[閑話]猫とドレスと本心と。
数時間ほど遡り、場所は国王夫妻の私室へと移る。
何人の女性が集まっていた。
大きなソファの背もたれには、多くの生地や既製品のドレスがかけられ、テーブルの上には数多くの宝飾品が並べられていた。
運んできたのは城下町に店を構える御用職人。
店主は壮年の女性で、ララルアがしばしば足を運ぶ店のオーナーでもある。
御用職人が足を運んでから一時間ほど経った頃。
カティマは若干疲れたようで、ソファに腰を下ろして大きく息を吐いた。
「ふむ」
彼女は一人頷くと、ある妙案を思いつく。
「お母様、こんなにドレスを眺めニャくっても、私はとっておきの正装を持ってるのニャ」
「――ねぇオリビア。こっちはどうかしら?」
「ええ。お姉さまにはそうした淡い色もよろしいと思います」
「は、話を聞いて欲しいのニャッ!?」
すると仕方ないと言わんばかりにララルアが答える。
「言ってご覧なさい? いくつかのお色直しの中で使える可能性がゼロではないでしょうから」
「ふっふっふー! それは白――」
「聞いた私が馬鹿だったわね。白衣は駄目よ」
ララルアはあっさりと引き下がった。
唖然としたカティマに対し、オリビアとマーサは何も目を向けず、苦笑していたのはクローネとクリスの二人だけ。
縋るような瞳を浮かべたカティマへと、クリスが慰めの言葉を送る。
「確かにカティマ様の正装だとは思いますよ? で、でもその……今回はもっと相応しい服装があると思いますから」
「動きやすいし汚れてもいいし、最高の正装なのニャッ!」
その言葉に対しクローネが言う。
「カティマ様。新婦はそう動き回るものではありませんし、汚れるなんてことは更にありませんよ?」
「なーにを言ってるのニャ! 不測の事態に備えてこその――」
「ご安心ください。警備を含め、カティマ様に苦労お掛けすることは絶対に致しませんから」
「クリス。甥っ子の婚約者の口がよく回るのニャ」
「あははは……口が回るも何も、全部正論だと思いますけど……」
しかし、この程度で折れるカティマではない。
彼女にはまだ秘策があった。
不敵に笑いを漏らし、ソファの上で仁王立ちすると。
「でもディルは、私の白衣姿は好きだって言ってたのニャッ! これで何の障害も無いのニャッ!」
だがその宣言に対し、誰一人として「なるほど」という態度にはならない。
「ララルア様。本日屋敷に帰り次第、息子のことはしっかりと教育しておきます。武一辺倒だったせいか、そうした機微に疎いようで。大変申し訳ございません」
「いいのよ、マーサ。彼は私服を褒めたようなつもりだったはず。カティマが誇張してるだけよ」
「ひどいのニャッ!?」
雑に扱われたカティマはソファの上に横たわる。
溶けたようにへたりと倒れ、まるでただの家猫のような姿を晒した。
これからまだまだ試着が残ってる。
御用職人が持ってきた物の山を見ていると、終わりが見えなくて複雑な心境だった。
よくここにいるみんなは楽しんでいるな。
カティマは色めき立つ女性たちを眺めて思う。
不意に、ぼそっと呟いた。
「二人もいずれはこうなるんニャからな」
と。
その呟きはクローネとクリスへ向けられていた。
「その時になって、私の苦労を味わうのニャ……ふふふ……」
きょとんとした顔で顔を見合わせたクローネとクリスの二人。
二人はすぐさま破顔して、クローネは花も霞む美しい笑みを浮かべていう。
「カティマ様は見たこともない古文書が並んでいたとき、目を輝かせたりはしませんか?」
「なーに言ってるのニャ。して当然だニャ」
「私たちも同じです。意味合いは少し違いますけど、私たちだってそうなるんですよ」
なんとも、カティマにとっては最高にわかりやすい例え。
言いくるめられたようで何も言えず、カティマはヒゲをピクピクと揺らす。
ここでララルアが提案する。
「一度休憩にしましょう。もう長い時間経っているんだもの」
その言葉に皆が同意した。
三十分後に再開することになり、最初にクローネが席を外し、その数分後にクリスが立つ。
いつしかマーサと御用職人がづついて部屋を出て、残ったのはカティマとララルアの二人だ。
ララルアはカティマの隣に腰を下ろす。
「本当は嬉しい癖に。変に演技なんかしちゃって」
彼女はくすくすと笑い、カティマの頭を撫でた。
「――私の柄じゃないのニャ」
「ならどうするのかしら。本当に私たちに任せっきりでいいの?」
「それは……むぅ……お母様は意地悪なのニャッ!」
「はいはい。それで、どれが良かったの?」
するとカティマは、ソファに突っ伏したまま手を伸ばす。
「あ、あの生地とかがその……好きなのニャ……」
爪の先が指示したのはいくつかの生地と、既製品のドレスだ。
既製品のドレスがあるのはシルエットの確認のためで、形のイメージを共有するため。
ララルアはカティマが指し示した全てを覚える。
「あれでドレスを作ってもらいましょうか。他のドレスは後半戦で選びましょう」
「……ありがとうなのニャ」
「あらあら。何を照れてるのかしらねーこの子は」
「だーかーらー……私の柄じゃないのニャァアッ!」
「なら昔のように振舞ってみたら? オリビアが憧れていた淑女……カティマはそんな子だったじゃない」
「ふっ、知らない話だニャ」
「ライルたちが消えた後、カティマのおかげで城内が明るくなったのは感謝してるの。でも――」
「駄目ニャ。それ以上言ったらだめなのニャ」
手を伸ばして制止したカティマの声。
一方のララルアは、早々に口を閉じた。
「きっとお母様は勘違いしてるのニャ。私が変わったのは何かに左右されたんじゃニャくて、私自身がこうなりたいと願って変わったのニャ。ここに何か後悔があるわけじゃニャいし、あるとしたら、あの馬鹿兄に対しての恨み言ぐらいなものだニャー」
「そう、なのね」
「まーでもそうだニャ―。私はもう大人ニャし、少しぐらい丁寧口調でもいいかもニャ」
すると、カティマが纏う雰囲気が変わった。
これまでの我慢を消し去るような、感情的な一面が露になる。
「――お母様、お願いします……柄じゃないと言うことではなくて、実はニヤけてしまいそうで恥ずかしいのです……」
と、心底照れくさそうに彼女は言う。
両手でタン、タンッとソファを叩き、腕で身体を抱いて身をよじった。
その様子を見て、ララルアは楽しそうにカティマの身体をさする。
「さっきみたいな助力ならいくらでもしてあげるから」
「こ、心より感謝いたします……」
「一つだけ聞いてもいいかしら。貴女の今のそれ、ディルには見せてるの?」
ピタッ、とカティマの動きが止まった。
「……」
「黙ってないで、私にだけ教えてごらんなさい?」
今のカティマは言うなれば、ララルアの優しさに甘えているのだ。
封印したはずの態度をオリビアたちには隠し、ララルアにだけみせているのもそのせいだった。
「カティマ、どうなのかしら?」
やってきた追撃には敗北した。
「み、見せてます……」
「あらあら、そうだったのね。安心したわ」
娘は存外、しっかりとした恋愛をしているらしい。
ララルアは安堵した微笑みを浮かべ、それからしばらくの間、カティマの背中をさすりつづけたのだった。
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