静かな1日とカティマの密談。

 王都の港は日に日に賑やかさが増しているように見えた。

 グラベル見本市の開催まで数か月あるが、港を賑やかせている理由のほとんどがその日のための準備だ。港の倉庫はすでにいっぱいっぱいで、国営、民間問わず多くの研究所から荷物が運び込まれている。

 やがては王都の港からグラベル港に運ばれるという。



 初夏の朝日を身体いっぱいに浴びて、アインは気持ちよさそうに背を伸ばす。

 隣を歩くクリスと潮の香りに満たされた風を感じる。ノースリーブの白いシャツに負けじと白く、くすみ一つない彼女の肌が眩しかった。



「アイン様、アイン様」



 そんなクリスが弾んだ声で呼び、手を伸ばしてアインの荷の腕を掴んだ。

 自然と寄り添うような態勢で歩く二人。

 王都の港の中でも、民間の船で賑わう区画を歩きながら。



「こんなのが視察でいいんでしょうか」


「いいんじゃない? ウォーレンさんが軽く確認するだけでいいって言ってたし。しかも昼ご飯もそのままとってくるといいって言ってたじゃん」


「あっ、そういえば確かに……」



 朝の訓練で久しぶりにバッツを言葉を交わしたアインに任された仕事は、会話に出たように視察だった。

 秋に迫るグラベル見本市の前に賑わう港へ出向き、普段と違う港の様子を確認するようにというのがウォーレンの言葉なのだが、その実態は仕事と言えるほどのものじゃない。

 アインとクリスの二人は私服だし、護衛らしい護衛も連れていない。

 後者に至っては今更と言っても過言ではないが、おおよそ仕事をする姿には見えない。



 かといって、王都の民にしてみればアインもクリスも顔をよく知る者たちだ。

 二人がこうして足を運んだ姿を見れば、仲睦まじく城下町に繰り出したようにしか見えないだろう。



 ……実際のところ、それは当の二人もそう。



 これではまるで、たまには城下町でゆっくりしてこいと言われたも同然だ。

 ただ、それが嫌なわけではない。二人としてもありがたかったし、せっかくの時間だから視察の名目も果たしながらこの時間を楽しみたかった。



 見上げれば燦燦と降り注ぐ陽光に目を細める港で、石畳の照り返しにうっすら汗を浮かべながら歩く二人。



「ウォーレン様はきっと、軽く秋の準備をしてくれたらいいって思ってるんじゃないでしょうか」


「ああ、いまの雰囲気から色々考えておけばいいかもってことかな」


「だと思います。その証拠に……あっ、ほら。あっちにあるのとか見てください」


「……なんだあれ。雪?」



 石畳が敷き詰められた道の片隅に置かれた魔道具が放つ、きらきら輝く雪のような粒があった。

 海風に揺らぎ、周囲に流されていく粒が二人の元の肌に触れた。

 ひやっとした冷たさにクリスが楽しそうに笑って、



「夏は気持ちよくていいかもしれませんね」



 軽やかに身をよじる。

 隣を歩くアインも頬を緩めた。

 そうしていると、




「困ったな」


「ああ、だが仕方ない」



 アインとクリスの耳にそんな声が聞こえてきた。

 思わず足とを止めたアインに倣い、彼の隣で声がした方に顔を向けたクリスが言う。



「何かあったんでしょうか?」



 彼女が疑問を漏らしてすぐ、アインが海辺を見て気が付く。

 城を出て港に来てから数十分経っているのだが、はじめと違い沖合いの船が数を増している。

 しかし桟橋が空く気配は一切なく、海路が渋滞していた。



「沖の方を見て。たぶんあれじゃないかな」


「……あっ、すごく混んでますね」


「うん。全体の段取りに間違いはないはずだし、何かあったのかも」



 気になってから二人の様子が変わった。

 二人が組んでいた手は自然と離れ、でも親しさを感じさせる距離を保ったまま歩きはじめる。

 アインは先ほど声を漏らしていた者たちを見てから、改めて周りを見渡した。

 すると、見知った顔を見かけた彼がクリスを連れて、



「グラーフさん!」



 クローネの祖父にして、アウグスト商会の会長を務める御仁の元へ。

 よく爺と呼ばれる側近を連れたグラーフもまた、グラベル見本市のためにわざわざここに出向いていたのか、他にも多くの部下を連れてここにいた。

 彼らは皆、アインとクリスの来訪を受けて膝を付きかける。

 けれどアインに手で制されたことで、立ったまま頭を下げるに留められた。



「こんなところでお会いできるとは。お二人は休暇をご堪能中でございましたか?」



 アインはクリスと顔を見合わせてはっきりしない笑みを浮かべ、しかし隠すほどでもないと思って、



「ウォーレンさんの計らいで、視察という名の休暇を過ごしてました」


「はっはっは! それは言わずともよろしいでしょうに!」



 グラーフも二人がただ休暇を楽しむだけとは思っていない。二人のことだ。どうせ途中で気になって、ちゃんと周りを見てしまう。

 特にいま、こうしてグラーフの元へやってきたことだってそう。

 なのでウォーレンの言葉は、適度に仕事をしてくれたらいいという意味にすら捉えられた。



「海の様子が気になったご様子で」


「おわかりでしたか」


「殿下のことです。誰かの会話を耳にして気になったのかと思いました」


「それも当たってます。クリス、やっぱり俺ってわかりやすいみたい」


「安心してください。きっと私も似たようなものですから」



 和やかな会話にグラーフの頬も穏やかに緩んだ。

 アインが軽く咳払いをして話を本題に戻す。



「何かの様子を気にする声が聞こえてきたので海を見たら、海路が渋滞してたのが気になったんです」


「おおよそは見た通りの状況で相違ありません。イシュタリカ側と民間で段取りを組んでいたのですが、大陸西方側の悪天候により少しずつ遅れが生じまして」


「あー……天気ばっかりはどうしようもないですしね」


「そうなのです。足りていないのは人手くらいですから、恐らく明後日にはこの遅延も解消されると思うのですが……」



 単純計算で二日の遅れに等しい。

 秋の開催まで時間は大いにあっても、予定されていた時間を超過すること自体は誰も喜ばないだろう。いても僅かなことは言うまでもない。

 アインがクリスを見れば、クリスも同時にアインを見た。



 結局のところ力技が一番いい場面があることを、アインはこれまでの経験で何度も学んでいる。

 アインはクリスに補佐的な役割を頼み、貨物で賑わう桟橋へ向けて歩を進める。



「で、殿下!?」


「俺も手伝います」


「そのおつもりなのかと思いましたが……ですがお立場を考えると、我々としては――――」


「いやー……そんなの割と今更ですし……」



 性格は変えられないし、アインもこれが重要な催し事に関連する準備期間なことを承知していたこともあり、動かないという選択肢は浮かばなかった。

 残念なのは、せっかくの時間をクリスとゆっくり過ごせなくなることなのだが、



「アイン様」



 楽しそうに笑うクリスがアインの隣にやってきて彼を見上げる。



「今度、埋め合わせしてくださいね?」


「もちろん」



 これはこれで悪くなかったし、クリスも嫌な気持ちは抱いていない。

 名目と実態は違えど、視察という言葉があればこそだ。

 さらに素直に甘えられるようになったクリスにとっては、何ら不満を述べることもない。やはりこうして彼と過ごせる時間に嬉しさを覚えていた。



 何をどう手伝うのかに対して、これ以上簡潔な答えはない。

 アインが物理的に、主に力技で物資の輸送を手伝うことに加え、文官的な力も持ち合わせたクリスが補佐として動くというのがその答えだ。



 はじめは驚いていた者ばかりだったが、すぐにアインが皆の常識を覆す力技を見せたのだから恐れ入る。

 桟橋を覆いつくそうとしていた巨大な木箱がいくつも運ばれはじめた。



 作業をはじめて数十分、アインが額に浮かんだ汗を拭う。

 すると彼の頬に、冷たい飲み物が入ったグラスが触れた。

 クリスが気を利かせて持ってきたもので、ふわふわのタオルも一緒にあった。



「お疲れ様です! それで、あのー……」


「どうかした?」


「う、うん……何というかその……アイン様は気にならないのですか?」


「気になってるけど、ここは親として我慢させないと」



 親として、アインがそう口にした経験はいままでも数えるくらいしかない。

 桟橋に腰を下ろし、休憩に勤しむ彼の声を聞いた二頭が水上で衝撃に大口を開けていた。海龍の双子、エルとアルだった。



『キュ……?』


『ガゥ……?』



 切なそうな瞳でアインに訴えかけるが、こればかりは如何ともしがたい。

 ……双子はいま、アインの仕事を手伝いたくてうずうずしていた。しかし陸を通じて貨物を運ぶ仕事を双子に手伝わせることはできない。

 海流のスキルで貨物を無理やり吹き飛ばすことはできるが、あくまでも吹き飛ばすだけで運ぶわけではないのだ。



 次に双子がクリスを見て、彼女に助力を頼み出る。

 しかし、クリスも双子が手伝えるような仕事ではないと知っていたから苦笑した。

 アインの隣に腰を下ろし、桟橋から足をぶらつかせるクリス。



「何か手伝わせてあげたいんですけどね……」



 しかし繊細な作業を任せることは難しい。

 それにしても幼い頃と違い、鱗の色も変わり大きく成長した二頭だ。

 いまも船が去って間もないスペースにやってきて、無理やり顔を覗かせているくらいとあって、こう無下にしてしまうことも心が痛むのだが……。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「ぜーんぶ知ってるわ」



 夕方、城のバルコニーでクローネが笑っていた。

 傍にいるアインが「どうして?」と尋ねる。



「だってここから見えるもの。双子が海流の力で船を移動させてるのとか、全部ね」


「……あー、だからお爺様たちもすんなり受け入れてくれたのかも」


「ふふっ、そうかもしれないわね。それかアインのことだから、別にもう気にしてないって思ってるのかも」


「あるいはどちらもって感じかな」



 アインは冗談を言い合ってからクローネの頬に片手を添えた。

 彼女は添えられた手に頬を預け、彼の手の甲に自分の手を添えじゃれつくように頬を擦りつける。

 こうして触れ合っていると、互いの体調がよくわかる。二人がこの確認方法を思い付いたのは最近のことで、いまでは朝晩の日課になっていた。



 特殊な種族として根付いた者同士、触れ合った肌から何もかもわかるような気がした。

 魔力の波長も、どのくらい疲れているのかも……すべて。



「アイン、ちょっと日焼けしたみたい」


「ずっと外にいたからね」


「ヒリヒリする?」


「ちょっとだけ。気にならないくらいだけど」



 クローネは指先をアインの手の甲に滑らせる。

 羽根で優しくなぞるような触れ方が、アインには少しくすぐったかった。



「変なの。アインったらすっごく強いのに、日焼けは別なんだ」



 くすくすと笑いながら。



「やー……意外と痛いのは痛いしね」


「感じ方って、私たちと同じくらいなのかしら」


「どうだろ。逆に俺としては、他人がどのくらい痛いって思うか――――あれ? これって個人差があるから話しても結論出ないような……」


「ふふっ、私もそう思う」


「じゃあ結論はでないってことで」


「ええ。そういうことかしら」



 地平線の彼方に見える空が暗くなっていく。

 夜はもうすぐ、いつものように穏やかにやってくる。




 ◇ ◇ ◇ ◇ 



 

 寝る前の仕事に勤しんでいたアインの元をカティマが尋ねた。

 執務室にやってきた彼女は、以前にも増してお腹が大きくなっている。



「暇ニャ」


「すげぇ。暇だからって仕事中の甥っ子のとこに来る、妊娠中の伯母とかはじめてだ」


「はじめてもなにもないニャ。アインの伯母は私だけニャ」


「……や、そういう意味じゃないんだけど」



 まぁいいや、そうため息を吐いたアインがペンを置いた。

 どうせこのくらいにしておこうと思っていたところなのだ。カティマが来たのをいいきっかけと思うことにして、彼女を迎える。

 二人はソファに座った。



「ディルは?」


「……まぁまぁ、とりあえず座らせてもらうとするかニャ~」


「んー? 何か不穏な雰囲気を感じちゃうんだけど」



 間違いなく、カティマはディルに何かを隠している。

 わざわざここにきて、しかもわざとらしい態度で言ったのがその証明だ。



「グラベル見本市を見に行きたいのニャ」


「お爺様を呼んできていい?」


「待ってほしいのニャ。あっ、立たないで。冗談なのニャ」


「……はぁ。そんなことを俺に言っても勝算はゼロだって思わなかったの?」


「いまのは小手調べニャ」


(小手調べをして何があるんだよ)


「そもそも私は冗談って言ったのニャ。今年は諦めてるから、次回に期待してるのは嘘偽りのない事実なのニャ」


「ならいいけど。それで、本題は?」



 カティマが着ていた服のポケットに手を入れた。

 白衣とまた違う、ゆったりとした服だった。



「まずは賄賂ニャ」



 堂々とした、それはもう賄賂と言う以外他にない代物を取り出す。

 一見すれば真っ白な封筒と中に紙が入っているようにしか思えないものを、カティマは二人の間を隔てるテーブルに置く。

 すすすっと静かに、アインの方へ肉球で押していた。



(う、受け取るもんか……)



 たとえカティマが差し出した興味を引く代物であっても、絶対に。

 一度手を触れてしまえばもう、一瞬で駄猫の共犯に成り下がってしまう。

 しかしカティマはアインが目をそらしたのを見て、勝ち誇った様子で笑った。

 この状況は彼女の想定通りだったのだ。



「王都から水列車で数十分のところで温泉が見つかったのニャ。色んな商会が投資してるんニャけど、私の研究室でも投資をしているのニャ」


「……それが?」


「そこの温泉水、ミスリス渓谷の温泉とは違うんニャけどいい感じに魔力が溶け込んでて身体にいいのニャ。子供を宿した女性の身体にもいいから、城にお湯を運搬しようかと――――」



 アインの手が封筒に伸びて、すぐさま封を開けた。

 迷うことなど一切なく、一瞬の判断だった。



「ほんとだ。これなら賄賂って言わずに、最初から素直に言ってくれたらよかったのに」



 できることがあればいくらでも協力しよう。

 アインはそのつもりでいた。



「つまり、協力するって約束してくれるのかニャ?」


「もちろん。どんなことでも喜んで」



 相手がカティマであることを失念していたわけではない。

 いまの優先順位がクローネを最上としていただけで、決して無警戒だったわけではないのだ。

 なのでこれは、仕方のないことだった。



「助かったのニャ~。これでアインは私の共犯、いい感じに事を進められそうで何より何より!」


「……え?」


「ほりゃ、アインも知っての通りいまの私は子供がいるし、前みたいに好き勝手に動けないからニャ~」



 するとカティマはどこからともなく分厚い書類を取り出して、どん! と勢いよくテーブルに置いた。

 アインにそれを見る以外の選択肢はなかった。 

 


「念のために聞きたいんだけど、お腹の子供に悪いことをするわけじゃないよね?」


「当たり前なのニャ。さすがの私もクローネに妙なことをする気はないニャ!」


「クローネもだけどカティマさんもだよ」


「……んむ。当然ニャ」



 ならいいと呟き、新たな書類を手に取ったアインがため息を吐く。

 書類に目を通したとき、アインはカティマの考えが想像以上にしっかりしていたものであると知って笑う。

 これならば、賄賂なんて不要だったはずなのにどうしてだろう。



「妙な真似をして俺を警戒させた理由は?」


「私がカティマだからってことで説明になるかニャ?」


「ありがと。それ以上に説得力がある言葉はないよね」



 アインはそう言って書類に目を戻した。

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