高尾




 なぜわたしには眠る機能などあるのだろう?


 朝から騒がしい小鳥たちの鳴き声で目を覚ました高尾は大きな眼をぱちっと見開くとまずそう考えた。最早それは毎朝の日課というよりもっと強迫的な一種の目覚めの儀式になっていた。


 彼女は仰向けのまま既に明るくなった空を見ながら思考を続けた。


 人間は一週間以上全く寝ないと死ぬとか、夢を使って脳が記憶の整理をしているなんて説は知識として知っている。しかしそれは自分には全く関係ない話だ。意識の停止など自分にとっては非効率で面倒なシステムでしかない。


 人の姿をしていても、わたしは人ではないのだから。


 高尾が自問自答の果てに辿り着くのはいつだってこの虚しい答えだった。


 高尾は人工的に創られた人型の機械だった。作りはとても精巧で見た目的には人間と変わりなかったが、やはり人間とは違う部分がたくさんあった。


 食事を摂る必要もなく、病気になることもなく、そして……。


 ……愛する人との間に子を作ることも出来ない。


 ああ、まただ、また考えてしまった……。

 

 考えても仕方ないこと。考えるだけ無駄なこと。非効率な時間。


 人間ならそういう時間も必要だろう。人間とはそういうものなのだから。無駄によって精神を安定させる動物なのだから。でも人間ではない自分にはそんな時間など必要ない。


 そう、わかっていても人間を模して作られた自分は人間のように繰り返し無駄な思考をしてしまう。


 ああ、旦那様……。


 高尾はまた思い出していた。自分をこんな「人間」にした愛しきあの人のことを。




 まだその頃の彼女には名前がなかった。


 ある日のことだ。他の人型機械たちと一緒に店の一角に展示されていた彼女の元に彼がやって来た。


 そこにいるたくさんの機械たちは実はみんな同じ顔をしていた。人間が好むような整った顔だ。しかし彼はなぜか迷いなく一直線に彼女の前まで歩いてきて静かに立ち止まると顔を見上げてこう言ったのだ。


「……君だ。やっと会えたね」


 後になって高尾は彼に聞いたことがあった。あのセリフはどういう意味だったのか。なぜ同じ顔をしているたくさんの機械たちの中から自分を選んだのかと。


 彼は笑ってこう言った。


「赤い糸が君の元へ導いてくれたのさ」


 そんな非科学的なものが本当にあるのか。もしあったとしても人間と機械の間にそれが成立することなどありえるのか。機械である高尾には全く理解出来ないことだった。しかし嬉しそうな彼の笑顔を見ていると不思議とそういうものかと思ってしまう自分がいた。


 彼は彼女に「高尾」という名前を付けた。落語の演目「紺屋高尾」から取ったのだ。


 彼女が彼から聞いた「紺屋高尾」の物語はこのようなものだった。





 ある所に染め物職人として働いている男がいた。


 ところがそれまで病気一つせず真面目に仕事をしていた彼が突然寝込んでしまう。


 心配した親方が見舞いに行ってみるとそれはなんと恋の病だった。彼は友達の付き合いで行った吉原で花魁道中を初めて目にして高尾太夫という女性に一目惚れしてしまったのだ。


 親方は彼を元気づけようと「もし金を貯められたら俺が何とか会わせてやる」とその場凌ぎの嘘をつく。するとそれを信じた男は一層仕事に打ち込むようになった。


 そしてそれから三年、ついに男は太夫をお座敷に呼べるだけの大金を貯めることに成功したのだった。


 しかし幾らお金を持っていても相手は大名でなければ会えないような存在。そこで一計を案じた親方は男に良い着物を着せてお金持ちの坊っちゃんに仕立てて一芝居打つことにした。


 その日、運良く太夫は空いていて、男は憧れの彼女にやっと会うことが出来た。夢のような時間。しかし当然別れの時はやってきた。「今度はいつ会えるの?」と聞く彼女。すると男は泣き出してしまった。


 自分はお金持ちなんかじゃない。実は一目惚れした君に会いたい一心で死に物狂いで三年も掛かってやっと今日の一日のためのお金を貯めた。だからもう会いに来ることは出来ない。


 そう告白した男に対して高尾太夫は怒るどころか一緒に泣いてくれた。そして「そこまで一途に卑しい身である自分を思ってくれて嬉しい。自分は来年年季が明けて自由の身になれる。その時どうかあなたの女房にして頂けないでしょうか」と言った。


 とても信じられない話だったが男はその話を信じてなお一層仕事に励んだ。


 そして一年後なんと約束通り高尾は男の元にやって来た。


 夫婦になった二人は親方から引き継いだ店を益々繁盛させ、幸せに暮らしたという。





 私はこんな粋な花魁にはなれないわ。


 そう言った機械の高尾に男は「僕だって染め物は出来ないよ」と笑った。


 そして彼は彼女を呉服屋に連れて行き、着物を作ってくれたのだ。「さすがに花魁とまではいかないが、これで少しは風情が出るだろう」と。


 とにかく洒落っ気があって粋な人だった。着物を着せた機械を自分の彼女のように扱って連れて歩く彼の姿は一般的には変人だったと思う。それでも彼は何も気にしていない様子で彼女を大事にしてくれた。


 自分の「感情」というシステムが人為的に作られたものだとわかっていても高尾は「幸せ」というものを感じていた。


 しかしある日突然その日々は終わりを告げたのだ。本当に突然に。


 その日、何が起きたのか、高尾は未だに理解出来ずにいた。


 例えるならそれは「光」だった。高尾は突然眩しい光を感じたのだ。そして一瞬にして意識を失った。次に目が覚めた時、隣にいたはずの彼はいなくなっていた。しかも彼と一緒に住んでいた住居、自分が寝ていた場所は信じられないほどボロボロの廃墟のような状態になっていた。それは長い時間の経過を意味していた。自分はどのくらいの期間寝ていたのだろう。何かとてつもなく恐ろしいことが起きたのだと高尾は悟った。


 後になってわかったことだが意識を失ったのは高尾だけではなく他の機械たちも同様だった。そして機械たちが長い眠りについている間に彼どころか人間という種族全てが地球上から一人残らずいなくなっていたのである。


 高尾が感じた光、それは恐らく機械の知能を一時的に麻痺させる電磁波のようなものだったのだろう。何者かがそれを作った、つまりその何者かは機械たち全てを眠らせる必要があったということだ。大規模な戦争が起きたのかもしれない。しかしそれだと人類が一人残らず消えた理由は説明できない。人間たちに何が起きて彼らがどこに行ったのか。謎は多かった。


 人を失った地球は機械たちの星になった。






 あれから長い長い時間が過ぎた。高尾は溜め息を吐いた。


 人間ならとっくにその命を全うしていたことだろう。しかし機械である自分は生きるしかなかった。自分で自分を壊せないようにプログラムされているから。思い出にしがみつき毎日変わり映えのしない静かな時間を送る日々。


 神様。あなたは何を考えているのですか。私にどうしろというのですか。何か答えをお与えください。


 機械である自分が目に見えないものに祈る。


 滑稽だとは思ったがそうせずにはいられなかった。


 その時だった。高尾は「泣き声」を聞いた。


 彼女は目を見開いた。


 そんな、まさか、これは……。


 忘れかけていたその声。慌てて彼女は外に飛び出し声のする方に行ってみた。


 家の裏、そこには高尾がこれまで見たことのない丸いケースのようなものに入った生き物がいた。


 人間の赤ちゃん!?


 高尾は周りをきょろきょろと見回してみたが他に人間らしき者の姿はなかった。


 随分昔に地球上から消えたはずのホモサピエンス。その赤ん坊がなぜ今になって自分の前に?


 高尾は泣き続けている赤ん坊をそっと抱き上げた。すると不思議なことに赤ん坊はすっと泣き止んだ。


 女の子だわ。


 そうか、これが神様の答え……。


 高尾の人工知能にふっとある名前が浮かんだ。


 あかり。


 私の長き暗闇に、この子が光を指し示してくれるに違いない。この子は私の灯火になってくれるはず。


 いや、ひょっとしたら私たち機械たち全て、さらには消えた人類、みんなにとっての光に。


 あかりを優しく抱き締めた高尾は眩しそうに空を見上げた。




                (了)







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