戦場で告白するなんて、思ってもみなかった【後】
背中から伝わってきた温もりで、クリスの頬が無意識に緩んだ。
背後で数多の魔物が出現した気配が漂い、それが襲い掛かってくるのを分かっていたのに、恐れは微塵も感じていない。
「
悉くが忽然と気配を消した。
ただの魔力に姿を変え、絶対なる存在の血肉と化す。
竜人・セラとの戦いを経て成長を遂げたアインを相手に、ネームドが何頭揃ったところで特に違いはない。
百が千に、それが万に変わっても変わらない。
神殺しと戦うには、まだ戦力不足だった。
「クリス。これを」
アインがイシュタルを鞘に入れてクリスに渡した。
刃渡りが普段のレイピアより長く、刃幅も広い漆黒の剣を受け取ったクリスは一瞬、目を見開いた。
丸腰の自分を見て貸してくれたのかと思っていると、視界の端の空間にヒビが入り、そこから大剣が姿を見せる。それはデュラハンの大剣だった。
「使い辛いと思うけど、今はこれで」
アインの優しさに触れたクリスは心を温めると同時に、自分のふがいなさに悄然とした表情を浮かべた。
彼女は、ヴェルグクに似た魔物に身体を吸い込まれ、同化してしまったヴィゼルが面前で痛みに喘ぐ様子から目を放さないまま謝罪の言葉を口にする。
「…………ごめんなさい」
ゆっくり話をしている場合じゃないけど、シュトロムの惨状を忘れて喜ぶなんて出来なかった。
別任務で足を運んでいたとはいえ、いざとなれば自分が指揮官なことは今までと同じだ。それなのに、シュトロムが壊滅状態に陥ってしまった。
クリスはこの事実を謝罪したのだ。
「えっと……」
すぐに謝罪の理由に気が付いたのに、アインは困惑せずにいられない。
なにせ今朝、別れる前にマルコを護衛に付けたことに加え、マンイーターだって預けたのだ。
だから対処できて当然――――とはならない。
むしろ、これで対処できないなら他の誰にもできやしないのだ。
「クリスが指揮をしてくれたおかげで、避難も順調に進んだって聞いた。――――ここに来る前、すれ違ったマルコからね」
「ですが――――っ」
「何もできなかった、なんて思わないでほしい。町の人たちを守ってくれたのなら、それ以上のことなんてないよ」
それ以上でもそれ以下でもない、本心からの言葉だった。
町はまた作ればいい。この言葉を簡単に口にすべきではないことはアインも重々承知の上で、それでも命の方が大切だと信じていた。
また、クリスの働きは素直に称賛に値する。
急な襲撃――――それも、イシュタリカの歴史書を紐解いても例がない、それこそ、海龍と並ぶであろう災禍に対し、まったくの犠牲者を出さず立ち回ったことに誰がケチを付けられよう。
「いずれにせよ、話はあとだ」
アインは空を飛ぶ魔物たちを、またほんの一瞬で葬り去った。剣を使ったのか、別の手段でどうにかしたのかクリスには伺い知れない。
アインはそれからすぐにクリスの前にやってきて、変わり果てたヴィゼルを見上げた。
『ア……アァ……オ前………シッテルゼェ……ッ!』
「俺もだ。会いたかったよ、ヴィゼル」
『クハハッ! 男ニ言ワレテモ嬉シクネェナァッ!』
痛みに喘いでいたヴィゼルの身体がうねり、上へ向かって爬行する。
更にアインとクリスの頭上まで高い場所に行ってから、片腕を振り上げ、唐突に全身を降下させる。
『クタバレヤァッ!』
決して動じず、しかし目を凝らしたアインが「どうしてだ」と呟く。
魅了の力を用いて降伏させようと試みたのだが、効果がなかったのだ。
しかし、片手に持った巨剣を真横に構え、ヴィゼルの拳に磨り潰される直前に拳を払う。
『ンオッ――――!?』
難なく、ただ横薙ぎを一度披露するだけでだ。
軽く振ったように見えて、人知を超越した膂力によるダメージが確かにヴィゼルの巨躯に届く。
ヴィゼルの身体はぐらついて、とぐろをまいて纏わりついた下半身にもしびれを催し、眼下の海へ落下していく。
「セラさんの魔力にも通用したのが、どうして」
疑問符を抱くアインはそれでもヴィゼルから目を放さず、ヴィゼルが空中で態勢を整え、蛇の下半身を伸ばし、再度こちらに向かってくる姿を見た。
それを見ながら、後ろに手を伸ばす。
「――――よし」
「あ、あの……よし、じゃなくてですね……? この手はいったい……?」
アインはクリスの手を握りしめていた。それも、いつもより熱を抱いて。
「いや、傍にいてもらおうと思って」
てっきり、下がるよう言われると思っていたのに。
戸惑ったクリスはまばたきを繰り返した。
「守りに来た
「ア、アイン様はシュトロムを守りに来られたのではないのですか!?」
「それも嘘じゃない。だけど俺は――――」
『生意気ナンダヨ……ガキガァッ!』
今度は背中で守るところか、アインの片腕に抱かれて胸元に押し付けられる。
今の仕草はいつもより乱暴で、気品に欠けていた。
代わりに雄々しさと、身を委ねたくなる力強さを孕んでいる。
「――――クリスが危ないって思ったら、」
アインは金色の剛腕を真横に構えた巨剣で受け止めた。身体は後退しない。むしろヴィゼルが衝撃に驚いたぐらいだ。
「居ても立っても居られなかった」
自分を見下ろして微笑むアインを見て、クリスの胸が早鐘を打つ。
こんなときに、なんて馬鹿なことをって思った。しかし彼の胸元で抱かれている事実に変わりはなく、そもそも抵抗できない。力でも、気持ちでもそうだった。
「で、でしたらこの剣はお返ししますっ! そちらの剣を貸してくださいっ!」
少なくともクリスは、変貌したヴィゼルと戦えなくとも別の仕事が出来る。
そのため、守られっぱなしであることに不満はある。自分は騎士でもあるからだ。
されど戸惑いのあまり、剣のことを口にしてしまう。
「実はこの剣って、俺しか使えないんだよね」
たはは、とアインが笑いを交えて言った。
「そのイシュタルは万が一のための護身用だよ」
「でもっ!」
「悪いけど、俺も譲るつもりはないよ」
アインが今一度、巨剣を振ってヴィゼルを弾く。
深々と切り付けられたヴィゼルの拳から体液が舞い、痛みに喘いだヴィゼルがもう一方の拳を振り上げる。
すぅ――――大きく息を吸ったアインが足元に力を込め、胸に抱いたクリスを更に強く抱き寄せて前方に駆けだした。
『ナッ――――疾――――』
「そりゃよかった。で、お前、どこでそんな力を手に入れた?」
冷酷な尋ね文句にヴィゼルは答えない。いや、答えられる胆力を持ち合わせていなかった。
拳を振り下ろすより先に懐に入り込まれ、恐怖に心を支配されていた。
「吸い尽くす」
巨躯の腹に突き立てられた漆黒の巨剣。
身体の大きさに対し、小さすぎるその刃に貫かれると、経験したことのない強烈な痛みがヴィゼルの全身を駆け巡った。
身体中から力が失われていく。
目元が薄暗く、心なしか眠気まで催してきたように思える。
これは、危険だ。
あと数秒もこのままでいたら、間違いなく死に絶えると悟ったヴィゼルが身体を大きくひねり、巨剣を抜き去る。
(ヴェルグクほどの力はないな)
一瞬の攻防で悟ったアインは密かに胸を撫で下ろす。
そして、クリスを見て怪我がないことを確認した。
「アイン様っ!」
クリスがこの隙に身じろいだ。
「私は私に出来る仕事をしますからっ! 力不足なのは重々承知してますし……無理に隣で戦いってわがままはいいませんっ! だからお願いします……私にもシュトロムのために――――っ」
「え、やだよ」
「…………はえ!? な、なんでですか!?」
もしかすると、アインと出会って以来、一番意味が分からなかった瞬間だったかもしれない。
何を考えてもどう考えても、自分を抱いたまま戦う必要がないのだ。
利口なアインがこれを分からないはずがない。
(俺の傍が一番安全だ……なんていうつもりはないけど)
事実であっても口にはしない。
自惚れるような言葉を発するのは趣味ではない。
今、アインの心に宿るのは別の感情だ。
――――他の誰でもない。俺が傍で守っていたいんだ。
相対する脅威の対処が完了すれば意味は同じだとしても、そうする気にはなれなかった。
その想いは、さきほど魅力の力が通用しなかったことで増している。
万が一、想定外の事態が発生したら……。
それを言えば今も想定外の事態に他ならないが、自分の傍に居てくれたら、自分のすべてを賭して守ることが出来る。
そんなアインだったが、葛藤もあった。
クリスも考えていた事だが、ここでクリスが町の戦力の指揮に戻った場合と、もどらなかった場合を比較すると、明らかに前者の方がいいに決まってる。
頑なにクリスを放さないことは身勝手で、愚かなのではとも考えた。
しかし、離せなかった。
胸に抱いた彼女を、自分から遠ざけるなんて考えられなかったのだ。
その葛藤に苛まれていると――――。
『グォォオオオオオオッ!?』
ヴィゼルが新たな攻撃を、塔の上から舞い降りた漆黒の彗星に見舞われた。
「ふむ。所詮、元は半端な力の持ち主なせいでしょう。戦いの技術は児戯に等しい」
マルコの剣がヴィゼルを首元から縦に、下半身の蛇の身体近くまで、一筋の剣閃で深々と切り裂いた。
「マルコ、塔の様子は?」
「芳しくありません。全体的に大きく損傷させたのですが、
降りて早々背を向けていたマルコが振り向いて、アインとクリスの状況を目の当たりにした。
不満そうにしていたクリスは羞恥に頬を上気させ、たまらずアインの胸に顔を埋めて小刻みに震えてしまう。
「なるほど。承知致しました」
ふと、マルコが合点の行った様子で手を叩いた。
「私は町の方に戻ります。まだ魔物はいるでしょうし、マンイーターも私が居る方が動きやすいでしょうから。指揮もすべてお任せくださいませ」
「…………ごめん。我がままだと思うけど」
「これはこれは、何を仰いますか。
マルコは多くを語らずとも悟り、今一度アインに背を向け塔の下を見下ろす。
「この忠義。その名を常世の果てまで響き渡らせる、偉大な御身が幸せのために」
最後に燕尾服を潮風に靡かせ、彼は飛び降りて行ってしまった。
「マルコ、行っちゃったじゃないですか!? しかも見られちゃったんですがっ!」
「いやー……この流れで合流する予定じゃなかったんだけど……緊急事態だったみたいだしね……」
「緊急事態なのは今更で――――きゃっ!?」
クリスが慌ててアインにしがみ付いた。
気が付くとアインが数歩先に移動していて、元居た場所はヴィゼルの剛腕で崩壊している。
「ア、アイン様はシュトロムを助けにいらしたんですから、私をこうしてる場合じゃないんですってばぁっ!」
「――――俺はクリスを守りに来たんだよ」
当然、シュトロムだって守る。
だけど最初はクリスが危ないと思ったから動きはじめたのだ。
その前からシュトロムに起きた異変が普段と違うと分かっていたら、また違った流れで感情を整理していただろうが……。
『お姉さんが言ってたんです。お迎えに来てくれる人は、待っている人のことが好きなんだって』
ラジードの娘、ミウの言葉を思い出す。
海底洞窟に取り残された彼女たちが話していたことを、鮮明に思い返していた。
『気ニイラネェ――――ッ!』
ヴィゼルが腕を振り回す。
巨躯が誇る剛腕は振り回すだけで脅威だが、アインになんなく躱され、彼に様子を伺わせていた。
また、アインにはクリスのことを考えていられるだけの余裕もあった。
「バカなことを言わないでくださいっ! アイン様は私よりも、シュトロムを守らなきゃいけないんですよ!?」
王族であれば当然の言葉に、アインはひどく苛立った。
その言葉をクリスに言わせてしまっていることにも、今まで
『ガァァッ!』
『ギィッ! グギィッ!』
空に蔓延りだした魔物たちの声が耳を刺す。
その
――――ぜんぶ守ってみせる。
アインの心の中に言葉が浮かぶ。
――――だけど、好きな人のことはもっと守りたい。
こんな場所で言うつもりはなかった。できればすべての騒動が落ち着いて、しっかりとした場を用意して、真摯に伝えるつもりだった。
だけど、口の端から言葉が漏れてしまいそう。
情けなく、幼くも吐露してしまう直前であった。
「だから、アイン様」
クリスは決してアインを追い詰めようとしているわけではない。
彼女なりに自分がするべき仕事を考えて、ただ守られているだけではイシュタリカの民に申し訳が立たぬと思っていた。
故にマルコと同じで、自分も動かねばならないのだと。
「私も、戦います」
ここで戦えないのなら町で。あるいは町の外で。
しかしアインは、首を横に振る。
「俺は――――迎えに来たんだ」
心の中では、ミウが口にしていた言葉が何度も何度も繰り返されていた。
「だから、今日はクリスのお願いを聞けない」
「……どうして私を迎えに来たんですか? マルコが居ます。マンイーターだって居ます。だから町は大丈夫かもしれません」
でも、と。
「私だけが世界で一番強い人の傍で守られるなんて、許されないんですよ?」
クリスは健気に苦笑して言った。
一瞬、アインの腕が緩みそうになった。
「許される。絶対に」
しかしすぐに力を取り戻し、強い口調で宣言した。
空を飛ぶ魔物が、ネームドが迫る。
そしてヴィゼルだって、アインに様子を伺われていることを知って苛立ち、怒号を上げて猛威を振るう。
そのすべてが、通用していなかった。
「すべてを守れるなら、文句を言われる筋合いはないッ! 俺が好きな人を迎えに行くことに……守ることに! 許されないなんてことはないッ!」
言い切ったアインは振り下ろされたヴィゼルの剛腕に足をかけ、振り下ろされる速度以上の速さで駆けあがり、肩口へたどり着く。
巨剣を振れば、そこからヴィゼルの腕が容易く経たれた。
『――――』
声にならない叫びが二人の耳を刺す。
荒れ狂い、身をよじるヴィゼルの肩からアインが飛び跳ねて、空を蔓延る魔物に目にもとまらぬ剣閃を浴びせた。
一頭、また一頭と魔力に戻る魔物たちは、すぐさまアインに吸収された。
『ガァァァァァアアアアアアアアッ!』
痛みに喘ぐヴィゼルは空に残る魔物を気にせず、残る剛腕を振り回してアインを狙った。
さっきまでの足場がその被害に遭い、完全に崩壊する。
アインはクリスを胸に抱いたまま、頭を下にして落下していく。
「…………え?」
これまできょとんとしていたクリスがアインの顔を見た。
「あの、え? アイン様……あの……なんて、言いました?」
「俺は――――」
「ううん! 聞こえてます! 覚えてるのでやっぱりいいです!」
あっさり言葉を翻したクリスは空に舞う瓦礫を見た。そこにアインが着地して、腰を低くする。
彼女はいわゆるお姫様抱っこの体勢になり、上を見るとすぐそこにアインの顔があった。
「一応、聞いておいてもいいですか」
尋ねるや否や、ヴィゼルの尾が二人の真横に。
だがそれも断たれる。気が付くと断たれたはずの剛腕が再生していたことで、アインがほんの一瞬だけ眉をひそめた。
「ああ」
アインの返事を聞いたクリスが「あの!」と大きく言えば、ここでまたヴィゼルの剛腕が迫る。
今度はアインが瓦礫を蹴り、その勢いで剛腕に乗り、更に飛び跳ね塔に向かう。
「――――どういう好き、ですか?」
尋ねられたアインは塔の表面に巨剣を突き立て、それを足場に上に乗った。
「そんなの――――」
『ガキィッ! 調子ニ乗ッテンジャネエゾォッ!?』
アインは巨剣を蹴り、上へ飛翔。
巨剣は彼のそばを離れてすぐに雲散した。
それを見たヴィゼルは壁を這うように、剛腕を右、左と伸ばし、アインを掴もうと上ってくる。
「ずっと隣に居てほしいってことだよッ!」
この期に及んでまだ勿体ぶるかと、自嘲してしまいそうになった。
まだ、心の中でここで言うべきではないと制止で来ていたのか、はたまた別の理由からか。
飛翔をつづけるアインは時に塔の表面を斬りつけ、削り、瓦礫を落とす。
やがて、ヴィゼルの眉間に巨剣を投擲し、貫くことでその巨躯を海へ突き落した。
「っ…………い、今までもそうだったじゃないですかっ!」
いつしか、飛翔していたアインは塔の上層部で木の根を生み出し、それを足場に着地した。
それを狙い、魔物たちが声を上げて近づきだす。
「違う! 今までとと同じじゃないんだッ!」
「何が違うんですかっ! 私はずっとアイン様の傍にいますし、それはこれからも変わりませんっ!」
「そうじゃない! 同じだって思わせてるのは、俺が情けなく時間を費やしたのが悪いんだッ!」
魔物が近づく、アインが巨剣で切り伏せる。
ふと、クリスは自分を抱く力は強いけど、その腕から逃れられそうな気配に気が付いてアインの胸を脱した。
そのまま彼の背に自らの背を預け、迫る魔物をイシュタルを用いて切り伏せる。
使い慣れない剣の大きさに違和感があったけど、気にならなかった。
「騎士としてじゃない! 一人の女性として、俺の傍に居てほしいッ!」
明確な好意の理由と真意を言われ、クリスの頬が更に蒸気。
「俺はクリスが好きなんだ! 一人の女性として、ずっとそばに居てほしいって思ってるッ!」
一瞬でもっと真っ赤に染まり、きょろきょろと辺りを見渡して、二度、三度と短く呼吸を整えて口を開く。
「っ――――こ、ここで言うんですかぁっ!? 私たち、戦ってるんですよ!? ほら! あんなにたくさんの敵がいるんですよっ!?」
共に動きながら、剣を振りながら言葉を交わす。
背を預けたまま木の根の上で回るように、迫る敵を交互に切り伏せながら。
「俺だってそのつもりじゃなかったよッ!」
情けないというか馬鹿みたいで涙が出そうだ。
待たせたあげく、こんな告白なんてどうかしてる。
でも、背を預けたクリスは違った。
彼女は隠し切れない胸の高鳴りを感じながら、そしてここでの告白に驚きながら不満そうではない。
頬は密かに緩み、これが夢でないことを切に願っていた。
――――
海龍騒動からはじまり、何度も何度もアインのために命を預けた。彼が魔王化する前には魔石を捧げるといい儀式を行い、アインのため、胸を貫いてアーシェを復活させるべく決死の覚悟をしたこともある。
だからだろう。
命を預け合う場所での告白に、思いのほか違和感が無かったのだ。
それどころか好ましい。
理論的に気持ちを述べられるよりも、今の方が好ましい。
――――あ、考えたら私の方がひどかったような……。
よくよく思えば、アインに胸の内を告げたときも戦っていた。
今と違って相手はアインだったけど、半ば強引に想いを口にして、唖然としたアインを置いて立ち去ったぐらいだ。
「……えへへっ」
アインの悔悟を知らず、クリスが思わず笑みを零した。
「後で、戦場で気持ちが高ぶってたからだ! なんて言われたら、私、どうなるか分かりませんからねっ!?」
「こんなこと、冗談で言えるわけないだろッ!」
「ダメですよ! なに開き直ってるんですかー?」
「ぐっ……」
アインが更に申し訳なさそうにした。
「まぁ……景色は悪くないですけど……!」
「――――え?」
「え、ってなんです! 景色はそんなに悪くないじゃないですか! ……海沿いに限定すれば!」
町を見たら惨憺としているから、当たり前である。
逆に海を見たら、確かに絶景ではある。
………いい景色かはおいておくとしてだが、その景色も唐突に姿を変える。
「どどど、どうしましょう!? 魔物ばっかりで海が見えなくなっちゃいましたっ!?」
「……ははっ。ああ、分かってるよ」
アインの身体から漆黒の光が満ち溢れ、彼が手をかざすとその色に染まった波動が空を駆けた。
遠くを飛んでいた魔物も、瞬く間に消えていく。
すると、青々とした空が二人が見る海の上に広がった。
「ごめん。出来ることからしておいた」
若干気落ちした声を聞いたクリスは、魔物が居ない隙に後ろに手を伸ばす。
背を預けたアインと手を重ねた。
「なんで落ち込んじゃったんですか?」
「そりゃ……」
「あー、もしかして、自分で言っておきながら、こんな場所でって後悔してるんじゃないですよね?」
塔の下から何かが這いよる音が近づいて来る。
大きなナニカが、勢いよくだ。
「ずっと考えてた。必ず綺麗な場所を用意して話をするんだって」
「……大丈夫ですよ。私は今、すっごく幸せですから」
気遣いではなく、本心からそう思った。
今日まで待っていたのだ。
アインが言うような場所でされる告白だって素敵だろう。
だけど、アインと想いを交わすと思うと、そういう場所で告げられるより、今みたいな方が情熱的だとすら思えた。
他の誰にも同意されないとしても、クリスはこれがいいと考えるに至っていた。
断言できる。
私には、これ以上幸せな告白は思いつかないと。
「代わりに約束する」
ふと、アインが振り向いた。
クリスの身体を抱きよせると、彼女の耳元で言う。
「俺は絶対にクリスを幸せにするから」
アインが手にした巨剣がクリスに迫っていた魔物を切り伏せる。その中にいた一際大きな個体も、投擲された巨剣に貫かれた。
「ふふっ。こういう形じゃないと、約束してくれなかったんです?」
意地悪を言うように。
クリスは手にしていたイシュタルを木の根に突き立て、両手でアインの頬を挟んだ。
「どういう形であれ約束したよ」
「えー……だったら、代わりにって言うのは違くありません?」
言葉の綾というものだが、別にわざわざ言うほどのことじゃない。
ただ、甘えたかっただけだ。
「――――代わりにっていうのなら」
クリスの唇が、つんと前に出された。
匂い立ちそうな美しさが、甘えた態度の可憐さを際立たせる。
それを見たアインは、何も言わずに唇を重ねた。
それは、遠慮なしに。
それは、少し乱暴に。
貪られるように交わされるなか、クリスの両手がアインの背に回された。
どれぐらい、こうしていただろう。
呼吸も忘れたクリスは解放されて間もなく、荒々しく呼吸を繰り返しながら二唐頼を浮かべ、ころん、と首を寝かせてアインを見た。
「約束、ですからね?」
「――――ああ」
頷いたアインを見て満足そうに、幸せそうに微笑んだクリス。
彼女は何の気なしに気が付いたことがある。
「ちなみに、こっちもしてくれる予定でしたか?」
「クリスが良ければ、そのつもりだったよ」
「むぅ……でしたら今のをもう一回、というのはどうでしょう?」
今日ほど見惚れたことはない。
月の女神と称したあの夜以上の佳麗を前に、アインは返事以外の言葉を見つけることが出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇
町の方は思いのほか落ち着いていた。
すべては、水晶の塔に戦力が集中していたことが影響していて、町で戦っていた騎士や冒険者たちも、今では塔での戦いを遠目に眺め、警戒するにとどまっていた。
「あの子も大きくなったものねぇ」
アインの別邸にある庭園で、怪我人の様子を見ながらマジョリカが言った。
「大きくなった、ですか」
その言葉にマルコが答えた。
「クリスよ。昔はセレスの後ろをついて歩く内気な子だったのに、今日の指揮なんか、昔のセレス以上だったわ。マルコ殿も、頼もしく思わなかった?」
「勿論、思いました。アイン様のお傍に立つため――――だけではない、人としての強さを身に付けられた、素晴らしいお方と思います」
「そうよねぇー。だからこそ、さっさと殿下にもキめてほしいのよ」
「それでしたら問題ないかと」
「…………あらん?」
「以前も申し上げたことがございますが、あのお二人なら大丈夫でしょう」
確信めいた言葉はこれまで以上に力強くて、遠くにそびえ立つ塔を見上げるマルコの横顔は優しかった。
「
「はいはい? 何か言ったかしら?」
「いいえ、大したことではございません。――――きっとあのお二人には、今日ぐらい非日常的な方が、よかったのだろうと考えただけですよ」
「非日常……よかった……?」
合点がいかぬマジョリカを置いて、マルコは数歩前に進んだ。
水晶の塔を上っていくヴィゼルの姿を視界に収め、なおも落ち着いた足取りで。
「今日まではアイン様を遠ざけて、どのぐらいの時間で足を運ばれるのか確かめていたのでしょうが」
幾度となくつづいた襲撃について口にする。
「見誤ったのですよ、貴方は」
イシュタリカを、そしてアインの力を。
水晶の塔を上るヴィゼルの末路を予想したマルコは、両手の指で四角の枠を作ると、その中に塔の様子を収めた。
「希少な魔石を欲したのも戦力増強のためだったのでしょうが、残念なことに、そのお方は敵に回してよいお方ではない」
終わりは唐突に訪れた。
塔に上から下へ一本の亀裂が入ったのだ。
爬行して上るヴィゼルは上層部に生えた木の根にたどり着くも、そこで塔の亀裂に比例して、身体を弱々しく震わせているようだ。
やがて――――。
「生きていたら、なんとしても情報を得ねばなりませんね」
塔が中央から真っ二つに割れ、同時にヴィゼルの身体も二つに割れた。これらは眩い黄金の光を放ちはじめ、収まったときにはすべてが消えていた。
――――そして、マルコは確かに見た。
空高くから舞い降りていくアインと、その胸元に居るクリスの姿を。
そして、少し離れた場所で、人間の姿に戻ったヴィゼルが同じく落ちていく様子を見て、マルコは庭園から塔があった場所に足を向けたのである。
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