予定外の協力者。
クローネたちと合流した日の夜、アインは魔王城の謁見の間を訪れていた。
遥か昔、この地が王都として繁栄していた頃には多くの戦士たちが詰め寄せていたこの場所に、今はかけがえのない家族たちだけが集っていた。
アインはここで、ついさっき決めたばかりのことを口にする。
「予定より早いですが、明日には帰ろうと思ってます」
足を運んだ理由は妖精蟲について尋ねることと、ロランが欲していた魔物の素材に心当たりがないか尋ねるため。
現状、この両方が解決したと言ってもいい。
正確には、アインが妖精蟲を親元に帰したことで解決となるのだが、既に必要な情報は得られた。
(もう少しゆっくりしたかったけど)
先ほどの声を聞いたカインとシルビアがアインの顔を見てその感情を察する。
口にすれば名残惜しくなるから、口にはしない。けれど、これが今生の別れではないし、再会の経緯を想うと心強かった。
「いつでも帰ってこいよ」
「私たちも、また近いうちに王都に行くわね」
だから、これぐらいでいい。
またすぐに会えると分かっていたから。
「ありがとうございます。……アーシェさん、急に来たのに色々とお世話になりました」
「ダメ」
「俺も近いうちにまた――――って、今なんて言いました?」
「ん。ダメって言った」
「…………」
聞き間違えではなかったらしい。
玉座の上で膝を抱いて座るアーシェはぷいっとそっぽを向いて、アインの反論を一言も受け付ける気はないといわんばかり。
気持ちは分かる、こう前置きをしてシルビアが咎めるが。
「勘違いしないでほしい。ダメって言ったのは私がこの子と一緒に居たいだけじゃなくて、れっきとした理由がある」
「言ってごらんなさい」
「人寄らずの幽谷に行くなら、現地の道案内が居る」
「――――アイン君が帰るのが嫌だったんじゃなかったの?」
「私には何のことか分からない。私は大人だからそう簡単に寂しくなったりしないもん」
「シルビア。こいつ、どうせ思い付きで言ってるだけだぞ。だから言葉に齟齬が生まれているらしい」
「そうみたい。帰っちゃうなら、せめて一緒に行きたいって考えたみたいね」
「…………人はそれを邪推と言うもん」
開き直るにも開き直りきれず。
あっさりとバレてしまったアーシェは胸元で腕を組み、
だが、彼女の仕草を見てカインとシルビアは仕方なそうに。
意外にも、肯定的だった。
「言葉だけ聞くと、悪くない気がしてきたな」
「私も。現地で道案内をするっていうのは賛成」
「そりゃ、俺たちも助かりますけど……初代国王に道案内をさせるって、色々とどうなんです?」
「本人がそうしたいなら気にするな。こき使ってやれ」
「だそうよ。良かったわね、アーシェ」
隠し切れない喜色に頬を緩めたアーシェは満足げだ。
胸を張り、玉座の上で足を揺らして陽気。
「ふふん。仕方ないから手伝ってあげる」
「調子に乗るな。ちゃんと道案内をしてくるんだぞ」
「ん、任せるといい!」
緩い。なんて緩いんだろう。
(でも)
カインとシルビアの二人は来ないのだろうか。
気にしたアインが顔を向けると。
「俺たちのことは気にしないでくれ。アーシェだけで十分だろうし、全員が魔王城を離れるのもできれば避けたいんだ」
「お兄ちゃんたちは夫婦水入らずでゆっくりするといいよ」
「はぁ……だから調子に乗るなと……」
つづけてシルビアが言う。
彼女もアインの言葉を受けてかアーシェを止めるつもりはなくて、代わりに彼女が迷惑を掛けないか心配をしつつ――――。
「私がお手紙を書くから、アイン君のお爺様に渡してくれるかしら」
こう口にして、アーシェの同行が本格化したのである。
◇ ◇ ◇ ◇
結局、魔王城を離れたのはアインの提案通り。
翌日になって冒険者の町バルトから王都に向かったアインが次に王家専用水列車を降りたのは、更に一日が過ぎて昼を過ぎた時間帯だ。
久しぶりに魔王城を出たアーシェは水列車内でも楽しそうだった。
移り変わる景色を車窓から眺め、じっと眺めていたぐらいだ。
そんなアーシェだが、魔王だ。
アインが言っていたようにイシュタリカの初代国王で、近年まで初代国王と思われていたマルクより、更に早く建国をした存在だ。
言い換えれば、王城に住まう者からすれば最大級の賓客に他ならない。
「――――どなたか、ベリア様をお呼びしなさい」
城に戻ってすぐ。
何故かアーシェが連れられてきたことに驚き、でも、冷静にそう指示をしたマーサ。
荷が重いというわけではない。
歴史を鑑みて、アーシェの相手をするには城一番の給仕であると判断したからだ。
「アーシェ様。ようこそお越しくださいました」
「ん。急に来てごめんなさい」
「とんでもございません。我ら使用人一同、アーシェ様を歓迎致します。さぁ、長旅でお疲れでしょう。甘いものでもご用意致しましょうか」
しかし、マーサはアーシェが胸元に抱く小さな生き物に注目していた。
なんだろう。あの、小さなクラゲのような生き物は。
足が動いているからぬいぐるみでは無さそうだ……と考えるも、まずはアーシェ自身への対応を先にと話を進め、アインに目配せをして立ち去って行く。
すると、そこへ入れ替わりにやって来たのがロイドである。
「お戻りになられる頃にはお身体も回復していると思っていたのですが」
「妖精蟲の子供に懐かれちゃって。一緒にいる間はこのままって思ってた方がいいらしいよ」
「む……妖精蟲とは?」
あちらで聞いた話を要約し、説明すること数分。興味津々な様子で頷いたロイドの表情は、神妙だったり高笑いしたりと落ち着きがなかった。
しかし、アインが関わっていると意外にも納得できる。
「生体を連れてくるとは思いませんでしたぞ」
「一応、城の人に影響が出るほど大きな個体じゃないって聞いてる。俺の場合、既に影響が出てたから、幼体でも一緒に居たら元に戻らないって話みたい」
「ふむ。ご不便はありませんか?」
「ないって言ったら嘘になるけど……」
「それでは、城ではない場所で世話をするのがよろしいかと」
「その案も考えた。でも、これから親元に帰すって考えたら変わらない気がしてさ」
「お、親元に帰す……?」
考えれば、これからその許可を取らなければいけない。
……シルヴァードに聞いたらどう答えるだろう。
「父上」
これまでアインの後ろに控えていたディルが口を開いた。
「ついさっきアイン様が仰ったように、妖精蟲の成体は人寄らずの幽谷の方角に向かっていたそうです。しかしながら、かの地はあまりに人の出入りが少なく、今も情報が少ない地ですので。アーシェ様がいらしたのは、アイン様をご案内するためなのですよ」
「分からないでもないが、陛下は――――いや、最近の陛下であれば……」
許可するだろう、と皆が考えていた。
今回に至ってはアーシェも居る。
常日頃から、イシュタリカでも有数の戦力が集まるアインの周囲であるが、そこにアーシェも居るとなれば話がまた変わってくる。
生活の質を考えないのなら……。
仮に平時であっても、下手をすれば王都に居るより安全かもしれない。
「私も人寄らずの幽谷には行ったことがありませんが、飛行船で行かれるおつもりですな」
「そうそう。水列車も通ってないって聞いたし」
「すべては陛下のお答えししだいと言ったところで」
「父上。先にクローネ様がご相談に参る手はずとなっておりますよ」
「ああ。まずアイン様より、というご判断か。そのほうが陛下のご心労も少なくなりそうだ」
(…………)
身から出た錆。自業自得。
いくら活躍しても、英雄と呼ばれようとも、表裏一体となるアインの性格は隠しきれていないこともある。
先ぶれを出すのにクローネはうってつけだろう。
「それで、そのクローネ様はどちらに?」
「既にクリス様を連れて先に陛下のお傍へ」
「道理でな」
「二人が頼もしくて助かってるよ」
「我ら臣下とて同じことでございます。将来についても、これまで以上に期待させていただきましょう」
「ええ。父上の言う通りです」
意味ありげな言葉を口にして、ロイドが「それでは」と頭を垂れた。
すぐに背を向け、歩き出す。
アーシェの来訪で彼も騎士たちに連絡をするつもりだったのだが、歩き出した足はすぐに止まり、数秒と立たずにアインの前に戻った。
「失礼。お伝えし忘れていた事がありました」
「俺が居ない間に何かあった?」
「はっ。特に問題ということではございませんが、アイン様が戻り次第、一度お会いして話したいことがあるとロラン殿から連絡がございましてな。恐らく、黒龍艦バハムートの件でしょう」
「分かった。俺から連絡しとくよ」
「聞くところによれば、いつでも研究所に来ていただいて構わないとのことでしたぞ」
(ってことは、王都の研究所に居るのか)
みだりにアインの姿を晒すわけにもいかない。
となれば、馬車に乗るべきだ。それも、アインが乗る馬車と思われないような、なるべくあり触れた馬車の方がいい。城にもそんな馬車はいくつかあるし、ホワイトローズ駅から戻ったときのようにすればいいだけだ。
「ディル」
「今から行かれますか?」
「そうしようかなって思う。どうかな」
「よいのではないかと。陛下にご説明に上がるにも、帰るまでにクローネ様が提案なさっていたように、まずはクローネ様とクリス様のお二方に任せる方が良いですし、アーシェ様もベリア様がお傍につくのなら心配はいりません」
つまり、今のアインが急いでするべき仕事はない。
逆にロランの件を片したほうが有意義である。
――――だから。
「ってわけだから、ロイドさん」
「はっ。承知致しました」
まずはロランの下に行き、用事とやらを聞いてみることにしたのだ。
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