勧誘は唐突に。

 アインが声の方に目を向けると。

 どうやら会場の中心へと、琥珀宮からベイオルフが姿を見せた様子……だが、それだけではない。先日と同じく飄々とした様子で現れた彼だが、向かう方角からやって来た肌の黒い男を見て愛嬌を見せる。



 その男は肌と同じで髪が黒い。

 背は高く、細身ながらよく見れば筋肉質な体格なことが分かった。

 服装は軽鎧。

 茶色い革で作られたそれは自然身を有し。

 彼の顔へと目を向けたアインが気が付いた。



「耳が……」



 気が付いてすぐにティグルが切り出す。



「あのとがった耳を見て気が付いただろうが、奴はエルフだ。クリスティーナ殿と違う山育ちのな。だが純粋なエルフではなく、妃殿下と同じダークエルフらしい。名をセイと言うそうだ」


「道理で。それにしてもお婆様以外にはじめて見るよ」


「通常のエルフと違い定住せず、ただでさえ個体数の少ない種族だからな」


「で、どうして名前を知ってたのさ」


「私もつい夕方耳にしたばかりだ。どうにも奴はベイオルフのお気に入りらしく、ようは黄金航路の実力者らしい」


「――――ああ、大闘技場で騒がれてた人か」



 これからどうしたものか。

 クローネたちの下へ戻るべきか、それともベイオルフの様子を窺うべきか。

 彼は今からマジョリカとの対談に臨むはずで、ここでアインが出て言って場の雰囲気に影響を与えるのは好ましくなかった。

 同じことを考えて、隣に立つティグルが目配せを送り頷く。



 騒然としだした会場の傍から、二人は状況が落ち着きを取り戻すのを待ったのだが。



(ん?)



 想定外の動き。

 ダークエルフのセイがベイオルフの前に行く途中で明後日の方向を向いたのだ。その方向に居るのはクローネ、そしてクリスの二人と連れてきた騎士たち。

 するとセイは皆が居る場所へと足を進めた。



 突然の行動を見たティグルが面倒くさそうに。

 ある察しを口にする。



「まさかクリスティーナ殿に惹かれたのではなかろうか」


「え」


「あの男はダークエルフだし、普通のエルフに惹かれてもおかしくないと思っただけだ。それを差し引いてもクリスティーナ殿がお美しいってのもある」


「…………」



 それを聞いたアインは何も言わずに歩きだした。



「やれやれ、守る気になるのならさっさと分かりやすい関係になればいいものを」



 これは小さな声で、二人の関係を茶化すように口にした。

 別に彼らに文句を言いたいわけではなかった。

 気を揉む姿を見ている者として、最近もなお城内でじれったく感じているであろう使用人たちを想い、代弁したようなもの。



 歩き出したアインだったが――――。



「あ、あれ」



 不意に立ち止って目を点にしてしまう。

 背後で見守っていたティグルもまた同じで、予想だにしなかった光景を見て戸惑ってしまったのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 十数秒ほど前、ディルはマルコと共に守るべき淑女の前に立ちはだかろうと足を動かす。

 一歩、また一歩と距離を詰めてくるセイを前に。

 すぐにでも警告を口にできるよう、相手の瞳をじっと見つめた。



「ご機嫌よう」



 しかし、セイは軽い会釈と共に言葉を言うだけ。

 クローネにも、そしてクリスにも近寄ることはなくて、視線すら向けていない。

 では何が目的なのか。

 ……その答えがディルだ。



「噂に聞く王太子の剣とお見受けする」



 立ち止ったセイは他の誰にも目もくれず、深紅の眼を向け答えを待った。



「風に靡く金色の鬣は他に居ない。ディル・グレイシャー殿でお間違いないか?」


「あ、ああ……確かに私はグレイシャー家の者だが」


「ッ――――やはりそうか! ああ、すまない! つい心が躍ってしまったものでな……いやまさか、こうして目の前に立てるとは思いもしなかった」


「どうして私に声を?」


「素晴らしい戦士には惹かれるものだろう?」


「私は戦士ではない。騎士だ」



 譲ることのできぬ矜持を露にされ、不意に揺れた金色の鬣を前にセイが言葉を失った。

 第三者に聞こえそうな音でつばを飲み込む。これは緊張感によるものではなく、武者震いに似た感情でああった。



 緊迫感が漂いはじめたところへ。



「悪い癖だ。だが、我が戦士の気持ちも汲んでやってはくれないかな」



 やってきたベイオルフ。

 涼しげに、セイのことを許してやってくれと口にすると。

 優雅な仕草で手を差し伸べた。



「私はベイオルフ。キミはセイが惚れこむのも分かる凛々しさだ。お噂はかねがね、私の耳にも」



 誰にもが想定していなかった邂逅に、特にディルは迷いを抱かせられた。

 自分がここで対応してよいものか。

 いや、余計なことはせずにこの場をいなさなければ。



 あるいは……どうしてもという場合には、不甲斐なさを憎みアインを呼んで頼るべきかもしれない。

 いやだめだ。

 視界の端に映ったアインを見たデイルは唇を動かして「大丈夫です」と声に出さずに言い、これまでの葛藤をベイオルフに悟らせないように手を伸ばす。



 この程度の場面で主君を頼るべきではない。

 今までの経験を思い出し、自身の将軍という立場を鑑みなければならない。

 あくまでも毅然としていよう、と。 



「私はディル・グレイシャー。こちらこそ、お噂はかねがね」



 すると、値踏みをするような視線。

 すぐさまニコッと屈託のない少年らしさのある笑みを浮かべたベイオルフ。何を言うのかと思いきや、ディルの手を握ったままに。



「うちに来ないかい?」


「……は、はっ?」


「今の給金は存じないが、勿論、倍以上は約束しよう。何だったら先に支払ってもいいし、必要なら屋敷やその他に至る必要なものも我々が揃える」


「お、お待ちを……貴方は一体何を――――」


「足りないというのなら町を与えても構わない。キミにはそれほどの価値がある」



 ここにきて勧誘されるとは思ってもおらず、さすがのディルも狼狽えた。

 答えは言うまでもない。拒否だ。

 普段のディルを知る人物からすればあり得ない提案でも、ベイオルフの強引さは凄まじく、それを機と思ってかベイオルフの情熱が増す。



「眩い鬣はまさに黄金。我ら黄金航路の一員となるべく生まれたと言ってもいいのかもしれないな」



 けれど、この誘い文句を言うべきではなかった。

 ケットシーとして生まれ変われた理由は偏にハイム戦争によるもの。そして、妻が命を懸けて救ってくれたからこそである。

 いわばこの身体はイシュタリカ王家への忠誠そのもの。

 誇りであり、生き様そのものなのだ。



 逆に断りやすくしてくれたことに感謝して、口を開こうとしたのと同時だった。



「あらあらん、ベイオルフ殿は私に興味があるって聞いたわよ?」



 割って入ってきたマジョリカ。

 密かにウィンクをして、ここは任せろと前に出た。



「キミがマジョリカ殿か」


「ええ、お約束していたね。ほら早く行きましょうよ、時間は有限なのよ」



「……違いない。では」



 と、最後にベイオルフ。



「気が変わったらいつでも連絡を」



 ディルにこう言葉を残し、セイを伴いマジョリカを連れて離れていく。

 様子を眺めていた招待客の中にはディルの正気を疑う者がごく少数ながら存在した。あのベイオルフが直接勧誘したというに、袖にした事実を信じられないと。



「ディル殿」


「……ええ」


「統一国家イシュタリカが将軍にして、次期国王の護衛。これらがあろうとも、彼らにとっては黄金航路、そしてベイオルフ殿が勧誘したというのが大きな意味を持つのでしょう」


「そのようです。飛ぶ鳥を落とす勢いとはあのことかと」



 あまり見たことのない強引さを思い出して頬を引き攣らせた。

 するとそこへアインが戻った。



「俺が対応しても良かったのに」


「なりません。邂逅するにしても、あのような場面でアイン様がいらっしゃるのは都合が悪いかと……お互いに。それに相手を下に見るように言うつもりはありませんが、イシュタリカ次期国王が現れるには場が相応しくありませんでした」


「俺もパーティに参加してるのに、今更?」


「当然です。相手から挨拶に来るならばいざ知らず、こちらからというのは好ましくありません。見る者によってはこちらが相手を立てているように見えましょう。特にこのパーティならば顕著かと」



 それが分からないでもないアインはこめかみを掻いてから頷き返す。

 割り切るべきことは割り切るべきで。王太子として、次期国王として第三者からの目を気にしなければならないのは当然のこと。



 ――――さて。



「乾杯でもしようか」



 唐突に言ったアインを見てクローネが目を細めて笑う。



「さっきもしたのに、またしたいの?」


「祝いだよ。マジョリカさんが予定通りベイオルフと接触できたからさ」



 そういうことなら、と、皆がグラスを手に取った。

 煌びやかさを極めた会場において、この場に集った者たちのそれは更に上をいく。

 未だ登場したばかりのベイオルフらに大きな注目が向かう中、アインはこの一席でグラスを掲げると、短く「乾杯」と口にして、彼女たちとグラスを交わしたのだった。



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