慌てた狼男
「――――平和だ……」
なんてことのない休日。
アインは王都の一角にある園生に足を運んでいた。夏の木々を彩る青々とした葉と、その合間を縫って注がれる陽光。
うっすら額に浮かんだ汗を拭うアイン。
小さな子供たちが遊ぶ様子や、散見されるベンチに腰を下ろした大人の姿。
その中で、同じく一人ベンチに座るアインが空を見上げた。
「何してるんです?」
すると、ベンチの背から顔を覗かせたクリスを見上げた形になったのだ。
「や、平和だなーって思って」
「ですねー……最近はシュゼイドの件も落ち着てきたみたいですし、確かに平和な気がします。――――あ、飲み物、買ってきましたよ!」
彼女はそう言って隣に座り、出店で買ってきた飲み物をアインに手渡した。
中は冷たい果実水だ。
こんな暑い日飲むにはうってつけだった。
アインはそれを口に含み息を吐き、何の気なしに隣に座るクリスに目を向ける。
彼女も休日とあって、いつもの騎士服ではない。
オフショルダーの服から覗く白い肌は眩しい。膝の下までのスカートからは、僅かに細い足元が見え隠れしていた。
何とも夏らしく、園生の景色に良く映えている。
持ち前のスタイルの良さも相まって、一枚の絵画のようだった。
――――二人は言葉を交わさず、少しの間そのまま過ごした。
次に口を開くのは、飲み物があと僅かになってからだ。
「あれから一か月ですね」
復興は順調だ、とラジードから届いた手紙に書いてあった。
最近では漁に出ることも多く、魔物が少ないこともあり大漁つづきだそう。
近々、あの大通りが他の箇所に先んじて復興を終えるらしい。
思いのほか早くて驚いたことを、アインはよくよく覚えていた。
「あっ、そうだ! ラジードさんって、ほんとに二号店を出されるんでしょうか……!」
「まだ確定じゃないって書いてたよ。けど、王都の土地はもう買ったみたい」
「ふふっ。それって、確定みたいなものじゃないですか」
「俺もそう思う。……よし、そろそろ行こっか」
飲み物が無くなったところでアインはベンチを立ち、クリスに手を差し伸べた。
二人は園生に置かれたくずかごに入れ物を捨て、手を重ねて歩き出す。
……平然としているが、決して二人の正体がバレていないというわけでない。
近づいてみると、身を包む服の生地の良さは分かるとしよう。
けど、意匠は目立たず、城下町に溶け込んでいた。
気が付くとすれば、二人が放つ存在感に惹かれてか。
他には、すれ違いざまにアインかクリスに見惚れた者が、その顔立ちを見てハッとしたときだった。
(意外にどうとでもなるもんだなー……)
というのも、こうして城下町に繰り出すことがだ。
昔を思うとあり得ないが、実際、シュゼイドの騒動以降は特に自由にできる幅が広がったように思える。
すべては、シルヴァードが問題ないと判断したからでもある。
それにアインがクローネやクリス、他にはオリビアの時もあるが、彼女たちと城下町に繰り出したところで、問題らしい問題があるかという話もあった。
関係はすでに大っぴらに広まっているし、公然の秘密と言っては昔から変わらず。
昨今は、以前に増してクリスとの仲が深ったようだ――――と、密かに語られる程度の話なのだ。
「何もない方が普通じゃない感じがしてきた」
「…………唐突に不穏なことを言わないでくれませんか?」
「だってほら、ここ最近はずっとあんなだったし……。念のために捕捉しとくと、何か起こってほしいって思ってるわけではないよ」
「当たり前です。思ってたらこのまま逃がさないで、お城に帰ってましたからね」
会話を建前にクリスが指を絡めた。
そのまま、もう一方の腕も伸ばした。アインの手に身体を委ね、また少し距離を近づけたまま歩き出す。
夏の熱さのせいか、距離が近いと更に熱を感じる。
かと言って、不快に感じることはない。
それどころか、居心地の良さが増していた。
「昼ご飯、どうしよっか」
「お店ですか?」
アインが頷いて返すと、クリスは「うーん……」と声に出して悩みだす。
でも、思い浮かばなかったらしく、頬を掻いてアインを見た。
「どっかで買って、海の方に行って食べるのはどうだろ」
「あっ、賛成です! 天気もいいですしね」
「そうそう。ってわけで、そうと決まれば何を買うかなんだけど――――」
二人は間もなく、大通りへ足を踏み入れた。
この辺りには悩みに悩める、多くの出店で賑わっている。しかも、持ち帰りのできる食事処も咥えると、更に迷ってしまう始末だ。
でも、楽しい悩みだ。
大通りを歩く二人は取り留めのない話を交えつつ。
しばらくの間、歩き進み。
やがて、途中で見かけた店に戻ろう、こう決めたのだ。
来たとき動揺に足を進めていたのだが――――ゆくりなくも、クリスの足が止まったのだ。
「アイン様、アイン様」
立ち止ったクリスは絡めていた腕を外し、アインの腕をつんつんと突く。
戸惑って言うように見えた彼女はある方角を見るように促して、目を向けたアインは「あれ?」とまばたきを繰り返した。
「見間違いじゃありませんよね?」
「うん。間違いなくロランだけど……どうしたんだろ」
そりゃ、見かけることぐらいあるだろう。しかし二人が気にしていたのは、そのロランの様子である。
大通りの端に置かれたベンチに腰を下ろした彼は、簡潔に言えば項垂れていた。
ただ一人、ベンチの上で気鬱そうな姿を晒していたのだ。
「……シエラと喧嘩でもしたんでしょうか」
噂に聞いた程度だが、クリスの幼馴染のシエラとロランは意外と気が合うそうだ。
以前、黒龍の素材が運ばれた際に助言役として足を運び、それ以降も足しげく王都に来ている――――と、クリスから聞いた。
――――それはさておき。
正直、見過ごすには重苦しすぎる雰囲気だ。
「はぁ…………どうしたら…………」
耳のいい二人にその呟きが聞こえた。
声を掛けてもいいのか、迷っていると。
そこで、立ちあがったロランが。
「頑張って探すしか――――あ、あれ!?」
アインを見つけ、目を見開く。
彼は頼りない目元から涙を流し、不意にアインに向けて駆け出した。
「え、ちょ……ちょっと!?」
「アイン君! きっとお休み中なんだよね!? ああでもごめん! どうしても聞いてほしい話があって! できれば陛下にもお言葉を賜りたいんだけど――――って、不敬な発言だったね……ごめん……ッ!」
「よ……よくわかんないけど、お爺様は夕方から余裕があったと思う」
「本当に!? ボクなんかがお会いしていいのかな!?」
何を今さら。今まで何度会っているという話だ。
「大丈夫だって。俺からもお爺様にお願いするから、何なら夕方以降に来てくれたら――――」
特にロランであればシルヴァードは無下にしない。
ロランの功績は明らかで、彼が携わっている計画を思えば特に。
「分かったありがとう! 後でシエラと一緒に行かせてもらうねッ!」
まるで嵐のように言い終えて、あっという間に立ち去ってしまう。
残されたアインとクリスは呆気にとられたまま、先ほどのロランの慌てっぷりで注目を集めていた事実を知り、苦笑い。
どうして慌てていたのかは聞けなかったが、夕方過ぎに来るらしいからそこで聞けばいい。
「クリス」
「は、はいっ!」
「これは予想なんだけど、シエラと喧嘩したわけじゃなさそうだよ」
「…………実は私も同じことを考えてました」
落ち着きを取り戻したところで、二人はさっきまでのように歩きはじめた。
アインがクリスをエスコートするようにしてだ。
「夕方まで遊んでから帰る感じにしよう」
それを聞き、クリスは頬を綻ばせ。
「お昼ご飯を食べながら、その後どうするかは一緒に考えましょうね」
と、上機嫌に口にしたのである。
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