アインの言葉と、研究者と小物。

 城下町の外に、普通ではない様子の魔物が姿を見せていた。

 血走った瞳は空腹の魔物ならありふれたものだが、体躯は不自然に隆起した筋肉で覆われた魔物しかおらず、吐かれる息は水列車の炉から出る蒸気を思わせて止まない。



 王都の民は怯えて戦士が動き、アインが連れてきた戦士もまた魔物に備えた。



「――――マルク様」



 と、城を出てきたアインをウォーレンが迎える。



「すべて想定通り。そして、すべて僕の調整通りに進んでいる」


「さすが。全部任せといて正解だったよ」


「それは構わないが……どうするんだ? あいつは……僕の同族はきっと――――」


「もうすべて終わらせる。泳がせておくのはもう終わりだ」



 するとアインは城下町の外に向けて足を進め、ウォーレンが彼の一歩後ろを歩きだした。

 騒ぎの中、彼らは少しの落ち着きのなさも見せず、冷静だった。予定通りとあって急ごうとせず、悠々とした歩き姿を晒していた。



「でも、ひとつだけ疑問なんだ」


「へ、何が?」


「…………外のいる魔物だ。正直解せない。あの男はわざわざ策を講じるようなことをしておきながら、本当にこれで成功すると思っていたのか?」


「ああ、用意した魔物で被害を与えて、自信の目的を達成できたかってことね」


「不思議じゃないか? こんなの負け戦に他ならない。もっと何か……別の手を考えているように思えるんだ」


「たとえばどんな?」


「僕なら、僕たちが逃げた地に仕掛けると思う。あの地に住んでる民を餌にして、更なる絶望と悲劇をマルク様に贈ったはずだ」


「え…………俺、そんなことされるの?」


「だ、だから! これは仮の話って言っただろう! あの男がアーシェ様を研究対象に選んで暴走の先を欲してるのなら、それはマルク様の暴走でも大差はない!」



 今のウォーレンは言葉にせずとも、アーシェとアインの実力が拮抗していると認めていたのだ。

 いや、もしかしたらアインが勝ってるかも、とすら考えている。王都から逃走するきの立ち回りなんて、何度聞いても彼にしかできないと称えられるぐらいだ。



 だからオズがアインの暴走を欲しても、不思議ではない。

 しかしそれができない理由の察しは付く。



「俺のとこには来れなかったんだよ」


「どうして確信できるんだ?」


「俺がそうならないように父上と調整したから」



 ウォーレンは聞いていない、と不満げに顔を歪めた。

 歩いているうちに少しずつ城下の騒ぎの中心に使づきつつある。もう、ゆっくりと語り合う時間もごくわずかだ。



「研究者が一人で危険な場所で生きられるはずがないんだ。魔物で実験するにしても協力者が必要だし、その協力者が王都を離れる気が無ければ、あの男も王都を離れられない」



 これが未来のイシュタリカで水列車が普及しているのなら。そして街道が整備され、数多くの冒険者が魔物を狩る時代なら話は別だ。

 現状、そうした安全を得られる要素は全くのゼロ。

 未来に比べて危険な場所は比べ物にならない。



「そうかッ。マルク様とカイン様が語っていた、使い勝手のいい存在っていうのは――――ッ」


「ん、そういうこと」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 シャノンが居る場所に戻ったアインが見たのは、彼女を連れて行こうとするオズだ。

 と言っても誘拐が如く連れ去り方を披露しているわけではない。彼はあくまでも同胞の長に対し、礼を失しず必至の形相で、ここは危険だと言って逃げようとしていたのだ。



「長よ! ここにいては魔物の餌食となるだけです!」



 辺りの戦士がいるにもかかわらず、オズは必至の説得を試みていた。

 彼の姿は滑稽だ。

 自分の企みが看破されていることを少しも理解せず、まだ計画の途中にあると踏んで、強気でここに現れているのだから。



 全てはアインというイレギュラーな存在のせいだ。

 しかしこの場においてそれが狡いと指摘できる者はいないし、指摘されてもアインは意に介さないだろう。



 さて、シャノンの元に戻ったアイン。

 彼を見てもオズは表情を変えず、シャノンと共にこの場を離れようと試みていた。



「私はここにいるわ」


「どうしてなのですッ!」


「……彼が守ってくれるから、私は魔物が襲って来ようと大丈夫」


「ば、馬鹿なことを言わないでくださいッ!」



 当然、シャノンもオズの企みは聞いている。

 聞いていなくとも今の彼女ならアインを選ぶだろうし、さして大きな影響は無い。

 ところがオズにとっては大きな影響だ。



「あちらをご覧ください……! まだ多くの魔物が――――魔物……が……」


「魔物はあの一陣で終わりだ。もう来ないよ」


「……これはマルク様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ですが、どうしてそのように確信できるのです!? こうしている時間が無駄だッ! 私は長と共に急いで非難をッ」



 オズはそう言いつつ、魔物の様子に違和感を覚えた。

 予定通りなら更に第二陣、そして第三陣と押し寄せるはず。だと言うのに、もう騒ぎは収まりだしているように思えてならないし、落ち着きすぎている周囲の戦士が不思議でたまらない。



「外で父上がマルコと構えてたから、王都に侵入することは叶わないんだ」


「ッ――――」



 ふと、オズの顔が硬直した。

 首筋に汗が伝い、呼吸が少し乱れてしまう。



「だとしても変だ、って思った?」


「いえ……討伐されたなら、それに越した事はないかと」


「へぇ、まだそう言うのならいいよ。俺が勝手に君の考えを当ててみるから」



 アインはそう言ってシャノンの手を握り、強引に自身の傍に寄せた。



「計算通りならカインたちが居ても大丈夫。王都に侵攻できるはず。十分な数と戦力を集めているのだから、予定の狂いはない。けどどうして魔物は来ないんだ? ってとこだと思う」


「…………ッ」


「多分だけど、君の計画が成功したのは幸運でもあったんだ」


「わ、私の計画が成功……?」


「そう。俺は君の計画が成功した未来を知ってる。君の計画は入念だったけど、それだけでは成功できない壁がいくつもあった。カイン、シルビア、そして王都の戦士たちもそうだ」


「何のことを話しているのですか?」


「気に入らない感情を吐き出してるだけだから、黙って聞いてろ。君……お前はだから計画を成し遂げられた。魔王アーシェとシャノンの二人を暴走させて、王都そのものを研究室扱いした挙句、民を研究用のネズミ扱いにした」


「何を……マルク様は……何を知って……それにシャノンとは誰のことで!」


「けど、すべてがお前の実力じゃない。歯車がかみ合って、そこに幸運があったから成し遂げられたんだ。俺が良く知るお前なら、今のような計算ミスはしなかったよ」



 オズにも知らないことが多かったからだ。



「何も抱えていない父上がどれだけ強いのか、お前はまだ知らなかったんだ」



 海龍を一刀に切り伏せられる最強の剣士の実力を。

 彼が自分の剣を振ることに専念したとき、どれほど強大な魔物であろうと、目の前に立つことは許されないという事実を。



「ま、そういうことだな」



 と、現れた最強の剣士カイン。

 石畳を我が物顔で歩き、大剣を肩に担いで現れた。

 一切の傷もなく、少しの疲れもない。

 いくら強化された魔物であろうと、それが赤龍や黒龍でなければ同じことだ。ただ数が多いだけの魔物に過ぎず、苦労するなんて以ての外だ。



「マルク、話は済んだか」


「ええ、もう終わりましょう」



 もうすべてバレている。

 察したオズは血の気が引いて、核が大きく鼓動した。



「長……!」


「…………私に何かしようとしてたのは本当?」


「違う、長……違うのです! これはきっと不運な誤解で!」



 シャノンは悲哀を顔に浮かべアインにしがみつく。

 もはや全幅の信頼を置いていて、彼が死地に向かうと言っても、笑顔を浮かべて付いていけるだけの心があった。



 彼女は自分を庇ってくれないと察したオズは、大きく大きくため息をついて言う。



「男好きの血に負けましたか」



 と。



「何を武器にマルク様の庇護を勝ち得たのです? 長ならばこれまで同様、身体と用いて気を引いたのでしょうか? それ以外に長が与えられる価値のあるものですし……残念ですが、後はあの力以外に思いつきません」


「ち、ちが――――ッ」


「違うなら何を?」


「私は彼に……」



 言葉に迷い、俯いてしまう。

 言われてみると、自分は彼に何を与えることが出来ただろう。思い返してみると多くを話してきた記憶はあるが、何か与えた記憶はない。



「私は彼に……何を……」


「そうでしょう。何かを与えられるような方ではありません」



 するとオズは打開の一手の実行に移った。

 この調子なら暴走させることができる。マルクに傾倒してることは予想外だったが、その感情を揺さぶれば、元から不安定な彼女なら使い物になると考えた。



 やがて予想通りに彼女が頭を抱え、アインの身体にしな垂れる。

 全身から力が抜けて、もうしゃがみこんでしまいそうになった刹那。



「大丈夫、いつも俺はたくさんのものを貰ってるから」



 アインはそう言ってシャノンの身体を支えた。



「朝晩に淹れてもらうお茶もだし、ご飯を作ってもらったこともある。遠く離れた地では民のために働いてくれたし、帰った俺を笑顔で迎えて貰ったんだ」


「そんなの、誰にでもできるのでは?」


「逆に誰にでもできない事って? たとえば姉上のように魔王になること? それとも父上やマルコのように強い魔物であること?」


「ええ、その特別なことが必要に思えます」


「だけど、皆がする必要のあることじゃない。尊ぶべきことを否定する気はないけど、魔王になれない者に価値はないのか? そう思うのならお前も同じく無価値な存在だ」


「……詭弁だ」


「どっちが詭弁だよ。それに与えられる何かが特別かどうかは、受け取る俺が決めることだ」



 アインは培った覇気を隠そうとせず、オズを追い詰めた。

 ひしひしと空気を伝う迫力は、彼の味方には暖かく身を委ねたくなる優しがあったが、オズからすれば刃そのものが勢いよく飛んできているようなものだ。



「彼女がいてくれることで俺は心に充実を得た。すべてに特別な意味が必要なら、俺の心を充実させてくれた彼女は特別な行いをしたことになる。お前が無価値と称した行いは、俺にとって自分の魔石と同じぐらい価値がある」


「どうやら、マルク様も長に傾倒されてるようで」


「ああ。だって俺は、彼女がしてくれたことを尊く思ってる。何事にも必死で、けど、頑張りを隠す様子は水鳥のように健気で美しかった」



 するとシャノンは心に落ち着きを取り戻していく。

 まだ落ち着きのない胸元に手を当てて、強く目を開けてオズを見返した。



「なんて面倒なことになってしまったんだ」



 オズはため息交じりに言うと、来ていた白衣を脱ぎ捨てた。

 白衣はアインの目の前に落ちる。

 何をするつもりだ? 慌てる戦士やシャノンたちを傍目にアインは落ち着いていた。



「今日までお世話になりました。私は今から旅に出ようと思います」



 白衣の内側から赤黒い瘴気が辺りに散る。

 目くらましとしての意味もるようで、あっという間にオズの姿が消えた。



 ところで、人体に有害な瘴気はこの時代なら、未来に比べて脅威は低い。というのも、構成される民族の多くが魔物で、未来の異人種よりも耐性もある。

 しかしこの瘴気は濃くて、この場にいる多くの戦士がしゃがみこんでしまった。



「大丈夫だよ」



 アインがそう言うと、すぐに周囲の空気が清浄化された。

 逃げ去ったオズをカインもアインも追う様子がない。それを見て、ウォーレンが慌てて駆け寄ってくる。



「急いで追うべきでは?」


「いや、俺は別の方に行く」


「別の……? また僕に知らせてない話なのか!?」


「黙ってたのは悪いけど、あいつが逃げる場所は分かってる。二つ……のうち、俺は後の方に行くんだ」



 また確信めいた一言を聞いて、ウォーレンはあきらめの境地にあった。

 いったい彼はどこまで読んでいるんだ。その最果てが分からず、ウォーレンは考える事を放棄してしまう。

 やがてカインが近寄ってくると。



「雄々しく立派だったな、マルク」



 アインを称え、彼の頭を少し乱暴に撫でまわした。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 王都の近く、森の奥にある人目に触れない場所。何もない所だが、ある草と土を除けると、地下に通じる階段が出てくるようになっていた。

 そこにやって来たオズは、大急ぎで身支度をはじめる。



「面倒だ……なんて面倒なんだ」



 計画が破綻したどころではない。

 追手が間に合えば命に危険があるのだ。



「おやおや、お急ぎのようで」


「ッ――――なんだ、君か」



 現れたのはエドだ。

 彼は自慢の槍を手に持って、ゆっくりと階段を下りてくる。



「この隠れ家は教えてなかったと思うんだが」


「ええ。ですが大急ぎで逃げていく貴方を見て、協力者としては見過ごせなかったもので」


「……今は本当に助かる。悪いけど、遠くまで護衛してほしいんだ」


「魔物の脅威があるからですか?」


「そうだ、頼めるかな?」



 オズは話しながら荷物をまとめ、いくつかの素材など、持ち運びに困る大きな物を持っていけないことに愚痴をこぼしていた。

 ところで一向に返事が来る気配がない。

 奴は一体何を迷っているんだ? オズが荷物の用意を終えたところで振り返る。



「おい! 早く返事を――――」


「話は変わるのですが、私は小物らしいのです」


「……は?」



 思わず呆気にとられた声で返してしまった。



「数か月前に、カイン様にそう言われてしまいました。貴様は小物だと。強き者の前にひれ伏し、姑息にも影を狙うだけの小物であると言われました」


「だから何なんだって言うんだ」


「つづけてシルビア様には、小物が生きる道を説かれました。ご存じでしたか? 後ろめたいことのある小物というのは、国という集合体の中で生きるために庇護者が必要なのです」


「だ、だからお前は――――……え?」



 不意に肩を奔った妬けるような熱に、オズの手が自然と伸びた。

 ドロッと滴る鮮血が服と手、そして地面を濡らしていく。



「庇護者の寵愛がなくば首が落ちるだけ。いかがです? 貴方も勉強になったのでは?」


「おま……おまぇぇええ!? どうしてェッ!? どうして俺に槍をォオ……ッ!?」



 が、ここまでくるば馬鹿でも察しが付く。

 自分は前々から裏切られていて、泳がされていたのだと。

 他の隠れ家はエドも知っている。

 つまり、自分が隠していた情報のすべてを知るために、今日まで活かされていただけなのだと。



「申し訳ない……私も命が惜しいのですよ。貴方が更なる強者であったなら、その足を舐めることも厭わなかったのですが。おや? 今の言葉はまさに小物のようだ。我ながら情けない話です」



 槍が地上から舞い込む光を反射した。

 鈍い光が自身の胸を狙いすましたところで、オズは慌てて走り出す。

 彼はまとめた荷物を忘れ、命からがら駆け出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る