遠足を思い出しながら。

 研究所への伴はディルが。

 マルコも来たがったが、彼にはアーシェのそばにいてもらった方が良いとアインが告げ、応じたマルコは城に残った。



 一応、今のアインの身体状況を公にするべきではない。

 強く緘口令は敷いていないが、わざわざ知らしめることではないとあって、今のアインは簡易的にローブを羽織り身を隠していた。



「研究所はあちらの方ですので、このままムートン殿の鍛冶屋へ向かう通りに向かいます」


「貴族街の方じゃなかったんだ」



 冷静になって考えてみれば、研究所のような建物を貴族街に建てられるわけもない。場所がなければ、安全性の面でも向いていないことは分かり切っていた。

 また、アインがその場所を分かっていなかった理由は単純だ。



 今日に至るまで、王都に新設された研究所に足を運んだことがなかったからである。



 それからも歩きつづけること十数分。

 ようやくたどり着いたその先は、ムートンの鍛冶屋から数分の場所だった。



 思っていたよりも広い敷地面積は一般的な民家が数十軒分はありそうなほど広く、中央に鎮座した天球上の建物から幾本ものパイプが所狭しと伸びている。

 野外に設置された巨大な魔道具群に気を引かれていたところへ、ふと。



「お! アインじゃねえかッ!」



 研究所の出入り口と思しき場所から声がした。

 アインを呼び捨てる者は極僅か。

 しかも、豪快な声でそうするとなれば数人まで絞られる。



 目を向けると、そこに立っていたのは二人の旧友だ。



「バッツ殿のようですね」


「隣にレオナードもいるし、どうしたんだろ」


「護衛官として、近衛騎士として彼の言動を咎めるべきか迷いましたが、幸い他の誰も聞いていなかったようですから、厳重注意に留めておきます」



 こればかりはどうしようもなく、アインも苦笑して「お手柔らかに」と頼み込む。

 彼はその後で歩き出し、二人の旧友の傍まで向かって行った。

 すると――――。



「がっ……痛ってぇな!?」



 突然、レオナードがバッツの額を強く叩いた。



「馬鹿者が。殿下は我らに寛大な態度をお許しくださっているが、公の場で、しかも呼び捨てで叫ぶことを許してくださっているわけではないぞ」



 それを見たディルがふっと笑った。



「どうやら、私が注意するまでもなかったようです」


「二人とも昔から変わらないね」



 同じく笑ったアインがディルの一歩前に進み、旧友たちの前に立った。

 軽くバッツの様子を見てから、彼の額が紅く染まりはじめたのを見て苦笑すると、今度はレオナードに目を向けた。



「ごきげんよう、殿下。……しかし、父上から聞いていましたが、まさか本当にお身体が以前のお姿になっていたとは。というか、バッツはよく殿下だと分かったな」


「んなもん、ディル護衛官が意味深に連れてるローブの男となりゃ、アインぐらいだろ。――――それにしても、不思議なこともあったもんだ」



 バッツがまじまじとアインを見た。

 傍から見れば、若返りどころではないとあって興味の対象だ。

 なのに、彼はおもむろにあっけらかんと言う。



「ま、考えてみりゃ、アインはいきなりでっかくなって登校してきたこともあるし、その逆と思えば大したことねえか!」


「いや、あるだろうが」


「そうか? どっちにしろアインはアインだろ?」



 変わらぬやり取りを聞いてから、アインに代わってディルが念のために口止めを。

 アインはその後で口を開く。



「二人はどうしてここに?」


「この男と会ったのは偶然なのです。私は法務局の仕事があり足を運んだのですが……」


「俺はロランに呼ばれたからだぜ!」


「実は俺も呼ばれてきたんだけど、ほんと偶然だね」



 図らずも四人が揃えることになったことが嬉しくて、頬が緩む。

 二人も同じく。そして、控えていたディルの表情も穏やかだ。



「んじゃ、早速行こうぜ」



 と、バッツが口にした刹那。

 研究所の出入り口が自動で開かれて、白衣に身を包んだロランが現れたのである。

 彼の表情は、疲れに染まっているのが一目でわかる。



「久しぶりの日光が身に沁み――――っとと! みんな来てくれたんだね!」


「やぁ、ロラン」


「急にごめんね、アイン君! それにしても……懐かしいなー。今のアイン君を見てると、昔を思い出しちゃうよ」



 先ほどの二人と同じように驚いたロランは、つづけて「今日は他の研究員が居ないから安心して」と言葉を添えた。



「――――あれ? レオナードはどうしてここに?」


「私は別の仕事があって来ただけだ」


「あ、そうだったんだ。でもいいね! こうやってみんなで一緒なのって久しぶりだし!」


「ロラン。早速だけど俺とバッツを呼んだのって?」


「そのことだったら……立ち話も何だし、中で話そっか。ボクの部屋まで案内するから、少しだけ移動しよう」



 日光を浴びて喜んでいた彼に案内させるのは皆、一様に気が引けた。

 でも、笑う彼を見ると案外問題ないようにも思えてくる。



 その証拠に、歩き出したロランの後姿を見れば、彼の尻尾が楽しそうに左右に揺れていた。



 こうしたとき、感情の起伏が分かりやすいのは羨ましければ、自分だったらバレてしまうのが少し恥ずかしいかも、と考えさせられる。



「うわ、すっご」



 足を踏み入れて開口一番に感嘆したアイン。

 外から見た通り広い研究所内は、黄金航路が所有していた地下研究所と比べてもそん色なく、ただ広さが違うぐらいであった。



「な、なぁロラン! あのでっかいガラス瓶は何をしてるんだ!?」


「あれは魔物の外殻を――――させて、合金を――――することによって――――従来の加工では出来なかった――――」


「分かった! もういい! 何言ってるのかぜんっぜん分からねえよッ!」


「ようは、人工的にすごく硬くて軽い素材を作ろうとしてるってことかな」


「おおー……急に頭が良くなった気がするぜ」


「勘違いだぞ。馬鹿者が」


「うるせえ……少しぐらい浸らせろや」



 ときに笑いを交え、ときに興味深い話を交え。

 一行が進んだのは最奥にあった昇降機。

 乗り込むと、地下に移動するため動作を開始した。



「ところで、バッツ君」



 おもむろにディルが口を開く。



「はっ!」


「そう硬くならなくていいんだが、先月は昇級試験があったはず。バッツ君も参加していたと聞くが、もう結果が届いた頃だろう?」



 ここで昇級試験の言葉が意味するのは、文字通り騎士の階級におけるものだ。

 近衛騎士と通常の騎士の間に階級が他にないわけではない。当然、いくつかの等級を経て、近衛騎士の頂まで到達することが出来る。



「合格でした! っていっても、連絡を受けたのは今朝なんですが」


「おめでとう。順調に近衛騎士に近づいているじゃないか」


「ほう、やるじゃないか」


「すごいね! さっすがバッツ!」


「そう褒めるなって。考えてもみろよ、目の前にいる人が何歳で近衛騎士になったと思ってんだ」



 照れくさそうにしつつもディルを見たバッツに、対するディルが肩をすくめた。



「比較することも大事かもしれないけど、バッツが頑張ったのは変わらないって」


「…………王太子殿下直々に褒められるなんて、得した気分だな」



 けどよ、と。

 バッツが話を戻す。



「で、ディル護衛官が近衛騎士になったのが何歳か、アイン以外の二人は知ってんのか?」



 少しの間考えていた二人だが、安易に答えることもなく小首を傾げた。

 やがて腕を組んでうんうん唸っていたが、答えが出ない。

 実際、近衛騎士になったからと言って、それが民に知らせられるわけではない。それに加えて、ディルの場合はグレイシャー家の嫡男ということもあり、曖昧な時期もあったからだ。



 しかし、バッツは知っていた。

 学生時代、誰よりも目標にしていたディルの強さを。



「王立キングスランド学園を卒業と同時だ。今の俺だって、まだ当時のディル護衛官に劣ってんだから、ここで喜んでばかりはいられないって話だろ」



 ディルは才能に富んだ少年だったし、才能に劣らぬ努力をつづけた。だから、幼くして近衛騎士になれた。

 その裏では、元帥ロイドの厳しい躾けや訓練が会ったことも忘れてはならない。



 ――――チリン。



 話の最中ではあるが、一行を乗せた昇降機が目的の階層に到着した。



「赤龍勲章に負けないぐらい、強くならないとな」



 この話の最後は、強い決意を語られたことで終えられる。

 耳を傾けていた皆はその決意に心強さを覚え、一様に応援の言葉を投げかけたのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 足を進めた先にあったのは、あり触れた居住空間だった。

 一見すれば、窓のないただの民家。

 特に豪奢なわけでもない、特筆すべきは魔道具が多いぐらいの普通の場所。



 そこで、皆が席に着いたところで。

 ディルが妖精蟲の情報をまとめた紙を先に手渡し、少しの間、静寂が皆を包み込む。



 ――――やがて。



「少し考えてたんだけど、ボクも一緒に行ったほうがいい気がするんだ」



 ロランがやっぱり、と言わんばかりに口にしたのである。



「一般的に、生魚を常温で保存してるとすぐに腐る。これと同じで、この妖精蟲――――っていう魔物の素材も、その傾向がある素材なんだ。あくまでも統計上の話だけどね」


「もしかして、ロランが俺を呼んだのって」


「うん。仮に素材を取ってきてもらっても、それが使えなくなってたら申し訳ない。だからボクが一緒に行けないか、道を模索するために話がしたかったんだよ」



 この場合、人寄らずの幽谷に一緒に行くべきという話になる。



「バッツを呼んだのも、似た相談があったからなんだ」


「お、おう?」


「バッツのお父さんがいる辺境都市に、一度足を運んで調査できないかなって思ってて。けど、アイン君が調べて来てくれた話があれば大丈夫。……ごめん。せっかく来てもらったのに、一人で完結しちゃって」


「気にすんなよ。ここに来て、面白いもんも色々見れたしな」



 豪快に笑い飛ばすバッツには何処かロイドに似た男気が垣間見えた。

 何度も謝罪したロランが頭を上げたのは、数十秒のことである。



「なら、バッツ君も一緒に行けばいい」



 そこで、急に。

 予想だにしていなかった人物から、予想だにしていなかった言葉が発せられた。



「ディ、ディル!?」


「申し訳ありません。アイン様。これはまだ確定の話ではないのですが――――」



 そもそも、人寄らずの幽谷は広い。アインは少人数で捜索予定だったが、間違いなく不可能であるほど広いという。



 森や坂、谷に川。

 深い霧に加え、安定しない天候。



 妖精蟲の巣を捜索するのに時間を要するのは必定。

 となれば、この場にアインも加わるなら少人数で行くのは避けたいところ。アインの時間は有限で、今みたく自由にできる時間が何か月もつづくわけでもないからだ。



「父上も同じことを考えていると思いますが、今回の捜索では、騎士を動員するべきです」


「ああ、だからバッツもってことか」


「け、けど……俺は近衛騎士じゃないんですが……」



 すると、ディルが居住まいを正した。

 双眸を鋭く細めて、バッツを見る。



「どうして妖精蟲の素材が必要なのかは分かっているはずだ」


「…………はっ」


「これはイシュタリカのため。そして、アイン様のため。我らの未来のための、大切な仕事であることを忘れてはいけない」


「も、勿論です!」


「つまり、近衛騎士だろうが普通の騎士であろうが、誰しも等しく遠征することになる可能性があるということだ」



 別に命を賭けろと、死地に迎えというわけではない。

 だとしても、ディルの言葉は強く、ある一つの結論に向かって言い聞かせられる。

 ――――それは。



「安全な任務だけが仕事じゃない」



 危険が付きまとう仕事をしてこそである。

 何のために腰に剣を携え、何のために騎士を志したのか。

 すべては、王家に仕え、イシュタリカに仕えるため。



「それと、バッツ君は自分では未熟だということを危惧しているようだが」


「は、はっ! 足手まといにならないか心配してましたッ!」


「問題ない。気にしなくて構わない。一応、危険度で評価するのであれば、魔物の精強さは旧王都付近の方がよっぽど上だ」


「ディル……あそこと比べるのはどうなのかなーって……」


「しかしアイン様。近衛騎士を目指すのであれば、ここで気が引けていては務まりません」


「どういうこと?」



 尋ねると、ディルの頬が引き攣った。

 昔の辛い記憶を呼び覚まし、僅かに呼吸も乱れる。

 そう、近衛騎士になるには必要なことがあって。



「近衛騎士となるための試験ですが、近年は冒険者の町バルト付近の山岳で行われております」


「――――はい?」


「通常、一流の冒険者たちが一週間かけて登頂する道のりですが、試験中は十日で登頂、下山までをこなさねばなりません。それと比べれば優しいかと」


「いや、わけが分からないよ」



 上りだけでなく、下りも計算に入れるとは恐れ入った。

 さすが最上級の騎士の集まりといったところか。

 アインの傍に座ったバッツの顔が青ざめてしまう。

 けど、その対面でそれを見て笑うロランが「あっ!」と声を発した。



「遠足のときみたいだね」


「言われてみれば確かに。殿下、ロランが言ったように、学生時代を思い出しませんか?」



 あれも中々に思い出深い催し事だった。



「ディルが引率って考えると、まるっきり同じわけだ」


「当然、私も騎士に指示を出す立場となりますので、バッツ君からしてみれば同じかもしれません。――――どうだろう。騎士はアイン様と別行、、、、、、、、、、動だと思うが、、、、、、……」


「行ってもいいのなら、是非」


「分かった。もし、父上やウォーレン様がお決めになられたら、バッツ君にも声を掛けよう」


「心配ないって。他に騎士もたくさんいるみたいだし、ディルの他に、今回はもう一人引率が居るしね」



 きょとんとした三人へ、アインが笑って告げる。



「アーシェさんが来てくれたし、戦力はばっちりだよ」



 それを聞いた三人は心強さを覚えたと主に、身を震わせた。

 これは決して恐怖によるものではない。

 畏敬の念と、驚き。

 それと……やっぱり、少しは畏怖していたかもしれないが、些細なことだろう。




◇ ◇ ◇ ◇ 



 申し訳ありません。

 先ほど、暗躍無双の方で間違えて更新しておりました……。

 お騒がせいたしました……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る