秋に過ごす日々、グラベル見本市まであと少し。
カティマにはある目的があり、アインに賄賂を手渡した。
それが八月のことで、月日が経ち九月になった二週目のある日。
「私も、せっかくの見本市なら出展くらいしたいって思ってたのニャ~」
近頃はめっきり白衣を着なくなったケットシーが、アインの部屋でくつろぎながら語っていた。
先日面倒な絡みをした理由は彼女曰く、自分らしさにある。本質は研究成果を示すためのものだ。
彼女はアインとクローネを前に分厚い書類を取り出した。
「これは?」
アインが少し警戒して。
「そう警戒するもんじゃないのニャ。ただの計画書ニャ。計画書」
「提案に乗った俺が言うもんじゃないかもしれないけどさ。この前のことがあるから」
「……あれはあれ、これはこれなのニャ。今回のは前より詳しい計画書ってだけなのニャ」
「まぁ、ならいいか」
話をする二人の傍で、クローネは特に言うこともなく座っていた。
優雅な微笑みには二人に対するとある念……。
アインもアインで、気を抜くと楽しもうとしてしまうから未来の王妃は気になっていた。ここに彼女が同席しているのは、目付け役のような意味もあったのだろう。
「――――なるほど」
カティマは最近、自身の研究所をはじめロランの研究所との兼ね合いもあって企画書の制作に磨きがかかっている。
専門知識のない相手にもわかりやすく、相手に興味を抱かせる書き方が上手かった。
いまもアインが何度も頷いていたところ。
「アイン、私にも見せて」
隣に座るクローネが覗き込む。
彼女が漂わせる甘さにアインが慣れる日は、きっと来ない。
「……ほんとに聞いていたとおりね」
「ニャニャニャッ!? クローネまで私のことを疑ってたのかニャ!?」
「……私というよりは、マーサさんでしょうか」
「どういうことニャ! 何か言ってたのかニャ!?」
「ええ、少し。私にも気を付けてほしいと言ってたので」
マーサとカティマの関係は嫁と姑のそれだ。しかし、元は主従関係にあった二人でもあり、そもそも貴族と皇族が結婚した場合は事情が異なる。
二人の関係は以前と特に変わらず、堅苦しさもなかった。
「ニャァ……警戒されてたのニャ……」
「カティマさん、警戒ってよりは心配でしょ。お腹に子供がいるんだから」
「それもわかってるのニャ。けど逆に考えてほしいニャ。お腹に子供がいるのニャら私は無理をしないだろう――――そう思わないかニャ?」
「あの、それもマーサさんはご理解なさってるんです。ですがその……カティマさんですから……」
するとカティマは思い返す。
それは、つい先日のことであった。
◇ ◇ ◇ ◇
「カティマ」
国王の寝室で待つ母を前に、カティマの身体が強張った。
「こら。お腹の子に悪いんだから、もう少し楽になさい」
「……ですが、お母様」
カティマの態度はいま、王妃ララルアしかいないからか以前のよう。
以前、というのは、第一王子が姿を晦ます以前までの、オリビアよりも王女然としていた頃のことだ。
「
「あらあら、わかっていたのなら話が早いわね」
「――――わ、私はまだ何もしておりませんよ!?」
「嘘を言わない。アイン君に妙な提案をしていたわよね?」
甥っ子め、チクったな。
そんな不平を口にするようなことはしない。カティマの本性とも言えるこの姿のときは特にそう。
日頃の姿から想像できない優雅な仕草で嘆息した。
「未遂ですわ」
そして開き直る。
「……カティマあなた、子供が出来てから開き直りに磨きがかかってるわね」
「お褒めに預かり光栄です。強くあろうと日々思っておりますので」
「それ自体は素晴らしいことです。代々、イシュタリカ王家に生まれた女性は強くありました。初代国王妃ラビオラ様に倣うことは誉ですしね」
しかし――――
ララルアは諦めた様子で、
「堂々と、未遂ですわ、と答える元王女がいますか」
カティマは迷わず満面の笑みを浮かべ、
「ええ。ここに」
現王妃が思う以上にカティマは様々な面で成長を窺わせる。
これが以前なら額に手を当て、ため息の一つでもついていただろうに、いまのララルアはむしろ嬉しそうに柔らかく微笑した。
「というか計画書でしたら、お父様にお見せしておりますのに」
「それも聞いています。問題が無かったから許したと聞きました」
「でしたら、なぜ私をお呼びに?」
「たまにはこういう話をしておかないといけません。カティマのことですから」
「……まぁひどい。私を信用してないのですか?」
「自分の娘を信用していないと本気で思う?」
ダーフエルフの血を引く王妃の、年齢を窺わせない艶やかで挑発的な表情。
「お母様は私を信じてくれていると思っておりますわ」
「正解よ。私はカティマがこういうときは無理をしないということも、だけど自分ができないなりに楽しもうとすることも、どちらも信じてるの」
「……ものは言い様ですのね」
「でも間違っていない、そうよね?」
カティマは諦めて頷いた。
この前、アインとグラベル見本市の話をした。
研究テーマは珍しい温泉に入り混じった魔力が、人によい影響を与える件について。
つまるところそれが、クローネやカティマのように体内に魔石を宿した人種にとって、体内の魔力が足りない際の助けになるのかも、という観点から。
これ自体は有用であり、今後のイシュタリカの発展に繋がる素晴らしいもの。
そんなことはララルアだってわかっていた。釘を刺すのは、ここでカティマが隠れて何かしようとしていないか。
「たとえば、グラベル見本市で妙なことをするとか」
「……」
「あら、愛娘の目が泳いでいるわ」
「気のせいです。それで、私が何をすると思いなのですか?」
「テーマが温泉水から得られるものなら、現地で入れる温泉を作ったりとか。まさか研究発表の一等地を借りて、そこに展示するなんてことはしないわよね?」
言葉にすると対したことが無いように思えても、新技術の見本市にそれはどうか。
再びカティマの視線が泳いだ。カティマらしい個性的な出展かもしれないが……
「船上で披露されるものも多いと聞きます。せめてそうなさい」
大きな船を改造して、ちょっとした施設を用意するということ。
「――――はーい」
カティマの思惑を看破しきったことで、ララルアが聞いたのは不満そうな返事。
やはり、自分が足を運べないならと考えていたようだ。
「でもよかったです。これでお母様のお墨付きですわね」
すると、ララルアは頭を抱えた。
さっきはしなかったのに、今度は我慢できずに。
「最初からこうするつもりで私に考えさせたわね」
「はい。さすがの私も、最新技術の発表会に水を差す気はありません。イシュタリカの発展を妨げることはしたくありませんもの。ですけど、私の研究も今後のためになります」
「ええ」
「ですから、お父様に相談する前に舞台を整えたかったのですよ。お母様がご提案してくださったのなら、お父様も無下にはされないでしょうから」
勝気に笑うカティマを見て、ララルアは頼もしさを覚えた。
◇ ◇ ◇ ◇
「――――ということがあったのニャ」
クローネが少しララルアに似てきた気がして、カティマが肩をすくめる。
それを実際に口にすれば、クローネはくすくすと声を漏らす。
「だからララルア様は、お爺様に船の用意をお願いしていたのですね」
「ニャ? そうなのニャ?」
「この前、そのような連絡があったと聞きました。通常の船より大きく頑丈な船をしばらく借りられないかという話だったようで」
「クローネそれって、急だけど大丈夫なの?」
「大丈夫よ。船を貸し出すことはよくあるから、いろいろな船を用意してあるの」
もしもの場合は軍が保有する船もあるが、それだと公私を分ける意味でもあまりよくない。
いくらカティマの研究が昔から公的なものばかりだとしても、今回はこれまでと違い私的な面が強い。たとえイシュタリカに住まう異人種の今後に繋がるとしても、いくらか考えることがあった。
オーガスト商会の助力があれば多くが楽になる。
「とゆーわけなので、私も出展するのニャ」
「ちなみに、どういう研究として?」
「まぁ昔からしてた研究の延長だニャ。魔石学っていう分野があるんニャけど、子供が出来たときの魔力の揺らぎに関してまとめるから、あとはどう活かすのかについてと、現状の研究成果の発表ってとこニャ」
そこに例の温泉地が関わることでまとまっていた。
別にこの数か月で研究を終えたり、まとめたりということではない。
カティマは著名な学者の一面もあるため、そこはしっかりしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日、王都を出た。
水列車に乗り、先日、カティマが言っていた王都から数十分ほどの場所に向かうため。
到着したのは小さな山の奥で、各商会が投資している影響で多くの温泉宿があった。ミスリス渓谷ほどではなかったものの、王都の近くにこれほどいい場所ができていたとは思っていなかったアインが、
「――――毎日通いたい」
「まぁ、アインったら」
と漏らしてしまう。
今日はオリビアが同行していた。
現地の視察に足を運ぶのに、よければというカティマの研究室の計らいで。
彼女がアインと仕事をするのを断るはずもなく、むしろいい機会だと楽しそうに、嬉しそうに応じたのは今朝の話である。
山道を端正に整えた温泉街を歩く二人。
向かうのは、カティマの研究所も投資ししている建物で、維持管理などその他諸々はオーガスト商会が担っていた。
とはいえ温泉宿ではなく、あくまでも研究重視の建物。
「お待ちしておりました」
他の温泉宿と違い、見ただけでわかるやや雰囲気の違う建物。
そこにいたのは白衣を着た異人、ハーピーだった。
ハーピーと言えばムートンの助手を務めるエメメもそう。彼女以外にハーピーを見る機会は滅多にない。ハーピーの個体数が少ないからだ。
「王太子殿下、第二王女殿下でございますね」
「ああ、今日は案内を頼む」
「お任せくださいませ。では、早速中へ」
白衣を着たハーピーが二人を建物の中に誘う。
研究の一環で建てられたものだが、内装はそう堅苦しいものでもない。
どこぞのサロンを彷彿させる、リラックスできる場所だ。
「こちらでは所長の方針により、魔石学の観点から――――」
まとめると、子を宿した異人の魔石に対する影響に限った話ではなく、魔石を中心とした諸症状への対処なども研究しているという。
所長こと、カティマがいま注力している分野だった。
「……それなら、見本市のときも公費で賄えるのに」
「研究員たちもそう考えているのですが、所長がこの研究をはじめられた理由により、いまのところは――――でございます。所長は兼ねてより、税を用いず私費を投じられることが多いお方でしたから」
「もしかして、前々からカティマさんの傍で?」
「はい。過去にはミスリルを用いた特殊な刃の研究もしておりました」
いかにもといったわざとらしい説明。
アインもまさかと思い、いま手元にないとあるものを思い返す。
それは、彼がカティマとはじめて作り上げた研究成果のこと。
「あ、暗黒ストローのこと?」
「殿下がお察しの通り、過去には暗黒ストローの先端部分の制作にも携わらせていただいております」
「なるほど……その節は何というか、妙な発明に手を貸してくれてありがとう」
「とんでもございません。私も興味深い研究に参加させていただけたと思っておりますよ」
研究に関する話が数十分なされ、いくつかの成果を視察するのにまた時間をかけた。
一度昼の休憩を挟み、午後になってから再び施設を見て回る。
時刻は夕方の四時を過ぎた頃になり、本日の視察で予定されていたことがほとんど終わった。
「では、最後に所長の研究成果をご体感くださいませ」
「体感? 俺もできるの?」
「殿下はもちろん、第二王女殿下にもご体感いただけますよ」
どのように体感するかだが、単純だ。
この地域から生じる温泉水を、ここでは濃度を高め精製している。
視察で疲れた二人に、その湯で癒されてほしいということ。
「じゃあアイン、行きましょうか」
オリビアが当然のように言った。
傍から見ればそれは、湯を頼みにする美女でしかない。
けれど、いまにもアインを連れて同じ湯に漬かりに行こうとしている――――そうとも見えるのが、アインを溺愛するオリビアの姿なのだ。
「お母様、ちゃんと別々の湯ですからね」
オリビアはふぅ、と短く息を吐いた。
残念そうに声を落とし、頬に手を当てながら、
「――――残念」
本気なのかそうじゃないのかというと、もちろん本気。
アインはそんなオリビアに苦笑し、研究員の案内で先へ進んだ。
グラベル見本市の開催まで、あと二週間である。
◇ ◇ ◇ ◇
ティグルが再びイシュタリカにやってきた。
温泉地を視察に行った数日後だった。
彼とアインは王都の大通りを歩きながら、グラベル見本市のことを話す。
「全日程は五日間だったな」
「ああ、見本市の日程がね」
「そうだ。我らハイム自治区の出展は初日から最終日まで並ぶのだが、私も顔を出すことになった。初日になる」
「じゃあ一緒に行く?」
「……また軽いな」
「ほら、バッツがいるじゃん。クリム家が預かる城塞都市の技術も展示されるんだけど、それでバッツも初日だけグラベル港に行くんだってさ。で、現地の視察でレオナードも行くから、一緒に行けばちょうどいいと思って」
「うん? ロランはどうしたのだ? 確か、あまり出展できないと言っていたと思うが」
「出展とは別に視察かな。あとは他の研究所の人と会って話するらしくて、なんだかんだ初日から最終日まで行くって言ってたよ」
「では、皆の予定があうわけか」
アインにはセラと会う目的がある。
目的をはき違えているわけではなく、そちらもきちんと対応する。
あとは別の理由もあり、友人たちとの時間も大切にできる。セラがどうしてグラベル見本市に行くと言ったのかわからないが、多くの出店は三日目から。初日と二日目は各研究所の挨拶なども多い。
……いきなり目立つことをしても、セラさんに逃げられそうだし。
これもあり、あまりぎちぎちに見張ろうにも考えもの。
セラはどうせアインの気配を瞬時に悟る。だがアインには、グラベル見本市が国の行事なのだから、自分が参加しても不思議ではない確信があった。
「そういやさ」
アインが話題を変える。
「どうしてムートンさんの工房に行くのさ」
「魔道具用の刃物を注文したくてな。王都の復興で多くの魔道具を用いている――――用いてもらっているのだが、金属部分が消耗してきたのだ」
「へぇー……そういうものまでムートンさんが……」
「使いを送ってもよかったのだが、閣下への定期報告もある。ついでにグラベル見本市のこともあるから私が直接来たということだ」
「ちなみに、ムートンさんと話したことって――――」
「実は今日がはじめてになる。相手のことは噂にしか聞いたことがない」
「ああ、だから俺に声を掛けたんだ」
頷いたティグルと、先のことを考え笑うアイン。
あの豪快なドワーフとはじめて話すときのティグルは、いったいどんな反応を見せてくれるのだろう。
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