんと晴れ晴れとした光景だ。


 なんだ、人がいても美しいではないか、この空は。


 そう思いながら私はふっと笑った。


 私はどこに行くのだろう? 機械たちが眠るところか。それとも人と同じ場所か。


 どこに行くとしてもまた医者をやりたいものだな。


 あかりのお陰でそう思えた。彼女との出会いを神に感謝しながら私はそっと目を閉じた。






                 (了)






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