心昏れば虚無を抱いて。

 もう一度エルフの里に足を踏み入れたアインを待っていたのは、エルフたちの歓迎だ。

 それは先日と比べて更に大きく、崇めるような賑わいに迎えられたのだ。

 若干困惑しつつ、アインは長の家への道を進んでいた。



(あれは確か)



 見慣れたという程じゃないが、一夜を過ごした巨大な切り株の家を見つける。

 現代ではクリスの家となっていた切り株だ。今は誰も澄んでいないらしく扉らしきものはない。

 やがてヴェルンシュタインの血を引く者が居を構えると思うと、中々に感慨深く思えた。初代国王マルクと王妃ラビオラのもう一人の子孫、ヴィルフリートが住まうはずなのだ。



「どうかなさいましたか?」



 長の娘が、切り株を見つめるアインに尋ねた。



「いや、なんでもない。大きな切り株だと思っただけだよ」


「左様でございましたか……ご足労頂いているのに申し訳ありません。……お暇、ですよね」


「全くそんなことはないし、俺は俺で楽しんでる」



 アインの機嫌を窺うような口調なのは、ワイバーンの件があるからだろう。

 以前も賓客のような扱いだった。けど今は救世主のようなものだ。港町マグナの沖で海龍討伐を成し遂げた時と同じく、周囲の者たちがアインに向ける目が変わった証拠だった。



 ――――長が住まう家の前に、長が立っていた。



「長が外に居る?」


「母上に出来る礼なのです。長はみだりに住まいをでることが良しとされず、里を出るなんて以ての外。きっと古い考えなのでしょうが……我らエルフは新たなものに恐怖を覚える、弱い者たちですから」


「慣習を守っていることは別におかしくなんかないよ」


「……恐れ入ります」


「ああ。――――さて、じゃあ長の話を聞くとしようか」



 アインが更に歩を進めて間もなく、長との距離が数歩まで縮まった。

 すると長は深々と頭を下げる。



「心からの感謝を捧げます」



 つづけて彼女は、初日の振る舞いに対して謝罪した。

 何度も何度も謝罪を繰り返す姿は、アインからしてみれば「そこまでしなくても……」と懐疑的。



「謝罪をするようなことはありません。あれは私たちが勝手にしたことですよ」



 しかし、長の気が収まらない。



「年寄を集めて心に決めました。この里のエルフ一同、貴方様の下に参りたく存じます」


「…………は、はい?」


「この地のエルフを、マルク・フォン・イシュタリカ様の氏族に加えていただきたく。貴方様の血統がつづく限り、我らの魔石を捧げましょう」


「だから、えっと」



 これは想定外だ。

 礼と謝罪を言われるまでは想定内だったし、もしかしたら、イシュタリカに恭順すると言う可能性も確かに考えた。

 けどこれは全くの想定外で。



(義理深さはエルフらしいけど――――いや、もしかして)



 現代につづくこの里の立場を思い返す。

 イシュタリカの民の一員ではあるが、その内実は少し特殊だ。



「私の下に付くということは、間接的にイシュタリカの民になるということですか?」


「そうなりましょう。ですが我らエルフは、あくまでも貴方様の旗下にお加えいただきたく」



 つまるところ、マルクがイシュタリカ王家の血を引く存在だからその民となる。あくまでの主君と仰ぐのはマルクで、イシュタリカという国家そのものではない。



「なるほどね……」


「いかがでしょう、御受けいただけるでしょうか」


「――――歓迎するよ」



 クリスの故郷に排他的な一面が遺されていた理由だ。

 現代において、アインが最初から強く歓迎されていた理由でもある。

 歩んできた経緯は違うも、正史と同じ流れを踏襲していたのだ。



「恐れながら、私は里を離れられません。私の娘と、若い戦士のエルフをイシュタリカへとお連れください」


「良いのですか? 彼女は将来の長になるのでしょう?」


「我らは既に貴方様の旗下にあります。娘は貴方様の傍で学ぶべきこともありましょう」


(ッ……また、話が繋がった)



 現代の長がラビオラと、そしてマルクと近い仲にあった理由が分かった。

 彼女はこうしてイシュタリカに向かうことになり、そこでラビオラとも近い仲になるのだろう。

 アインは彼女の方を向いて、よろしくと言ってから尋ねる。



「君の名前は?」


「長になる前であろうと、その血統にある限り名は持てないのです」


「……ん、分かった」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 それは旧王都への帰路の際中のことだった。

 不意にアインの頭を襲う、強烈な頭痛に彼は立ち止まる。



「ッ――――」



 焼き付くような痛みと共にやってくるのは映像だ。

 エルフの里からの帰り道は同じだが、一行の様子が今とは違う。



 マルクの両腕は切り傷だらけで、エドは更に重症だった。無事なのは作戦立案などに携わっていたウォーレンぐらいで、しかし彼も疲れ切っていて服はボロボロだ。エルフの戦士がイシュタリカの戦士に肩を貸し、ようやく旧王都が見えてきた。



 旧王都に足を踏み入れてからは帰還が祝われ、マルクをはじめとする一行は城へと向かう。

 そこで待ち受けていたことがマルクの心に動揺を与える。



(……アーシェさん)



 彼女がまるで別人だ。

 旧王都を発った頃と違い、マルクへの情が全く窺えない。

 それどころか、帰ってきた彼に興味すら示していなかった。



 大きな綻びが見え出してきたのは、この遠征が切っ掛けだったのだ。

 映像が終わると同時に頭痛は収まった。



「マ、マルク様!? 急に走り出してどうしたんだ!?」


「後のことは任せたよ!」


「僕に任せた!? あっ……お、おい!」



 見えて来た旧王都の最奥、魔王城に向けてアインが駆けだす。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ――――瞬く間に足を踏み入れて民に驚かれ、声を掛けられるも返事は短く急いで走る。魔王城の門をくぐる時に戦士に驚かれ、中に入り使用人が目を見開いた。

 アーシェは何処にいる?

 考えたアインが向かった先は、玉座の間。

 飛び込んですぐ、玉座に座って昼寝に勤しむアーシェの姿があった。



「はぁ……はぁ……っ!」



 生きも整えず近づいて、手を伸ばす。

 頬に触れると、すぐに彼女が目を覚ました。



「……あれ? マールだ」


「姉上! 何か異常はッ!?」


「ん、元気! というかどうしてそんなことを……あと、帰ってくるのが早すぎると思うよ?」



 念のためにアーシェに触れるが、シャノンの影響を解除した気配がない。

 近づけなかったのか、それともアーシェが近づけなかったのか。何にせよアーシェは、正史と違い既って強い警戒心を抱いている。

 安堵したアインが地べたに腰を突き、ため息を漏らす。



「良かった」



 一応、旧王都を出る前にも大丈夫なはずと予想していた。

 だが先程の映像は、アインの動揺を誘うのに十分すぎたのだ。



「よしよし、頑張ったね」


「……なんで俺の頭を撫でてるのさ」


「別に、何か私を心配してくれてたみたいだし。ワイバーンのことも終わらせてきたんだよね? だったらいい子いい子してあげないと」


「なるほど……そういうことね……」



 和やかな空気が漂い、安堵したアインはただじっと頭を撫でられる。





 一方で、玉座の間の様子を見ていた女性が居た。彼女は様子を確認するとそこを離れ、城内の広い廊下を一人で歩く。

 自らの寝室に戻り、一足先に足を運んでいたエドと合流する。



「早かったのね」


「……ただいま帰りました、お母様」


「それで、どうだったの?」


「どう、とは?」


「察しが悪い振りをするのね」



 普段なら絶対に見せないエドの姿に彼女――シャノンは違和感を覚えた。

 エドの口ぶりは重くて、言葉を伝え辛そうにしている。



「早く帰った事の理由を含め、エルフの里で何があったのかお伝えしたいことがあります」


「ええ、話してほしいわ」


「それと、一つ重要なことをお話ししなければなりません」


「…………話してごらんなさい?」



 エドは唐突に踵を返した。

 誰よりも敬愛し、性愛も向けていたシャノンから距離をとった。

 すると彼は弱々しく口にする。



「あの男とは戦えません。戦うべきではありません」



 と。

 心境の変化を察する前に、シャノンはこれまでなかった強い失望をエドに抱く。

 だが、見限る前に聞きたいことがあった。



「怖いのね。臆病者」



 彼の性格はよく知っている。こうして焚きつければ激昂し、敵対心を燃やすことも。

 だというのに。



「く、くふふ……はっはっはっはッ! ええ、私は臆病者なのでしょう! 愛を捨て命を拾い、すべてを忘れようとしているのですからッ!」



 自嘲し、部屋の扉に手を掛ける。



「報告は後ほど、文にてご用意いたします」


「…………そ」



 もう完全に興味を失い、互いの縁そのものが切れるかの如く。

 シャノンは瞳から光を失い、ひどく昏い魔力を全身に纏う。

 対照的に光を放つマルクという存在を脳内に浮かべ、彼の事だけを考えた。



「どうして貴方はこうも恵まれているの。拾った父と母から底の見えない愛を注がれ、姉に可愛がられ民に慕われる。本当に本当に……ずっとずっと嫌な人」



 彼女はそう言って、備え付けられている浴室に足を運ぶ。

 筆舌にし難い暗がりが心を満たしていた。

 何とかして少しでも気分を変えたいと思い、服を脱いで湯船に近寄る。だが途中、浴室に付けられた大きな姿鏡に映った自分を見て、倒れこむように湯船に飛び込んだ。



 全身に残る痛々しい痕へと、暖かな湯を染みわたらせる。

 石造りの天井に手を伸ばして。



「――――どうして貴方マルクは、私が得られなかったものを全部持ってるの」



 震える声で言い、湯の中に身体を沈めた。


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