地下空間の魔物。
仕草だけで相手の脳を溶かさんとしてくる濃艶な振る舞い。
その実、彼にしか向けられない甘えるような声色は媚びてはおらず、凛として。味方であると宣言した彼へ、すべてを委ねんとする絶対的な信頼も入り混じる。
――――しかしだ。
「あ、お礼とは別のこともあるんだけど」
そう言って、吊るされている腕を見るように指示。
目線を向けた彼女へと、その片腕に顔を近づけてくれと手招いた。
……きょとんするも、言われるがまま顔を近づけると。
「説教が必要だって思ったから、この辺にしとく」
ぱちん、乾いた音がシャノンの額から響き渡る。
「あの力は危ないんだから、勝手に使わないでって前に言ったと思うんだ」
なんてことはない。いわゆる
シャノンは呆気にとられたが、それは微かな、痛みと形容するべきではないほど弱々しい接触だった。
つん、とあたったぐらいの強さだ。
「ねぇ」
「ん、なに?」
「びっくりしちゃった。アインは私を怒ったりできるんだものね」
「…………」
「変なの。イラッとしたのに、悪い気分じゃないわ」
軽々しく何か述べられるようなことではない。シャノン自身が力を制御できなかった悲痛な時代に関わることで、怒られなかったというのがごく自然な頃の話だ。
が、シャノンは初の経験を前にしても不機嫌ではなかった。
額を少しの間撫でてからは、何故か上機嫌になって笑みを零したのだから。
「あー可笑しい。変なの」
するとアインの手の甲に軽く口づけ。
「私をアインと同じ被虐趣味なんて思わないように。いい?」
「茶化す気はないけど、俺をってのはおかしいかな」
「ふふっ――――そうかしら」
確信めいた声色で言ってから。
「気分がいいから手伝ってあげる」
「お礼は?」
「別にいいわよ。それぐらい気分ってこと」
「いいや、お礼はちゃんとするから、後で相談ってことにしよう」
「もう……じゃあ、楽しみにしてる」
交渉らしい交渉はなく、上機嫌になったシャノンへアインは手伝いの内容を告げた。
まずこの部屋を出て、外の牢屋に加え手前の区画で緊急の治療を要する者が居ないか探ってもらう。その後、アインの下に戻り、情報共有をするだけの単純な仕事だ。
護衛にはマンイーターをつける。
この辺りの敵はマンイーターが居れば一掃できるはず。
万が一襲われても、問題ない。
気になる魔物と言えば、ヴァファールと呼ばれていた巨大な存在ぐらいだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
大闘技場、北と南に設けられた選手入場口。
方や大歓声に包まれ、黄金航路の補佐が多く並ぶセイが立つ南口。片や北口、ディルが一人で立っていた。マルコはクローネたちの下を離れず、黒騎士や近衛騎士も貴賓席に残している。
すべてはアインの命令のために。
自身に課せられた仕事は一つ、ここでベイオルフたちを足止めすることと心得よ、と。
「偉大なる祖国に泥を塗らぬようにだ」
声に出してすぐ、鉄柵のゲートが開かれていく。
数多の戦士がこのゲートを進んで戦いに臨んだのだ。騎士であるディルはこのような状況にありながら、心の奥底に宿る確かな昂りを無視できず、頬を軽く叩いて心を落ち着ける。
――――そこへ現れた一人の騎士。
「グレイシャー殿!」
ロックダムが将軍、レンドルだ。
「あのセイという男は強い男です……! 生前のローガスと比較されたほどの男でして――――ッ」
「大丈夫です。問題ありません」
ディルは振り返ろうよせず、よどみなく言った。
「ご忠告に感謝致します。それでは」
ゲートを進み、会場に足を踏み入れた。
固い土の地面を踏みしめて、歴戦の猛者たちが抱いた頂点に立つセイを前に。
金色の獅子が真っすぐと足を進めた。
…………なんという活気だろう。
こんな大観衆の中で戦った経験は多くない。
最後に経験したのは確か学園都市での対抗戦だ。
「よく来てくれた」
と、相対したセイ。
「ベイオルフ殿からは勝利した際、貴方を勧誘して来いと言われている」
「好きにして構いません」
「む?」
「私に止める権利はない。セイ殿が思うようになさるといい」
「ではそのように。……願わくばこの戦いの後、共に戦える戦友とならんことを」
やがて、審判の男が腕を振り上げた。
セイに向けられる歓声はディルへのそれに比べて圧倒的。人気、期待のすべてがセイのもので、イシュタリカの者らが居る貴賓席はそれはもう静かなもの。
観客の多くはそれを面白がってはやし立てたが。
『はじめッ!』
審判の合図のあと、セイは戸惑った。
対するディルが剣を抜かず、直立したままでいたからだ。
「舐めている……? いや、これは――――」
その師性であっても違う。今日までの相手と違い隙が無かった。
舐めていたのは自分の方か。ふっと笑い、闘技大会で見せたことのない覇気を纏ったセイの足さばきに変化が生じる。
一人分の足がいつの間にか数人分にも見えて、踏み込むタイミングが計れない。
観客が湧くとともに、セイの姿が消える。
次に皆の視界に戻って来たのは、彼がディルの面前に現れたときだ。
――――あんなにも早く!?
――――何人にも重なって見えるだって!?
歓声に応えて、霧のように背後をとる。
目を見張る流麗な動きを前に、金色のケットシーは「なるほど」と、感嘆の声を漏らしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
地上に位置する大闘技場からの声は地下でも聞こえることがある。空調ダクトの近くや、単純に外に近い場所でもそうだった。
ヴァファールが沈んだカプセルの手前に居た戦士たち。
鎧は二通りあって、一方はアインが最初に目にした戦士のもの。
もう一方は、最下層の収容区画の警備にあたっていた者たちのそれだ。
今は各所に最低限の戦士しか残していない。
すべては戦士たちが保身のために、侵入者の捜索に当たっていたからだった。
「あのダークエルフがまた戦ってるようだな……」
「知るかよ、あのいけ好かない野郎のことなんか。俺たちはそれどころじゃないんだ! 急がないと……手遅れになる前に見つけ出さないと――――ッ」
「ふざけんなよ、俺が何をしたっていうんだ! お前たち見張りがへまをして! 見回りのお前らが侵入を許したってだけだろ!? なんで休んでた俺まで関係するってんだよ!」
「うるせえ、お前も処理されたくなかったら見つけるしかないんだよッ!」
多くが冒険者上がり。実力は平均的な冒険者より格段に高いが、それでも侵入者は見つかっていない。
刻一刻と迫る制限時間に緊張は増す。
すると、そこへ。
「下層で研究員が倒れてるのが分かった。賊はすでにかなり下まで進んでいるぞッ!」
それを聞いて皆が駆ける。
向かう先は階段、あるいは昇降機。
散らばって、自分が生き残るため。
ある者は研究員が倒れているのを見つけて青ざめる。
他には手遅れと諦めかけた者、諦めきれずに大汗を浮かべて笑う者も居た。
中でも生存本能に富んだ一人の戦士が居て、彼は相談役と言われていた銀髪の男に嘆願をしていた者だが。彼はもしや、という勘が働いた。
最下層まで一人で向かうと、分かれた区画の入り口すべてに見張りが居ることに安堵した。
けれど、何か腑に落ちていない。
――――研究員だけが倒されていたのは、何故だ。
侵入者が研究員に何かをしたことは言うまでもないが、だとしたら、他の戦士たちがその手に落ちて居たいことが不思議でならなかった。
弱いならそうしただろう。
しかし、侵入者は初期の追手をいとも容易く倒していたのは確認できている。
――――なら、研究員に用があったからか。
すると自然に目線がある区画に向かう。
異人種たちを収容した、この地下空間でも重要な区画へと。
「どうした」
男へとその区画の見張りが尋ねた。
「中を確認させろ」
「何だ急に。中には誰も――――ッ」
「いいから開けろッ! さぁッ!」
「な、なんだってんだよ急に……ほら、好きにしろ」
ロックが解除されるや否や、勢いよく足を踏み入れる。
部屋の前、扉に備え付けられた小窓を大急ぎで覗き込み、何か異常はないか探りながら駆けた。
一見すれば通常通りに見えたのだが、よく見れば不自然だ。
「あん……?」
いつもは何人か暴れている者がいたはず。
けれど今は一人も居ない。皆、目を覚ましてはいるが落ち着いていた。
虫の知らせのように、身体がザワついてしまう。
更に奥、厳しい管理下にある異人種がいる方へ急いだ。
怖れから息が乱れ、汗が更に浮かび出ていく。
「馬鹿野郎、馬鹿野郎馬鹿野郎馬鹿野郎ッ! ……馬鹿野郎ッ!」
駆けていく先は尋問官の部屋だ。
そして、ついに。
「…………馬鹿野郎」
たどり着いて、見つけてしまう。
ソファに座り異人種に手をかざす一人の青年と、彼の背後から腕を回していた一人の美女。
何人かの異人種は喜びに身を震わせている。
最後に、床に倒れている尋問官の姿を。
「ほんっとに大丈夫なの? 力とか使ってない?」
「嘘じゃないわよ! 話しかけて安心させただけなの!」
「あ、それならよかった。ほんとに助かったよ、こうしてすぐに治療が必要な人を確認してきてくれて」
「……はいはい、お礼が楽しみね」
呑気に言葉を交わす男女を見て呆気にとられ、しかし剣を抜いて口を開く。
「お前たちは」
終わりだ、こうつづけるつもりだった。
その想いは叶わず。
『アハァッ! アッ……ハハッ!』
いつの間にか首筋に居た不気味な花を見て血の気が引いた。
腕から力が抜けてしまい、剣が床に転がる。
足は無意識に後ずさっていき、心の中に宿った「もうおしまいだ」という諦めの感情に逆らわず、もうどうにでもなれと高笑い。
「ハァーッハッハッハッハッ! もうしったこっちゃねえッ! 知らねえよ! 関係ねえんだッ!」
そして駆けた。
外にある別の区画へ向かって。
「野放しにして良かったの?」
「いいよ。ここにいる人たちが優先だ。皆を治せたらすぐに出るだけだしね」
精製魔力を流し込まれては一分一秒が惜しいからである。
「彼らが大挙して押し寄せるかもしれないわ」
「別にどうにも。ここにいる人たちを助けるために戦うよ」
逃げ出した戦士の耳に聞こえた声はこれで終わり。
あっという間にこの区画を出て、外に居た見張りを驚かせる。
「さっきから騒々しいぞ」
「うるせえ。もうどうでもいいんだよ」
「……は?」
きょとんとした見張りを無視して走る。
◇ ◇ ◇ ◇
昇降機に乗って上層部に向かい、血走った瞳を浮かべて歩いた。こうしているとすれ違う研究員たちも目を向けて来るが、もうどうでもよかった。
進む先は、あの相談役の部屋である。
扉の前に立ち、勢いよくノック。
短い間のあとで返事が届いた。
『来ると思っていたよ』
何がだ。偉そうに。
乱暴に部屋に足を踏み入れ、銀髪の男が座る椅子に近寄った。
「どうしたんだい?」
「アレをよこせ。てめぇなら持ってるだろ?」
「おや、アレとは何のことかな」
「とぼけるんじゃねえッ!」
戦士は剣の代わりに拳を構えて振り下ろした。
「いきなり殴るとは、穏やかじゃないな」
「知ったことかッ! いいからさっさと出せッ! てめぇがあの化け物の封印を解けるってのは知ってんだッ!」
「思っていたよりも頭が回るじゃないか、素晴らしいね」
「……てめぇが盟主から、ベイオルフから魔道具を受け取ってるのと見たことがある。それなんだろ!? それであの化け物を開放できるんだろッ!」
もう一度、今度はさっきよりも強く。
「痛いな」
「嫌だったらよこせ! 分かってんだろッ!」
銀髪の男はまだ抵抗するかと思いきや、楽しそうに微笑みを浮かべた。
「あの机をごらん。君が欲しいモノが置かれてるよ」
あっさりと教えてしまうと、笑みが更に深みを増した。
ずい、と歩きだした戦士の後姿をじっと見て、頬杖をついて興味津々な様子で。
「ヴァファールを解き放って、どうするつもりだい?」
「この町ごとぶっ壊しちまえばいいッ! そうすりゃ俺たちだって助かるに決まってるんだッ!」
「悪くないね、君のその生きたいという欲求はとても尊い。惚れ惚れしてしまうほど愚かで、無様で――――そして、ヒトらしさに溢れて美しい」
「コレさえあれば……俺はまだ……ッ!」
すでに戦士に言葉は届かない。
彼は手に取ったカード型の魔道具に目を奪われて、ヴァファールと呼ばれる魔物を解放することにだけ意識が向いていた。
力なく、そして狂気に満ちた笑みを浮かべた彼を見て銀髪の男がそっとつぶやきを。
「私は常々言っていたはずだよ、ベイオルフ」
地上、大闘技場で観戦中の男の名を口にした。
「求道者の多くは道を誤り罪人と化す。君はそうならないよう、その輝きを失わないようにって私は何度も言ったはずだ」
諦めていた様子で、興味を失った様子で。
「遠からず断罪の執行人が現れることは分かっていた。それが
だけど、と銀髪の男はグラスを置くと同時に言葉を添え。
ソファに深く座り直して天井を見上げる。
「ベイオルフ、君の本質はどんなものかな?」
耳に届いていないつぶやきなんて知らずに、戦士が部屋の外へ出て行ってしまう。
「ヒヒッ!」
◇ ◇ ◇ ◇
戦士はいくつか下の階層、カプセルの目の前に設けられた巨大な装置群に向けて駆けだした。
途中で研究員を押しのけながら、目当ての装置へと真っすぐに。
やがて巨大なガラス扉の前で見張りが立ちふさがったが、隙をついて剣を奪い、相手に突き刺して扉を開けてしまう。
「待て! お前、一体何をしに来たんだ!?」
「ここへは我々以外立ち入り禁止だぞ! それに今何をした!?」
「黙ってろ。てめぇらに用はねえ」
一介の研究員なんて命を奪うに一切の苦労がない。
相手からすればまばたきの合間に、身体が一瞬で切り伏せられた。
「アレだな!? アレなんだろぉッ!?」
もはや邪魔をする者はおらず、研究員の多くは恐怖で逃げるだけである。
その隙に、予定外の解放が近づく。
装置の前に立って、銀髪の男から奪い取ってきた魔道具を差し込み口に挿入した。
――――地下施設中央の巨大なカプセルが揺れる。
最下層に六つの穴が開いて、ヴァファールのためにあつらえられた巨大な剣が浮かび出てきた。同時に、充満していた液体が消えていく。
「起きろよ、化け物ッ!」
戦士が両腕を広げて高らかに言う。
カプセル内部の剣がヴァファールの腰ほどの高さまで浮かび出ると、停止。
液体も完全に抜けており、金色の体毛をした魔物が四本の足で立った。
すると、徐々に瞳が開かれる。
歓喜に震えていたその刹那、ヴァファールが六本の腕で剣を握って間もなくだ。
カプセル内部で雄たけびを上げて両腕を伸ばし、カプセルを粉々に破壊してしまう。
「ああそうだッ! やってちまえ化け物ッ!」
これで逃げられる! 助かったんだと喜んだのだが。
「……あん?」
ヴァファールが六本の腕を横に構え、体躯にあわせて作られた巨大な剣を横薙ぎ一閃。
戦士は最後に自分の顔を見た。
訳の分からない出来事だと思っていたが、答えは最期の直前に理解できる。
それはヴァファールが振るった剣に反射していたからだ。
目の前に迫った剣の表面に、最期を迎える直前で磨き上げあげられた動体視力が合わさって、奇跡的に視界に写せたというだけの話であったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます