ロランがすごいことの話。

 王都ほど近くの森の中。

 ここは以前、アインがはじめて魔物と戦った森であり、ロイドとクリスに連れられて足を運んだ森だ。

 今は多くの木々が伐採されて、ちょっとした広場として整備されている。



「――――でっか」



 一言、アインが置かれていた飛行船を見て呟く。

 クリスと話した日から二日後の朝、運ばれてきたばかりの逸品だ。



 多大な資金を得たロランが、自身の技術力をいかんなく発揮して作られた飛空船。

 実質的に、これこそが完成第一号であった。

 外観はアインとクリスが見ていたのと同じもので、二人は今、飛空船のすぐ傍でロランから説明を受けようとしていた。



「お金の力ってすごいなーって、ボク実感してたところだよ」



 薄っすらとした笑みから伝わるのは、虚脱感と満足感。

 飛空船は多くの研究者や職人が最終確認をしている。

 この三人の周囲だけ、どことなく緊張感のない雰囲気だけが漂う。



「とっ、とりあえず説明しないとね……!」


「ん、頼んだ。お爺様たちには俺から説明するから、俺とクリスに教えてくれると助かる」


「あははー……りょーかい。でも、何から説明すればいいのかなー」



 ロランは腕を組み、顔に手を当てて考え込む。

 左右のヒゲがゆっくりと揺れて、尻尾が静かに左右に動く。



「技術的な説明って、ほしい?」


「逆に聞きたいんだけどさ。俺とクリスが聞いて理解できる話?」


「…………す、少し復習時間があれば大丈夫だよ! うん! アイン君――いや、アイン様ならきっと分かってくれると思う!」


「分かった。俺には難しいことだってことがね」



 何せ天才ロランが数年かけて作り上げた技術で、黒龍の素材がなければ確立しなかった技術だ。

 アインの隣では、クリスが苦笑して想いを共有していた。



「お爺様からは、操縦とか炉の大きさとかを聞いて欲しいって言われてるんだけど」


「あー、操縦だね! って言っても、既存の戦艦と比べても特に難しくないよ。上下の動きが増えてはいるけど、実のところ違いってそれぐらいだしね」


「じゃあ、炉は?」


「ないよ?」


「――え」


「この飛空船に炉は存在してないんだ。あくまでも空気中の魔力を吸収して――――あとは変換を――――で――――――――非常用の魔石はあるけど――――」



 これはよろしくない。

 途中から自分が分からない話になってきたことで、アインは手を差し向けてロランを制する。



「ま、待って! つまりそれって、燃料が無しに動けるってこと?」


「そうそう。空気中を漂う魔力は消えないから、実質、半永久的に飛空しつづけられるよ」


「なんて出鱈目な……」



 楽しげに言ったロランが、誇らしげに飛空船に目を向けていた。

 一方、驚いていたアインの耳元に、クリスの口が近づく。



「ウォーレン様が仰っておりました。近いうちに、彼の周囲に隠密を忍ばせておくって」


「その方がいいね、いつ誘拐されてもおかしくないし」



 恐らく民間に限った話であれば、他の誰も比肩できない金の卵がロランだ。



「中も頑張って作ったからさ、良かったら見ていってよ! 王家専用水列車と同等の住みやすさに仕上げてもらってるから、きっと満足してもらえると思うんだ」


「そこまで贅沢にしなくとも……でも見てみたいし、クリス」



 と、隣に居るクリスに声をかけると同時に、彼女との距離が離れた。



「お久しぶりでございます。いと尊き血を引くお方」


「シエラさん!? 確かに久しぶりですけど、どうしてここに?」


「彼の手伝いとして、エルフの里より足を運んでおりました。この子には私からお話しておきますので、いと尊き血を引くお方は、ロラン殿と一緒に船へどうぞ」


「……えっと?」



 見れば、シエラはいつの間にかクリスの首根っこに手を当てているじゃないか。口を開けて固まっているクリスに向けた、絶対に逃がしてやるもんかと言う強い意志を感じる。



「ところで、その呼び方ってどうにかなりません?」


「申し訳ないのですが、なりません」



 と言うか、以前と違い『いと』なんて強調まで入ってるし。

 シエラが折れないであろうことを察し、アインはロランと共に歩き出す。

 決してクリスを見捨てたわけではない。

 彼女たちも友人関係にあるし、久しぶりに話すこともあるだろう、と思っただけだ。



「じゃあ行こっか! アイン君の寝室なんて四部屋もあるからね!」


「いや多すぎでしょ。日替わりで寝床を変えたいほど飽き性じゃないんだけど……」



 去っていく二人。話し声が聞こえない距離になると、シエラがクリスに詰問する。



「ねぇ、速いのは剣を使うことだけ?」


「う、うぐぅ……ッ」


「しばらく前に届いた手紙には、やっと告白できたって書かれてたけど。どういうことかしら? 長は王家が一つに戻るって喜んでたし、クリスの子を見るまでは死なないって言ってたわよ」


「そそそそそ、それはその! 私にだって色々と事情が!」


「知ってる。あのお方は女性を囲おうとしないし、幼い頃からの許婚みたいな方がいらっしゃるものね。正直、次期国王陛下としては、少しだけ異を唱えたい性格だけど」



 ため息交じりにシエラが言うと。



「だったらもう少し積極的になればいいのに。私もあの女性――クローネ様とお話したことはあるのだけど」


「――え、いつの間に」


「私がシュトロムに行く前によ。凄い方よね。知識があるし機転も利く。高い資質の持ち主でありながら努力家で、あの美貌。おまけに海を渡ってまであのお方を追う一途さ。マルク様と共に大戦を生き抜いた、ラビオラ妃と瓜二つじゃない。それと尊き血を引くお方の性格、そりゃ大変なのは分かるけど」



 そしてもう一度の溜め息だ。

 今度は更に強く、深く吐いてクリスを真っすぐと見つめる。



「別に焚きつけようとしてたわけじゃないのよ。ただ、どのぐらい進んでるか確認したかっただけ」



 そう言ってクリスの頭を撫でた。



「でも、二人の距離を見ていたら近づいてるのは分かったから、もう少しだけ積極的にね? ってとこで終わりよ」


「もしかして、長から何か言われてたの?」


「いいえ、長も長でクリスに任せるって言ってたわ。これはあくまでも、友人としての助言よ。口づけでも出来そうなほど近かったのに、なんか見ててじれったいじゃない」


「口づけ…………」



 クリスがおもむろに、唇を自分の指で撫でる。

 仕草は以前に増して嫣然としていて、同性で古い友人のシエラも、うっとりとしそうになるほど艶っぽい。



「……まぁ、私が思ってる以上に恋愛してるみたいだけど」



 余計なお世話だったのかもね、彼女のつぶやきはクリスの耳には届かなかったろう。

 何せ、視線の先に居るアインをじっと見つめ、嬉しそうに目じりを下げていたからだ。




◇ ◇ ◇ ◇




 夕方、城に戻ったアインとクリス。

 二人は肩を並べて城内を歩き、資材が詰め込まれた地下の倉庫に足を踏み入れていた。

 所狭しと詰め込まれた木箱など。足の踏み場は少ないが、入り口すぐ傍に、二人の目当ての荷物がまとめられている。



「すっごい荷物の量ですね……コレ」


「そりゃ、数日分は滞在するだろうし。人数分の食事とか着替えとか、色々あるしね」


「どのぐらいの人数になるんでしたっけ」


「城からあの船に乗るのは俺たちを含めて二十人ぐらい?」


「んー……ディルはお留守番、なんですよね?」



 アインがすぐに頷いた。

 理由は一つ、婚儀が近いからだ。



「今回ばかりはお爺様の命令で王都に留めるってさ」


「ふふっ、王太子殿下が王都を発つのに、その護衛が行けないなんて」


「さすがにね。ってわけで、一緒に来たそうにしてたカティマさんはお婆様が見張ってる」



 万が一にも忍び込むことは出来ないだろう。それほどの信頼が、あのララルアに対しては容易に抱くことが可能だ。

 腰をくの字に曲げて荷物を確認するクリス。

 彼女の隣に立って、アインはしゃがみ込んで木箱を開けた。



「なんだろ、石鹸?」



 納められていたのは、数多くの石鹸らしき品の山。



「そういえばお風呂も付いてるんでしたっけ」


「うん。見て来たけど大きかったよ。っていうか、別に城での暮らしと大差ない気がする、あの造りだと」


「――――ちょっとした別荘気分だったりしてます?」


「実はね」


 

 アインが不敵に笑い、クリスと顔を見合わせて口角を緩める。



「あーぁ、アイン様の悪いとこがもう出ちゃってます」


「こればっかりは性分だからね。色々と大変な状況なのは忘れてないけど、だからって、ずっと神妙な顔をしててもみんな疲れちゃうし」


「ですねー。あーでもでも! 今のうちに言っておきますけど! 無理はしたらダメですよ?」


「しないって。うん、しないって……たぶん」



 今までのこともあり、アインも自覚していないわけじゃない。

 あまり強く言い切れずにいて、クリスから顔を背けて頬を掻く。



「強く言えない私も私なんですかね。はぁ……我ながら弱いです」



 何か言った? 小さく、気落ちした声を聞きアインが顔を向けると。

 ゼロ距離。

 


 二人の鼻先がすっと擦れ、ほぼ同時に目と目が合った。

 クリスはまばたきを繰り返すことしかできず。

 ぴったりとくっついた唇の感触と、ほんのりとした温かさに集中してしまう。



「ッ――ご、ごめッ」



 距離が近すぎたからの、不意の口づけだった。

 アインは驚いてすぐに謝罪する。

 しかし、呆気に取られていたクリスが正気を取り戻すと。



「な、なんで謝るんですかッ!? 私だけ喜んでて馬鹿みたいじゃないですかぁッ!」


「違ッ……いや違くもないけど、急にしちゃったわけだし、意図せずだったわけだし、そりゃ一言謝ることぐらいするってば!」


「謝る必要なんて全くないと思います! 私、すでにアイン様が好きだって言ってたんですから!」



 だからむしろ謝られたくない、という女心。

 アインは不意にしてしまったことを謝っただけで、行為自体に対しての謝罪はしていない。けど、クリスにとってすれば、それすらも不要の一言に過ぎない。



 結局、クリスは唇を尖らせて不満を露にしつづけた。

 それにしても。

 今日まであの日のことに対して、何も言ってないことが秘境に思える。



 すぅっと息を吸ったアイン。

 目の前の、可愛らしい表情を浮かべたエルフへと。



「女性として意識してる相手クリスなんだから、俺だって真面目に考えてるに決まってるよ」



 と。

 あの日、惚れさせてみせると言っていたクリス。

 責任をとるなんて偉そうなことは言わなかったが、されど、クリスとの接し方をそれまでとは別物に考え出したアイン。



 狭まった物理的な距離に比例して、精神的な距離も近づいていた。

 きょとんとして、言葉の真意を探ること十数秒。

 クリスは宝石も霞む美しい笑みを浮かべ、前触れもなしにアインに抱き着く。



「ズルいですよね。ほんっとズルいです! 急に、私のことをもっともっと好きにさせて……!」



 声は弾んでいて、悲壮感は少しもない。

 彼女は純粋に喜んで、アインに甘えるように身体をゆだねる。

 この行いが終わるのは数分後。

 アインの胸元に顔を埋め、満足いくまで甘えたクリスが離れたとき。



 次は絶対に、事故だったら許しませんからね。

 幸せそうに瞳を潤ませ、アインの目を見て軽やかに言った。




 

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