見舞いと、友の決意と。

 当初、ムートンが運び込まれたのは城の治療所だった。

 でも目が覚めてからというもの、城下町にある貴族御用達の治療所へ移っている。これは彼自身が希望したからだ。



 今日も今日とて多少なりとも正体を隠し、顔を合わせることになる治療師にだけ事情を伝えたアインがやってきたのは、城を出てすぐのことである。



「バカ弟子がいちいち城まで飛んでくるのも面倒だろ」


「どうせだったら、エメメさんも城に泊まってよかったのに」


「そこまで甘えるつもりぁねえよ。殿下が優しいのは知ってるが、こちとら成人したドワーフだぜ」



 心配していたよりも元気そうに笑うドワーフ。

 彼はベッドの端に寄りかかり、鼻ちょうちんを作り締まらない顔で寝入っている弟子を見て笑う。



「婚約者の姉ちゃんはどうした?」


「クローネなら、受付でムートンさんの状況を聞いてくれてます」


「未来の王妃様にまで世話になるたぁな……情けない限りだぜ。――――それにしても、こいつエメメがあんなに取り乱すのもはじめてみたな」



 先日、ヴィゼルが凶行に及んだ日のことである。



「笑い事じゃないですって」


「分かってる。けど、命は拾えたんだ。だったら悲しんでいても俯いてても仕方ねえ」


「――――前々から思ってましたけど、ムートンさんって豪快ですよね」


「んなぁーっはっはっはっはッ! それが俺の――――」



 コン、コン。

 扉がノックされ。



「ムートン様、お静かに」



 白衣に身を包んだ治療師が顔を覗かせて言い、ムートンの肩をすくませた。



「それが俺の強みってこった」



 若干、声の音量を下げて言った。



「しっかしまぁ、いい加減、工房に帰ってもいいだろ」


「そんなに急がないで、ゆっくり静養してくれたほうが助かるんですが」


「ここだけの話だが、飯が薄味なんだ。おかしいだろ、別に病気じゃなくて怪我だってんだから、香辛料の利いた肉を出してくれてもいいはずだ」


「俺からも頼んでおきますから……」


「まぁ待て。これも本題っちゃ本題だけどよ。帰りたい理由が実はもう一個ある」



 ムートンはそう言い、部屋に置かれた細長い鞄を指さした。

 この治療所は貴族も使うとあって、立地が王都であることも重なりそこいらの高級宿と比べてもそん色のない豪華さを誇っている。

 そのため、部屋の片隅に立てかけられていた細長い鞄は特に目立つ。



 取って来てくれ。

 この意図を察したアインはこれまで座っていたベッド横の椅子を立ち向かっていくと、すぐに手にして戻った。



「これは?」


「ガルムの牙だ。誰も居ない工房に置いとくより、こっちに置いてた方がいいだろ」


「――――これが例の」


「最初は城に預けてたんだのを、俺が調べたいってんで無理を言って運んでもらってた。とりあえず、開けてみてくれ」



 従うまま鞄の留め具を外せば、中から現れたのは純白の牙が二本。

 これをそのまま飾っても芸術品と見まがいそうな逸品は、どれほどの値打ちが付くか想像もつかない。



 鞄を開けたアインが思わず触れてしまえば、ふっ――――と、春風に似た仄かに温かい風が舞った。



「俺はヴィゼルに嘘を吐いた」


「嘘を?」


「乱暴な言い方になるが、冒険者には身の丈に合った素材ってもんがある。長い間、世捨て人のような生活をしてきた俺でも、話してりゃ相手の格ぐらい分かるってもんさ」



 そして。



「ヴィゼルはこれがどれほどの逸品なのか、理解してないってこともすぐに分かった」



 アインもガルムの牙がどれほどの逸品かは城で聞いていた。

 実際、過去に数える程度だが、数多の犠牲を出して討伐された記録もあるし、その素材を用いて作られた装備が今世まで伝えた貴族の家系も。

 が、ムートンはそこに新たな情報を。



「ガルムの牙をこの状態で剥ぎ取れた記録は存在しない。俺らドワーフの間でも、おとぎ話のように不可能と語られてきたほどだ」



 曰く、純白の状態と魔力を纏った状態は全くの別物。



「殿下が触れたとき、その牙は殿下の魔力により発火する兆候を見せた。言い方を変えれば、その牙が放てる力は殿下の力ってこった」


「俺が魔力を込めれば込めるほど、炎を発するってことですか?」


「おうとも。今まで剥ぎ取られたガルムの牙も炎を発することはできたが、熟練した魔法使いのそれと同程度が、頭一つ抜けてる程度。生前のガルムが纏う業火に比べりゃ、マッチ棒の火も同然だ」



 だから、活かしきれない。

 しかし、これは活かせる。



「金は要らねえ。殿下のイシュタルをまた強化させてくれ」



 早く工房に帰りたかった理由だが、実はこれが一番の理由だった。



「俺、燃えませんか?」


「ガッハッハッハッ! 世界樹だからってか? 別に大丈夫だろ! 殿下の魔力から生まれた炎なら、殿下には何ともねえよ!」



 心配は要らない。ただ、強くなるだけ。

 唐突な提案に、一瞬呆気にとられたものの。

 断る理由は特に思いつかなかった。



「お金は払います」


「要らねえ」


「駄目です。対価を惜しむことは王家としても好ましくありません」


「勘違いしないでくれ。これは殿下への奉仕ってだけじゃない。仕事を頼むための対価でもある」


「――――ヴィゼルに何かしてくれ、ってとこですか」


「さすが。アイツが別に俺の腹を抉ったことはいいんだ。一億歩譲って許してやらんこともない。問題はうちの馬鹿弟子を怖がらせたことだ」



 長し目をエメメに向けたムートンが彼女のはな提灯を突けば、小気味よく破裂して、彼女はハッとして目を開けた。



「襲撃っすかッ!?」


「違う。寝とけ」


「お、おお~……りょーかいっす~……」



 彼は寝直したエメメからアインに目を戻し、ベッドの上で上半身を起こしたまま深々と頭を下げた。



「絶対に捕まえてくれ。代金はそれでいい。……見てくれや。こいつ、不安であんまり寝られてねえらしいんだ」



 あまり目の当たりにすることはないが、案外、彼は人情に厚い。



(だとしても、元から決まってたからな)



 アインが遠征することは変わらない。シルヴァードに頼まれてからまだ何時間も過ぎていないぐらいだ。

 やはり、代金は払うべきという考えもあったが……。



「分かりました。引き受けます」



 ここであまり食い下がっても悪い。

 別の機会……たとえば、この治療所でかかった費用を何らかの名目で肩代わりするなど、細かな場所で返すとしよう。



「助かるぜ。そうと決まれば話は早い。明日から殿下の剣を強化していくから、さっさと工房に帰って支度をしねえとな」


「――――あ、そっか」


「なんだ、そのきょとんとした顔は」


「考えてみれば、ムートンさんは工房に戻らないといけないんですよね。俺たちの間で勝手に決めてましたけど、さすがにまずいんじゃないかと」


「…………殿下の口添えでどうにかならねえか?」


「治療師が許可を出さない限り、俺も口添えする気はないですよ」


「んなッ――――!? は、話が違うじゃねえか!」


「それとこれは話しが別ですって」



 いざとなれば別の形で彼が納得する話にすればいい。

 アインが妥協案を模索しはじめたところへ、ドアがノックされて先ほどの治療師が足を運んだ。



「ムートン様。傷の確認をするお時間です」



 やってきた治療師はアインの前で膝をついてから。

 ベッドのムートンへ近づき、横っ腹の傷口を診はじめる。



「治療師の姉ちゃん」


「はい。どうかなさいましたか?」


「今日で退院してもいいか?」


「え、ええー……また急に聞くじゃん……」



 驚くアインを傍目に、治療師はあくまでも冷静に。



「この様子なら問題ありませんよ。ただ、ご自宅にいくつか治療用の魔道具を運ばせていただきますが、よろしいですか?」


「――――え!? いいの!?」



 思わず声を荒げたアインはそのことに申し訳なさを抱くが、驚きはどうしてもかき消せず、治療師へと詰め寄った。

 すると、治療師は慌てて膝を折る。



「貴族の方にも多いのです。住み慣れたお屋敷で療養なさりたい方は過去にもいらっしゃいましたので、私どもとしては、出来る限り柔軟に対応できるよう努めております」


「も、もう、ムートンさんの傷は大丈夫なの?」


「最新鋭の魔道具に加え、薬を用いての治療をして参りました。全治まであと二週間は様子と思われますが、ご体調も安定しておりますので、問題らしい問題はございません」


「よっしゃあっ! 肉だ! 肉もいいんだろ!?」


「あまりご無理はなさらぬようお願い致します」



 そうと決まれば話が早い。

 ムートンは腹を抑えながら立ち上がり、さっさと帰宅の準備をはじめてしまう。



 アインから見れば、呆気にとられる光景だ。

 確か、腹を大きくえぐられ風穴まで出来ていたというのに、こうも早く動き出すことが出来るのだろうか?



「ドワーフの方を診る機会は少ないのですが、彼らは回復速度が速いので、我ら治療師としても安心していました」



 呆気に取られていたアインへ、治療師の女性が言った。

 それにしても上部すぎやしないかと考えたのも一瞬、アインは「ムートンさんなら」と声に出さず呟いて、やがて目を覚ましたエメメに事情を説明したのであった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 もう、夕方か。



 慌ただしい一日を送るアインが次に向かったのは、城の大広間近くにある一室だ。

 これから来客が来るとあって、先に足を運んでソファに座っていた。



「あのドワーフが言っていたのは間違いよ」



 と、急に背後から腕を回してきたシャノンが言った。




「間違いって、どのことが?」


「あの素材がはじめての逸品って話。だって、最初に手にしたのは私だもの。逸品に違いはないけどね」


「もしかして、ガルムのことを魅了した?」


「うん。って言っても、私じゃない私が生まれてからのことだから、厳密には違うのかも」



 アインもアインで頭の中で整理する。

 間違いの無いよう考えるなら、シャノンが言う私じゃない私というのは、彼女が暴走したとに生まれた別の自分だ。

 ようは、精神世界で出会ったシャノンの心が破壊された後のことだ。



「だから、彼が言うように良いことばかりじゃないことも知ってるわ」


「俺の剣を考える通りの強化は出来ないってことかな」


「そういうこと。預けた剣が予定通りに強化されるとは思わない方がいいわ。ただ、ガルムの魔石も溶かして素材にすれば大丈夫だと思う。アレ、兵器として使うとスゴイんだから」


「魔力に任せて炎と爆発が馬鹿みたいに広がるとか?」


「…………つまんない。こういうのは、私が言うまで予想しなくていいの」



 彼女は不貞腐れながら教えてくれた。

 仮に、ガルムの魔石を魔石砲で使う弾にすれば、放たれた先が人寄らずの幽谷ならば、数分もあれば焼け野原であろうと。



 ――――それから。

 しなやかな指先をアインの首筋、胸元に這わせ。

 蠱惑的で、艶やかな吐息交じりに。



「ぎゅってしてみてもいい?」



 まだ小柄な体躯をしたアインの耳元で囁き、彼の首筋に柔らかなものを押し付けた。



 もうしてるじゃん、とは言わない。

 言えば、こんなもんじゃないと返されるのが落ちだろう。



 どうしてそうしようとしているのかは、恐らく小柄なアインに愛嬌を覚えたからであろうが、この傾城さは小柄な異性に向けるものではないはずだ。

「いいよ」こう返すだけで蜘蛛の巣に掴まった餌が如く、でも甘美で、逃れられない蜜に浸る耽溺たんできに身を包まれるのは必定。



 そこへ、頃合い良く。

 そこへ、頃合い悪く。



 二人の脳裏を掠めたのは対照的なそれで、来客がドアをノックしたのである。



 彼女がふっと首元から離れて行き、アインはその彼女へ振り向いた。

 そこに居る彼女は艶美な唇に人差し指を当て、婀娜っぽさを仄めかしながら、優美な華のように佇んでいた。



「――――残念。時間みたい」


「とりあえず、また話そう」


「ええ。今夜にでも」


「…………」


「嫌なの?」


「そういうわけじゃなくて、予定まで立てるなんて珍しいって思っただけだよ」


「小さいアインを見ていられるのはあと少しなんでしょ? だったら、早いうちにしておかないとダメじゃない」



 異論を述べるより先にさっさと消えられてしまい、何も言えず仕舞いのアイン。



「失礼します。アインく――――あれ? きょとんってしてるけど、どうかした?」


「いや、何でもない。自分の弱さを実感してただけ」


「うん…………? ボクはアイン君より強い人を知らないけどなあ――――あ、そうだ! 妖精蟲の子なら、もう僕の研究所で預かってるよ! シエラが面倒見てくれるらしいから心配しないで! 人懐っこくて助かったよ!」


「ん、りょーかい。こっちこそ協力してくれて助かった」


「いえいえ、いつもお世話になってるからね」



 人懐こい笑みを浮かべて歩き出したロランはアインの対面に腰を下ろし、こほん、と咳払いを一度だけ。

 居住まいを正すと、口を開き。



「ボクも人寄らずの幽谷に同行しようと思ってる」



 と口にした。



「さっき、陛下にも相談させていただいたんだ。陛下からは危険だって言われたけど、万が一、妖精蟲の素材が手に入らなかったら、バハムートの完成がいつになるか分からない」


「ロラン。確かにバハムートも大事だけど、ロランの命はもっと大事だ」


「あははー……それ、王太子なのに遠征するアイン君が言う?」


「うーん……そう言われると弱いけど」



 ただ、アインは戦える。それも、イシュタリカの誰よりも。

 ロランはそれをできないから、危険であることは変わらない。



「心配しないで。ボクはなるべく外に出ないで、飛行船の中に居るよ。いざとなったとき、素材だけ回収して逃げられるようにするように――――って、陛下にも厳しく言っていただけたからね」



 矢継ぎ早に言い終えたロランは息を吐き、用意してあった茶を一気に呷った。



「あと、ボクにとってバハムートはもっと大切なものだよ」



 彼は今までアインに見せたことがないような、煌めいて、強く、気高い瞳を向けて真っすぐに言う。




「バハムートは、ボクのすべてなんだ」




 研究者として、アインの友として。

 多くの立場の中にあって、命と同等の価値があると。



「アイン君にも譲れないものがあるように、ボクにとってのそれはバハムートで…………! ああ、ごめんっ! 急に偉そうなこと言って……っ!」


「…………ごめん、軽率なことを言った」


「ううん、違うんだ! ボクもボクなりにちゃんと覚悟してるってことを分かってもらいたかっただけで…………!」



 当然、シルヴァードだってバハムートの価値を分かっているから折れたのだろう。

 まだ建造途中にあるバハムートは、設計段階でもリヴァイアサンの遥か上を行く性能だ。今後のイシュタリカにとって、どれほど重要な存在になるかは言わずともわかる。

 それに、アインにはもう一つ気が付かされたことがある。



(もう、俺たちは子供じゃないんだ)



 それは自分も、ロランも。

 同年代や他の大人たちと比べても遥かに濃密な日々を過ごしてきたアインは達観していたこともある。

 だが気が付くと、卒業してからの同級生たちも劣らず成長を遂げていた。



 そこに譲れないものもあるのなら、無用な口出しをするのは失礼にあたる。



「ロランが居てくれるなら、もし素材を見つけても安心だよ」


「ッ――――もちろん! 素材のことなら任せておいて!」



 より一層、アインの心が引き締まる。

 人寄らずの幽谷に着いてからのことを想い、必ずやヴィゼルを見つけ出すと心に決めて。





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