マッテイタヨ




「ご馳走様でした。こんなおいしいシチューを頂いたのは初めてですよ」


「こんな老婆の料理が若い方の口に合いましたか。それは良かった」


「ありがとうございます。お陰様で助かりました。つい先程まで寒空の下、凍えていたのが嘘のように温まりました。この辺りは村どころか民家の一軒もなく困り果てていたところだったのです。こちらの家を見つけた時はどんなに嬉しかったことか」


「困った時はお互い様ですよ。ところで旅のお方、あなた様はなぜこのような僻地に?」


「私は旅をしながらその土地にまつわる昔話を収集しているのです。そうだ、お婆さん、何か面白い話を知りませんか?」


「そうですなあ。……ああ、そうそう、昔、この辺りに『愚かな勇者』という者がいましてね」


「へえ、勇者なのに愚かですか。それは興味深いですね」


「勇者といっても自称に過ぎなかったのですよ。魔王は400年も昔に当時の本物の勇者たちが倒したでしょう? それなのに50年前に現れた、その『自称』勇者は倒す相手などとうにいないのに、おとなしくなっていたモンスターをいたずらに殺しまくり勇者を勝手に名乗ったのです」


「……なるほど、そんなことがあったのですか。いつの時代も名を上げることにこだわる愚かな奴はいるのですね」


「ええ。みんな、迷惑したようですよ。あっ、おかわりはいかがですかな?」


「あっ、いえ、もうお腹いっぱいです。ありがとうございます。……あっ、あの、失礼ながらひとつ聞いてもよろしいですか?」


「なんですかな?」


「私がここに訪ねてきた時、ずいぶん汗をおかきになっていたように見えたのですが、お体の具合でも悪いのではないかと」


「汗? ああ、いやいや、そうではないのですよ。ご心配頂きありがとうございます。お恥ずかしい話ですがちょっと『まっていた』ものですから」


「待っていた? どなたかとお約束があったのですか?」


「約束? ああ、『待っていた』ですか。いや、誰かを待つという意味ではなく『舞う』、つまり踊っていたという意味で言ったのです」


「踊る? ああ、『舞っていた』ですか! 失礼ですが、こんな夜中にひとりで踊りの練習を?」


「練習というか、まあ、習慣みたいなものですなあ。無駄なことだと遥か昔に悟ったというのにやめられない。呪いと言ってもいいかもしれません」


「呪いですって? ま、まさか!?」


「どうかされましたか? 旅の方。おや、顔色が優れないようですが」


「……400年前の勇者の仲間のひとりに踊り子がいたという話を知っていますか?」


「えっ! ええ、知っていますが……」


「魔王の城で大量のモンスターと戦った勇者の仲間たちは次々に倒れ、魔王の所に辿り着いたのは勇者と踊り子の二人だけだった。絶望的な状態だったはずだ。いくら勇者と呼ばれた者たちであっても人間二人で倒せるような相手ではなかった、魔王という存在は」


「なっ……!? なぜそんなことを知っているのです? それは伝説にも残っていない話のはず!」


「しかし魔王は倒された。魔王ともあろうものがなぜ人間二人に遅れを取ったのか? それは彼が踊り子に一目惚れしてしまったからなのです」


「な、なんですって!」


「魔王はほんの一瞬踊り子に気を取られたせいで勇者の剣を避ける事が出来なかったのです。それは仕方ないことだった。自分の気の緩みだったのだから。でも薄れ行く意識の中、彼が見たものは寄り添い合った勇者と踊り子だった。その二人の姿に『愛』を感じ取った魔王の心にある感情が湧き上がったのです」


「……そ、それは『嫉妬』? まさか、あの異形の魔王が人間に嫉妬を? だからあんな……」


「そうです。だから『私』は死と引換えに最後の魔力を振り絞って勇者と『あなた』に呪いを掛けたのです」


「や、やはり! あなたはあの魔王の生まれ変わりなのですね? 最後にあいつはこう言った。『必ず生まれ変わり、おまえたちに会いに来る』と。その約束を果たすためここへ来たのか!?」


「確かにあの時の私はそう言いました。しかしそうではないのです。信じて欲しい。ここに来たのはただ懐かしい場所を見たくなったからなのです。あれから400年経ち、私の城など跡形も無いことはわかっていた。でも何かを感じたくて、ここまでやってきた。そこに小さな家が建っていて、まさか、あなたが住んでいるなど、どうして想像できましょうか?」


「信じられぬ! 彼と私を水晶に閉じ込めたお前の言うことなど!」


「無理もないことです。でも聞いてください。生まれ変わった私は愕然としました。ただの人間に生まれ変わってしまった私には何の力も無かったからです。しかし今は本心からそれで良かったと思っています。自分がただの人間になれたからこそ私は人間というものを知ることが出来た。旅を通じて人間の弱さも強さも優しさも偉大さも理解できるようになった。昔話を集め始めたのも人間をもっと知りたくなったからだ。私はずっと恥じてきたのです。嫉妬から勇者とあなたに呪いを掛けて水晶に閉じ込めてしまったことを」


「なぜだ! なぜおまえはあの時、あのようなことを? 嫉妬に駆られたというのなら他の呪いでも良かったはず! なぜあんな酷い呪いを……」


「私は勇者からあなたを奪い去りたかった。そのために私が生まれ変わるその日まであなたを若い姿のままで保存しておきたかったのです。再び魔王として生まれ変わった私はあなたの呪いだけを解いて水晶に閉じ込められたままの勇者を嘲笑い、あなたを奪い去ろうと思っていた。今思えば馬鹿げた考えだった。もう私には微塵もそんな気はありません。しかしもうひとつだけ聞いておきたい。あなたはどうやってあの水晶の呪縛を解いたのですか?」


「……先程言った『愚かな勇者』の仕業です。もう50年も前の話」


「愚かな勇者! ではそいつがここに?」


「愚かではあったが、あいつはそれなりに本物の勇者の力を持っていた。つまり魔王の呪いを解ける程度の力は。しかし愚かだったあいつは私だけを水晶から解き放ち、自分の妻になれと迫って来ました。だから隙を見て殺してやった。私にとっての勇者は『彼』しかいないもの」


「今、床下を見ましたね? それではまだ『彼』はここに?」


「ええ。この地下の空間で400年前と同じ姿で水晶に包まれて眠りについています」


「そうですか。申し訳ない。今の私にはどうしてあげることもできない。今の私には400年前のような魔力がないのです。自分の掛けた呪いを解くことが出来ないとは情けない限りだが」


「……いえ、今となってはそれで良いのかもしれません」


「良い!? なぜです?」


「50年前、ひとりだけ呪いを解かれてから私は彼の呪いを解こうと色々試してきました。私の踊りに魔法の力があることはご存知でしょう? 勇者の仲間たちを時には癒し時には鼓舞した私の踊り。ひょっとしたら頑張れば魔王の呪いもいつか解けるのではないか。そう思って、この50年間毎日毎夜、私は水晶の中で眠る彼の前で踊り続けてきたのです。でも結果はご覧のとおり。私はお婆ちゃんになったけど彼は水晶の中で若々しいまま。彼の呪いが解けたとしても今更どんな顔をして彼と会えばいいのでしょう?」


「そんなことはない! あなたはあの時の美しいあなたのままだ! 彼だってそう言って……」


「いえ、私はもう疲れたのです。舞い続け待ち続けた永遠のような夜に……」


「でもあなたは今まで諦めなかった。だからこそ今夜も舞っていたのでしょう? 彼が目覚めるのを信じているからこそ踊ってきたのではないのですか? 呪いを解く方法、あなたを若返らせる方法を私が必ず探してきます。だから……、はっ?!」


「……」


「……死んでいる。遅かったか。私がもっと早く生まれ変わっていれば。私が再び魔王として甦られていれば。あの時に呪いなど掛けなければ。しかしどんなに後悔しても最早どうにもならない」


「……」


「舞姫よ。償いにはならないかもしれないが地下で眠るあなたの大事な人はこれから私が代わりに守ります。あなたのように舞うことはできないけれど待つことなら私も出来る。彼の呪いを解ける者が、生まれ変わったあなたが、ここにやってくるまで私は命の限り待ちましょう。美しく気高き人よ。ゆっくりお休み。また会える日まで」


 舞っていた夜。


 待っていた夜。


 待っていたよ。





                 (了)






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る