糸の痕
「そんな非科学的なことがあるわけないよ」と昔は思っていた。
でも彼女の笑顔を見た瞬間、僕はそれが間違いだったと悟った。
そう、「生まれ変わり」というものは確かにあるのだ。
それは半年前のことだった。
会社の帰り、駅から自宅までの帰り道、なぜか僕はその日に限っていつもなら通らない道を歩いてみたいと思った。
何かこれという理由があったわけではない。本当になんとなく、気まぐれに、思い付きで、そんな感じだった。
初めて通る道だったから、そのコンビニがそこにあったことも当然初めて知ったことになる。
初めてとはいえ見慣れた馴染みのチェーン店だったし、何の躊躇をすることもなく、僕はそこに入った。
ほぼ無意識にいつもやっているようにコーヒーや弁当を手に取ってレジに向かい、僕はその時に店に入って初めて「彼女」と目が合った。
「いらっしゃいませ」と言った、彼女のその笑顔。
それが僕にもたらしたものは「激流」だった。
激しく流れる記憶が戸惑う僕の心をもみくちゃにするように一瞬で通り過ぎていったのだ。
テレビでも映画でも見た覚えのないような風景、懐かしい思い出、張り裂けそうな感情がいっぺんに僕の意識へ雪崩れ込んできた。
そして、僕は全てを思い出した。
身分違いの恋だった。当家の嫁にはふさわしくないと親から猛反対された。それでも彼女を愛していた。
別れを選ぶくらいなら一緒に死んでもいいと思えるほどに。
まだ若く、他に方法を知らなかった僕たちは心中という浅はかな方法を選択した。
生まれ変わってまた会おう。そして今度こそ一緒になろう。
その約束の証として小指と小指を赤い糸で結んで僕と彼女は一緒に毒を飲んだ。
前世の記憶。
「あの、お客様?」
彼女の声が僕を現実に引き戻した。
今思えば、あの時、泣き出したり抱き着いたりしなかったことが自分でも不思議だ。それはパニックになりながらも僕の意識があることに気付いたからだと思う。
彼女は僕を見ても何も思い出していない……。
彼女には不思議と前世の彼女の面影があった。容姿というよりは雰囲気、僕にしかわからない部分での話だ。だからこそ僕は前世のことを思い出せた。そして自分では正直よくわからないが、恐らく僕にも前世の僕の面影があるはずだ。
それなのに彼女に変わった様子はなかった。いや、もちろん、突然、目を見開いて絶句した僕を見て心配そうな顔はしていた。でも、それは一般的な店員としての反応であって僕が体験したような激流を受けたような顔ではなかった。
まだ言っちゃ駄目だ! 我慢しろ!
本能がそう命じていた。
たぶん今、前世の話などしても新手のナンパか、頭がオカシイとしか思われないだろう……。
僕は喉から出ようとしていた言葉をぐっと飲み込んだ。
「す、すいません。大丈夫です……」
それだけ言うと僕は代金を支払い、その日は彼女に何も声を掛けず店を後にしたのだ。
そしてそれから僕のコンビニ通いが始まった。
最初は軽い挨拶程度。そして毎晩会社帰りに通ううちに顔を覚えてもらえたようで少しずつではあるが彼女と挨拶以外の言葉も交わせるようになった。
彼女は近くの大学に通っている大学生だった。コンビニでバイトを始めたのもつい最近、つまり僕がもう少し早くこのコンビニを発見していたら会えなかったということだ。つくづく運命を感じた。
いつも他愛もない話ばかり。でも彼女は僕と話す時、楽しそうに見えた。僕の自惚れかもしれないけど。
これなら彼女が前世の記憶を思い出してくれるのも時間の問題だ。そう思っていた。
しかしそれほど神様は甘くなかった。
ある日、僕はいつものようにコンビニを訪れた。ところがそこで見たものは知らない男と楽しそうに話している彼女の姿だった。
あの笑顔は僕だけのものではなかったのだ。
僕は「焦るな!」と自分へ言い聞かせながら彼が何者か彼女から徐々に聞き出した。
彼は彼女とは別の大学に通っている大学生だった。このコンビニの常連であるらしく、しかも彼女に対して気があるようで「休みの日に遊びに行かない?」とちょくちょく誘ってきているようだった。幸いにも彼女は最近休みの日も忙しくデートの誘いは断っているようだったが、それでも熱心に口説いてきているとのことだった。
ちらっと見ただけだったが、彼はなかなかのイケメンだった。彼女と歳も近い。しがないサラリーマンの自分にとって恐るべきライバルの出現だった。
それからは葛藤の日々だった。いっそのこと彼女が自然に思い出すのを待つのは諦めて前世の話をしてしまおうか。何度もそう思った。急がなければ根負けした彼女があいつの誘いを受けてしまうかもしれない。僕は焦った。
でも言い出すことは出来なかった。
前世の話をすることはある意味「賭け」なのだ。彼女がそれをきっかけにして前世のことを思い出してくれればいい。しかしもし思い出してくれなかったら僕はただの頭のおかしい危ない客ということになる。最悪、ストーカーと勘違いされて警察に相談されるなんてことにもなりかねない。
何も出来ず悶々としたまま彼女と出会ってから半年という時間が経ち、僕はその日を迎えた。
その日は残業が長引きコンビニに行くのが少し遅くなった。
もうこんな時間か。彼女はいないだろうな。
そうは思ったが、なぜか僕は彼女のいないコンビニに足を運んでみる気になった。
……えっ、あれ!?
店の前まで来て中を覗き込んだ時、僕は驚いた。
いないはずの彼女がいたのだ。
ゆっくりドアを開くと彼女はいつもの笑顔で出迎えてくれた。余程、僕の顔に驚きが出ていたのだろう。彼女はこちらから何も聞いていないのにこう言った。
「次のシフトの方が急病になっちゃって。私しかこの時間、空いてなかったんです」
「ああ、そうなんだ。急な延長戦じゃ大変だね」
「ありがとうございます」
彼女の嬉しそうな笑顔を見て僕は自分の直感が間違っていなかったことを知った。コーヒーと弁当を手に取り、またレジに向かう。そんないつもの行動を取ろうとした時だった。なんと、こともあろうか、あいつが姿を表したのだ。
「あれ~? 珍しいじゃん、こんな時間に。来てよかった。俺の勘、冴えてんなあ」
彼は商品には目もくれず真っ直ぐ彼女に歩み寄った。僕はそれを見て正直穏やかではなかった。
「この前の話だけどさ、お互いの友達を連れて何人かで遊びに行こうよ。それならいいでしょ?」
「えっ、でも……」
彼女は迷っているように見えた。僕は今日ここに来たことを後悔し始めていた。もし目の前で彼女がこいつの誘いを受けてしまったら……。僕は正常でいられる自信などなかった。
「いいじゃん。一度だけ。ねっ?」
「あ、あの……」
彼女が返事をしようとした、その時だった。
「動くな!」
突然乱暴に扉が開いたかと思うと野太い声がした。僕たち三人は反射的に声のした方、つまり入り口を振り返った。
そこにいたのは目出し帽をかぶった大柄な男だった。まるでテンプレートのような強盗がそこにいた。
「いいか! 全員、動くなよ! 死にたくなかったらな」
男の手にはサバイバルナイフが握られていた。ちらりとこちらを見た彼は僕たちに向かってこう怒鳴った。
「おまえらは両手を頭の上に載せろ! いいか、妙な真似をしたらこの女をぶっ刺すからな! 絶対動くなよ? 」
もちろん僕は最初からそのつもりだった。彼女を危険にさらす訳にはいかない。
ところがあいつは違った。
「う、うわあああああ!」
パニックを起こし叫んだ大学生はいきなり走り出したのだ。強盗が立つ入り口ではなく店の奥に向かって。彼が走る方向を見て僕は彼が何を考えたのか一瞬で悟った。
そこはトイレだった。
「しまった! てめえ!」
強盗も慌てて後を追いかけようとしたが、もう手遅れだった。トイレに入った彼は素早くガチャリと鍵を掛けてしまった。
くそ! あいつ、何の考えもなしにあんなことしやがって。あんなことされたら残されたこっちが……。
「畜生! トイレに立て籠もって携帯で警察呼ぶ気だな! あの野郎!」
案の定、強盗は逆上してしまった。
「おい、女! 早くレジの金を出せ! 早くしろ!」
彼女はブルブル震えながら小さく頷いた。それでいい。これ以上怒らせる前に素直に金を渡してしまうのが最善策だ。そう思った。
しかしそんなに簡単に事は進まなかった。
恐怖のあまり体が異常に震えている彼女はなかなかレジを開くことが出来なかった。普段、簡単にやっている動きなのに上手くいかない。そのせいでさらにパニックになった彼女は増々操作に手間取ってしまった。
やばい。
「てめえ! なにモタモタしてやがる! 時間稼ごうってのか!」
恐れていた通り、強盗はさらに怒りを露わにした。このままだと彼女が危ない。
「警察が来ちまうだろ! おい、ちょっと痛い目みねえとわかんねえのか!」
男がナイフを握っていた手に力を入れた気がした。僕はそれを見て意を決した。
「おい!」
大きな声で男を振り向かせておいてから僕は一気に突っ込んだ。格闘の経験などない。でもやるしかないと思った。
「なっ!? くそ! 邪魔すんな!」
強盗がナイフを振り回した。鋭い痛み。見ると僕の右手は赤く染まっていた。
くっ……、この程度の痛みに負けてられるか! 僕が彼女を守るんだ!
そうか。僕が生まれ変わってまた彼女と会えたのはきっとこのためだったのだ。そんな気がした。
僕は臆すること無く男に掴み掛かった。揉み合いになる。先程より大きな痛み。それは腹部の方からだった。
うう……、力が抜け……。
倒れた僕は何も盗らず逃げていく男の背中をぼんやりと見つめた。彼女の悲鳴が聞こえた。どこかでサイレンも鳴っていた。
駆け寄ってきた彼女に言いたいことがあった。意識を失ってしまう前に。今、言っておかなければならない。
「生まれ変わっても……、また……」
最後まで言葉にすることが出来なかった。でも「これでいいんだ」と思った。彼女の泣き顔を見つめながら笑みを浮かべた僕は暗闇へと沈んでいった。
ん、小説? 僕の机の引き出しに原稿が入っていたって? そんなもの書いた覚え無いけど。
どれどれ? あれ、これって、あの日の事件のことじゃないか!
でも、おかしいなあ? 退院してからこんなものを書いた覚えは本当にないんだよ。もしそうだとするとこれは事件の前に僕が書いたものってことになっちゃうよなあ。
うん、そうだよ、君も知っている通り、長く昏睡状態だったせいで僕に記憶の欠落があるのは事実だけど。
でもさ、事件が起きる前にあの事件のことを小説に書いているなんてありえないだろ? それじゃあ、まるで予言じゃないか。そんな非科学的なことがあるわけないよ。
前世? ああ、確かにそんな設定みたいだね。僕が君と出会って前世の記憶を思い出したって。
はあ? 君は信じるって? やだなあ、いくらなんでもそれはないでしょ。
ホント、君はつくづくロマンチストだよね。
そういえば僕があの時に切りつけられて出来た小指の傷のことも「私と赤い糸を結んだ痕だね」とか嬉しそうに言っていたよね? 君の左手の小指にもなぜか生まれ付き白っぽい線が入っているんだっけ?
運命だって? アハハ、偶然だよ、偶然。
あっ、あれ、怒っちゃった? ごめん、ごめん、悪かったよ。
あのさ、前世があるかどうかなんてわからないし、来世があるかどうかもわからないけど。
でも僕は今、君を愛しているよ。それでいいじゃないか。
(了)
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