感じた気配

 瞬く間に数週間が経った。

 この間、カティマの勉強成果を見る機会や、挙式に際しての多くの決め事がなされていった。

 シルヴァードは多くの面で遠慮しておきながらも、口を出すとこはしっかりと出し、女性陣に対して上手く立ち回っていたことがアインの印象に残っている。

 印象に残ったどころか、今後のために勉強にしたぐらいだ。



 後はアインの剣――イシュタルに新たな鞘が作られた。

 海龍の鱗や黒龍の素材を用いた、国宝の名に恥じぬ逸品に仕上がっている。



 ところでシルヴァード曰く「アインの挙式は更に忙しくなるだろう」と。

 第一王女の嫁入りは大事であったが、更に上を行くのが王太子だ。とりわけ、アインの場合は初代国王と同列に扱われることも少なくないし、婚姻に関することのすべてが大いに盛り上がるはず。



 今から多少の気後れをしていたアイン。

 彼は今、自室のバルコニーから城の前庭を見下ろしていた。



「本当は楽しい癖に、あの駄猫め」



 陽光に照らされた眼下では、多くの貴族が足を運んでのパーティが開かれている。そこでは、やれやれ、肩をすくませながら客人の相手をしているカティマの姿がある。

 下で行われているのは、第一王女カティマを祝うための催し事で、婚儀とはまた違っている。



 アインは開催の挨拶のときだけ同席した。

 その後は人目を忍んで城内に戻り、このバルコニーからパーティを見下ろして楽しんでいる。



 なぜこうしているのかと言うと、今日の主役がカティマとディルだからだ。

 貴族の皆がそれを理解しているはずだが、アインと言う英雄視されてる存在は大きく、決して軽視してはならない。

 これを危惧したアインが自ら、今日は途中から退席すると申し出ていた。クローネやクリスたちは出席している。彼女たちもまた人目を惹くが、アインほどではなかった。



 ふと、降り注ぐ雪のようにやってきた二人の木霊。



「世界樹さま何してるのー?」


「暇人だー!」


「……これはこれで楽しんでるんだよ」



 二人はアインの肩に乗ると、楽し気に足先を遊ばさせる。

 相変わらず神出鬼没だなー……アインは苦笑した。

 手に持っていたグラスを口元に運び、果実水の色と陽の光を重ねて眺める。



「一年以上見てなかったけど、なにしてたの?」


「寝てたんだよー?」


「そう! 私とお姉ちゃん、お昼寝してただけだよー?」


「何それ、もう冬眠じゃん」



 獣ですら一年以上の冬眠はしない――はず。



「――あれ? 世界樹さま、ママに会ったの?」



 お姉ちゃん木霊がアインの首元の匂いを嗅いで言った。

 アインとしても、彼女たちのママとやらの検討はすでについている。

 気配が分かろうと些細なことだ。



「うん、少しだけね」


「すごーい! ママ元気だった!?」


「ママね、ママね! すごいんだよー!」


「元気だったし凄かったよ。イラっとするぐらいにね」


「わー! 世界樹さま怒りっぽーい!」



 木霊の煽りなんて可愛いもんだ。

 アインはくすっと笑い、二人の頬を指で撫でる。

 彼女たちは気持ち良さそうに笑って答え、来た時と同じように宙に浮かぶ。



「じゃー私たち、ママに会ってくるね!」


「うん! またね! 世界樹さま!」



 今なんて言った? アインがキョトンしている間に木霊は消えてしまう。

 光りの残滓が大陸中央部の方へ向けて煌めき、伸ばされたアインの腕が力なく垂れた。



「俺も連れてってくれとは言わないから、ママを連れてきて欲しいなー……」



 呟きは青空に消えていく。

 一度大きくため息をついて、グラスの残りを勢いよく呷る。

 ぷはぁ、と上機嫌に息をついて間もなくのことだ。



「――?」



 不意に訪れた強烈な気配。

 アインが強烈という感想を抱いたのは、その気配が目にも見えぬ遠くから届いたものだからだ。

 目を凝らそうと、そして空を仰ぎ見ようとなんの姿もない。



 だが確かにひしひしと感じている。

 それは生き物のようで、違う感覚でもあった。

 当然、竜人の彼女とも違う。

 しかし確かに何かの気配で――。



「下のみんなは……気が付いていないか」



 五感に優れたアインだから分かった、と解釈するべきだろう。

 だが今はそれが良い。下で祝福を受けているカティマたちに対して、無為に心配をかけることは気に食わない。

 アインは咄嗟に部屋の中へ戻り、鞘に納められた新たなイシュタルを手に取ってバルコニーへ出た。警戒のためだ。



 気配は依然としてするし、むしろ強くなっているように感じた。



 青空を走る雲はどこか、大陸中央部目掛けて流れて言っているように見える。

 何か巨大な渦がそこにあるかのような、吸い込まれてるようなそれだ。



 双眸を細め、アインはじっと様子を窺いつづけた。

 とは言え何かが近づいてくる様子もなく、異様な気配だけが漂うだけだ。

 するとそこへ、慌てた足取りでマルコがやってくる。



『アイン様。中に入ってもよろしいでしょうか?』


「ちょうどよかった。実は呼ぼうかと思ってたところだよ」


『では、失礼いたします』



 扉を開け、部屋に足を踏み入れたマルコがバルコニーにやってくる。

 彼もまた空の彼方を見て目を細めた。



「お気づきでしたか」


「勿論。あっちに何かが在るってね」


「ええ……この方角はまさに、神隠しのダンジョンがございます」


「ッ――失念してたよ」


「私としてはあの地で何かがあったと、こう考えるのが筋ではないかと愚行いたします」



 アインはマルコの言葉に頷き返す。

 神隠しのダンジョン、それに加えて先ほどの木霊の言葉だ。

 確か二人は、ママに会ってくると口走っていた。今まではこんな言葉は言っていなかったし、今になって口にしたということと、感じる気配の関連性を疑わないのは愚の骨頂。



「他の者たちは気が付いておりません。それこそ元帥殿やクリスティーナ様、下で祝いの言葉を受けている団長もまた同じでした」


「悪くないね。一生に一度の祝いの前に、無用の心配は少しも感じてほしくない」


「ええ、私も同じ考えでございます」



 手甲を身に着け、燕尾服を着たマルコが小さく笑む。

 灰色の髪と端正な顔つきはやはりマルコで、彼とアインの間で共通の思いやりは変わっていない。

 さて、しかしどうしたもんか。

 アインはバルコニーの柵に背を預け、腕を組んで考え込む。



 この気配などを無視する気は到底ないのだが。



「俺が動くと色々大きくなっちゃうし、黒騎士に命じることもできない……か」



 ここまで呟いたところで、マルコが膝を折って胸に手を当てた。



「私が参ります。私がかの地、、、の様子を窺って参りましょう」


「……ありがとう。でも、遠目に窺うだけでいい。何があっても危険な真似は避ける。異変を感じたらすぐに逃げる――これを約束してほしい」


「御意に。アイン様」



 すぐに答えたマルコが立ち上がる。



「私が暇をいただくこと、皆にどう説明致しましょうか」


「俺の身体の中で休んでるってことにしよう。魔力が足りないから休暇をとってる、ってさ。俺から言っとくよ」


「おや、私はそのような症状に陥ったことがございませんが……」


「このぐらいの嘘は許してくれるよ。なんとか小さいところで納めておこう。――カティマさんとディルの式に憂いは少しも要らないんだ。何か大きなことになる前に、俺たちだけで調べておきたいからさ」



 家族愛、そして主従の絆とでもいうべきか。

 素直に言うのは照れくさいが、カティマとディルには幸せになってほしい。

 今のアインが考えているのはこれだけだ。



 二人が目配せを交わして頷き合う。

 その後、掲げられたアインの手に一つの花が芽生えた。



『――ヒ、ヒヒッ!』


「マルコの手伝いを頼むよ。帰ったらたくさん魔石を食べさせてあげるからさ」


『ッ――!? ヒィアアアッ!』



 彼、いや彼女。

 どちらでもいいが、マインイーターは返事をしてアインの手を離れる。

 マルコの燕尾服の中に潜り込み、死んだように静まり返った。



「マルコ。コイツが命令を聞かなかったら燃やしてもいいよ。不満げにわめくと思うけど、面倒くさそうに言う事聞いてくれると思うから」



 マンイーターの性質を情けないと思ってしまう親心からか、アインは切なそうに頬を歪める。



「は……ははっ……肝に銘じて置きましょう」


「じゃあ頼んだよ。今の段階では俺とマルコだけの話にとどめておきたい。何かあったとしても、マルコの報告を聞いてから扱いを考えるよ」


「承知いたしました」



 マルコはアインに頭を下げ、まばたきの間に姿を消した。



「って考えてみたものの、お爺様には伝えとかないとなぁ……」



 遠くから届く気配に気を向けつつ、アインは空に向けて呟いたのだった。



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