グラベル港へ向かって。
ムートンの工房は海沿いにあり、ティグルは王都の港からその屋根くらいなら見たことがあった。
足を運ぶ機会がなくても不思議ではない。彼はハイム自治区を預かる者で忙しない日々を過ごしており、たまの休みはハイム自治区で過ごすか、イシュタリカに来て宰相のウォーレンに報告など、気を休めるためアインたちと食事に行く以外にあまり時間がなかった。
「エレナは会ったことがあるようだ」
二人は港近くの道を歩きながら話をしていた。
「あー、そうだったんだ」
「ついでに弟子のエメメ殿とやらも、師匠のムートン殿に負けじと騒々し――――明るい人柄と聞いた」
騒々しいと言いかけたことはさておき、まぁ否定はできない。
確かにエメメもムートンに似て賑やかなことが大好きだし、なんだったら、仕事が入ってる期間中は師匠のムートンと同じくらい騒がしい。
それはそれとして、エメメもムートンも腕がいい。
師匠のムートンが名工であることは周知の事実としても、弟子のエメメもアインがはじめて会ったときと比べて、いまでは一流の鍛冶師も唸る腕前である。
しかし、それでも彼女は師の背を追う。
ムートンという名工の領域に達するのは、まだ先のようだ。
二人の目に、ムートンの工房が見えてきた。
鉄の国から居を移したドワーフたちもいる工房の煙突に、今日ももくもくと煙が立っている。
工房に入った二人を迎えたのはエメメだ。二人が僅かに煤が付着した巨大な一枚板のテーブルに案内されるも、ムートンが姿を見せない。
「ししょー来ませんねー」
「すまないが、外出しているわけではないのだな?」
「もちろんです! んと……ちょっと見てきますので、少しお待ちください!」
ハーピーのエメメは翼をはためかせながら大部屋を去る。
彼女が向かったのはムートンの私室だ。彼女はムートンの私室に入ると、扉を開けたまま大きな声を上げた。
「ししょー! 殿下たちがいらっしゃってますってば!」
「んだってんだよ! なーにいきなり騒いでやがる!」
「私が騒いでもしょーがないじゃないですかぁー! なーにしてるんです!? 殿下たちがいらっしゃる前に本を取ってくるって言ったと思ったら、どーしてソファで眠ってるんですか!」
「眠かったからしょーがねぇだろうが!」
「私だって眠いですよ! 昨日まで二徹で仕事してたんですから! だからって殿下たちをお待たせしていいですか!?」
「よくねーにきまってんだろ! 舐めたこといってんじゃねえぞ!? あァん!?」
アインにとって慣れたやり取りだ。
途中から、何故か彼女たち二人の間で立場が逆転し、見事にムートンが上から目線で言いはじめる。あれはあれで二人らしいし、二人もその関係で楽しくやれているからいいのだろう。
しかしティグルはアインの傍で唖然としていた。
「……すまない。はじめて会うタイプかもしれん」
「いい人だから大丈夫だよ」
「あ、ああ……そうなのだろうが……」
ただ面食らっているも同然なだけで、話せばティグルもわかってくれる。
やがてムートンが大きな欠伸を漏らしながら現れた。
「待たせてすまねーな!」
ニカッ、と白い歯を見せて笑う。
「昨日まで仕事漬けだったんでな。まだ眠気が取れてねぇんだ」
「そ、それはすまなかった」
「構やしねぇ。約束は約束、仕事の話だって? 城のもんから聞いてるぜ」
テーブルについたムートンと話をするティグルは、徐々に緊張が取れたのか、ムートンの人となりに慣れて来たのかわからないが、アインの前と同じ自然体に変わりつつあった。
発注したい魔道具用の刃物については、すぐに用意できるそう。
思いのほか早い納期を聞いて、ティグルはまばたきを繰り返してから咳払い。
「こんなに早いのか?」
「ったりめーよ。ハイム公が注文したいっていう刃物は俺が槌を持たなくても作れる。そこにいる弟子で十分だ。俺も出来栄えを確認するから、安心していいぜ」
「それは助かるのだが、いいのか?」
「おん? 何が気になってんだ?」
「昨日まで仕事漬けだったそうじゃないか。それなのにこれほど早い納期だと――――」
ティグルは鍛冶師コンビを気遣って言ったのだ。
すると、ムートンとエメメは鼻息荒く腕組みをして、
「おうおうおう! こんなの別になんともねーぜ!」
「ですです! 私たちにかかれば大したことありません! ちゃちゃちゃ~って作るので安心してください!」
二人の自信満々な言葉を信じ、ティグルは「頼んだ」と頭を下げた。
詰めるべき話を詰め終えてから工房を出る。
ティグルはこのあと、法務大臣らと会談する予定があるらしく、アインと別れる予定だった。彼を乗せる馬車が大通り沿いで待っているので、そこへ同行している途中で、
「本当に大丈夫なのだろうな?」
「何が? ムートンさんたちのこと?」
「そうだ。無理をして身体を崩されては困る」
「……おー、優しいじゃん」
「茶化すな! 王族御用達の鍛冶師たちなのだから、こちらの事情で体調を崩されてしまったら、私もエレナも頭が上がらないからだ!」
もちろん心配なことも事実なのだが、特にいま語られたことの方が大きな理由だ。
ムートンの仕事はイシュタリカ国王も認める、まさしくこの大陸で比肩する者がいないほどの神業だ。
しかし、アインは知っていた。ムートンとエメメが意気込んでいるときは、逆に二人の好きにさせてあげた方がいい。
二人は満足できる仕事をしてから、倒れるように眠るのが人生の楽しみと言っていたから。
「――――って感じだから大丈夫だよ。前にディルも同じことを心配して毎日様子を見に言ってたんだけど、こんな雰囲気だったからさ」
「やれやれ……いろいろな職人と会ってきたが、あの二人のような者ははじめてだ……」
◇ ◇ ◇ ◇
翌日から、一層王都の港が賑わいはじめる。
王都の港からグラベル港までの航路は、平日の朝、学園都市に向かう生徒たちで賑わう水列車の便以上に混み合っていた。
そんな日々が一日、また一日と過ぎ、グラベル見本市の開催前日の朝に――――
「視察を頼みたい」
日が昇って間もない朝から謁見の間に呼び出されたアインが、シルヴァードと話をしていた。
「明日にはグラベル見本市の初日となる。前日となる今日は準備も最終段階、といっても多くが確認作業ばかりのようだから、昨日までと比べて余裕がある。アインが視察に行っても邪魔になることはないだろう」
「みたいですね。どこの研究所も昨日まで大変だったようです」
「うむ。この話は先日からウォーレンと相談していたのだが、アインを派遣することで、城も本気で取り組んでいることを知らしめたい。実際、グラベル見本市はこれまでのイシュタリカにない催しだからな」
「……なるほど、仰る通りかと」
頷いて返したものの、アインの表情は冴えない。
彼がシルヴァードの前でこんな態度をとることは珍しかった。
「どうした? 珍しく煮え切らない様子のようだが」
「いえ、そんなことありませんよ。俺もお爺様のお言葉に異論はありません」
思ったのはセラのことだ。
セラはこの秋、グラベル見本市で姿を見せると思われる。
そこにアインが前日の視察に向かうことで、彼女を警戒させてしまわないか――――この前も考えた懸念が生じただけ。
しかし、セラは目的があるように思う。
ならばアインが姿を見せようと些細なことだし、彼女の隠れ家を見つけたいまは気にするほどでもないだろう。
「ってかそれなら、もっと早く予定を組んだ方がよかったような……」
「そうは言うがアイン、お主の最近は随分と仕事漬けだっただろう? 今日の予定すら、最近まで定かではなかったじゃないか」
「……言われてみれば確かに」
「そういうことだ。余とて急に予定は組めんし、アインが視察に行くということを多方に共有してしまったら、仮に当日、姿を見せられなかったら皆はどう思う?」
イシュタリカ国内におけるアインの人気はとても高い。初代国王の再来と謳う者もアインが幼い頃から各地にいるくらいなのだから、グラベル見本市の関係者たちにとっても彼が足を運ぶ意味は大きかった。
それなのに、当日になってアインが来れなくなったら……
「逆に水を差しそうですね」
「うむ。そうなろう」
「事情はわかりました。今日の視察はお任せください」
視察に応じたアイン。
シルヴァードは改めて、今度は私的な願いを告げる。
「それと、カティマの研究所による舞台会場も確認してきてくれぬか」
「いいですけど……さすがのカティマさんも、今回は本気で何もしないと思いますが」
「余もそれは信じておるとも。先日、船上での出展について詳細も聞けておる。子供がいるいまは無理をしないだろう」
「では、どうして急にカティマさんのところを確認しろと仰るのですか?」
するとシルヴァードは少し照れくさそうに頬を掻いた。
いまなお衰えが見えぬ絶対君主が見せる、私生活での穏やかな表情。
ここだけの話であるぞ、と前置いて、
「……娘が現地に行けずとも、娘の晴れ舞台であるからな」
つまり、そういうこと。
シルヴァードも一人の親である。アインが展示会場を確認してくれたら、シルヴァードも安心できるのだろう。
アインはもちろん、その頼み事にも快諾した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都の港が騒々しくなってきた。
昨日まではグラベル見本市の準備期間で特に賑わっていたのだが、昨日の夜から一気にそれまでの静けさを取り戻していたのに……である。
いま、騒々しくなってきたのは巨大戦艦の姿によるものだ。
――――海龍艦リヴァイアサン。
数ある王族専用艦の中でも別格とされている、イシュタリカが保有する海上における最高戦力。
他の戦艦を凌駕する一際大きな流線型の体躯を以て、王都すぐ傍の海上で存在感を放っていた。
急な状況に、町の騎士たちも驚いていた。彼らは町に現れた近衛騎士団の姿を見かけ、
「リヴァイアサンが進水されると聞きましたが、どうなさったのですか!?」
驚いた様子で声を掛ける。
近衛騎士は理由を簡潔に述べることにした。
「殿下がグラベル港へ参られる。視察だ」
「な、なるほど……視察に……」
「連絡が遅れてすまない。グラベル港への連絡と併せて動いていたため、いつもより時間に差が生じてしまったのだ」
そりゃそうだ。アインが乗るならリヴァイアサンである。
町の騎士たちも状況を察し、最近のアインが忙しくしていたから、急に決まった日程なのだろうとわかった。
十数分後にはリヴァイアサンの主、王太子アインがその甲板に立ち、港に駆け付けた王都の民に手を振りながら沖へと向かう。
今日、アインの傍にはマルコが控えていた。
海風に、彼の燕尾服の裾が僅かに舞っている。
「……ふむ」
マルコがリヴァイアサンを見ながら、何やら考えているように見える。
「どうしたの? 何かあった?」
「ええ……いまさらながら、一つ気になったことが」
「妙な物でも見つけたとか?」
「いえ、そういったものは一切ございません。このリヴァイアサンがアイン様の、王太子専用艦であることをいまさらながら強く意識した結果、また気になることが頭に浮かんだもので」
つづきを語るマルコ。
彼が言いたかったのは、クローネとクリスのことだった。
リヴァイアサンに乗ればこそ、思い浮かぶことがある。
「お二方の専用艦のご予定がありましたな……と、不意に思い返したのです」
「――――ああ、そのことが気になってたんだ」
最近は水上の艦隊に限らず、飛行船の研究開発も進められている。
黒龍艦バハムートはあまりにも別格だから比較にならないが、バハムートの開発が進む中で、飛行船に王族専用艦を作ることが検討されていた。
造りによっては、水上も進める飛行船という……まさに最新鋭の技術によって。
「前にロランとウォーレンさんと話したことがあるけど、あんまり計画は進んでないみたい」
「どうやらそのようで。問題はやはり、アレでしょう」
「アレ?」
「素材にございます。相応の素材を用意できなければ、王族専用艦は作れないと聞いております」
「……最近は大きな魔物と戦ったりもしてないしね」
「そうなのです。そもそも巨大で強大な魔物というのは個体数が限りなく少ないことに変わりないのですが、近年は特に、アイン様が討伐されることばかりですから」
リヴァイアサンとバハムートに並ぶ巨大艦を作ることはなくとも、相応の素材は欲しい。
だが、その素材の選択に頭を悩ませられているのがいまの状況だった。
「しかしながら、いざとなればアイン様が生み出せばよいかもしれません」
「俺……っていうか世界樹を作って、木材にしちゃえってことだよね?」
「はっ。国宝とされる船ができあがるでしょう」
世界樹をただの木材として使う船はどのような品になるのだろう。
なんとも豪華な話ではあるが、アインにとっては家族のための船だから、それもアリだと思ってしまう。最終的にどうなるかいまはわからないが、素材の一つとして使うのはいい案な気がした。
「加工するのがめちゃくちゃ大変そうだね」
「はっ……こればかりは、アイン様もご協力なさる必要が生じるかもしれません」
「俺の力で足りるなら十分だよ。家族のための船なら、いくらでも頑張れる」
むしろ、家族のための船を作るのに携われると思えば前向きだ。
時間が許す限り手を尽くすことで、いい船ができるなら言葉通り、いくらでも頑張れる気がしてならない。
「明日からの見本市で、未来の専用艦に役立つ技術も出展されるかもしれません。私も個人的に、楽しみな催しでございました」
二コリを微笑んだ老騎士マルコの声に、
「だね。俺もあんまり言ってこなかったけど、すごく楽しみにしてたんだ」
アインは満面の笑みを浮かべて頷く。
友人とともに見て回ることもそうだし、クリスやクローネ――――は難しかもしれないが、あとでシルビアも交えて相談したい。
リヴァイアサンはぐんぐん加速をつづけ、アインたちをグラベル港へ誘った。
――――――――――
お休みをいただきがちで申し訳ありません。
別作品の方の支度や、そちらの書籍版の続刊が決まったりなど、しわ寄せのような形で魔石グルメをお待たせしてしまい恐れ入ります……。
まだアインの物語はつづきますので、どうかご覧いただけますと幸いです。
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