ラジオ




 軽快なオープニング曲と共にいつもの番組が始まる。


 僕は自室でいつも以上にドキドキしながらその瞬間を迎えていた。


 ミッドナイトリズム! この番組は「出口純佳(でぐちすみか)」がお送りします。


 高すぎず低すぎずの落ち着いたトーンの美声。僕の耳と心はふわふわとざわついた。


 毎週水曜日の深夜、ラジオから聞こえてくる音楽番組。僕はすっかりその虜になっていた。


 偶然この放送を聞いたのは確か一年程前のことだ。


 その日、仕事で失敗をしてしまい、上司に怒鳴り散らされた僕は悔しさのあまりなかなか眠れなかった。それでふと学生の時以来聞くことの無くなっていた深夜ラジオを聞いてみようと思い立ったのだ。


 携帯音楽プレイヤーばかり使っていたため部屋の片隅ですっかり置物のようになっていたCDラジカセに久し振りに電源を入れた時、流れてきたのが今のと同じオープニングだった。番組が始まると洋楽らしきBGMが流れ、パーソナリティの彼女がこう話し出した。


 皆さん、初めまして。今日から始まった新番組ミッドナイトリズム。パーソナリティを務めます出口純佳です。どうぞ、よろしくお願いします。


 へえ、今日始まった番組か、奇遇だな。出口さんか。名前は初めて聞いたけど綺麗な声の人だな。


 最初、僕が思ったのはそんな普通のことに過ぎなかった。番組は一般の視聴者から流して欲しい曲のリクエストとその曲に対する思い出、エピソードをメール、葉書で送ってもらうというありがちな形式だった。しかし僕は番組が進むごとに純佳さんの存在がミッドナイトリズムという番組を特別なものにしていることに気付いたのだ。


 視聴者の送ってきたエピソードに本気で笑い、悲しみ、怒り、心配する彼女の様子は声から否応なく伝わってきた。声がこんなにも表情を伝えてくれるものだということを僕は初めて知った。


 初回の番組が終わった時、僕は完全に出口純佳のファンになっていた。何気なくつけたラジオで彼女に出会えたことを神様に感謝したほどだった。終わった瞬間に次の週が待ちきれない。そんな気持ちになったのは生まれて初めてだったかもしれない。


 それから僕は毎週欠かさずミッドナイトリズムを聞くようになった。同僚の誘いを水曜だけは断り早めに帰宅し仮眠を取って深夜の番組に備えた。なぜ水曜は駄目なのかと同僚たちは不思議がったが聞きたい番組があるからなんて子供みたいな理由は恥ずかしくて言えなかった。そこまでしなくても最近のラジオが予約録音できることは知っていたが、どうしても彼女の声だけは生で聞きたかったのだ。


 それはもうファンというより恋に近い感情だった。


 放送を聞けば聞くほど僕は彼女のことを知りたいと思うようになった。熟れた進行振りからしてラジオの世界では意外と有名な方なのかもしれない。ネットで何でも調べられる便利な時代なのだから検索すればすぐに彼女のことはわかるはずだ。しかし僕はなぜかそうする気になれなかった。声を聞いて想像した僕の中の彼女。それがもし現実の彼女とかけ離れていたら。そう思ったら彼女の顔を知ることが怖くなってしまったのだ。


 僕は最低だ。容姿なんか関係ないはずじゃないか。僕は彼女の声とそこから伝わってくる感情豊かな性格に好意を持ったはずなのに。


 そう思っても結局意気地なしの僕は今の今まで彼女の顔を知らないまま番組を聴き続けていた。


 皆さん、こんばんは、出口純佳です。


 オープニングが終わり、彼女が話し始めた。


 僕は回想から現在へと意識を戻された。


 一週間ぶりのご無沙汰ですね。ミッドナイトリズム第四十九回目となりました。わあ、来週でもう五十回なんですね。ついこの間始めたばかりだと思っていたのになあ。一回目から欠かさず聞いているよ、なんて方、いらっしゃるんでしょうか? いないだろうなあ。


「い、いますよ!」


 もちろん彼女に伝わらないことはわかっていたが、僕は思わずラジカセに向かってそう話し掛けていた。


 それでは早速メールのご紹介です。神奈川県の恋泥棒さん、十七歳の女の子から。純佳さん、こんばんは。こんばんは。いつも勉強しながら純佳さんの美声を聞かせてもらっています。び、美声!? フフ、ありがとう。えーと、今日は私の悩みを聞いてください。あら、何かしら? 私は最近中学時代からの親友の彼氏のことを好きになってしまいました。今まで必死にその気持ちを抑えて来ましたが、そろそろ我慢の限界です。私はどうしたら良いと思いますか? あらら、辛いわね。うーん、難しいなあ。この場合、誰も傷つかないような結末ってないものね。でもさ、厳しいことを言うようだけど誰かが傷つかなくちゃいけないならあなただけが傷付いて我慢すべきじゃないかなって私は思う。あなたが彼に気持ちを打ち明けた場合、彼も彼女もあなた自身も嫌な思いをするわけでしょ? 自分だけが傷付きたくない、相手も傷付けてしまえっていうのは恋愛じゃなくてただの独りよがりじゃない? だから辛いだろうけど一度冷静になってほしいな。それにね、恋って周りを見えなくするものなの。今は彼しかいないって思うのかもしれないけど後で振り返ってみると、なんであんなに彼にばかりこだわっていたんだろうって思うんじゃないかな? あ、いや、その彼が大したことないとかそんなこと言っているんじゃないからねっ! 誤解しないで~!


 真っ赤な顔で慌てて言い訳をする彼女の姿が目に浮かぶようだった。そしてなぜか僕も顔が赤くなった。


 私からのアドバイスはこんな感じかな? 恋泥棒さん、参考になったでしょうか? じゃあリクエストの曲に参ります。「Music shock kneen」で「恋泥棒の裁判 傍聴人バージョン」です。ではどうぞ!


 最近人気があるバンドの新曲がラジオから流れ出した。ノリの良い曲だったが僕はあることで頭がいっぱいで音楽どころではなくなっていた。曲が終わるとまた彼女が話し出した。


 「Music shock kneen」で「恋泥棒の裁判 傍聴人バージョン」でした。疾走感のある話題曲ですね。恋泥棒さんに届いてくれたかな? 頑張ってね、恋泥棒さん! また何かあったらメール下さい。それでは次のリクエストをご紹介します。えーと、お葉書ですね。東京都にお住まいの「矛盾した黄泉の番人」さん。変わったペンネームですね。


 それを聴いた瞬間、心臓を鷲掴みされたような鼓動が僕に襲い掛かってきた。


 純佳さん、こんばんは。いつも楽しく番組を聴かせて頂いています。一年前、偶然付けたラジオから聞こえてきたのがミッドナイトリズムの第一回目でした。それから毎週欠かさず聴いています。えー、すごい、ありがとう! 本当にいるんだね、そんな人!


 僕は先程以上に赤くなった。そう、「矛盾した黄泉の番人」とは自分のことだった。淡い期待を抱いてはいたが、まさか本当に自分の葉書が選ばれるとは思っていなかった。 


 明るい純佳さんの声にいつも元気をもらっています。感情豊かな純佳さんの声は聞いているだけで楽しいです。わあ、ありがとう! えへへ、さっきからありがとうしか言ってないね。えーと、何気ないあなたの一言で僕自身ハッとさせられることも多く、とても勉強になっています。えー、私、そんな大層なこと言ってないよ? 気のせいだよ、それ、アハハ。


 彼女が僕の書いた文章で笑ってくれる。それが嬉しくてしょうがなかった。


 えーと、たまに純佳さんが口にするオヤジギャグも寝苦しい熱帯夜を涼しくしてくれるので助かっていますよ。ありがとう。えー、なにこれ、私のギャグが寒いって言っているのと同じじゃないの、もう!


 怒った純佳さんの声も僕は好きだった。狙いがうまく的中したことに僕は思わずにやりとした。


 えーと、どこまで読んだっけ? ああ、ありがとうの所までだね。えーと、実は今回純佳さんにお礼が言いたいと思い、勇気を振り絞ってお葉書を出しました。えー、なに? 僕は学生の時、よく深夜ラジオを聴いていたのですが、社会人になってからは忙しいこともあってラジオ自体をあまり聴かなくなっていました。でも純佳さんの優しい声に偶然出会い、ラジオの良さを再確認し、またラジオを楽しめるようになったのです。ありがとうございます。わあ、良かったですね。曲のリクエストは「逆立ちシンガーと玉乗りピアニスト」の「デスクの上の即興詩人」をお願いします。これからもミッドナイトリズム楽しみにしています、とのことです。ああ、嬉しいなあ。私の影響でラジオをまた聴いてくれるようになったなんて言ってもらうとすごく嬉しいです。矛盾した黄泉の番人さん、今日も聴いてくれていますよね? こちらこそありがとうございます。これからも楽しい番組を頑張って作っていくので聴いてください。それではリクエストの曲、「逆立ちシンガーと玉乗りピアニスト」で「デスクの上の即興詩人」です。どうぞ。


 曲が流れ出した。僕はふうっと深呼吸をした。すっかり呼吸を忘れていたことに気付いたのだ。スローテンポの音楽を聴きながら僕は胸に手を置いて自分に向かって落ち着けと諭していた。


 ……気付いてくれなかったのかな? やっぱり無理か。


 僕が仕掛けた遊び。それに彼女が気付いたかどうか。そのことが気掛かりで曲の内容など頭に入って来なかった。元よりそれほど好きな曲ではない。ではなぜこの曲をリクエストしたのか? この曲でなければならない理由があったのだ。


 気付いてくれないなら、それでも、いや、その方がむしろ良いかもしれない。


 そんな弱気なことを思った瞬間、曲が終わった。彼女がまた話し出した。


 ……ねえ、今、私、すごく顔が赤いんですけど。


 そのぽつりと呟いた彼女の言葉に僕はドキッとさせられた。


 ペンネームも含めての言葉遊びなんだね、これ。すごーい。


 ああ、彼女が気付いてくれた。僕はラジオの前で失神しそうだった。


 ええっと、葉書を見ていない皆さんは何のことかわからないと思うけど、さっきの「矛盾した黄泉の番人」さんの葉書に実はちょっとした言葉遊びが隠されていたんです。曲が掛かっている間、葉書を読み返してみて、私はそれに気付いたの。あのね、まず、この「矛盾した黄泉の番人」っていうペンネームに「盾」と「黄泉」っていう字が入っているでしょう? つまり「たてよみ」ってこと。ほら、横に書かれた文章の頭の文字を縦に読んでいくと別の意味の言葉が隠されているっていう奴、あるじゃない? だからこの葉書の文章も頭の文字を縦読みしていくとね……。


 そう、僕が仕掛けた遊びはまさにそれだった。

 



 【純佳さん】、こんばんは。いつも楽しく番組を聴かせて頂いています。一年前、偶然付けたラジオから聞こえてきたのがミッドナイトリズムの第一回目でした。それから毎週欠かさず聴いています。

 【あ】かるい純佳さんの声にいつも元気をもらっています。感情豊かな純佳さんの声は聞いているだけで楽しいです。

 【な】にげないあなたの一言で僕自身ハッとさせられることも多く、とても勉強になっています。

 【た】まに純佳さんが口にするオヤジギャグも寝苦しい熱帯夜を涼しくしてくれるので助かっていますよ。ありがとう。実は今回純佳さんにお礼が言いたいと思い、勇気を振り絞ってお葉書を出しました。実を言うと僕は

 【が】くせいの時、よく深夜ラジオを聴いていたのですが、社会人になってからは忙しいこともあってラジオ自体をあまり聴かなくなっていました。でも

 【す】みかさんの優しい声に偶然出会い、ラジオの良さを再確認し、またラジオを楽しめるようになったのです。ありがとうございます。

 【き】ょくのリクエストは「逆立ちシンガーと玉乗りピアニスト」の「

 【です】くの上の即興詩人」をお願いします。これからもミッドナイトリズム楽しみにしています。




 ……ほら、「純佳さん、あなたがすきです」ってなるの。最初、この葉書を見た時に「改行の仕方が変だなあ」って思ったんだけど、こういうことだったんだね。うわあ、こんな告白されたの初めてだな。なんか照れくさい。でも嬉しい。


 恥ずかしい話だが僕はラジカセの前でなぜか泣き始めていた。顔も知らない恋の相手が僕の気持ちを知ってくれて、しかも嬉しいと言ってくれた。もちろんリップサービスだということはわかっている。そこまで馬鹿じゃない。でもそれで充分だった。会うことは一生ない相手だろうが気持ちを伝えられたことが嬉しかった。ところがラジオの向こうで彼女は意外なことを口にした。


 ……ねえ、私に会いたい?


 えっ!? 会いたいって……。


 好きなんでしょう? 私のこと。会ってみたくない? 声だけで満足なの? 私の姿を見てみたいと思わない?


 す、純佳さん、まさか、僕に言っているのか?


 ねえ、驚いた? あなたには私の声が聞こえる。でもね、私にだってあなたの声は聞こえているのよ。


 な、何だって!? そんな馬鹿な……。


 姿だって見えるんだから。その二匹の馬がデザインされたTシャツ似合っているよ。


 先程までの僕の感動は徐々に寒気に変わっていた。ありえない。なぜわかる? どこから僕を見ているんだ、純佳さん?


 私はそっちにはいけないの。だからあなたがこっちに来て。ねえ、いいでしょう?


 思わず僕はラジオを凝視した。そしてあることに気付いてしまった。部屋の片隅に置かれたCDラジカセ。震える手でそれを持ち上げる。


 プラグはコンセントに繋がっていなかった。電池だって今まで入れた覚えなど無い。電源のランプが光っていない。


 このラジカセでラジオを聞けるわけがなかった。


「い、いつから!? いつからだよ!」


 僕は自棄になってそう叫びながらラジカセを床に叩きつけた。「ガシャッ!」という大きな音がした。


 もう純佳さんの声は聞こえなくなった。


 自分の仕出かしたことが無性に悲しくなり、静まり返った部屋の中で僕は力なくガクッと跪いた。


「……純佳さん。もう何だっていい。会いたい。またあなたの声が聞きたいよ!」


 そう叫んだ僕の耳元で後ろからふわりとあの声がした。はっきり感じる暖かい息と共に。


「行きましょう」


 僕は振り向くことなく、泣きながら、それでも笑顔で、しっかりと頷いた。





 深夜、ゴミ置き場に捨てられている壊れたCDラジカセから微かな音がしていた。耳を近づけなければ聞こえないほどの小さな音だが確かにそれは鳴っていた。


 ミッドナ……、ズム! この番組は「出……、口、す……、みか」がお送り……。


 音は途切れ途切れだった。


 この番組は「で……、す……」がお……。


 ミッドナイトリズム! この番組は「DETH(デス)」がお送りします。


 さて、ミッドナイトリズムは今夜からリニューアル。新たな世界から第一回目の放送です。初回記念として今日は特別ゲストをお呼びしています。はい、「矛盾した黄泉の番人」さんです。どうぞ!


 皆さん、こんばんは。「矛盾した黄泉の番人」です。いや、こうして純佳さんに会えて嬉しいですね。僕はずっとこの番組のファンでいつか彼女にお会いしたいと思っていて……。






                 (了)







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