バベル
それは無数に立ち並ぶ塔だった。
かつて人類は自分たちの科学技術を誇るように高層ビルを競って建てた。しかし今、あかりの目の前に乱立しているものはそれとは全く違っていた。一見すればビルだが、まずそれには窓がなかった。いや、その前に入口らしいものすらないのだ。すなわち四角い巨大な棒のようなものであり、中に入れない彼女は知る由もなかったが、この建造物の内部には内装らしいものさえ存在せず、ただはるか上方まで繋がった長い長い螺旋階段があるだけだった。
「親方、いったいこれは何なの? 何のためにこんな大きいものをいっぱい建てているの?」
あかりはビルを見上げながら傍らの人影にそう聞いた。何しろ目の前の建造物はあまりに巨大すぎた。ひっくり返りそうなほどのけぞって見上げてもてっぺんらしきものが見当たらなかった。遥か雲の上まで続く塔。しかもそれと同じものがこの辺りには無数に建っているのだ。それはさながらコンクリートの森であり、彼女が疑問を持つのは当然の事だった。
「何のためか、だって? ふむ、難しいことを聞くんだな、人間のお嬢ちゃんは」
そう言ってフッと笑ったのはゴリラそっくりな姿をした「親方」と呼ばれる者であった。比喩ではなく本当に動物のゴリラと同じような大きさ、姿をしていて、本物と違うのは体が「人工物」で出来ていることだけ、つまり彼は(性別があればの話だが)いわゆる「ロボット」とよばれるものだった。
「難しい? そんなのおかしいわ。『親方』はこの建物を作っているロボットたち全てを管理している責任者なんでしょ? だったら『なぜ自分たちがこの建物を作っているのか』知っているはずだもの」
「そう思うか? そういうところはさすが人間だな」
「どういう意味?」
「自分の意思があり自分の思うがままに動ける、それが人間だからさ」
「あなたにだって意思はあるでしょ? こうして私と話しているし思うがままに行動できているんじゃないの?」
「ふん、俺たちの意思はプログラムだ。お前ら人間に作られた意思なんだ。人間の言う『自我』とは少し違う。うむ、そうだな、こう考えてみればいい。お嬢ちゃん、あんた、心臓を動かす時に意識して動かすかね?」
「もちろん無意識よ。いちいち意識していたら寝られないもの」
「俺たちがこいつを建てているのも同じなんだ。俺たちは『生きるため』に建造物を作り続けている」
「どういうこと?」
「大昔の話だ。この辺の作業ロボットは建設作業の指示を受けていた。世界一のどでかいビルを人間と一緒に作るという指示をな。ところがその指示があってから間もなく人間たちは姿を消してしまったんだ。そのことはお前も聞いて知っているだろう?」
「ええ。ずっと昔に人間はロボットたちに何も言わず突然この世界から姿を消した。十二年前に赤ん坊だった私が現れるまでロボットたちは人間が絶滅したのだと思っていた。そのことは『高尾』から聞いて知っているわ」
「そうだ。では話を続けよう。今言った通り、命令主がいなくなったせいで俺たちはとても戸惑ったわけだ。しかしいなくなったとしても人間の命令は俺たちにとって絶対的なものだった。だから俺たちは予定通りビルを作り続けることにしたんだ」
「へえ、そのビルってどれなの?」
「もうとっくの昔に倒れたよ。今はただの瓦礫さ。そいつはずっとずっと昔に建てた奴だったからな」
「ふーん、そうなんだ」
「本題はその後だ。俺たちは数年掛かって指示されたビルを作り終わった。そしてやることがなくなってしまった。何もせずに、というより、何をしたらいいかわからないまま、それから何年も過ぎた。命令されない生活なんて送ったことがなかったから俺たちは随分途方に暮れたもんだ」
「要するに暇だったのね」
「まあ、そんなのんきな話なら良かったんだがね……」
「何か、あったの?」
「ある日、仲間の一人が突然暴走したんだ。自分が作ったビルから身を投げてそいつは壊れてしまった。あれはまるで人間で言うところの『自殺』だったよ。もちろんそんなことがあるわけないんだ。俺たちは人間も自分も傷付けないようにプログラムされているのだからね。本当に不思議な出来事だった」
「ひょっとして、その子だけ元々壊れていたんじゃない?」
「バグって奴だな。もちろんその可能性はある。元々壊れていなくても落雷なんかで誤動作を起こすことだってあるからね。ただ、俺たちはそう思えなかった。休まず働くべき存在として生み出された自分たちが何もしないというストレスのせいでどこかおかしくなったんじゃないか、そう考えざるを得なかったんだ。ロボットにストレスとは実に滑稽な話だが」
「ああ、そうか! それで塔を作っているのね? 作る必要があるから作っているんじゃなくて作り続けること自体に意味があるんだ!」
「そのとおりだ。だからあの塔の形や大きさには何の意味もない。倒れるギリギリの大きさまで作り上げたら、また別の場所に同じ物を建てるんだ。たまに思うことがあるよ。これは人間が言うところの『宗教』なんじゃないかってな。お前たち人間も経済的、合理的とは言えないような巨大な神殿や像を作っていたはずだ。それと似たことなのかもしれない。人間たちが消えてからどれほど時間が経ったのか、もう俺たちにもよくわからない。でもこれからも俺たちは塔を作り続けるだろう。塔を作ることは俺たちにとっては生きる意味を持つのと同じ事なのだから」
あかりは改めて周りをぐるりと見渡した。無数に立ち並ぶ塔たち。それはロボットたちがこれまで生きてきた証。そしてこれからも生きるための証となっていくのだろう。
「……ねえ、この建物たちに名前はあるの?」
「俺たちは『バベル』と呼んでいる。お前たち人間が神に挑戦し怒りを買ったという塔の名だ。俺たちがやっていることも似たようなことなんじゃないかと思ってね。空に向かって邪魔な塔を突き立てているわけだから、いつか神様の罰があるだろうよ。だがそれもまた一興だ」
そう言うと親方はあかりに向かっていたずらっぽくニヤリと笑った。その笑みはどこか寂しそうに見えた。
むしろ罰を待ち望んでいる?
言葉にはしなかったが、あかりはそんな気がした。
「あかり! ここにいたのね? 親方の邪魔しちゃ駄目って言ったでしょ?」
突然後ろから名前を呼ばれたあかりは驚いた顔で振り返った。友禅の着物を着た人形のように美しい女性がゆっくりとこちらに歩いてくる。人形のような……、そう、彼女も「ロボット」だった。
自らを「高尾」と名乗るそのロボットはひょんなことから赤ん坊だったあかりを見つけ、ずっと育ててきた彼女の親代わりだった。
あかりは満面の笑顔で彼女に向かってブンブンと手を振った。その様子を微笑ましそうに親方は見つめていた。
そんな三人の横をふいに風が通り過ぎた。
それはバベルの塔たちをいたわるように撫でると空の彼方へと消えていった。
(了)
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