金剛木と、彼女が得た居場所
長老は小刻みに幹を揺らす。しかし答えようとしなかった。
そこへシャノンが追い打ちをける。
「夜は寒いわね」
彼女の指先から火の粉が生じ、風に流されていく。
かき消され切れなかった火の粉が長老の枝を掠めたことで、弱々しい熱を長老に伝えた。
「ぬぉわああああっ!? 何をするか! 燃えてしまうじゃろうがァッ!」
「ああ、ごめんなさい。返事がないからただの木なのかと思って。大きいからよく燃えそうよね、その身体」
「ッ~~ま、待たんか! 無視を決め込んだだけではないぞ!」
「なら早くなさい。返事を待たせて彼に風邪なんか引かせてごらんなさい。この森ごと焼け野原にしてあげるわ」
「いや、俺は別に大丈――――」
「ああほら……こんなに指先が冷たくなっちゃって……ごめんね、アイン。もうちょっとであのフオルンが返事をしてくれるから」
(……すっごい悪い笑顔だ)
類まれな抜群の容貌は数多の異性を虜にした。
そのシャノンは、生まれ持った魅了の力がなくとも同じく人々を堕落せしめたであろう蠱惑的な笑みをアインに向け、媚びるようではない、傾倒しきった愛らしい笑みを浮かべている。
「し、しかしだな! 儂は働けないのじゃ!」
『長老が燃やされる』
『……働けばいいのでは?』
『いくら長老と言えど、働けば助かる命なのです』
『そうではないでしょう。世界樹様が欲しておられるのが金剛木でなければ、恐らく命惜しさに働いたはずです』
『では別の労働をすればよいのです。できないからと動こうとしないのは、愚を極めているといっても過言ではありません』
言いたい放題のフオルンたちの声がアインとシャノンの耳にも届く。
フオルンたちは長老を助ける気がないようだ。実際、シャノンがしっかりと殺気立っていたら話は別だったろうが……。
「さすがに本気じゃないよね?」
「燃やすか燃やさないかって話なら、限りなく本気よ」
「……ふむ」
「ふむ、ではないッ! お主は王太子じゃろう!? どうせその女と
すると、シャノンの表情が変わった。
彼女は可愛らしく咳払いをして、頬を柔らかく綻ばせた。
可憐な表情を浮かべ、上機嫌に弾んだ声で言う。
「私たちの関係が分かるなんて見どころがあるのね。いいわ。燃やすのは延期してあげる」
「――――お、おう……? なんじゃなんじゃ、急に上機嫌になりおって……。じゃ、じゃが落ち着いてくれてたすかったわい」
アインが言葉を挟もうとしたらシャノンの指先が唇に押し付けられる。そのまま彼女は楽しそうに、軽い足取りで湖に足を踏み入れた。
歩く姿は妖精のように軽やかで、傍に居たアインが見惚れそうになるほど幻想的だった。
その姿をみていると、彼女は不意に水上で足を止めた。
どうやら魔法を用いているのか、水面にトンッと足を置き、辺りに水の波紋を広げる。
「もったいぶった分、素敵なお返事をもらえるって思っていいかしら」
シャノンは背中で腕を組む。
あざとく身体をくの字に曲げて長老を見上げた。
「…………働けない理由があるんじゃ。金剛木はもう作れん」
「へぇ、どうして?」
「木材が足りん。
そこでアインが口を挟む。
「長老殿の力というのは?」
「それこそ、儂が長き日を生きたフオルンである証よ。――――儂は木々の力を活性化させることができる。そして逆も然り。自然の理に背きし力で木々を魔力を宿したまま枯らすことができる」
曰く、それが金剛木と呼ばれるようになったとのことである。
元は火を起こす素材として作ったのではなく、昔、友誼があったドワーフによって強力な炎を起こせることが明らかになり、重宝されるようになったのだとか。
「じゃが儂の力はそれなりじゃ。昔は暴れ放題しとったブラックフオルンを屠り、魔石を食うついでに木を枯らしておったわけじゃが……」
「ちょうどいい木材がないと」
「うむ。普通の木材では途中で粉々に砕けるのが落ちじゃて」
「だから働けないってことなのね」
「そうじゃとも。じゃから儂を燃やすのは勘弁してくれんか。他のことじゃったら協力するぞ」
とはいえ協力ほしいことが思いつかない。
アインは自分の方に振り向いて、「どうする?」と冴えない表情で尋ねてきたシャノンを見る。彼女には「仕方ないよ」と肩をすくめて返した。
(ないものはないから仕方ないか)
せめて力あるブラックフオルンを探して討伐するしかない。
いずれまた、機会があったら頼むしかないのだろうか。
「近頃は冒険者も増え、地元でヤンチャしてた程度の魔物はすぐに討伐されるからのう……。そこからネームドに進化を遂げ、更に一握りの魔物に育つとなれば、それこそ数えるくらいしかおらなんだ」
「ああ……言われてみれば確かに」
「特にブラックフオルンなどの個体数が少ない魔物となれば、どうしてもヤンチャ程度にしかなれんのじゃ。脅威と入れるだけの強さのブラックフオルンは、儂もここ数百年はみとらんわい」
アインが内心で思ったように、ないものはどうしようもないのだ。
もう諦めざるを得まい。
普段は諦めの悪いアインもそう思いはじめたのだが――――。
(――――ん?)
不意に気が付いた。木材がないという問題を打開できるかもしれない策が、不意に脳裏を掠めたのだ。
「長老」
「む、なんじゃ」
「木材はどういう状況なら大丈夫なのか教えてほしい」
「成木であれば魔力は宿る。いわば、家々を立てるべく乾燥させたような木材でなくば構わん。じゃが、相応の魔力が宿った木材でなくば――――」
長老が言い終える前にアインの隣の地面が隆起した。
一本の木の根が大地から生まれ、長老より高い場所まで伸びて動きを止める。
「これならどうだろう」
「なっ…………これは…………」
「長老、どうかな?」
「う、うむ……っ! 十分……いや、十分すぎて儂の力が通らん可能性の方が高い!」
(それはそれで問題のような)
『世界樹様の力だ』
『ええ。世界樹様のお御業です。我らが神の力です』
『…………衝撃的すぎて、危うく枯れてしまいそうでした』
アインは長老の返事に加え、フオルンたちの驚く声を聞き胸を撫で下ろす。
(なんだかんだあったけど)
これなら金剛木を手に入れられそうである。
若干不安な言葉を長老が発していたが、あれならどうにかなるだろう。特にアインが協力すれば問題ないことなのはわかり切っている。
「――――すまんがそれ、斬ってくれんかの」
そう言った長老は照れくさそうに。
「儂、あんまり動けんのじゃよ。――――ほれ、木じゃから」
当たり前のことを口にして、アインが生み出した木の根を自分の傍に運ばせた。
その横で、シャノンがつづけて口を開く。
「それと、私が頼んだってことと、私が来たってことは誰にも言わないようにしなさい」
「なぜじゃ」
「そういうもの、って理解してもらえるかしら」
合点がいかない様子だったが、長老は頷く代わりに幹を揺らした。
◇ ◇ ◇ ◇
帰りは山肌を下る。
行きは特に気にならなかった道の悪さが、下りになると一気に眉をひそめるに値するだけの歩きにくさでアインを迎えた。
「――――というわけだから、どうぞ」
手を差し伸べたアインの顔と、その手を交互に見たシャノンが小首を傾げる。
「愚か者には見えない何かをお持ちなのかしら」
「自分で愚か者って言うのはどうかと思うけど、どう考えても違うじゃん」
「どう考えても私は愚か者でしょ? 違うのならなーに?」
「だから、手。転んだら危ないし」
突然向けられた優しさに対しシャノンが戸惑った。
それはもう、様々な様相を呈して戸惑った。
不自然にまばたきを何度も繰り返しながら半歩後ずさり、両手を祈るように重ねて胸に押しあてる。挙動不審に頭を左右させると、「どういう風の吹き回し?」と驚きの声を上げてアインに詰め寄った。
月灯りを帯びて光を孕んだ瞳が、アインをじっと見上げていた。
「山道で転んだらドレスが汚れるじゃん。あと痛いし」
「…………なんでそうなの?」
「え? 何が?」
「だから! どうしてこういうところで急に……あー、もうっ! ばかっ! 嬉しいけど、やっぱりばかっ!」
(――――まったく意味が分からない)
シャノンは結局アインの手を取ったし、歩きにくい山肌のせいで身体を預けるようにしている。そのためアインの理解が追い付かぬ不満の嵐も弱々しかった。
「いい? 私の方が年上なの。お姉さんだって分かってる?」
「知ってるけど……それで俺はどうすれば……」
見上げれば隣で苦笑するアインの横顔が見える。
……シャノンは単に慣れていないだけなのだ。彼女は下心のない純粋な優しさに対し、それこそ力を暴走する以前から慣れたことがない。
どうしてもシャノンはアンバランスだった。
幼い少女が暗い過去により無理やり大人になってしまったような……。
傾城の美を湛える容貌とは裏腹に、ありふれた町娘の純情さにも勝る無垢さが残る心が、アインに対しては無防備にさらけ出されていた。
つまるところ、アインからこられると胸が早鐘を打って仕方がないのだ。
こうしてエスコートされている今では、嬉しさと別に、自分の鼓動がアインに聞こえていないか不安に思ってしまう。
(すっごくドキドキしてる)
そしてそれは聞こえていた。
あっけなく、無情にもアインの腕から伝わっていた。
そのことに気が付いたアインが隣を見ると、彼の顔を見上げていたシャノンが慌てて目を反らす。
夜風に揺れて髪が靡き、白磁の肌が露になった。彼女は平静を装ってみているものの、やはり首筋は星明りに照らされ密かに赤らんでいる。
――――夜とあって周辺の様子を見るよりも、感覚を研ぎ澄まして夜道を進んでいるから、互いの様子に気が付きやすかった。
心なしかシャノンは手のひらにも熱を持ち、薄っすらを汗をかいてしまうほど落ち着きを欠いていたのである。
「あの、ね」
ドレスの裾を摘まみながら歩くシャノンが口を開いた。
「別に緊張してるわけじゃないから」
「鼓動と手元の熱。どっちのことが?」
「どっちも。それと、分かってるならわざわざ口に出さないで。恥ずかしくてどうにかなっちゃいそうだから」
「分かってると思うけど、わざと言ったんだよ」
「それも分かってるわ。アインってときどき
感情を隠すことなく言い放ったシャノンは重なった手元にもっと力を入れた。ぎゅっ、と音が聞こえなそうなくらい手と手を密着させ、涼し気な表情を装いながら唇を尖らせる。
「私、付け込むからね。アインの優しさだって分かってても、遠慮なく甘えるから」
「え、なにその宣言」
「遠慮なく貴方がくれた言葉を使わせてもらうってこと。どうなっても私の味方で居てくれるんでしょ? 裏切らないでいてくれるってことなんだから、とことん付け込ませてもらうってこと」
「……お手柔らかにね」
早鐘を打つ核が落ち着きを取り戻してきた。
いつからかアインの横顔を緊張することなく眺められるだけの余裕も生まれ、空いていたもう一方の手も伸ばしてアインの腕に身体を預ける。
ドレスの裾が汚れるのを気にせず、ただ転ばなければいいやという感覚で山道を進む。
「――――ふふっ、絶対にイヤ。容赦なく貪ってあげるんだから」
その返事を発したシャノンは、旧王都で暮らしていた頃にはしなかった、屈託のない笑みを浮かべていた。
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