クリスの勘と、出来上がった船と。
王都近郊でオーロラが観測されたのははじめてのことで、当然、研究者たちの興味を大いに集めた。
向かって行った方角、神隠しのダンジョンが関係しているとあって、まだ冒険者の間で広まっていただけの噂話が、あっという間に国中に広まっていったのだ。
空にオーロラが舞ってから十日が経つ。
この間に分かった事と言えば、ハイム東方にある亜熱帯の遺跡跡には、すでにセレスティーナの姿がなかったこと。
加えて、神隠しのダンジョン上の塔の姿が、一際幻想的に変貌していたことだ。
地面から生まれたクリスタルは更に大きくなり、暗くなると、青白く瞬くという。
水晶化した地面も少し広がり、別世界のような空間は拡大したのだ。
アインは自室のバルコニーから外を見ながら考えていた。
まるで遺跡がこちらの塔に吸収されたようだな、と。
「もう、クリスに黙ってるのもなー……」
そろそろ伝えなくては。シルヴァードとも相談していたが、その時期が差し迫っていた。
遺跡が消失してからその姿も消えているが、ずっとこのままは難しい。
当然、伝えるのはアインになるはず。
何せシルヴァードが告げることになれば、第一王子ライルのこともあって、両者ともに落ち着いていられるか分からない。
少しの緊張に苛まれていたところで――――コンコン。
「はいー?」
『私です。クリスです』
なんて頃合いの良い客人だろう。
アインは一瞬、ドキッとした胸元に手を当てた。
早朝の陽光降り注ぐ空を見上げてから、頬を軽く叩いて声に出す。
「ああ! 入っていいよ!」
失礼します、と静かな声で答えて足を踏み入れたクリス。騎士服ではなく、私服だ。
以前に比べてスカートを履くようにしたのは、アインを意識しての行動か。何はともあれ、今日の彼女は膝丈程度のスカートを履いて、上半身は清楚なブラウスに身を通す。
部屋に入って来てからアインを探していたが、バルコニーに居るのを見つけ、嬉しそうな笑みを浮かべてトトトッ……と近づいた。
「何してたんです?」
「んー……ぼーっとしてた?」
嘘ではない。
考え事をしながらぼーっとしていたからだ。
「ふぅん…………そうだったんですね」
何となく、今日の彼女の言葉には含みがある。
窺うような、不満げな声だ。
アインはそれに気が付かないふりをして、すぐ隣に立ったクリスから目をそらす。
(もしかして)
色々と隠していることについて、すでにバレているのだろうか?
やってきた時期といい、アインに向ける視線といい。
少なくともクリスは鈍感ではないし、特に、アインのことについては勘が鋭い。
恐る恐る彼女に目を向ければ、じっと見つめられていたせいか顔が向き合う。ゆっくりと近づいてくる彼女の顔が、二人の距離を十センチ近くに縮めた。
「どうして最近、私だけ何かを隠されてるんでしょうか」
そして、唐突に語られる真意。
彼女はアインの胸元に手を当て、じっと瞳を見つめている。
「ほら、今ドキッてしました」
気が付いて当然と言えば当然ではある。
クリスを通さず、近衛騎士もそうだがいくらかの騎士が動いて、代わりにロイドが自分の知らない仕事をしていた。
知らない間に話が進んでいる、なんてことは近衛騎士団長の彼女からすれば有り得ない話。
怪訝に思っていたが、それを聞かなかったのは何かあると踏んでいたから。
しかし、それももう頃合いだと彼女も考えたのだ。
「セレスティーナさんだよ」
「…………え?」
「セレスティーナさんと瓜二つのエルフが居て、そのエルフがハイムに出来た塔を守ってたんだ」
「え、あの…………え!? ア、アイン様!?」
「でもこの間のオーロラの時を境に、セレスティーナさんの姿は消えた。理由は分からないし、彼女が本当にセレスティーナさんだったのかは分からないよ。けど、ロイドさんとリリさんが戦った時は、本当に何もできないで敗北したって報告が届いてる」
矢継ぎ早に言葉を放ったのは、クリスに余計なことを考えさせないための配慮だった。
思惑通り、セレスティーナが現れたことは理解しながらも、クリスは驚きのあまり何か特別なことを答えてはいない。
そして。
「ごめん。内容が内容だったから、一度、クリスには伏せておこうって話になってたんだ」
これは絶対にしなければならないということ、アインはクリスに向けて頭を下げた。
彼女にとってもセレスティーナは姉で、ライルと共に姿を消した事実は変わらないし、姉が仕出かした事が事であろうとも、ここまで黙っていたことは謝らなければならないと。
「俺たちの勝手な配慮だったけど、本当にごめん」
腰を折り、深々と頭を下げたアイン。
クリスは少しの間困惑していたものの、すぐにアインの両頬に手を当てて、ゆっくりと顔を上げた。
「…………ズルいですよね。そうやって頭を下げられちゃうと、そっちのほうが大事に思えてきちゃいます」
「い、いや、そういうつもりじゃ――ッ」
「分かってます。でもしょうがないじゃないですか、私がこうなっちゃうのは」
惚れた弱みというべきか。
それでいてセレスティーナの件について、クリスは大きな衝撃を覚えていないように見えた。
どうしてか、それを尋ねる前に彼女は手すりに身体を預け、眼下に広がる城下を眺める。
「アイン様が急に話してくださったからでしょうか。意外と慌ててないみたいです」
彼女はそう言って笑い「ううん、違いますねコレは。お姉ちゃんのことですし、急に現れてもおかしくないかな……って考えてるみたいです」と穏やかに言った。
「急なことでまだ困惑してますけど、今度は私が会いに行きます」
そう思うのは当然だ。アインも予想していたこと。
「本当に姉かどうか、この目で確かめさせてください。姉の姿をした別の存在かもしれませんけど、私ならそれも
「……いや、でも」
「お願いします……私なら他のみんなよりしっかりと確認できます!」
「だから」
「アイン様! 本当に、本当にお願いします……ッ」
詰め寄って来たクリスとアインの距離が狭まる。彼女にはアインが渋っているように見えていたが、アインが言い淀んでいるのは別の理由のせいだ。
別に、クリスの願いに答えたくないわけではなくて。
「ごめん。そもそもセレスティーナさんの居場所が分かってなくて」
遺跡の周囲が消え去って以降ずっとだ。
遺されたのは崩壊した地形で、人っ子一人見つかっていない。
クリスはそれを聞き、慌ててアインから離れようとするが。
「ごっ、ごめんなさい……っ」
伸ばされたアインの手がそれを制し、頭をそっと撫でさすった。
「でも目星は付いてる。お爺様とも少し話したけど、その話のために部屋に戻ろうか」
先を歩くアインを追いながら、クリスは撫でられた頭を自分でも触る。
無条件にニヤけてしまう頬をさっと引き締め、机に向かったアインに近づいた。
「最近はロランがヤバいってことばっかり考えててさ」
「え、あの……はい?」
「いくら大量の資金と人員が導入されてるって言っても、こんな早く仕上げてくるなんて思わなかったよ。核になった飛空を司る魔道具は、ロランが自分の手だけで仕上げた特別品なんだってさ」
すると、アインはそう言って机一杯に一枚の紙を広げた。
描かれていたのは設計図といくつかの説明だ。
なだらかな方尖柱の本体は、全体が灰色でまるで鉄の塊。しかし金を縁や模様に用いているし、所々、回転翼が水平に備わっている。
帆のない船と言えば語弊があるが、船としての名残は節々から見受けられた。
比較対象に一般的な漁船が描かれ、ロランが作った船はその四倍ほどの大きさを誇る。
当初、アインやシルヴァードが想像していたよりも、更に大きな飛空船だ。
「船の名前は『騎士級・初号』。俺も聞いたことのない階級だけど、ロラン曰く上に近衛騎士、将軍、元帥の三段階を考えてるって言ってた。まぁ、ロランが考えた階級ってことなんだけど――」
アインはそこまで言って、本題に移る。
「セレスティーナさんは神隠しのダンジョンに居ると思う。遺跡から消えたものはオーロラになって、オーロラは神隠しのダンジョンに向かって行った。多分、何か力を吸収した結果だ」
「……それってもしかして」
「分からない。でもそうだとしたら、セレスティーナさんは神隠しのダンジョンの一部だ」
前例も確信に至る証拠も何ひとつない。
しかし、アインの予想は決して夢物語ではなかったし、クリスがその言葉を聞いて「そうかもしれません」と呟くぐらいには説得力がある。
「この船は、俺とお爺様がロランに頼んだんだよ。塔の最上部にある入り口に向かうための、移動手段としてね」
「じゃ、じゃあアイン様! それって私も……ッ」
クリスの表情が明るくなっていき、喜びを露にする。
「一緒に見に行こう。中に入るかは別として、外からでも様子を見ることは出来ると思う」
何せすでに許可はあるのだ。シルヴァードはアインが王位につく前の大仕事として、あの地に出向くことを許している。
先日、ロランが設けた期限は一か月。とは言え一か月も経たずに用意してきたわけだが、数か月も経たぬうちにディルとカティマの婚儀がやってくる。早いうちに様子を見れることにこしたことはない。
――――出発の時は近い。
細かい予定を組む時間や準備の期間を考えても、数日中には王都を発てるだろう。
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