二十五章
すべての国とすべての戦力より強い存在
少し、いや少し長い年月が経った。
数えると
この日、アインはシルヴァードに頼み込みイシュタリカを離れている。
頼みと言うのは早期の即位を告げられた夜、何かしておきたいことはないか? と尋ねられていたことへの願い事だ。
内容は誰もが驚くことであったが、結局は受理され今に至る。
――強烈な海風が島を通り抜けた後、辺りが暖かな陽気に包まれた。
天球の頂上から降り注ぐ昼下がりの陽光は、肌を浅黒く焼くのにちょうどいいぐらいだ。
二海里ほど離れた海上にでは、海龍艦リヴァイアサンが停泊している。
甲板に立つ一組の男女が居た。
二人の視線の先には無人島がある。
イシュタリカとハイムが会談を行った地で、アインがカミラを打ち取った島だ。
今日この島の周辺に、リヴァイアサン以外の船舶が接近することは禁止されている。理由はいくつかあるが、特に大きな理由は、安全を確保できないということにあった。
「クリスティーナ様、そろそろはじまるかと」
「マルコ……ええ、分かっています」
二人は簡素に言葉を交わす。
すると間もなく、島の上空にあった雲が真っ二つに切り裂かれた。
周囲の海面もまた大きく揺れる。
「団長――カイン様が剣を振り下ろしたようです」
天まで届く最強の剣士の証、デュラハン・カインの一振りは苛烈だ。
これまでにないぐらい、彼の一撃は勢いよく雲を切り裂いている。
「アイン様が求められたことは異常の一言に尽きます。不利な条件下にて、ハイム戦争の再現をすると言ってこられたのですから」
彼の不安げな瞳は真っすぐ島を射抜く。
一方で、隣に立つクリスには余裕すら見え隠れしていて、
「でも」
クリスは笑みを浮かべ口を開く。
「アイン様なら大丈夫ですから」
それから、波のように押し寄せる剣閃がカインの剣劇を覆う。
更に強大な力を見せている――と容易に想像がつく反撃を、二人は目の当たりにしたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「ぬぅ……ぐ……ッ!?」
剣の技量はまだ追い越されていない。そんなことは分かっている。
が、基本的な部分に問題がある。
膂力や反応速度、戦うために大切な基礎が既に劣ってしまっていた。
カインが相対している
これより前に剣を交わしたのはいつだったろう?
確か黒龍が出現する少し前――
「ッ……伝聞として、そして召喚主のお前が強くなっていた事実は知っていたッ! だが何故だッ! お前はどうしてこうまで強くなっている!?」
「目標が出来たから……それだけです」
「ああそうか! さすがは魔王と言ったところだな……アインッ!」
魔物に差し向ける訳でもない、カインが放つ本気の剣劇。
強く、
だがどうだろう。
アインは受け止めるどころか、余裕すらある。
(……大丈夫だ)
いける。
最強の剣士を相手にしても膂力が劣っていない。
それを理解し、更に力を込めた。
「ぐっ……ぬぁぁぁああああああ――ッ!?」
横薙ぎ一閃でカインを吹き飛ばす。
周囲の木々もまた切り崩され、もはや島は荒野と化しつつあった。
木々のさざめきは既に聞こえない。響くのは地面が抉れる音と、凶悪な風が砂塵を舞い上げる音だけ。
天空では雷をはらみつつある黒雲が蠢く。
「あらら、綺麗に吹き飛ばされてきたのね」
吹き飛ばされたカインの耳元に、鈴を転がしたような軽やかな声が届く。
声の主は杖を振ってカインを空中で制止させた。
そこに居たのはエルダーリッチのシルビアで、彼女もまた、戦いに則した装備に身を包んでいる。
「……悪い、助かった」
「いいのよ。でも、随分と苦戦してるみたいね」
「ふんっ。まだ最強の騎士の座は譲っていないぞ」
「でもあの子は強いわよ?」
「さしずめ最強の生物と言ったところだ。アインは剣を剣士として扱っていない。例えるならば、龍が爪と牙で戦うようなもんだ」
ただ負けず嫌いを見せたんじゃない。
カインの冷静な分析にシルビアが頷く。
「念のため教えてくれないかしら? あの子、本当に魔法や魔王の力は使ってないの?」
「戦うためにはな。ただ、身体が頑丈になってしまってるのは仕方ない」
「……そう。なら本当に」
「ああ。今のアインは剣だけを武器にして――ハイム戦争と同じ布陣を戦っている」
その言葉を聞きシルビアは息を飲む。
「訳が分からないぐらいね。アイン君ったら、何を求めてこんな戦いを?」
「詳しくは知らん。一つだけ聞いたのは、どうしても倒したい相手がいるからってことらしいが」
「で、その相手は私たち
カインは声に出さず頷いて返す。
こんな戦いを求めたのだ。三人ひとまとめにしたより強い相手がいる、アインは密かにそう述べたのと同意であろう。
「アイン君には悪いけど小細工を仕掛けるわ」
「ほう?」
「さっきあなたにしたみたいに動きを止める。妨害してから攻撃に移ろうと思うの」
「悪くないな」
「あら、そんな戦い方は嫌だって言われると思ったのだけど」
「……三人がかりで負ける以上の事は無い」
と。彼はそう言って姿を消した。
――現れたのはアインからほど近くだ。
すでにアーシェもそこに居て、アインを相手に力を振るっている。
「私ッ……肉弾戦とか好きじゃない!」
「そう言うな。自分で思ってる以上に様になってるぞ」
「むぅ、嬉しくない……!」
現れたカインはアインの背後をとる。
真正面はアーシェで、挟み撃ちの形になった。
「どうだアイン、アーシェもなかなかやるだろうッ!」
「ええ! 纏ってる魔力が本当に面倒です!」
アーシェの魔力は普通ではない。
近くにいるだけで相手の体力を奪っていく、他にない特別な力だ。
それは常人であれば、数秒と経たずに斃れるほど強い。
数百年前、大陸イシュタルを混沌に貶めた力だ。
「あなたも早く負けちゃえばいい……!」
振り下ろされる腕、通り抜けた後の空気、向けられる視線。
全てがアインの身体に直接的な影響を与える。
しかし、一向にアインが疲れた様子を見せることはなく、何も変化した様子を見せない。
「いいえ、負けるつもりはないんです」
アインは彼女の攻撃を冷静にいなし、時に剣を振って反撃を繰り出す。
器用にも背後から届くカインの攻撃すら同じことで。
「ァアアアアアッ!」
本気の一振りをカインが放とうと、
「ば、馬鹿な――ッ!?」
キィン! 金切り声を思わせる金属音が響く。
視線を向けず、背に向けた剣で攻撃を防いだアインが居た。
「二人とも!」
不意にシルビアの声が届く。
すると、カインとアーシェが顔を見合わせ、新たな攻撃の支度に手を付けた。
これまでより強く苛烈な一撃をだ。
「これは……シルビアさんの魔法?」
全身が凍り付いたと錯覚するような魔法だ。
アインは身動きが取れず、直ぐ近くに立つシルビアに視線を向けた。
正面からアーシェ。
背後からカイン。
イシュタリカ中を探しても、二人ほど強い存在は他には居ない。
加えて、アインを拘束しているのはシルビアなのだ。
このような一対三の構図にありながら、アインの顔には少しの焦りもない。
「ここで負けるようじゃ」
竜人には勝てない。
どうして自分が努力して来たのか? その理由を強く反芻した。
こうしている間にも二人の攻撃が迫る。
「これで、お終い……ッ!」
「終わりだ! アインッ!」
「……違う。終わりじゃない。終わらせないッ!」
終わりじゃない。
ギ、ギギギ――手足は弱々しくも動く。
オイルが切れた歯車のようで動きづらいが、それでも動く。
「う、嘘でしょ……!?」
ふと、シルビアの額に汗が浮かんだ。
焦りから来るものではない。
仕掛けた魔法が強引にはがされそうとしている、その強さによるものだ。
彼女は必死になって魔力を込め、杖を握る手に力を込める。
だがそれでも。
「あぁぁぁああああああッ!」
咆哮。
頭上の天空の雲が飛び散って、アインの身体からガラスが割れるような音が響く。
その瞬間、シルビアは杖を握りなおす。
もはやアインを拘束できない。
彼女は即座に、攻撃魔法へと切り替えたのだ。
アインへと三人分の攻撃が注がれることになる。
前後からアーシェとカインが。
そして空中と左右からは、シルビアが放った黒い閃光がアインを襲った。
全方位からの攻撃は、一つ一つが千の命を奪えるであろう破壊力を秘めている。
アインもまた剣を振りかざす。
――強烈な力の破裂が、島全体を包み込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
砂塵と旋風、漂う魔力の煌めきが収まったのは数分後のこと。
巨大なクレーターと化した戦場に立つのは一人。
「はぁ……はぁ……」
アインは荒くなった息を整えつつ、凄惨な周辺を見渡す。
二メートルほど離れたところに膝をつき、剣で身体を支えているのがカインだ。
体躯が彼ほど逞しくないアーシェはと言うと、十数メートル先で大の字に倒れこんでいる。
最後にシルビアだが、彼女はカインの背後数メートルで座り込んでいる。恐らく、カインが守るように立ちはだかったのだろう。
更に数十秒が経つ。
カインが苦笑いを浮かべて言う。
「最強の剣士、最強の魔法使い、そして……覚醒した魔王の三人だ。この三人を相手に、まさか身体の力だけで勝利してしまうとはな」
当然、アインは自分でも驚いていた。
「俺はもう限界だ。シルビアもそうだろう。アーシェ! お前はどうだ!」
「わ……私はまだ大丈夫……! だけどもう勘弁して……ッ!」
今日という日までの訓練は無駄ではなかった。
日に日に強くなっていったアインは、その成長速度が尋常ではない。
もし、もしもあの日クローネに相談していなかったら――確実にアインは、今ほどの強さを身に着けていなかっただろう。
「俺が認めてやる」
「えっと……何をですか?」
するとカインは立ちあがった。
足元は若干おぼつかないが、それでも意地を見せ立ち上がったのだ。
「今のお前なら、イシュタリカの全戦力を相手にしても勝利を収めるだろう。エウロにロックダム、バードランドにハイム自治領……そのすべてを合わせようと答えは一緒だ」
「そ、それはさすがに」
「言い過ぎではない。今回の戦いはアインだけが不利な戦いだった。魔王としての力を使わず、身体の強さと技量だけで戦い切ったのだからな」
そこに魔王の力が加われば――なんて、考えるまでもない。
名実ともに最強の生物になったと言えよう。
「最後に教えてくれ。アインが口にしていた相手だ。それは今のアインよりも強いのか?」
アインは目を白黒させた後、あの日の戦いを思い出す。
何もできなかった。
実力はどこまでも隠されており、その本性を暴くまでの段階に無かったはず。
今の自分でどこまで戦えるだろう? アインは空を見上げた。
「ええ。強いです」
少なくともカインの想像の範疇に無い。
だがアインの言葉に嘘は感じられず、彼の純粋な瞳に宿る闘志は美しい。
そしてそれ以上のことを尋ねることをせず、カインは立ち上がりシルビアを抱きかかえた。
「俺たち三人を鏡に使ったんだろう? 今の自分がどれほど強いか、そして考えている相手とやらに対抗できるか否かを図るために」
「……バレましたか」
「当たり前だ。とは言え別に不快なわけではない。俺は俺でまた剣を振る」
穏やかで晴れやかな声で言い、カインは一足先にこの場を立ち去る。
すると、アインの背中にアーシェがもたれかかった。
「ねぇ、おんぶして」
「……はい?」
「疲れた。歩きたくない。あなたのせいでこんなに疲れたんだから、少しぐらい私に甘くしてくれてもいいと思う」
「なるほど、そういうことでしたか」
特に抵抗もせず、彼女を背中に抱えた。
「はぁ……そう言えば、どうしてこんな時期に、こんな戦いをしたいなんて言ったの?」
「今を逃すと俺の即位の支度とかで、一年以上かけて忙しい時期になりそうなんで」
ふぅん、アーシェは頷いて体重を預けた。
体格から分かっていたことだが、彼女は体重を感じないぐらいには軽い。
「先にディルの婚儀とかもありますし、今がギリギリのタイミングだったんです」
「ふむ……じゃあ寝てもいい?」
「あ、はい。イシュタリカに着いたら起こしますから」
しかしマイペースな魔王だ。
いや、それを言うと二人してマイペースな魔王ではあるが。
ところで、アーシェは内心で驚いていた。
アインがケロッとした様子で、疲れた顔一つ見せないからだ。
「なんか、ずるい」
ボソッと呟いた声からは、密かに宿った負けず嫌いが息づいていた。
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