開闢。
野原を駆けるオズは何度か振り返った。けど一向にエドが追いかけてくる様子はなく、他に追手がいる気配もない。
草花はオズが動くたびに香り、風が草花を揺らす穏やかな音が辺りを包んだ。
はぁ――――はぁ、とオズの呼吸が落ち着かない。
今の彼は知識欲と生存本能の狭間にあり、この期に及んで研究への執念を駆り立てられていた。
数十分、王都を離れた場所で立ち止り呼吸を整える。
「ここなら……」
人が住んでいた形跡のある小さな平野。辺りを囲むような木々は周囲の目線からこれを隠し、ちょっとした隠れ家のような奥地だ。
オズは慣れた様子でとある小さな家に入り込む。
廃れてほぼ全壊している家の床を漁って、隠していた木箱を取り出した。
「私はまだ生きられる――――この知識欲も満たすことが出来るんだ」
計画は破綻したが、やり直せないわけじゃない。
木箱の中に収められていた漆黒の欠片を手に取って、うっとりと恍惚とした笑みを浮かべた。
ぎゅっと木箱を抱きしめて立ち上がると。
カタ……っ、と。
不意に背後で軋みをあげた床の音に、オズの表情が歪んだ。
「ここに来るんだろうって、確信してたんだ」
床を踏みしめる音が近づいてくる。
同時に剣を抜く音も聞こえた。
「どうしてそれを?」
「ここはお前が両親と暮らしてた場所だ。お前が両親を殺して、魔石を身体から抜き取った場所でもある」
「……どうしてそれを?」
オズは同じ言葉を口にして尋ねるも、一回目と二回目では緊張の高ぶりが違った。
「未来で知った。未来でお前から聞いたんだよ」
「馬鹿馬鹿しいことを――――言いますねェッ!」
惜しげもなく放り投げた木箱がアインに向かう。
難なく防御したアインだったが、気が付くと腕に鋭利な刃物が突き刺さっており、鈍い痛みと熱に一瞬、眉をひそめた。
「貴方の敗因は勝利を確信したことです」
その声を聞いてアインが刃物を見ると、刀身どころか全体が真っ黒だ。
例の黒い石によく似ていたことから、黒龍の素材からわざわざ作り出したと予想がつく。
「私はこの素材が何という魔物の物なのか調べたいのです。心を蝕み魔力を食う……宿主の感情を昂らせる不思議な素材、何という奇跡の産物でしょうか」
「長の暴走の先が見たかったんじゃないのか?」
「強いて言うなら、どちらも知りたかったのですよ」
「なるほど、お前らしいよ」
もうそろそろアインにも変化が訪れるはずだと、オズはニタッと下卑た笑みをこぼした。
でも何秒経っても変化はない。
いや、それどころか、アインは刃物を抜いて放り投げたのだ。
「残念だけど、黒龍の力は俺に通じないんだ」
「はっ…………こく、黒龍……とは?」
「お前が使ってた素材のことだ。赤龍が黄金の湯船に浸かり業火を浴びる。すると産声を上げる巨大な龍だけど――――もうお前が知る必要のないことだよ」
剣閃が辺りを鈍く照らした。
オズの服の袖が風に乗って舞い上がり、ひじから上に赤い線が生じた。小さな水滴が浮かんでくると、大げさに鮮血をまき散らして腕が落ちる。
「わた……腕……腕が……?」
「厳しい尋問をすることも考えてたけど、我ながら甘い性格のせいか趣味じゃなかったんだ」
「あぁぁあああああッ!? 腕ェエ!? 私の腕おぉおおお……ッ!?」
「だから時間を掛けて徹底的に調べた。泳がせて場所も探った。少しもお前の研究の後が残らないように徹底的にね」
「あはぁ……はぁ……! 痛い。痛い痛い痛い痛いィ……! これが! これが皮膚を断ちッ、肉を切り裂き骨を両断される痛み……ッ!?」
「シャノンの力を借りる気はなかった。彼女の心に新たな傷を作りたくないし、万が一を思うと避けるべきことだったからね」
今この瞬間もオズは痛みに喘いでいる。
これはアインが否定した厳しい尋問と大差ないのかもしれないが、オズがしでかしたことへの罰として、このぐらいなら、と目をつむっていた。
脂汗と血潮が地面に滴る音。痛みに喘ぎながら痛みを知り不敵に笑うオズを見ていると、彼の異常な性格に辟易とする。
「お前はきっと、俺が何を言っても謝罪なんてしないと思う」
「ハッハァ……痛い! 痛いぞォッ!? 何て痛みだッ! 何て稀有な痛みを学べているのだぁッ!?」
「何の後悔もしないまま終わりを迎えるのは許したくない。だから俺は一つ思いついたんだよ」
と言って、アインはオズの目の前に立った。
すると、剣を振り上げて彼を見下ろす。
大きなため息を漏らしてから、オズが何よりも嫌う言葉を投げかける。
「お前はもう何も知ることが出来ない」
オズは痛みを忘れ、はっとした様子でアインを見上げた。
「もう一度言おうか。お前はもう何も知ることが出来ないんだ」
「――――やめろ」
「二度と新しいことを学べないし、研究も出来ない。ページがなくなった本のように、もう新たな物語が紡がれることはない」
「やめろ! いいからその口を閉じるんだッ!」
「ああ、ならそうしようかな」
そう言ってアインは剣を突き刺すように構え、オズの額を鷲掴む。
「何をするつもりだ」
「口を閉じろって言われたから、もう話すことはない。終わりだよ」
「は、ははっ……!」
するとオズがはじめて媚び諂ってきたのだ。口は半開きのままに、目じりを軽薄に下げる。残った腕を上げてアインの頬に手を添える。
命乞いの言葉でも言うか、そうアインが考えた矢先のこと。
「では死後の世界を学ぶと致しましょう」
言うや否や、アインの頬に舌を滑らせた。
刹那、オズの核が砕かれ、彼の意識が消え去る前にアインが言う。
「魔石には魂が宿ってるって言う。だからお前の魔石は厳重に封印して――――海の底に沈めることにした」
オズはついに後悔し、言葉にならない息を漏らし口を動かす。
そもそも言葉を発せられたとしても、今の彼は大したことを言えなかっただろう。何もない真っ暗闇に封印されると言われ、さすがのオズも絶望していたからだ。
やがて命の灯が消えたころ、アインは先ほどの言葉と違い魔石を砕く。
「嘘だよ。保管しといてもろくなことになりゃしない」
最期に後悔させられただけで十分だったのだ。
死に際のオズを想えば、それだけで心がすっとする。
さて、と。
アインは息絶えたオズから手を放して、空を見上げて目を閉じ手呟く。
「これで終わったんだ」
◇ ◇ ◇ ◇
夜、王都は大きく賑わっていた。
アーシェとマルクの仲たがいが終わったどころか、突如現れた敵も討伐。あとは国の規模も更に大きくなったことで民の喜びはひとしおだ。
城の中庭では、例によってウォーレンが本を読んでいる。
アインはその姿に苦笑して、自分の隣に座るラビオラに目を向けた。
――――どうみてもクローネだ。
すると彼の視線に気が付いて、ラビオラが微笑みかける。
「久しぶりにお城に帰れたわね」
「だね。あっちでの暮らしもよかったけど、実家の方が居心地がいいよ」
「私もそう思うけど、マルクはもっとでしょうね。死んでからは魔石だって自分の部屋においてくれー……なんて言ってた人だし」
「え、そんなの言ったっけ?」
「結構前にね。魔石はお墓じゃなくて部屋において欲しいって言ってたじゃない」
「――――言ったかも」
嘘だ。そんな記憶はない。
だがマルク本人が言ったのだろう。
「あれ?」
アインの視界にシャノンが移った。
まだ皆が騒いでいるのに、彼女は一人で城内へ進んでいく。
その様子が気になったアインが立ち上がる。
「騒ぎすぎて火照ったみたいだから、ちょっと散歩してくるよ」
「ええ、分かったわ」
そう伝えて城内に向かうと、シャノンは階段を上るわけでも人と話すわけでもなく、城の影となっている奥の方へ足を進めていた。
なんだろう。
やはり、彼女の目的が気になって仕方ない。
「んー……」
今は何となく、追うのが正解な気がしてならない。
だから静かに後を付けたのだが。
(あっちって確か)
ここは牢屋へつづく道だ、と気が付く。
未来では王家墓所へつながる場所で、アインにも思い出深い場所だ。
シャノンはあそこが苦手だったはずなのに、何故そこを目指してるのか不思議だった。彼女は一向に足を止める気配がなく、一直線に牢屋を目指している。
「……ふぅ」
彼女は吐息を漏らしてから扉に手をかけ、迷いもなく中に入っていった。
「え」
嘘でしょ? と言葉にしないでアインは追いかける。
すぐに扉を開けると、中にいた彼女が驚いた顔で振りかえった。
「ど、どうして貴方が来るのよ!?」
「いやこっちのセリフだけど……」
ところで、もうここは牢屋には見えない。
マルコが破壊したからか、今となっては窓もつけられて、ちょっとしたサロンのような場所だ。月明かりに照らされていて、悪くない部屋に思える。
「私はその、もう大丈夫かどうか調べに来ただけよ」
「大丈夫って、何が?」
「……ここの暗がりが怖いかどうかよ」
以前のような真っ暗闇ではないが、今でも灯りがなければ確かに暗い。
後は彼女が閉じ込められた時の苦手意識もあるだろう。
「何かわかんないけど、大丈夫かもしれないって思ったの」
シャノンはそう言って胸の落ち着きを確かめる。
自分自身でも驚くほど落ち着いていて、普通でいられたことに驚き、喜んだ。
それからアインと距離を詰めて、あと数十センチの距離に立つ。
「さっき言ったことって、嘘じゃない?」
「えっと、どれのこと?」
「……私が無価値じゃない。って言ってくれたときのこと」
アインが「当然」と頷き返すと、シャノンは笑った。
「貴方は私にとって朝陽より眩しい人。春の温かな風より優しくて、この大陸よりも大きな器を持った人だと思う」
「さ、さすがに言いすぎだと思うけど……」
「ううん。そんな貴方だから私は救われたんだから」
「…………」
「貴女が照らしてくれないのなら、生きる意味も見いだせない。弱さを露呈して、それでも心と身体を委ねたいと思わせられたの。ほんと貴方はズルい人」
不満を添えながら表情は明るく、こぼれんばかりの笑みを浮かべていた。
どんな異性でも虜にできるであろう華やかな微笑をアインに向けて、目は喜びと高揚から潤んでいて艶美。
シャノンはそれからすっと深呼吸をした。
(――――あれ)
ふと、アインの視界が霞みだした。
世界が色を失って、音が鮮明に聞こえなくなってくる。
だが体調に異変はない。
「聞いてほしいこ――――の」
「うん、何?」
「私――」
徐々にその症状は顕著になっていった。
目の前のシャノンしか見えないが、彼女の声が上手く聞き取れない。
「私――――貴方のことが――――」
言葉は聞き取れないが、不意に顔を近づけたシャノン。
彼女の唇がアインの唇と重なる直前に、彼女の身体が光の粒に分解されて溶け込んでいく。間もなく部屋も同じ症状によって消えていった。
辺りがどこまでもつづく、真っ白に輝く空間に変貌していく。
すると、パチ、パチ、パチと音が聞こえてきた。紛れもない拍手の音だ。
「さすがだよ」
声がするほうに振り返ると、そこにいたのはライルだ。
彼は以前と変わらぬ格好で居て、アインを拍手で称えていた。
「キミの勝ちだ」
「俺の勝ち……? あ、ああ……そうか、これは勝負だったんだ」
「どうしたんだい? 今の世界に名残惜しさを覚えたのか?」
「だとしたら、なんだって言うんですか」
「――――どうだろう。キミは現実にもこの結末を臨むか? 本当の世界が、今このように終わった幻想世界のようになることを臨むか?」
「望まない。いや、望むことなんてできません」
「おや。少しも悩まないとは恐れ入った」
「今までのは夢と同じだ。きっと誰もが望んでいた最高のハッピーエンドなんて、そんな都合が良くて、耳障りの言い言葉は許されない」
一番の心残りはシャノンのことだ。
彼女が不憫で堪らないし、彼女に救いが与えられなかったことに心が痛い。
だがそれでも、都合のいいハッピーエンドは望めない。
「俺は元の世界に大切な人たちが居る。今までの世界で生きた人たちを否定する気はないし、現実でも救いたい人が居た。でも――――」
仮に歴史を変えられたとして、出会えなくなる人が大勢いるかもしれない。
例えば、自分をこよなく愛してくれている金髪のエルフもそうだ。
「ところで、勝敗の基準はわかったかな?」
「……イシュタリカに大戦をもたらさないことが主軸だったと思います」
「ふむ、残念だけどちょっと違う。今までの勝負は、初代陛下が救えなかった者を救えるかどうかの勝負だったんだ」
それはイシュタリカの民に加えてカインやシルビアだけではない。
「シャノンのことは……どうしても救ってあげられないんですか」
「救いたいのかい?」
「当たり前です」
「残念だけど、
アインはそう言われるのを分かっていた。
でも心の中で、何か手段がないかと期待していたのだが、想像通りの答えに目を伏せる。
「さて、長かった勝負はこれで終わって、まず一つはキミの勝ちだ。さぁ、キミは何を知りたい?」
三枚のコインを手のひらに置いたライルを見て、アインは言う。
「母上の秘密を」
「本当にそれで……ああ、その顔を見れば聞くまでもないようだ」
放り投げられたコインをアインが掴み取る。
すると、視界が一瞬で変貌した。
頭に巨大な隕石でも落ちたような強い衝撃にアインはしゃがみこんで、頭を両手で抱えて目を伏せる。
◇ ◇ ◇ ◇
映し出された情景はアインもよく知る城内、謁見の間だ。
そこは青白い月明かりに照らされて幻想的で、久方ぶりに見た風景にアインは懐かしさすら覚えた。
そこへ一人の少女が現れる。
艶やかな濃い茶髪を揺らす彼女の姿は見間違えることはない。
まだ少女だったころのオリビアだ。
彼女は謁見の間に来るや否や、シルヴァードの玉座にしなだれかかり、涙を流す。
「……お兄様」
嗚咽交じりの声からは、心の底からの悲哀が伝わってきた。
「どうして、何故私たちの元からいなくなってしまったのですか」
と言い、大粒の涙で玉座を濡らす。
誰一人として慰める者はいない。むしろ彼女は一人で泣ける場所を探してここに来たのだろうから、それで正解なのだが、アインは今すぐに駆け付けて肩を抱きたい衝動に駆られてしまう。
どれほどの時間が経とうとオリビアは一人だ。
数分、数十分と時が過ぎると、彼女は泣き疲れた様子で身体を起こす。最後に気丈に振舞った彼女は玉座の間を去ろうと歩き出した。
しかし不意に、一陣の風が目の前から彼女を襲った。
「っ……風?」
窓は締まってるし、扉は開いていない。
不思議に思い立ち止ると、聞いたことのない人物の声が耳に届く。
何者かの気配を感じて振り返ると。
「イシュタリカ王家の血を引くドライアドの少女よ、儂と契りを交わすきはないかのう」
そこにいたのは、玉座に腰を下ろした少女だ。
見目麗しさは人間離れしていて、イシュタリカの白銀よりも美しい銀髪が月明かりに照らされていた。
「貴女は」
「何じゃ、少しも動じておらんのう」
「……貴女は何者です」
「神族を屠れる力を持った竜人じゃよ」
「――――訳の分からないことを言って、煙に巻こうとしてるのですか?」
「知らぬ言葉を聞かされて一蹴するのは如何なものかの。まぁ、上に立つべき王族ならば致し方ないのじゃろうが」
すると竜人は咳払いをして居住まいを正した。
「儂と契りを交わした暁には、ライルとセレスティーナの二人が何をしてるのか教えてやる。興味があるか、否か」
「ッ…………私に何をしろというのですか?」
「聖女との呼び名が高いお主に頼みたいのじゃ。真の聖女となってくれんか?」
「はい、とは言えません。私が何か約束することで、この国に仇を為すことはあってはなりませんから」
「お主の兄たちのようにか?」
「ッ――――!?」
「おお、すまんすまん。意地の悪い返しじゃったな」
オリビアは苛立ち、悲しみ、そして焦りといった感情に苛まれた。
気が付けば警戒心なんて少しも残っていなくて、ゆっくりと竜人との距離を詰めている自分に気が付く。我ながら、肝の据わった行いに感じていた。
近づいたオリビアを見て、竜人が懐から一つの魔石を取り出す。
「儂はこの魔石の持ち主を呼び戻したい。魔石には持ち主の魂が宿ることがあるが、残念なことに、この魔石に宿っているのはただの力のみでな」
見せつけられる魔石の色は新緑だ。
暖かく、そして優し気な印象を抱かせる奇麗な色をしていた。
「あ奴は魂ごと力に変えて、この国を救うことと引き換えに世界を去った」
すると今度は、竜人の指から金糸が宙を舞う。それは何処に繋がっているのか分からないが、窓を貫通し、空に伸びていってるように見える。
「この糸は儂の力じゃ」
「糸が……力?」
「左様。儂が持つスキルはこれだけでの、あ奴との縁はこれのおかげで保持できておる。いずれその魔石へと繋ぎ、呼び戻すためにの」
「先ほどからあ奴あ奴と、誰のことを言ってるのですか」
ここまでオリビアがある程度の落ち着きを保っていたのは、兄とセレスの情報が聞けるかもしれないという期待感からだ。
相手の名前も素性も知らないまま、それを頼りに平静を保っていた。
「さっき言うたであろうに。この国を救った者じゃよ」
「ッ……初代陛下……なのですか? いえ、そんな非現実的なことはッ」
「信じるかどうかはお主次第じゃが、できれば信じて欲しいと思っておる。マルクはドライアドじゃった。つまり、ドライアド以外の存在を依り代に舞い戻ることは出来んのじゃ」
「まさか貴女は私に――――ッ」
「勘違いしないでほしいのじゃが、お主が孕むわけではないのだ。お主という
「ドライアドの習性を利用してくれ、と?」
「うむ」
突拍子もない言葉に困惑した。
けどオリビアは、家族の情報を聞けることのほうが重要だった。
「……私に英雄王と根付けと申されるのですね」
「さて、ドライアドの価値観にすべてを押し付ける気はないし――――お主という個人を軽んじる気もない」
「どういうことでしょう」
「あ奴が戻り次第、お主とあ奴の根付きの縁は儂が断ち切ろう。私が戻めるのはあ奴が戻るための手段であるからの。それにお主に、良き異性が出来んとも限らん」
すると不敵にオリビアが笑う。
「一切の是非もありません」
はっきりと言い切ると、彼女は竜人の前に跪いた。
目を閉じ、祈るように両手を重ねている。
「意志の強さがあ奴によく似ておるな」
「私は私です。決して貴女が語る英雄王ではございません」
「さもありなんか。よい、お主の事が気に入った」
竜人の手からマルクの魔石が離れていく。
宙に浮いて、竜人が出す糸が絡みつき、光り輝く繭となってオリビアの身体に溶け込んでいった。
それからオリビアは、今まで感じたことのない感覚に浸る。
何か、身体の中にいる存在と縁を持った感覚だ。
「あ奴の名は好きに付けてくれ。あと、生まれ変わったあ奴のことは、新たな存在として受け入れてくれると助かる。以前の力を失ったあ奴は、また心の強さを持ってその身を磨き上げていくであろうからな」
そう言って竜人が宙に浮いた。
「またすぐにでも来る。悪いが今は取り込み中での、また一年……いや、数年以内には会いにこよう」
「お、お待ちください……! 私はいずれ、海を渡り他国の貴族に嫁ぐかもしれません」
「何も気にすることはない。儂は何処にいてもお主を見つけるだろうしの。それにお主が心配しているであろうことも安心せよ。あ奴が生まれてからすぐにでも、お主とあ奴の根付きを断ち切る。お主が嫁いだ先で不義をいたすことはない」
返事を聞いたオリビアが胸を撫で下ろした。
「はっはっは! 何じゃ何じゃ、あ奴ならばよいというのに、他国の貴族では根付くのが不安じゃったか?」
「そ、それは……! ええ、英雄王なら添い遂げろと言われても頷けます。ですが、何も知らない貴族を相手に根付き、命を共にせよというのは……心がすぐには落ち着きません」
「まぁ、ドライアドの価値観じゃしな。仕方なかろうて」
「――――嫁ぐからには、祖国と夫のために不義をしてはなりませんから」
「良い心がけじゃ。ま、そうは言っても何が起こるか分からんものよ。お主がその貴族とやらに心を寄せられないどころか、別の問題が起こることもあり得るじゃろ。儂は百人の娘を儲け、その全員と結婚して、全員と離婚した神族を知っておるぞ」
「後半の話は良く分かりませんが、そうしたことは滅多に起こりませんので」
こうして竜人が去っていった。
来た時のように、風になって彼女の姿は消える。去り際に約束通り、ライルとセレスのことが書かれた手紙を置いて。
さて、また景色が変わっていく。
今度はオリビアがおらず、アインが今いる場所によく似た、真っ白な空間に変わった。
無造作に置かれたソファが一個ある。その上に竜人がちょこんと座っていた。
ふと。
「――――むむ?」
彼女の視線の先、何もない所に光球が生まれた。
まばゆい光はあっという間に人型を模した。
「まったく、ようやっと戻ったか」
「あれ、ここは……?」
と、人型が言う。
「良く来たのう」
「え、貴女は?」
「儂はまぁ……神のようなもんじゃ」
人型の顔は見えないが、呆気に取られているのは分かった。
「お主は死んだ。というわけで女神の儂に呼び出されたというわけじゃ。お主を別の存在に転生させてやろう」
「ッ――――マジですか?」
「うむ。マジもマジ、大マジじゃ」
「それって、ラノベとかゲームみたいな……そういうのですよね!」
「似たようなもんじゃよ、きっとな。というわけで、お主にはガチャを回してもらうとしよう」
更に呆気のとられた人型に対し、竜人が話をつづけていた。
どうしてこうなったか、これからどうなるのかをいくつか説明していった。
「
アインが聞いたことのある台詞だ。
「一応聞きたいんですけど、じゃあ、俺の前世もそうして誰かがガチャみたく回したと?」
「この私じゃない別の神が回したぞ」
「その時の結果は?」
「コモン、いわゆるノーマルじゃ」
つづけて死因などの話をして、巨大なガチャマシンが現れる。
人型が得たカプセルに書かれていた力は『毒素分解EX』だ。人型はそれを見て驚き、落胆していた。しかし竜人は笑い、心の中で満足感に浸る。
――――そして、ラウンドハート家に彼が生まれた。
オリビアが彼を心から愛しているのは、彼の過去の偉業によるものではない。どこまでも真摯で努力家な性格の彼を見ていて、竜人に聞いた話を忘れ、自分の意志で自然と彼に愛を注いでいたのだ。
新たな個人として、ドライアドの習性から誕生した一個人として――――。
◇ ◇ ◇ ◇
以前、小さな違和感に気が付いたことがある。
マルコには仕える主が居たはずなのに、彼はアインに仕えることが最良だと口にしていた。だが、忠義の騎士である彼の口から、本心でその言葉が出てくるとは思えなかった。
仮に本心ならば、アインが仕える主という事になる。
そしてアインは最近まで、マルコが仕えるはずだった相手の立場にあったのだ。
思えば綻びのように、小さな手掛かりもあった。
シルビアとカインが意味深に呟いていたこともあったし、他にもいくつかの細かいことにあれ? と思うことがあったのは否定できない。
だからだろう。
アインは意外にも冷静で、頭痛が収まった時点でゆっくりと立ち上がった。
事実に納得していたわけではないが、取り乱す様子はない。
「前に聞いたことがあるんです」
「……それは?」
「初代国王マルクが死ぬ前に言った言葉なんだって」
それをはじめて口にしたのは、ハイム戦争終了間際のマルコだ。
彼はそれを共に歩くクローネに語り聞かせた。
『えぇ。あのお方は息を引き取る前に、こう言い残されたのです。『もしも生まれ変われるのなら、奴らに勝てる魔王になりたい』と。私はその言葉を信じ、何百年もの間、任務と共に魔王城にて待ちつづけておりました』
アインがこれを聞いたのは終戦後のことだが、一言一句違わず覚えている。
すると、静かに聞いていたライルが思い出したように言う。
「ところで、勝負は二本勝負だが」
「もう十分です。残る情報はあの竜人に聞くべきだと思うので」
「……ああ、そう答えるだろうと思っていたよ」
するとライルが指を鳴らし、すぐ傍に扉を作り出した。
「私とセレスが何をしたのかも、彼女に聞くのかい?」
「そうします。これが一番筋が通ってる気がしますから」
「なら最後に言わせてくれるかな?」
「ええ、何でも」
すっ、とライルが膝をつく音がした。
それから間もなく、懺悔するようで称えるような、複雑な感情が入り混じった言葉が聞こえてくる。
「――――私は初代陛下が嫌いだった。何をしても勝てない人物に対し、妬みと苛立ちばかり募らせていた。父上もきっとそうだろうさ」
「同じことをお爺様から聞いたことがあります」
「ははっ、そうだろう? しかし勝てないのも当然だった。理由はついさっきまで――――この目にしかと見せつけられたのだから。今では胸がすく思いだ」
しかしアインは自嘲する。
「たった一人の女性を救えなかった男にその言葉は重いですよ」
「……ん?」
「俺は彼女に、シャノンに救いを与えられなかった。俺が救ったのは幻想でしかないシャノンだ。あれでは……彼女があまりにも不憫じゃないですか」
誰もが喜べるハッピーエンドが欲しい、というのは贅沢だろう。
アインはその贅沢を望んでいる。だが過ぎ去った時間は取り戻せないし、過去を改変するなんて持っての他だ。
「ときに、彼女が死んだのは何時だと思う? 君が現実で彼女を切ったときか? あるいは魔石を吸い尽くし、身体が横たわったときだろうか?」
実はそのどれでもないのだと。
「復讐にかられた彼女が死んだのは数百年前、魔王大戦の更に前まで遡る。彼女は黒龍の力に影響を受けてしまい自我が消え去った。その後からは言うまでもないが、アレは彼女の名残だったものが欲に駆られ新たな人格を形成してしまった――――別の存在だ」
「だから何を……ッ!」
「個人を特定する要素はいくつもあるが、大きなものは人格と魂だ。肉体なんて結局は依り代に過ぎず、見分けをつけるための器でしかない。が、何よりも個人と言うべきものが存在する。魔石だ」
「なら、その新たな人格も生きてるってことになる」
「そうはならない。あの意識は彼女の魔石に生まれた個人ではないからだ。彼女の魔石に生まれた個人は彼女でしかないし、新たな意識はただ間借りしていただけにすぎない。そしてその魔石は、キミが吸い尽くされている」
そこまで言うと、ライルの身体が透けていく。
「あのお方はキミ――――貴方が考えるよりも慈悲深い。貴方との縁があったからだろうが、あの方もまた不憫に感じていたようだ」
「悪いけど、意味が分からない」
「難しい話ではない。あの世界はあのお方の力による作り物だが、貴方とある人物だけは本物だ。魂と呼ばれるモノを実際に持ち込んでいたからね。偽物を救っても評価に値しない、そういうことだ」
「ッ――――それって!」
「私は言ったはずだ、彼女を救うことも勝利条件だったとね。さて、更に明確な
そして。
「悪いが、時間切れのようだ」
扉が勝手に開いた。
アインの身体を力強く吸い込んでいき、ライルとの距離が開いていく。
手を伸ばしたアインは耐えるが、こらえきれない。
一方のライルは頭を下げて口調を改めて。
「この先の物語を見れないことはひどく惜しい。だが願わくば、貴方が望まれる結末を得られますように――――
天才と謳われた第一王子らしく、優美な仕草で見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます