頭痛が天敵であるのだと。

 王都に戻ってからの夜は、とんでもない賑わいだった。

 近くの森などでも民が騒ぐほど、マルク――――アインの偉業が祝われた。

 そして翌朝、アインはまた映像を見せられていた。



 内容は恐らく昨日のつづきだ。

 翌朝、マルクの部屋にアーシェが足を運ぶ。機嫌を直したのかと彼が思うほどの笑顔を浮かべていた。



 しかし口を開くや否や、また遠出してほしいと彼女は言う。



 マルクが訳も分からず理由を尋ねると、答えは困ってる人を救うためだと。

 だがマルクは拒否した。

 帰って来たばかりでしばらく休みたかったし、まだ、戦いから心に落ち着きが戻っていない。けれど拒否されたアーシェは激昂してしまい、やがてマルクは了承する。

 すぐにとは言えないが、近いうちにでもそうすると。



 場面が飛び、旅支度を終えたマルクが居た。どうやら季節は変わったようで、雪が降っている。

 王都を発つマルクの隣にはラビオラが立っていた。そしてウォーレンも、ベリアも、最後にエルフの長も近くに立つ。



 つづきが気になったが、ここでアインは目を覚ましてしまう。

 ベッドの上で体を起こすと、服にしみ込んでいた汗に不快感を覚えた。



「…………汗を流さないと」



 ここではその状況には決して陥らないと知っていながらも、身体が重い。

 何せ今の映像は、消し去れない歴史の一部に違いはなかったからだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 昼になる前の、のんびりとした時間。

 アインはシルビアの部屋に備え付けられたバルコニーに居た。

 どこまでもつづく青空から穏やかな風が注がれる中、彼は丸椅子に腰を下ろしていた。そしてその後ろには上機嫌に鼻歌を歌うシルビアだ。



「母上、それってどうやってるんですか?」



 気になったのは彼女が使う魔法だった。

 というのも今のアインは、シルビアに髪を切ってもらっている。アインは知らないが、よくこうして整えてもらっていたそう。



 不思議なのは、手をかざされるだけで髪の毛が少しずつ切れること。

 シルビアの手に撫でられると、細かい髪が風に乗って消えていく。それを目で追うと比喩ではなく消えているようで、これも意味が分からない。



「魔法よ?」


「だろうとは思いますけど……どんな魔法なんですか?」


「特に難しいことはしてないわ。風の魔法を手から使って、それで髪の毛を切ってるだけなの」



 割と物騒な方法に、思わず苦笑してしまう。



「加減を間違えると」


「大丈夫よ、間違えることなんてありえないから」



 それ以上追及しようとは思わなかった。

 正直なところを言えば、力加減を間違えるとは思えない。



「別のことを聞いてもいいですか?」


「ええ、どうぞ?」


「例えばですよ? ほんっとーに例えばなんですけど、俺と姉上が喧嘩したとして……姉上が俺に王都を出るように言ったとします。そしたら母上は――」


「二人から話を聞くわ。どちらかが間違えていたなら正してあげたいから」



 彼女はそう言うと手を止めた。



「でもね、そこに別の意図があったら止められないかもしれないの。例えばマール君がアーシェの言葉に頷いていて、ここで他のことも考えてしまったらってことよ」


「他のことですか?」


「ええ。マール君はエルフの里ですごい事をして帰って来たじゃない?」


「……かもしれないです」


「だから新しい目標が出来るかもしれないわ。喧嘩することはいけないけれど、それが一つのきっかけになっていたのなら」


「俺と姉上の話には介入しないってことですね」


「介入はするわよ? 喧嘩したままにはなってほしくないもの」



 この問いの真意は、アインに取っては歴史の確認だ。

 実際、朝に見た映像の途中は分からなかった。カインとシルビアがマルクを止めていないとも思えないから、仮に似た状況になったときに、どう行動するのか確かめたのだ。



「そう言えば最近のアーシェったら情緒不安定だったけど、落ち着いたみたいで安心したわ」


「俺もです」


「代わりに最近は、赤毛の長から逃げてるみたい。なんでかしらね」



 シルビアは決して馬鹿ではないし、察しも悪くない。むしろ逆だ。

 この時代の彼女がシャノンの行いに気が付けなかったのは、シャノンがシルビアの知らない異能を隠しきれたからだ。

 あのシャノンも、ハイム戦争での立ち回りを思えば頭が回るから猶更だ。



 最後にとりとめのない話を少ししてから、シルビアがポン、ポンとアインの頭を叩く。

 髪の毛を整え終えたようで、彼女は微笑みを浮かべた。



「はい、終わったわよ。私はこれから少し仕事があるから、また夕食時に。お部屋に居てもいいけど、夜まで居たら一緒におやすみしてもらうわね」


「ははっ……分かりました」



 立ち去る彼女の背を眺めてから、アインは丸椅子から立ち上がって背筋を伸ばす。

 手すりに上半身を預けて空を見上げていると、下の方から聞こえる声に視線を向けた。

 ホワイトキング顔負けの庭園の一角に、ラビオラと――――。



「婆やかな」



 若き日のベリアの姿があった。

 ただし、若き日のと言っても外見が違う。年齢による違いではなく、別人と言っても過言ではない違いだった。

 思えばウォーレンとベリアの二人は、姿を変えて常にイシュタリカに仕えてきた。

 彼らはそのせいで記憶が薄れていたと言っていたが、今の姿が最初の姿だったのだろう。



 髪の毛は三つ編みに、眼鏡をした姿は素朴だが可愛らしい。

 片手に本を持っているのは、想いを寄せる相手のことを意識してるのかもしれない。



 ふと、ラビオラがアインに気が付いて手を振った。

 アインが手を振り返すと、彼女は嬉しそうに頬を綻ばせる。思わず「クローネだ」なんてアインが呟くほど、その顔つきが瓜二つだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 日が傾きだした頃、アインは自室の窓まで聞こえた声に耳を傾けた。

 声の主はどうやら二人いて、一人はカインで彼の厳しい声。もう一方はマルコのようで、悔し気に「待ってくれ……いや、待ってくださいッ」と口走っていた。



「何だろ」



 興味本位だったかと聞かれれば「いいえ」とは言えない。

 だがそこには心配な気持ちも内包されていた。



 早歩きで扉まで向かい、駆け足で城内を進んだ。



 現代のイシュタリカと違って、この振る舞いを咎める騎士は一人もいない。代わりにすれ違う戦士に笑われて、転ばないようにと、お気をつけくださいと優しく声を掛けられる。



 また一つ、また一つと階段を下りて一階の大広間に足を踏み入れた。

 ここはアインがマルコの最期を看取った場所で、深い思い入れがある。

 しかし今日はそれを気にせず、つづけて駆け足で声がした方に向かって行く。途中でアインは、その方角にあるのが訓練場だと気が付いた。



「――――なんだ、マールか」


「ち、父上。何かあったんですか?」


「大したことじゃないが……まぁ、お前に任せてもいいか」



 すれ違いざまに、カインがアインの肩を叩く。



「俺には向いてないんだ。だからこういうことはシルビアに任せてるし、アーシェの陰で力を振るうことだけに努めてる」


「えっと……はい?」


「ようは向き不向きの問題だ」


「いや全然情報が増えてませんけど」


「あぁーまったく! 俺は教えることや率いることが向いてないってだけだ……ッ」



 ここでようやくアインも察しがついた。

 不器用なデュラハンが言いたかったことに、自然と目じりを下げる。



「父上は教え上手だと思いますけどね」



 思えばマルコの最期を看取る前、精神世界でつけられた訓練は見事なものだった。

 分かりやすかっただけじゃないのだ。

 アイン本人の正確を理解しての教えというか、アインにあった稽古の付け方は今思っても、あれ以上ないだけの教え方だったのだが。



「万人を相手にそれができれば苦労しない。相手がマールのときと話が違うだろうに」


「……そういうもんですかね」


「そういうものだ。じゃあ、後のことは任せたぞ」



 任せたって……。

 アインが何かを言う前に、彼はあっという間に去ってしまう。

 相変わらず精悍な後姿には惚れ惚れする。



「行くか」



 取りあえず、マルコのいる場所へ向かうことにした。





 訓練場に敷かれた石畳の上に、彼は物静かに座っていた。

 疲れ切ったようで体勢は崩し気味だが、力なく空を見上げている。

 近づいてくるアインにマルコが気が付いた。



「――――笑いに来たのか」


「そのつもりなら、もう笑ってるよ」


「……そうか」


「何かあったの?」


「別に、私が弱いだけの話だ」



 自室まで聞こえた声を考え、アインは何があったのかすぐに理解した。



「父上と剣を交わしてたってことか」


「ああそうだ。それで一方的に倒されただけのこと」


「気に病まなくていいと思うけど」



 そう言ってアインがマルコの隣に腰を下ろす。



「笑いに来たのではないのなら、馬鹿にしに来たのか?」


「違うって。俺も父上には転がされっぱなしだったし」


「…………」


「父上は強いよ。憧れて、勝ちたいって思わされて……俺だってずっと剣を振ってた。君だって父上に勝ちたいんでしょ?」


「あ、当たり前だろう。強さを欲することこそ我らの本懐で! それで――ッ」


「でも君は、父上に敬語を使ってまで去るのを止めようとしてた」



 これが少しばかり不思議だ。

 そうしてまで、何としてもカインに土を付けたかったのか。

 あるいは、心の変化でもあったのか。魔物が考えを改めるということは、何かの変化があって当然のはず。



(もしかしてマルコって)



 カインに憧れた、そう思うとしっくりきた。

 魔物の本懐と言いながら、あの男の強さと凛々しさに惹かれたのだろう。

 だったらと、アインは立ち上がって懐を漁る。



「これ、あげるよ」



 掌の持った魔石をマルコに手渡した。



「この前のワイバーンの魔石なんだけど、一番強かった個体のだから少し力になってくれるかも」



 するとマルコは困惑しつつそれを受け取った。

 この時代のドライアドは、現代と違い魔物と同じ意味を持つ。だというのに、自分で使わないでただで渡してきたことに理解が追い付いていない。



「代わりに何か寄越せってわけじゃないよ。ただあげたくなったってだけだから――――じゃ、俺はこれで」



 立ち去っていくアインに対し、マルコはすがるように手を伸ばして言う。



「どうすれば、どうすればまた剣を交わしてもらえるだろうか」


「それは父上次第だけど……父上なら、仕事をしっかりとしてる部下の願い事なら聞くと思う」



 彼ならば確実に報いるはずだ。

 それからマルコは何も言わなかった。しかし身体中の筋を強く脈動させて奮い立つ。

 地面に転がっていた自身の剣を強く握りしめ、アインの言葉に頷いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ――――訓練場を後にしてから、アインは柱の陰で頭を抱えていた。頭痛と共に映像が流れ込んでいたからだ。

 割れそうな痛みの中、目を閉じて必死に映像を眺めた。



 時間と場所はさっきと同じ、訓練場。

 先程のアインと違い、初代国王マルクの声と表情には力がない。

 映像の中の彼にあるのは、アインに劣らぬ優しさだけだ。アーシェとの件で心を病んでいるにも関わらず、マルコの声に真摯に答える姿が健気だ。



 最後に魔石を渡したところも同じだった。

 助言も一言一句、、、、変わらない。



 だが、マルコの心境は今さっきと違っている。これは同情心でもなければ、現代につづく畏敬の念でもない。初代国王マルクが見せた器と吐露された弱みのアンバランスさに対して、ある種の庇護欲に似た、抱いたことのない感情に困惑していたのだ。



 マルコはそして立ち上がる。

 あの少年が誇りを抱き折れない心で戦っているのに、自分はなんだ、と。まだアインが知るマルコとまではいかなかったが、彼の心に大きな変化が現れた瞬間だった。



「でも…………映像を見せるのに、痛みは必要なのかな?」



 勝負の相手であるライルのことを考え、軽口を言う。

 ここでようやく痛みが治まり、同時に映像が終わった。



「勝負が終わったら、絶対に文句を言ってやる」



 これぐらい許されるだろう。

 汗を拭い、歩き出して間もなくのことだ。



「マルク様? こんなところでどうなさったんですの?」



 不意に現れたシャノン。



「訓練場に行ってきただけだよ」


「……ご気分でも優れないのですか? 顔色が真っ青ですわ」


「疲れただけだよ。ごめん、休みたいから」



 これが失態だったと言われると、決して頷きたくなかった。

 確かに今の自分は気分が悪そうに見えるだろうし、そんな自分に対して、シャノンがいつもより強引に距離を詰めても変な話ではない。

 だが、急に映像を見せられる身にもなってほしいと、痛みを与えられた身にもなれと。

 アインは体に回された腕を見て辟易とした。



「下賤のみではありますが、私の身体を支えに――――」



 脳を溶かすような甘い香りも、背中に押し当てられた柔らかな感触も。

 今はどれも煽情を掻き立てることがない。

 自らの能力に対し少しも影響力が無かったことに、シャノンはいったい何を思っただろう。



 アインは決して動揺していなかったが。

 思わず漏れたシャノンの「……どうして」という声に、ため息を吐いた。


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