新世界の魔物

 嘘よ――――次の瞬間にマジョリカの口からその言葉が漏れた。

 少女から発せられた光が冒険者の身体に溶け込んでいく。傷口をふさぐどころか、削がれた肉や臓腑が再生していく様子にアインとマルコも自身の目を疑った。



 二人が息を呑み、そして見守っていた他の者たちも息を呑んだのだ。



「人間業じゃないわ、あんなの」



 マジョリカが目を見開いて言う。

 言葉はそれだけでは終わらず。



神の御業、、、、よ」



 その声を聞いた者の皆が応じるだけの説得力を、少女はいともたやすく披露している。

 やがて光が収まると同時に、少女が「よっと」と言って姿勢を正す。これまで身体を低くしていたことで催した窮屈さを、息をついて一気に発散した。



「お金、夕方までにボクのところまで持ってきてね」


「あ、あぁっ! けどコイツはもう大丈夫なのか!?」


「これだけ間抜けに寝息を立ててるのに死んでるように見えるなら、今度はキミの頭の中を治してあげないとね」



 横たわる冒険者の様子は惰眠を貪る怠け者のようだ。

 すぐにでもイビキが聞こえてきそうなほど、彼の寝姿は清々しい。

 少女はふっと笑い交じりに言うと、来た時と同じように出口へ向かって歩き出した。これまで手持ち無沙汰そうだったパンを口に運び、ジャムの甘さに満足して頷いて。



「貴女、どこの生まれかしら?」



 すれ違いざまにマジョリカが尋ねた。



「ボク? ボクならクリフォトの北東にある村で生まれたけど、それが? というかいきなり出身を聞くのって失礼じゃない?」


「……そうね。謝罪するわ」



 すると少女は興味を失い、さっさとギルドを去ってしまう。

 アインやマルコを一瞥することもなく、欠伸を漏らして行ってしまった。



「時々ああいう人材が現れるのが、冒険者の世界なのよ」


「マジョリカさんが言わんとすることは分かるけど、それにしてもって感じだけどね」


「あらそう? セレスだって最初は冒険者だったのに。あの子が王家に奉公しだしたのはそれからのことよ」


「あ、急に普通な気がしてきた」


「でしょ。ま、こういうことがあるからこの国イシュタリカは面白いのよね」



 確かにと頷くアインへとマルコが話しかける。



「王家に仕えて頂けないか尋ねてみるのは如何でしょう」


「や、無理だと思うよ」



 アインが確信をもって即答した。

 どうしてそう思ったのかというと、理由は先ほどのやりとりにある。



「あれだけの大金を自分の力ですぐに稼げるんだから、王家に仕える気にはならないと思う」


「恐れながら、それだけが王家に仕える理由にはならないのでは?」


「これだけならね。でもさ、それを言うなら王家に仕えられるだけの力があるのに、これまで日の目を浴びずにいた理由は何だろう。バーラとメイみたいに特別な理由があるなら違うけど、さっきの子は明らかに自分で考える力があったと思うよ」


「だから誰かに仕える気はない……そういうことですか」


「多分だけどね」



 だから仕方ないのだというアインを前に、マルコは納得しながらも思案する。それからよく整えられた灰色のヒゲをさすって諦めずに言うのだ。



「後程、今回だけでもご助力を願えないか相談して参ります」



 彼は決してアインの実力を疑っているわけではないが、それでも治療魔法の使い手がいるにこしたことはない。それを言えばバーラを連れてくれば――――と言うのもあったが、これに関してはアインが固辞している。当然だが王都にはシルヴァードがいるからだ。



 何はともあれ、と。

 アインは二人を伴い、先ほどの興奮冷めやらぬギルドを歩いた。

 受付嬢の前に足を運ぶと、彼女はアインに気が付き慌てて居住まいを正す。



「少し聞きたいことがあるんだけど」



 そう言って尋ねるのは神隠しのダンジョンから運ばれた素材について。



「何か特別な魔物とかは居た?」


「我らギルドの見解ですと、神隠しのダンジョンに現れた魔物はすべてが特別な魔物です。恐らく殿下が聞きたいのはネームドに値する魔物についてと思われますが」


「うん、どうかな」


「――――ご期待に沿えるか分かりませんが、今朝方、とある名のあるパーティが狩った魔物がおります」



 すると彼女はアインら三人に対し、奥手を指示した。

 つづけて歩き出すと。



「ご案内致します」



 三人を先導した。

 興味津々に目を向けてくる冒険者たちの間を抜けて向かった先には、隣接した場所につづく扉がある。アインを迎えたのは血と肉の匂いだった。

 巨大な木製の机が並び、壁際にはいくつもの刃や薬剤の入った瓶が並ぶ棚がある。

 ここの広さは小規模のパーティなら開催できそうなほど広い。



「ギルドの解体場ね」



 アインは同じことを想像していたが、マジョリカの言葉に素直に頷いた。

 ここにはドワーフをはじめとした異人も居て、皆が運び込まれた素材の解体に当たっている。

 どの机にも雑多に素材が並んでいたのだが……。

 一つだけ、見たことのない甲殻が置かれた机があった。



「見たことのない素材です。恐らく、シルビア様も同じことを申されるでしょう」


「私も同じく見たことがないわ」



 二人の声を聞くアインは頷いた。

 甲殻から目をそらさず、生前はどんな全体像だったのか想像しながら。

 受付嬢の後ろをついていき、やがて机の前で立ち止る。



「お連れ様方が申された通りです」



 彼女はそう言うと、机に置かれていた革の封筒を手に取った。

 中に収められていた一枚の紙を取り出すと、それをアインに渡して口にする。



「パーティの協力の元、ギルドが作成した魔物の姿絵でございます。少なくとも我らギルドが持つ情報の中に、その魔物と同一の存在は確認されておりません」


「――――へぇ」



 アインが目に映した魔物の姿は異質で、禍々しい。

 体高は常人の十倍と少し。カマキリを思わせる上半身と、百足によく似た下半身は大蛇のようにうねっている。いずれも鋼色の甲殻に覆われた体躯をしていて、頑強さは言うまでもない。



 身体を動かすだけで安易に凶禍をまき散らせること必定だ。



「冒険者が何人がかりで討伐を?」


「五人です。ただ、十数年に渡って用意した魔道具のすべてを消費したと聞いております」



 それを聞いてアインがマジョリカを見た。



「私とカイゼルが使ってた、拘束系やらなんやらの魔道具の事よ。十数年掛けて集めてたってことは素材が貴重なの」


「マジョリカ様が仰ったとおりでございます」


「あら、私の事を知ってたのね」


「勿論です。我らギルド職員が『金剛』を知らぬとお思いでしたか?」


「マジョリカさん、何その金剛って」


「若気の至りよ。聞かなかったことにして頂戴な」


「…………」



 黙りこくったアインだが、いくらか想像は付く。マジョリカが使う武器はメリケンサックだからだ。とは言え、過去のマジョリカがそれを駆使して、どんな戦いをしていたのかは寡聞にして存じないが。



「とにかく、それだけの装備を一戦で使い切るだけの相手ってことね。もっとも――――」



 チラッと流し目をアインに向けたマジョリカは、つづいてマルコと視線を交わした。



「それだけなら、殿下が戦って苦戦するとは思えないかしら」


「一応俺って、冒険者が行けるところまでしか入っちゃダメなんだけど」


「どうせ殿下も陛下も建前でしょうに」


「失礼ですがマジョリカ殿、陛下は恐らく本音だったかと思います」


「だとしても上手くやれってことよ。大体ね、陛下が本気で止める気だったら殿下はここ来れなかったわよ。セレスの時だって、何だかんだ許してくださったじゃない」



 確かにシルヴァードにはそういう一面もあったが。



(約束は守らないと)



 アインは決して自分の欲を優先することなく冷静だった。

 だが現状を整理すると、他の誰よりも自分が竜人に近く、彼女から話を聞けるという状況だ。

 いずれはどうにかしてシルヴァードを説得するか、何か別の目的がなければという考えはあったが。

 今はひとまず、神隠しのダンジョンの内部へ足を運んでからでいいだろう。



「明日にでも行ってみよっか」


「冒険者が行けたところまでかしら?」


「そそ。ついでに内部の造りとか色々と聞きたいんだけど」


「資料をご用意しておりますよ。お支払いも済んでおります」



 いつの間に? そう思ったが恐らくシルヴァードだ。

 すでに国費や私費を投じられる状況なのだから、彼がすでに手を打っていても当然である。



 では、と受付嬢からアインは分厚い封筒を受け取った。

 アインはそれを小脇に抱え、そろそろ船に戻るかと出入り口の方を見た。



「失礼」



 マルコが不意に口を開き受付嬢に語り掛けた。



「この魔物の名前は何と?」


「ございません。あくまでもネームド級の存在であったというだけで、名づけがされていないのです。…………ですが、神隠しのダンジョンに現れる魔物については、ギルドと冒険者の間で用いられる仮称がございまして」



 受付嬢へ三人が顔を向けると。



「我々は『新世界の魔物』と呼んでおります」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 船に戻り、資料を読みふけることしばらく。

 窓の外に漆黒の帳が降りだした頃、アインは思いのほか没頭していたことに気が付いて一呼吸入れた。

 資料をソファ手前のテーブルの上に置くと、そのまま勢いよくソファに横になる。



「新世界ってのはいい得て妙なのかも」



 竜人の目的に加え、彼女の生まれ故郷という言葉を思い返す。



 ふわぁ……と疲れた様子で欠伸を漏らすと、おもむろに懐を漁った。

 こうして手に取ったのは一冊の本だ。カティマから貰った、何でもいいから書いてみろと言われて書いてみている例の本だ。

 アインは胸元からぺンを取り出して本に記していく。

 今日あったことを、そして驚いたことも好きなように書きだした。



「いい加減、本のタイトルも決めないと」



 今はそんな余裕はないが、どうせまだまだ書いていく本だ。ゆっくりでいいだろう。



 ところで腹がすいた。

 外を見る限りほぼ半日にわたって資料を読み漁っていたようで、王太子の腹が不躾に音を上げた。

 幼い頃なら力が暴走して周囲の魔石を吸っていたはずだ。

 当時は不意に、鼻孔をくすぐる香しさに身をよじったこともあるぐらいだ。



 すっ――――と。

 昔を思い返すようにアインの鼻が震えた。



「サンドイッチだ!」



 扉の外から届く香しさに、思わず涎が浮かぶ。

 トン、トン。

 間もなくノックされた音に「どうぞ」と冷静を装って答えると、現れたのはクローネだ。



「そろそろかなって思ってたの」


「ありがと。最高のタイミングだったと思う」


「ふふっ……でしょ?」



 彼女は慣れた手つきで茶と軽食を並べると、アインの手前に腰を下ろした。

 するとアインは「いただきます」と口にして食事をはじめる。腹が満たされていくと同時に、紅茶の香りにほっと身体が温まり、癒されていく。

 アインを眺めていたクローネが幸せそうに目を細める。



「美味しい?」


「ん、すごい美味しい。何なら明日も同じのでいいぐらい」


「それね、私が作ったの」


「……明日もお願いします」



 連れてきた料理人の品かと思ったが、クローネが作ったと言われても彼女なら違和感がない。

 それを聞いたアインは、更に幸せそうに食事をつづけた。



「今日はこのままお泊りしてもいい?」


「ん、いいよ」



 食事に夢中なのか、アインが即答した。

 するとこの状況に悪戯心を抱いたクローネが考える。

 どこまで即答してくれるか気になっていたのだ。



「お風呂も借りたいの」


「いいよ」


「使ったことがないお風呂は怖いから、一緒に入ってくれる?」



 何が怖いだ。意味の分からない言葉に自分でツッコミたくなる気持ちを抑えたクローネ。

 しかし抑えた甲斐があり。



「いいよ」



 アインがあっさりと返事をした。

 これは彼をイジれる。

 幸せそうにしていたクローネが楽しげに笑い、彼の食事が終わるのを待つ。終わったところで一気に捲し立てることで、照れるアインが見たくてたまらなかった。



 それから十分は経たないところで、アインが満足げに紅茶を飲み干して言う。



「ごちそうさまでした」



 ここでお風呂に――――クローネは言うつもりだった。

 食後の休憩がてら、こうしたやり取りで彼に甘えたかったからだ。

 しかし、状況が一変する。



「少し休憩してからだね」



 アインの言葉にクローネが目を白黒させる。



「休憩してから……って何かしら?」


「いやいや、クローネが自分で誘ったんじゃん。お風呂にって」


「――――え、ええ……誘った……けど」


「ご飯に集中してた俺が考えなしに「いいよ」って言うと思ったんだろうけどさ」



 立ちあがったアインがクローネの隣に腰を下ろす。

 虚を突かれた彼女の頭に手を伸ばし、手触りの良い髪に手を滑らせた。



「ちゃんと考えてたよ」



 逆にクローネの反応を楽しまんとアインが不敵に笑う。

 距離と、表情。してやられたことへの悔しさも少々ありつつも、頭をなでる彼の手つきに蕩けそうになるのに必死に耐えた。

 逆に照れくさくなってしまった始末を、彼の胸に顔を押し付けることで紛らわす。



「あー……えっと……取りあえず、お泊りはしていく?」



 すぐ頭の上から届く、苦笑交じりの優しい声に。



「…………する」



 少し不満げに、でもそれ以上に嬉しそうに頷いて返したのだった。



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