海に現れた竜人の炎

 水晶の塔は崩壊し、ヴェルグクのような巨躯を得たヴィゼルの身体も両断された。

 アインとクリスはそのヴィゼルの身体が光りに包み込まれたのを見て、すぐに彼が元通りの身体になったことも確認したのである。



 その様子を見ていたアインは「こっちに来て」と言い、宙に投げ出される数秒前にクリス抱き上げた。



 彼は大地にすとん……と優雅に降り立つと、立ち上がったクリスに自分の外套を羽織らせる。

 つづけて彼女の頭を撫でてから、彼女にここで待っているよう言ったのだ。



「あの……私は……!」


「少しだけ休んでて。もうすぐマルコも到着するから、護衛してもらうようにね。いい?」


「で、でも!」


「ごめん。本音を言うと、このまましばらくの間抱きしめてたいぐらいだよ」



 あんな告白をした後で少しでも離れるなんて、当たり前だけどしたくない。

 しかしゆっくりと愛を確認している場合ではないことはクリスも分かっているし、実際に長々と抱きしめられても気が気ではなかったろう。



「もう……そんなこと言われちゃうと、アイン様を待っている間、ずっと顔がにやけちゃうじゃないですかー…」



 だから、冗談交じりに本心を口にした。

 こんなときにと思ってしまうのは変わらなかったけど、申し訳なさそうなアインを見て心を傷め、自分も同じ気持ちであることを知ってほしかったから。



「えっと……それじゃあ」



 背を向けかけていたアインはその動きを止めて、クリスを見た。

 彼女の頬を汚した土ぼこりを指先で拭い、くすぐったそうに身をよじったのを見て頬を緩ませる。


 

「少しぐらいなら、許されるんじゃないかなーって思いませんか……?」


「……そうかも」



 その誘惑に負けたアインは、つん、と突き出されたクリスの唇に自らの唇を軽く重ねた。

 それはほんの一瞬だったけど、離れたときに見たクリスの幸せそうな表情を見て、心が今一度早鐘を打つ。

 駄目だ。このまま見ているとまずい。



 気持ちを言葉にしたばかりなことも影響して、いつもより感情の揺らぎが激しかった。



「気を付けてくださいね。私はここで待っていますから」


「ああ、ありがと」



 アインは最後にクリスの言葉に後押しを受けるように歩きはじめた。

 


 ところで、今は夏真っただ中だから、実のところ外套を羽織ると少し暑い。

 ただ、クリスの服が破けてしまっていることなどを理由に、羽織るようアインが外套を貸したのだ。

 当たり前だが、クリスもそれは分かっている。



 離れて行くアインを見送る瞳は、いつも以上に彼に心を奪われていた。



(…………さて)



 アインもアインでクリスのことで頭の中が一杯だった。けれどそうしているわけにもいかず、無理やり、此の程の騒動について考えはじめる。



 急な襲撃が発生するであろうことはウォーレンとも相談していた。



 しかし、巨大な水晶の塔が現れるほどの騒動は、そもそも予想の範疇にない。

 これが油断なのか、否か。

 これを議論することは後にして、海辺に足を向けたアインは桟橋跡の前に立つと、木の根を生んで足場にして歩きはじめる。



 向かう先の海上には、木の根で出来た卵に似た形の檻がある。

 これはヴィゼルが落下していくのを見たアインが、ヴィゼルを逃さぬために用意したものだ。



(不可解な点があり過ぎる)



 話は予想の範疇になかった騒動について。



 中でもアインには強い疑問があった。

 魅了の力が通じないなんて、あるものだろうか? と。

 たとえばあの力に対しての絶対的な抵抗力――――あるいはスキルが存在したとして、ヴィゼルがその力に持ち主だった可能性。



 しかし、あまり現実的ではない気がしていた。

 何せあの力はセラにも届き、彼女の魔力にも作用した絶対的な支配の力。



(ヴィゼル本人には効果があるはずなんだ。たとえ、あの男が誰かに力を貰っていたとしても)



 となれば、効かなかった理由は一つだ。

 巨躯に変貌したその後から、体質そのものも変化していた。

 元のヴィゼルとは別の生命体と言ってもいいぐらいに。



 ――――セラにも通じた力が通用しないほどの、特別な力を持つ存在にだ。



(やっぱり、何か隠されてる)



 こんなことは普通じゃない。

 以前考えるに至った、セラに記憶を奪われた可能性が現実味を帯びた。それは以前にも増して、確信と言えるほどに。



(黄金航路の相談役を――――あいつのことをセラさんは知っている)



 また、シュゼイドでの騒動とのかかわりだって。

 何となくで頭に浮かんでいた点と点が繋がり、ここで本当の意味で確信した。



 幸いにもヴィゼルの身体は元に戻った。

 魅了の力が効くことに掛け、歩く速さを上げて木の根の檻へ向かう。

 やがてアインが到着して、木の根が動きで隙間が出来た。

 アインはそこから内部に足を踏み入れて、中心に倒れていたヴィゼルを視界に収めたのである。



「生きてるか」


「っ……ひゅー……ひゅー……っ……」



 息も絶え絶えという表現がぴったりな荒い呼吸音が届いた。

 アインは不快だった。

 多くの町を襲い、犠牲者を生んだ男がこうして生きていることもそうだが、苦しみから逃げようと胸をぎゅっと握りしめていることも、心底不快でたまらなかった。



「お前は答えなければならない」



 硬い木の根の上を進む。

 コン、と無機質な音がした。



「誰に力を貰い、何のために力を使ったのか」



 アインの双眸が黄金に輝きはじめた。

 大戦を引き起こした魅了の力は、彼に使われることで更なる昇華を遂げ、絶対的な支配の力としてヴィゼルに届く。



「力を与えた者の居場所を含めて、その頭蓋にあるすべてを答えろ」



 横たわるヴィゼルの隣に立ち、見下ろして言ったアインははっきりと分かった。

 今なら通じる。間違いなく。

 その証拠に痛みに喘いでいたヴィゼルの表情が変わり、まるで痛みを感じていないが如くそれでアインを見ていた。



 しかし――――。



『君は本当に綺麗だね』



 アインは驚いた。

 ヴィゼルの声がまるで別人だったし、口調も同じくそうだったから。

 でも、覚えがある。



 今の口調はまるで……。

 あの相談役のようで……。



『僕自身の口で話が出来ないことが残念でたまらないよ。……会いたいな。また、君の綺麗な心を傍でじっくり見てみたい』


「……やっぱり、お前だったのか」


『ん? どういうことだい?』



 違和感ばかりが募る光景だった。

 粗暴な容姿のヴィゼルから発せられるには、あまりにも甘く、あまりにも洗練された男の声だった。



「俺にもよく分かってない。だけど、お前には特別な力があると思っていた」


『…………』


「答えろ。どうして俺たちを襲ったんだ」


『襲った? 僕がかい?』


「お前はシュゼイドでも、そして最近はヴィゼルを使って色々な町を襲っただろ。まさか言い逃れるつもりじゃないだろうな」



 ヴィゼルの表情が変わった。

 理知的で、どこか達観したそれへ。

 次に語る言葉が本心と言わんばかりに。



『分からないな。少なくとも、その二つは僕のせいじゃないだろう?』


「――――何が言いたい」


『僕は誰かを襲えといったことはない。海に居た少女は裁かれただけだし、それでアンデッドが暴れただけだ。ヴィゼルだって、僕は彼の中に輝きを見つけ、光らせてあげたいと思っただけだ』



 詭弁だ! と声高々に糾弾したかった。

 でも、できない。しても無意味だと悟ってしまうぐらい、あの男の声がさも当然かのごとく落ち着いていた。



『どうかな?』



 真面目に話しても通じない。

 この男と自分は価値観が違いすぎる。



「かふぁっ――――」



 ふと、ヴィゼルが鮮血を吐き散らかした。

 するとあの男が言う。



『ヴィゼルが死ぬようだ。お別れだよ』


「ま、待てッ!」



 しかしヴィゼルはもう一度血を吐いて、すぐに生命活動を停止させた。

 アインは握り拳を震わせながら、あの相談役を探すことと、セラの下に行くことを決意した。



 ――――その、次の瞬間のことだった。



 遠くの海からなにか、強大な力が。

 現実世界で感じたことのない、強烈な熱波を感じたアインは慌てて木の根の檻を飛び出すと、その上に飛び上がり水平線の彼方を見た。



「あれは――――ッ!」



 炎王の抱擁ドラゴン・ブレス

 竜人セラが生み出す火柱が、しばらく先の海で猛威を振るっていたのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 アインの視線の先にあったのは、小さくもシュトロムに現れたのと似た水晶の塔だった。高さはシュトロムの塔と比べて半分以下だ。

 その頂上には、木製の椅子が一脚置かれ、腰を下ろしていた銀髪の美丈夫が居る。



「ヴィゼルが死ぬようだ。お別れだよ」



 その男は名残惜しそうに言うと、声が届かなくなったことを悟る。

 ああ、死んでしまった。あれほど輝かしい欲を見せてくれたヴィゼルの魂が、天に召されてしまった。

 男は一筋の涙を頬に伝わせ、手を合わせて天を見上げた。



「君は良かった。もっと見ていたかったよ――――ヴィゼル」



 と、男が言った――――次の刹那。



「これは……?」



 男はふと、肌が溶けだした事実に目を見開く。

 次に熱を感じたときは、もう視界がすべて炎に包み込まれていた。



「がぁっ……あぁぁああああああああああああッ!?」



 身体を抱いて痛みに堪えようとしても、もう腕が溶け切っている。あるいは消炭、既に焼き切られていて感覚がない。

 声もいつしか上げられなくなった。



「演技は止せ」



 火柱が収まったとき、男の耳に届いたのは少女の声だった。

 すると、かろうじて残されていた男の身体が黄金の光を発し、すぐに元通りの身体になる。立ち上がった彼はケロッとしており、服も再生していた。



「――――僕を同時に三つも殺すなん、、、、、、、、、、、さすがだ」


「ほざけ。どうせ一つは何処かへ隠しているのだろう?」


「さて、どうだろうね。でも逢いたかったよ――――竜人」



 セラは大鎌を手に、眉根を寄せた。



「長きに渡る辺境生活は楽しかったかい?」


「最高さな。貴様来るまでそれはもう楽しくやっておった」


「確かにここはいい島だ。君のような咎人とがにんが暮らすには、綺麗すぎるぐらいにね」



 咎人と聞いたセラの手に力がこもった。

 それを見た男が肩をすくめる。



「やめてくれ。残念だけど予定が変わってね。僕はまだ、、君を裁く気はないんだ」


「まだ、のう……。やはり儂を探しておったのだな」


「僕にも色々あってね」


「それで、まだとはどういう意味じゃ」


「言葉の通りさ。まだ……そう。まだ、裁かない。どうしても欲しい人が居てね。そのためにも、君のことをすぐに裁くのは悪手になってしまった」



 すると。

 風より疾く、光より疾く。



「ッ――――アインに手を出すことは許さんぞォッ!」



 セラの大鎌が男の首に肉薄した。

 だが男の姿は消え、大鎌は空を切る。



「いずれまた。君を裁くときに」



 男の声が何処からともなく響き渡った。

 セラは鎌を亜空間に収め、片手を振り上げる。

 彼女はその手に宿した獄炎を放ち、足元の塔を灰燼と化したのである。




◇ ◇ ◇ ◇



次話でこの章のエピローグとなります。

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