服の大きさとか。
新聞に載っていた話はシルヴァードの耳にも届いていた。
「余も興味深く思っていた。されど、カティマが言うように気になる点は多い」
アインと二人だけの夕食の場で、彼は食後の茶を嗜みながらそう言った。
今日は遅くまでシルヴァードの傍で学びながら公務に励んだとあって、真向いの席に腰を下ろしたアインは若干疲れているように見える。
「この際だ。教えておくとしよう」
「何がです?」
「此度のような件についてに決まっておる」
それも当然か。
分かりましたと言って、アインが頷く。
「それが真実であるか否かの査察は必須となるが、我ら王家はこうした研究成果を前にした際には、その技術が秘匿されぬよう努めねばならん」
「一つの商会とかに独占されないようにってことですか?」
シルヴァードは頷いた。
「国の為となるのであれば、それを独占することは看過できん。とはいえ研究者からすれば、国に研究成果を奪われることは気に入らんだろう」
あくまでも王家の強権による強奪ではない。
これを強く前置きして。
「ではどうするのでしょう」
「簡単なことさな。これまで王家はそうした技術に対し、なるべく相手が望んだだけの報奨を――――金を払い権利を買い取っている。誰でも使えるようにな。当然だが研究者を軽んじることなく尊重し、互いに有益な結果となるようにしておるぞ」
「ってことは、今回もそうするわけですね」
「査察してからとなるがな。しかし」
と、ヒゲに手を伸ばし天井を見上げる。
眉間を歪め、困惑、あるいは選択に迷っているような。
……幾分かの苦笑を交えて。
「一切、王都へ連絡が届いておらんのだ」
と。
「直近で言えば、王家は水列車の新たな研究成果やリヴァイアサンの建築に関する技術に多大な資金を払ってきた。他には治療師のための技術にもな。これらは基本的に城へと連絡が届く」
「それは……技術の買取を希望して?」
「そうした者もいるだろうが、名声を得たい者も、新たな技術を共有したいだけの者もいた」
今回は儲けの幅が大きいと踏んでのことかもしれない。
アインはこう思ったのだが。
「人体へ施される技術については、法務局をはじめとする関係各所の認可が必要となる。王家の許可なく使った場合は罰せられるのだ。ゆえに一方あって当然なのだが……分からんな。筆頭出資者がバードランドの者と聞くし、イシュタリカの外で使うつもりなのかもしれん」
彼が腑に落ちていない理由を聞いて、アインもまた疑問符を浮かべた。
金で解決できるのなら、するべきである。
異人の未来に関わる出来事であるならば殊更だ。
判断が遅れる事だけはさけるべきだと、二人は心の内でその想いを共有した。
◇ ◇ ◇ ◇
二週間と少し経った日のこと。
結果はシルヴァードの予想が的中した。
海を隔てた先にある大陸、その中央に位置するバードランドから届いた報道によれば、ある重篤な疾病にかかっていた異人種がその病を克服したとのこと。
城内における地下研究室にてカティマが大きなため息を吐く。
「ほらニャ、こんなのはほとんど人体実験ニャ」
「行動が早かったね」
「んむ。まー研究なんて実験はつきものニャけど、もー少し人体に対しては慎重になるべきニャ。他国の事情に口をはさむのもアレだけどニャ」
彼女が苦言を呈したのは研究自体が魔法都市イスト発だからであろう。
自慢のソファにふんぞり返り、すっきりしない様子で身体を倒す。
「お父様は何て言ってたかニャ?」
つい最近のシルヴァードを思い出してみるが、特筆すべき点はない。
「特に何も。技術自体は気になってるっぽくても、今回の件は他国の事情だからって口を出す気がないみたい」
「だろうニャー。権利問題なんてどの時代も面倒ニャし、大変だろうニャ」
「権利を買いたいって件はカティマさん的にはどうなの?」
「まぁ、結果が出てしまったわけだし一度詳しく聞くべきだニャ。嫌らしい横やりを入れろっては言わニャいけど、イシュタリカの人の為になるのニャら、王族が無視していい話ではないニャ。まぁ、私は元王族ニャけど」
「……分かった」
アインはおもむろに懐に手を差し入れる。
「ティグルに手紙を送っとくよ」
頼みたいことはバードランドに人を派遣してくれというもの。
今回の技術に加え、疾病を克服したという異人種のことも気になるし、距離が近い彼に探りを入れて欲しいと考えた。
「ハイム公を動かして平気なのかニャ?」
「分かってる。今のハイムの立場から言えば、イシュタリカが動いたって言ってもいい。ちゃんと手紙を送る前にお爺様にも聞くし、勝手な行動をとる気はないよ」
「ならいいのニャ」
それからカティマは「個人的にはアインの考えに賛成だニャ」と添えた。
すると。
「ふわ……眠いニャ……」
「昨日から徹夜で仕事してたんだっけ?」
「んむ。みょーに捗り過ぎて、気が付いたら日が暮れてたのニャ! こりゃ泊まるしかないって思ってソファで寝たわけニャ」
「ディルが屋敷でも似たような生活をしてるって言ってたよ」
「チクった夫には説教が必要らしいニャァ!?」
「昨夜のことを夫に伝えなかった妻にも説教が必要だと思うけどね。昨日はクリスがディルに教えたんだから、感謝しといてよ」
言い返せないカティマはソファに顔を埋め、不満そうに足をバタつかせ。
立ちあがって部屋を出ようと歩き出したアインに目もくれず、弱々しくニャァ……と声を漏らしてから、前触れもなしに転寝をしだした。
(ほどほどにって言っても聞かないだろうし)
今更なのは分かり切っていたから、眠りを邪魔せず静かな足取りで部屋を出た。慣れた足取りで階段を上り地上階に出たところで、次は上層階へつづく階段に向かう。
階段を一段ずつ、のんびり上り向かった先は、クリスの部屋がある階層だ。
途中、すれ違った給仕と取り留めのないやり取りを交わし。
たどり着いた扉の前で気が付かされる。
――――妙に騒々しい。
部屋の中から漂う気配と音に小首を傾げ、困惑しながらも扉に手を伸ばして。
「……あれ」
中から人の声はするというのに返事は一向に届かない。
つい耳を澄ましてみると。
さっきと違い、騒々しさが姦しさへと変貌しており。
(まだ、前の用事が終わってなかったのかな)
こう、アインを悩ませた。
今回の訪問は近日に迫る公務の打ち合わせのためであった。けれど、別に早急にするべきほど重要な公務でもなく、日を改めたところで問題はない。
そもそも約束の時間には少し速く、クリスに別の用事があっても仕方ない。
「どうぞ」
不意に背後から聞こえたマーサの声にアインは振り返る。
聞き間違えでなければ、今彼女はどうぞと言った。
家主のクリスに代わっての返事ではあるが、恐らく、中の様子を知ってのことだろう。
「え」
「中にいらっしゃるのはオリビア様とクリス様ですよ。アイン様はお気になさらず、どうぞお入りくださいませ」
「まだ返事が――――」
「大丈夫ですよ。まだ着せ替え人形になっているだけだと思いますので」
「……ん!?」
「ささ、どうぞ中へ」
「ちょ……ちょっと!?」
強く背を押されるがまま扉に手をかける。
扉を開けると、そこは。
「あら、アイン」
「アイン様!? どうして――――あっ……ご、ごめんなさい! 私ったらつい……!」
服、服、服。
床やソファなど、至るところに散乱した服の山。
僅かに開いたスペースに置かれた椅子に座った二人の姿は、いつもと違い、見慣れない装いに身を包んでいた。
「つい時間を忘れちゃって、すぐに片付けますね」
「俺が早く来ちゃっただけだよ。マーサさんに無理やり押し込まれたんだけど、用事ってこのことだったんだ」
するとクリスは椅子の上で恥ずかしそうに身をよじるも、頬を軽く上気させて立ちあがる。
「ど、どうでしょうか……?」
くるっと回って見せた彼女は珍しくワンピースに身を包む。
細めのシルエットのそれを上品に着こなして、金糸の髪を揺らした。シンプルな服装を難なく魅力的に見せられるのは、やはりクリスと言ったところか。
回って見せてから身体をくの字に折り。
アインを見上げ、答えを待つ胸が早鐘を打った。
「すっごく似合ってるよ。外でも見れる日を待ってるね」
我ながら、そして昔から女性を褒める語彙が貧相だと実感しつつも、クリスが喜びに頬を綻ばせたのを見て一安心する。
小声で「よかった」と漏らして、心からの喜びに頬を彩る。
「いつの間に買ってたの?」
「つい先日です。オリビア様とに城下町に行く機会があったので、一緒に服を買ってきたんですよ」
「ああ、それで城に届いたから……ってことか」
そりゃ着てみたくなるさ。
一度出直そうとしたが。
「アイン、私はどうですか?」
つづけてオリビアに問いかけられて、足を止めた。
タートルネックのセーターを着た彼女もアインには見慣れない姿だった。
また、今日は伊達メガネもしており印象が違う。
朗らかで優艶な微笑みが合わさるも、不思議と可憐さも孕む。
「勿論、似合ってます。悔やむべきは俺の語彙ぐらいでしょうか」
「ふふっ、私はその言葉以上の表現はありませんよ」
こうしていると、クリスが椅子を立った。
「すぐに着替えて来ちゃいますから、ちょっとだけ待っててください!」
「別にそのままでいいのに」
「そう言って頂けるとすごく嬉しいんですが、実はこの服、調整しないといけない箇所があったので、ずっと着ているのは……」
言われてみれば、確かに小さいように見えた。
「……ん、りょーかい」
何となく含みがありそうな言い方が気になってしまったのか、クリスはハッとして足を止め、軽く唇を尖らせる。
「ふ、太ったわけじゃないですからねっ!?」
慌てたクリスを見てアインが苦笑する。
指摘する気なんてない。
分かっていても、言葉に出せないことだってあるからだ。
「私の服は伸縮性に富んでるからいいの。でもクリスのは生地が固めだったものね」
「ですね……ずっとこのままだと胸元が苦しいですし」
互いにスタイルがいいせいか、こうした話題になると色々と目に毒だ。
話題に入れず、入ろうともしていないが。
アインはバルコニーに広がる青空だけを見て、雲の流れを目で追う。
速足でクリスが去って行ったところで。
「そうだ」
不意に思い出す。
着替える様子もなく、いつもと違って可愛らしい服装のオリビアへ尋ねる。
「黄金航路って知ってますか?」
「知っていますよ。私とアインがハイムを出る前にもありましたから」
少しでも話が聞きたかったこともある。
アインは前のめりになって口を開いた。
「何でも、グラーフさんも一目置く商会だとか」
「ええ。規模は言うまでもありませんが、筆頭の技量は当時から目立っていました。当時の私がしていた仕事のことは覚えていますか?」
「エウロとの海結晶のことですね」
「そうです。実はあの時も黄金航路に関連する商会とやり取りをしていました。もっとも、仲介に挟んでいただけですが」
そう言って少し位置がずれた眼鏡を指で戻す。そんな仕草一つとっても絵になり過ぎて、見惚れてしまいそうになる。
「お待たせしましたっ!」
元気な声で、本当に少しの時間でクリスが戻った。
急いで散乱した服を片付けると、一人、部屋の状況を確認して頷いて見せ。
気を取り直してオリビアの隣の席に腰を下ろす。
それから話したことは重要性が顕著に高いものではない。
オリビアを交えたまま、茶を用意して打ち合わせを進めた。
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