第二期イシュタル統一物語:間章 グラベル港での出来事
また訪れた夏の最中に。
夏、一際暑さが厳しかった一日の夜に。
「ここはいい店だ」
帝都にあるラジードの店で、ハイム自治区を治めるティグルが言った。
二階に位置したテラス席にはいま、彼の他にアインとロランの二人がいる。
珍しい三人がここで何をしているのかと言うと、もちろん食事だ。時間が合えばレオナードとバッツの二人もと予定されていたのだが、あいにく二人とも仕事があった。
この場の三人が暇というわけではないのだが、今日はこの三人だけ。
アルコールの入っていない果実水をぐいっと呷ったアイン。
「でしょ。ラジードさんの料理はすごく美味しいんだよね」
「ああ。漁師の食べ物は今回がはじめてだが悪くない。悪くないどころか、知るのが遅すぎたことを後悔している」
苦笑を交えたティグルがつづけて、
「ハイム城で暮らしていた頃の私なら、食べてみようとも思わなかったのだろうな」
過去の自分に思うことはいくつもあって、いまでも忘れていない。
反省の意味でも、また自戒の意味でもティグルは過去を思い返した。
すると、ロランが場の空気を換えようと思ったのか、
「そういや、ティグルの方でも出展するんだってね!」
「出展? ああ、例のグラベル港での発表会だな。たしかグラベル見本市と言ったか」
初夏に差し掛かった頃、アインとクリスの話題にも出た。
王都からほど近く、過去には軍港として栄えていたグラベル港でこの秋、イシュタリカ中から魔道具をはじめとした新技術の見本市が開かれる。
ハイム自治区は複雑な立場にあるが、いまはイシュタリカと深い繋がりがある。
復興においてはイシュタリカの支援もあり、新たな技術が誕生することもあった。
「陛下にお声がけいただいたのだ。おかげでこちらの技術者たちも楽しみにしている。ロランの研究所も賑わっているのではないか?」
「ボクたちの研究所でも楽しみにはしてるけど、出展するのは既存の技術だと思う」
「どうした? そちらは物凄い新技術を発表するのかと思ったが」
ロランが苦笑。
「機密が多すぎて……」
「……言われてみればそうだったな」
ロランの研究所ではバハムートの機関部の研究開発はもちろん、その他、大規模な飛行船に関連した重要な技術をいくつも保有している。
保有する技術がほぼ機密と言っていいほどで、披露できるものは極めて少ない
アインはアインでしばしば約束もなしに研究所へ足を運んだこともあるが、あくまでもそれは、アインが次期国王だからにすぎない。
アインは魚介のスープを嚥下してから口を開く。
「俺も新しい仕事ができたんだっけ」
「アインが? 挨拶でもするのか?」
「うん。王都の港からグラベル港に行く感じ。リヴァイアサンに乗ってね」
「なんだ、バハムートではなかったのか」
「あれは……ね、ロラン?」
「バハムートは動力源こそ高いコストが必要になるからってわけじゃないんだけど、動かすための工程が多すぎたりで、色んな処理が煩雑なんだ。まだ完成してないから、リヴァイアサンの方がいいんだよ」
「まだ完成していなかったのか!?」
ティグルが驚くのも無理はない。
黒龍艦バハムートはシュトロムの騒動でも大きな働きをしてみせた、現在イシュタリカに存在する最強の戦力だ。
噂に聞くことしかできていないティグルも、ひとたび放たれた砲撃の威力がどれほどのものだったのか、軽く想像するだけでとてつもないと理解していたほどなのに。
「ロランはどこまで強化するつもりでいる……?」
「最終的に城になるイメージだよ。全体の調整が済んだら、傘を立てたような形のバハムートの一番上に城を築きたいんだ」
「アイン、私の理解が追い付いていないだけなのか、ロランの説明が下手なのかどちらだ?」
「俺と一緒だから前者じゃない?」
「あのー二人とも? ボクはこれでも本気なんだけど……」
ロランは以前、シルヴァードの前で想像でしかなかった設計図を披露した。あのときもいずれは城を設けたいと話していた。
バハムートが最終形にたどり着くのは、何年後なのだろう。
研究所へ帰ると言ったロランと別れ、アインとティグルが王都を歩く。
夜は夜でも、まだ寝るような時間ではない。そろそろ酒場が賑わいはじめるくらいの頃合いで、たまに顔を合わせた友人との語らいを終えるにはまだ早い。
いつもと同じで賑わう王都の大通りを歩きながら、ティグルが普段通りの口調で言う。
「例の男のことはどうだ?」
「何も。でも鉄の国とダークエルフの里の件にかかわっていたことはわかる」
「逆に言うとそれだけで、情報に乏しいと言うことだな」
「それを言われると耳が痛いけどね」
「不平を漏らすようなつもりではない。ただの事実確認だ」
ティグルも前々から調査に協力している。
銀髪の男の騒動はバードランドで、黄金航路が発端だったからあちらの大陸に住むティグルとしても、率先して力を貸していた。
「我らが宰相閣下に送る定期連絡と同じ言葉になるが、こちらではあの事件以来姿を見ていない。黄金航路の幹部連中の処理も済み、接触してくる様子も皆無だ」
「……りょーかい」
「何をため息交じりに言ってるんだ、アイン」
がっくりと肩を落としたアインの小腹がティグルに小突かれた。
目を点にして立ち止ったアインが、
「へ?」
ティグルがまず、
「お前なら大丈夫だ。どんな困難も乗り越えてきた男なのだからな」
「ほめ過ぎじゃない?」
「ほめ過ぎなものか」
吐き捨てるようにと言うと乱暴だが、ティグルは励ますわけでもなく声音も変えず、コツン、と石畳に靴音を奏でる。
潮の匂いが混じった風で二人の髪が揺れた。
「歩きながら話すのもなんだ。どこか店に入るぞ」
アインは「そうしよっか」と答えた。
◇ ◇ ◇ ◇
アインがディルと城の廊下で顔を合わせたのは、日が変わる直前のことだった。
疲れた表情のディルは近衛騎士団の仕事でこの時間まで城にいた。城に帰ってから執務室で軽く仕事をこなしたアインの顔にも少し疲れが見える。
二人が出会った廊下に、別のところから歩いてきたレオナード。
「これはお二人とも」
レオナードも二人と同じで疲れているようだった。心なしか声も頼りない。
あまりこの三人だけで顔を合わせる機会はなかったのだが、仕事上での関係が希薄ということもない。アインが知らないところでディルとレオナードはたびたび言葉を交わしていたし、文官として、騎士として協力して仕事にあたることだってあった。
「レオナード、かなり疲れてるみたいだね」
「それを言うなら殿下もですよ。そしてディル護衛官も」
「俺もちょっとだけね。ディルは?」
「私も少しだけ。父がありがたいことに、日に日に厳しくご指導してくださいますので」
嫌味でなければ嘘でもない。
ディルは本心から父のロイドに感謝していた。
そして、レオナードも同じ境遇にあった。
「こちらも宰相閣下がご指導くださっておりますので、充実した日々を送れております」
彼に至っては、ウォーレンが本腰を入れて育てている最中だった。
以前のレオナードは、父である法務局長を務めるフォルス公爵の元とウォーレンの傍で励んでいたが、いまはウォーレンの傍での学びに終始する日々を過ごしていた。
慣れっこではあるがアインも、祖父のシルヴァードに王になる身として教わる機会は多い。
今日は別の仕事で疲れていたアインが尋ねる。
「二人とも、この時間まで城にいるってことは泊まり?」
こくりと頷いた二人のうち、レオナードが、
「一度湯を浴びに行こうと思っていました」
「おや? 私もだよ、レオナード君」
すると、アインが微かに笑った。
アインも湯を浴びるつもりだった。王族が使う大浴場に行くことも考えたが、恐らくこの時間はクローネやオリビアが使っている。
自室の風呂も広いには広いが、せっかくだし別の大浴場にと迷っていた。
「そのご様子では、もしやアイン様も?」
ディルが目ざとくアインの表情に気が付く。
「そうするつもりだったけど、二人が使うなら後にしようかな」
同じ湯に浸かりたくないということではなく、ただ単に二人を委縮させまいと思って言った。
一般的な考えと言っても、王族とそれに近しい者の価値観に一般があるかどうかということにもなる。アインの考えとして、王族と一緒に湯を浴びるのは相手を緊張させてしまう気がした。
けれど二人が逆に遠慮して後にすると言ってしまったから、アインが予定していた展開にはならない。
「いやいやいや、俺は別に自分の部屋のお風呂を使うから」
「駄目です。どうしてアイン様を遠慮させると言うのですか」
「ええ。そんなことをすれば、私がフォルス家の先祖に叱られます」
結局どうすることになったのかと言うと――――
十数分後。
城内にある大浴場で、三人は湯に漬かりながら話をしていた。
最初からこうしてしまえばよかった。
なんだかんだと互いの妥協案ではあるが、妥協と言っても互いに嫌な気持ちが無ければ委縮することもなく、主従関係らしい主従関係も持ち込んでいないから問題ない。
むしろ、こうして三人ではじめて湯に入る時間を楽しんでいたほど。
広い広い湯船は王族が使うものと違い、灰色の石材が使われた雰囲気のあるものだ。
どことなく、アインが家族旅行で使った宿にあった風呂を思い返す。情緒ある風呂だった。
「レオナードさ」
「はい?」
「最近、バッツと話せてる?」
唐突だが今日のティグルとの夕食もある。
ここにいるレオナードとここにいないバッツの二人も、本当ならともに夕食の席に着きたかった。
しかし先の通り二人は都合が合わず、特にバッツはいま王都にもいないという。
「奴はクリム男爵の元に向かいました」
バッツの父であるクリム男爵と言えば、アインも過去に足を運んだ城塞都市を預かる騎士だ。
対魔物の戦いにおける経験は他の騎士と比べても特に多く、魔物が多く存在する地で活躍する騎士を束ねる猛者である。
「どうして王都を離れてるの?」
「秋の見本市のためです。クリム男爵が預かる都市に用いる防衛用の魔道具に加え、魔導兵器に関して相談事があるそうです。バッツはクリム男爵家の長男ですから、見本市では色々と仕事があるようですね」
「あー……そういうことか」
次にディルが言う。
「クリフォトはイストの研究所とも協力し、多くの情報を持っているそうです。父上も貴重な情報だと言っておりましたから、対魔物の最前線で磨かれた技術が披露されるかもしれません」
「宰相閣下も同じことを申しておられました」
「へぇー、じゃあ秋までに色々持ってきたり、準備で忙しいのかな」
「恐らくそうなるかと。バッツ本人と先週話せたのですが、秋までは王都とクリフォトを往復することになるとか。ディル護衛官はもっと詳しく聞いておられるのでは?」
「ああ。騎士の仕事繋がりでな」
湯船につかりながら、額と頬に汗を流す。
お湯の表面から漂う湯気が、三人の呼吸で少しだけ揺れていた。
「ディル、バッツは何て言ってた?」
「顔を合わせる度に申し訳ないと。今回は初の試みであるので気にするなと言ったのですが、騎士としての立場があるからと頑なでございました」
随分と忙しそうにしているのに、騎士であることを忘れず謝罪するあたりバッツらしい。
幼少期から彼は兄貴肌で気持ちのいい男だった。大人になっても変わらず真っすぐな人となりなことは、彼らを傍で見守ってきたディルにとっても微笑ましく思えた。
湯上りに汗が引くのを待っていたアインが、鏡に映る自分の上半身を見た。
まだシャツを着る前だったこともあり、身体に少し残された戦いの痕が見える。
しかしそんなのは今更だし、ここにきて感慨深く思うこともない。
ほてりが収まってから、いつも通りシャツに袖を通した。襟足が少し汗で濡れてしまっている。
「……もう少し頑張るか」
寝る前にあと一時間、いや二時間くらい仕事をしておきたい。
◇ ◇ ◇ ◇
騎士の訓練が行われていた早朝に、アインは城の訓練場にいた。
……訓練と言っても、基本的にアインが稽古をつける実力差なのだが。
「申し訳ありません! 遅れました!」
訓練がはじまってから数十分後、息を切らしながら大きな声で言ったバッツが訓練場に姿を見せる。
彼と違い訓練で息を切らしていた騎士たちが、一度バッツの顔を見た。すぐに訓練に戻ってしまうも、バッツの直接の上司を務める騎士がバッツの傍へ行き、
「話は聞いている。さっき王都に帰ったところだろ?」
「はっ! バッツ・クリム、クリフォトより帰還いたしました!」
「結構だ。準備運動は――――どうやら必要なさそうだな」
城まで懸命に走ってきたから息を切らしていた、そんなことはバッツの上司も他の騎士もわかっている。
だがそうは言っても、バッツの上司は「念のためにしておけ」と言い直した。
乱れた呼吸を整えながら応じたバッツが訓練の支度をはじめるのを横目に、アインが、
「お願いします!」
「ああ! いつでもこい!」
眼前に訪れた騎士の相手を務めた。
アインに稽古をつけてもらう騎士は立てつづけに訪れる。
誰も彼もが、加減したアインの息を切らすことなど到底かなわず、大人と子供の実力差以上に圧倒されつづけた。
護衛対象より弱いことに思うことはあるが、相手を思うとどうしようもない。
しかし諦めに安住することなく、懸命に剣を振るう姿はイシュタリカの騎士らしい。
「ぜぁあああ!」
ある騎士が叫び、アインに剣を振った。
それもあっさり防がれ、逆に弾かれるもいい経験となるだろう。
さらに数十分が過ぎ、ホワイトローズ駅で通学と通勤の混雑がはじまりはじめた朝の時間。
ようやく終わった訓練では、多くの騎士が言葉通り疲労困憊の様相を呈していた。彼らのほとんどが非番の騎士で、訓練のために足を運んだというのだから恐れ入る。
偏にアインが参加することが影響しているのだが、それはそれとして。
「バッツ」
アインは他の騎士と同じように疲れ切った様子のバッツの前へ行き、彼に手を貸した。
他の騎士の手前、友人同士でも考えることはある。外で一緒に歩いているときはまた別なのだが、訓練所ではまた少し違った。
他の誰とも違いけろっとした様子のアインが小さな声で、
「大丈夫?」
と尋ねた。
「……任せとけって」
ニカッと白い歯を見せたバッツが相変わらず頼もしい。
頼もしいことは頼もしいのだが、彼は少し休憩を必要としていた。
――――
あけましておめでとうございます。
度々お休みをいただいており恐れ入りますが、今年も頑張って活動して参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
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