童話



 その男は旅をしていた。街から街へ、北から南へ、南から北へ、季節ごとに渡り鳥のように。


 男が旅費を稼ぐ唯一の方法、それが「物語り」だった。彼は街の人々を集めて自作の童話を語って聞かせチップを貰うことで生活をしていたのだ。


 彼の語りの才能は素晴らしく、それぞれの街には定期的にやってくる彼を楽しみに待つ多くのファンがいるほどだった。


 彼のように長年旅をしていると驚くような出来事に遭遇することもある。


 それはある冬のことだった。


 その街は大陸の東端にある小さな港町で、かつてはたくさんの魚が捕れ、とても活気があったが、ここ十数年の間、なぜか不漁が続き、かつての賑わいを失っていた。


 そんな中、数年ぶりに彼がやってきたというニュースはあっという間に街中に広まり、彼の話を聞こうと多くの群衆が詰めかけた。


 そこは街の中心にある広場だった。大きな噴水がシンボルとなっていて彼はその前に立つと聴衆をぐるりと見渡し両手を広げた。


「皆様、お久し振りでございます。私は旅する語り部、これより昔々のお話をさせて頂きます。お時間の許す限り、ごゆるりとお聞き頂ければ幸いでございます」


 彼がそう言って頭を下げるとどこからともなく拍手や指笛が鳴り響いた。


「ありがとうございます。本日、最初にお話するのは仲の悪いフクロウの兄弟のお話です。それでは始めさせて頂きます」


 いつものように彼が話し始めるとざわついていた群衆がすっと静かになった。大人も子供も彼の声、語り口調、話の面白さに心を奪われ、一時、現実の世界を忘れた。


 時間にして数十分、彼は幾つかの話を披露した。楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、彼はいつもの閉幕の挨拶を始めた。


「皆様、ご静聴ありがとうございました。本日のお話はここまでとさせて頂きます。こちらには一週間ほどお世話になる予定ですので良かったらまたおいでくださいませ。それではまた明日、今日と同じ時間にお会いしましょう」


 彼が深々と礼をすると盛大な拍手が起きた。


 それがどの街でも変わらないいつもの光景だった。


 それから一時間ほど後、彼は泊まっているホテルの部屋で明日の話の準備をしていた。


 同じような話が続かないように気を付けながらその街が持つ「性格」も考えて話の順番を考えるのだ。


 さて、明日はまず毛糸で出来た羊のぬいぐるみの冒険譚を話そうか。その後は……。


 その時ふいにドアをノックする音が聞こえた。

 

「え、あ、はい、どうぞ」


 こんな時間にいったい誰だろう? 驚いた彼が返事をするとすっとドアが開いた。


 そこにはひとりの少女が立っていた。


 印象的な長い黒髪、グレーのコートに真っ赤な手袋が目立っていた。


「こんばんは。えっと、君一人なのかい? 親御さんは一緒じゃないの?」


 ファンの多い彼のところには時折サインを欲しいと言って来客があることは珍しいことではなかった。その多くが親子連れであり、またそのパターンかと思ったのだ。しかし少女の後ろに大人の影は見えなかった。


「お話を聞きたいの」


 彼の問いに彼女はたった一言そう答えただけだった。どうやら親の目を盗んで自分に会いに来た困ったファンのようだ。彼はそう思った。


「こんな遅くに出歩いたらお父さんやお母さんが心配するよ。今日は帰りなさい。明日も今日と同じ場所で話をするからおいで。その時は一番前の特等席でお話を聞かせてあげるからね」


 彼は出来るだけ彼女を傷つけないように配慮しながらゆっくり落ち着いた声でそう伝えた。すると彼女は彼が思っても見なかった返事をした。


「私が聞きたいのはおとぎ話じゃないの。あなたのことを話してほしいの」


 あなたのことを話してほしい。長い語り部の生活で子供からそんなことを言われたのは初めてだった。


「私のこと? どういう意味かな?」


「あなたがどんな子供だったのか。どんな夢を持っていたのか。なぜ語り部になったのか。そんな話」


「それは、つまり、これまでの私の人生について知りたいってことかな?」


 彼女は黙って頷いた。


 ……人生か。


 いつも架空の話をしてきた彼にとって自分の人生について語る機会はそう多くはなかった。もちろん大人との酒の席でそんな話になることはあったが、おとぎ話を楽しみに待っている子供に向かって改まって自分の半生を語った経験はなかった。


 良い経験になるかもしれない。


 虚構の話を語るとはいえリアリティにこだわっていた彼にとってこれまでにない体験ができる機会は逃したくないものだった。


 少しくらいならいいか。話が終わったら電話番号を聞いて両親に迎えに来てもらおう。


 彼は覚悟を決めるとにっこりと微笑んだ。


「わかった。じゃあ、少しだけね。下のロビーに行こうか?」


 さすがに女の子と密室で二人きりというのはまずい。彼は少女を促すと部屋を出て一緒にエレベーターに乗り一階のロビーに向かった。


 エレベーターから降りるとフロントにいるホテルマンがこちらに気付き軽く頭を下げたので、彼も挨拶を返した。幸いにも他の客の姿を無いようだった。気兼ねなく自分語りが出来そうだ。彼は安堵した。


 ロビーにあるソファに少女を座らせると彼は机を挟んで反対側に腰を下ろした。


 黙ったままじっとまっすぐ彼の眼を見つめてくる少女の純粋さに少したじろぎながらも彼は話を始めた。


「私の人生について聞きたいってことだったね。私は……、いや、子供の頃の話をするには『僕』の方がいいかもしれないね。そうさせてもらうよ?」


 彼女はこくんと頷いた。


「僕の家はいわゆる中流家庭という奴だった。お金持ちではないけど毎日の暮らしに困るほど貧しくはない、そんな感じさ。だからごくごく普通の少年時代を送ったと思う」


 少女はまたこくんと頷いた。


「ところが普通ってのは意外と長く続かないものなんだ。あれは僕が15歳の時のことだ。父親が突然死んだ。酔っ払って喧嘩して殴られて、倒れたところが悪かったんだな、頭を強く打ってしまってね。呆気なく帰らぬ人になってしまったんだ」


 そこまで話をして彼はふと我に返った。まだ年端もいかない女の子にこんな話をしてしまっていいのだろうか。よく考えてみればなぜ自分はあまり振り返りたくないと思っていた自らの身の上話をする気になったのか。


 良い経験が出来そうだと思ったから? なぜ自分はさっきそう思ったのか。そんなのは詭弁だ。


 彼はそう気付きながらも話を止めることも彼女から目を背けることも出来なかった。


 そう、眼だ。彼女の眼。この眼を見ていると僕は……。


 まるで夢の中にいるような感覚になりながらも彼は話を続けた。


「父が死んで僕の生活はガラリと変わった。家はみるみる貧しくなった。僕は長男でね、下には四人、まだ小さい弟と妹が居た。僕は学校をやめて働くしか無かった。必死だったよ。なんでもしたさ。彼らが学校を出て社会に出るまで面倒を見るのが自分の使命だと思っていたからね。そしてその使命が終わる頃には自分もそこそこ良い歳になっていた。稼いだ金は全部家のために使った。だから僕個人の財産なんて無いも同然だった」


 少女は黙ったままだった。


「同級生たちはみんな結婚して家庭を持って幸せそうだった。自分には何もなかった。やがて弟や妹たちもそれぞれ結婚して幸せになった。それでも自分には何もなかった」


 彼はそう言いながら自分が涙ぐんでいることに気付いていなかった。


「昔ね、ちょっと付き合っていた恋人からせがまれて暇つぶしに自作のおとぎ話を聞かせてあげたことがあったんだ。彼女はすごく面白がってくれてね。あなたには才能があるわ、そう言ってくれたんだ。自分には何もない、それに気付いた時、同時に、僕には話の才能がある、そう思ったんだ。それしかない、そう思ったんだ。だからすがりついたのさ。頼れるものがそれしかなかったから」


 ぽろぽろと涙が零れた。


「僕はその時やっていた仕事を辞めた。そして旅に出た。もちろん最初は上手くいかなかったさ。邪魔だって罵られたり警官を呼ばれてよくわからない容疑で牢屋に入れられたこともあった。でもね、諦めようとは思わなかった。だってそれしかなかったんだから。とにかく続けたよ。そうしたら不思議なものさ、ひとり、またひとり、自分の話を聞いてくれる人が増えてきたんだ。今では世界中に僕のファンだと言ってくれる人がいる。でも……」


 彼はぐっと口を結んだ。嗚咽が抑えられなかった。


「僕には……、僕にはやっぱり何もないのかもしれない。僕はただの通りすがりだ。だから珍しがってちやほやしてもらえるのさ。でも僕が他の街に旅立てばすぐにみんな僕のことなんて忘れて日常に戻るだろう。これは贅沢な悩みなのかもしれない。でも僕は時々すごく寂しくなる。自分はなぜ普通になれなかったのか、みんなが羨ましくって堪らなくなるんだ!」


 彼は声を上げて泣き出した。まるで子供のように。


「お客様、あの、大丈夫ですか?」


 誰かの声。ふっと彼は我に返った。涙でくしゃくしゃになった顔を上げるとそこには先程会釈したホテルマンが立っていた。


 それだけではない。いつの間にかたくさんの人たちが彼を取り囲み心配そうに様子を窺っていた。


「これは、いったい……、ああ、そうだ、女の子は?」


 目の前に座っていたはずの彼女の姿がないことに彼はようやく気づいた。


「あの、申し上げにくいのですが、お客様はずっとお一人でしたが」


「え、それはどういうことだ?」


「エレベーターから降りられた時から今までずっとお一人でした。でもロビーで急に誰かに向かって話すように喋り出されたんです。そのうち涙をボロボロと零され大声で泣き出されました。皆さん、その声に驚いてお集まりになったのです」


 一人? ではあの少女は?


 何かに化かされたのか? それとも自分は幻覚を見るほどおかしくなっていたのだろうか。


 頭が真っ白になり混乱した。そんな彼に野次馬の中に居た恰幅のいい紳士が突然声をかけてきた。


「語り部さん、話は聞かせてもらったよ。どうだい、一週間と言わず、あなたさえ良かったらずっとこの街に住まんかね? 私たちに出来ることならなんでも協力するよ。なあ、みんな?」


 紳士がそう言って振り返るとどこからともなく拍手が起きた。するとその場に居た全員がそれに同調し大きな拍手を送ってくれた。彼は呆然とそれを見渡した。


 ああ、そうか、僕にはある、あるんだ、ちゃんと大事なものが。


 彼は涙を拭うとすっくと立ち上がった。


「皆さん、ありがとう。こんなに嬉しい申し出をして頂いたこと感謝しています。でも今やっと気付きました。私には皆さんがいる。そして皆さんと同じように私を心待ちにしてくれる他の街の方々もいる。そのことを思い出せました。だから私はまた旅に出ます。そしてきっとまたここに帰ってきます」


 彼がそう言って深々と礼をすると更に大きな拍手が起きた。


 そんな様子を夜空に浮かぶ三日月に腰掛けて見ていた少女は嬉しそうに、にこりと微笑んだ。





                 (了)





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