ついに吹っ切れたエルフ。

 


 片側の眉を吊り上げたアイン、クリスの言葉に疑問を感じた。

 いくら剣だけの勝負といえど彼女にとって簡単じゃない。言うまでもなくアインが強いからだ。

 しかし、彼女の絶対に勝てるという言葉からは、少なからず、それが士気を高めるためだけの言葉には思えない。



(――確かに今日のクリスは強い。でも)



 負けない、その自信がアインにある。



「ふっ……はぁあッ!」


「ッ――今日のクリスは一味違うね……!」


「ふふっ、ありがとうございますッ! 吹っ切れたせいか、身体が凄く軽いんです!」



 一言に心境の変化で片付けられない実力。もし、根付きの影響で身体が強化されているといわれても違和感はない。

 訓練場に響き渡る剣戟の音。クリスのレイピアが閃光と化す。



「すぅ――はぁ……」



 ある種、強者にのみ許された振舞い。

 アインが戦いの最中、身体のリズムを呼吸と共に変えた。



「思えばクリスと真面目に剣を交わすのって、これがはじめてだよね」


「はい! アイン様がロイド様を倒してからは……今の今までありませんでしたからッ!」



 アインはまだ戸惑いを払拭しきれておらず、彼女に向けられた好意への返し方に迷っていた。対照的に剣に本気を込めたのはコレが答えやすかったからで、彼女の願いに直接的に繋がっていたから。

 苛烈な戦いがつづく。この場に居なくとも城内にいる実力者たちは、訓練場から届く強者の香しさ、、、に気が付いてるはずだ。



「体捌きの速さは完敗だ。その舞台で競り合うのはやめたほうがいいみたい」


「光栄です。でも……強引に引きずり込ませてもらいますからッ!」


「……でも、クリスの優位に進ませる気はないんだ」


「ではどうしますかッ! 私の疾さはアイン様にも勝ってるんですよ!」



 言葉を交わしつつ、クリスはアインの背後に回った。

 一突き当てて勝利を得る。それだけの話だ。



「あくまでも体捌きの話だよ。それ以外を譲ったつもりは無い――」



 あと数センチも腕が前にいけば終わるはずだった。しかし、アインの手元が不規則に軌道を変え――。



「なッ……!?」



 自分の意思とは別に走るレイピアの切っ先。クリスの重心ごと前に斜めに、そして気がつけば転がされるようにアインの思い通りに支配される。



「させない……ッ!」



 上半身が崩される寸でのところ。

 足先、指の付け根にぐっと力を籠めクリスが引き下がる。まばたき一瞬の後にアインの剣が空を切った。

 つーっ、と彼女の首筋を汗が伝う。



「ま……まさかそれほどの技術に昇華されていたとは、想像以上です」


「クリスにそう言ってもらえると嬉しいよ」


「……ほんっと、昔の可愛い剣を使うアイン様はもういらっしゃらないんですね。あんな綺麗に流されるなんて、今まで生きてきて初めての経験です」


「あれ? セレスさんは?」


「姉は直感的な剣でしたので。ただ、それでもアイン様の方がお強いかと思いますが」



 クリスがアインから数歩余計に距離を取った。

 近接は厳しい。彼の反応速度は自分の体捌きより遥かに早い。

 ――だが、彼女の眼は死んでおらず。



「うん……やっぱり、今日は私が勝てそうな感じです」



 彼女は見惚れるほどの笑みをアインに向けた。

 心理戦? 彼は不思議に思うが、クリスらしい戦法に思えず現実味がない。

 訓練場に散った微量の砂を踏む音。



「どうしてそう思ってるのか。後はなんで再確認したのか聞いてもいい?」


「前者は秘密です。でも後者はですね……さっき、アイン様の剣が空を切ったからですよ!」



 見る者が見れば、命の奪い合いにしか思えない二人の剣戟。

 ただ、ロイドやディルなどの実力者からすれば、これはただの逢引きに似た慣れ合いだ。剣戟の都度、二人は意識せずに微笑みを交わし互いを称え、吐息が届く距離にある顔の距離が良い仲を思わせる。



「ご自覚しておりませんか? アイン様ゆえの敗因となることを!」


「無いし、負ける気はないよ」


「そう言ってくださるってことは、私との闘いを真面目にしてくれてるってことですよねッ!」


「当たり前だ! ここで茶化すような剣は使わないッ!」



 クリスがアインの懐に飛び込む。

 今しがたよろしくアインに流され、彼女が逃げた直後に剣が空を切る。二人は同じ立ち合いを繰り返しつづけ、クリスの息が徐々に切れた。

 時間にして数分、だが、戦いで消耗されゆく体力はクリスの想像を大きく超えた。



「動きが鈍くなってきたよ、クリスッ!」


「……やっぱり体力が限界ですね、ほんとすごいです……アイン様」



 これが最後の攻撃だ。彼女の表情からそう窺えた。

 彼女はめげずアインにレイピアを振るが、やはり今回も流される。

 芸がない動きはクリスらしくない――アインが戦いの終わりを惜しんだところで。



「アイン様。優しい貴方では……今日の私には勝てません」


「なにを急に……もうクリスはこのまま」


「えぇ。きっと普通にやっていたら負けたと思います。でも、私が馬鹿みたいに同じことを繰り返した理由――実はちゃんとあったんですよ」



 重心が崩れつつあるクリスの体捌きが変わる。

 急速に速度を上げ、目にもとまらぬ動作で整え直しアインの懐を見つめた。

 広がる金の髪が朝日を浴び、白磁の頬に歓喜を伝える赤み。



 勝利の美酒に酔ったかのような笑み。アインがつい目を見開く。



「――本気で戦ってくださってたのは嘘じゃないと思います。でも……私は想像以上に大事にしてもらえてたみたいです」



 石畳を蹴る音、レイピアを構えなおす際に切った空の音を置き去りにクリスが進む。

 クリスは無防備に頭を前に、腕元を隠すようにレイピアを構えた。

 すると、不自然に動作が狂うアイン。それを見て歓喜と寂しさを共存させたクリス。



「えっ……」


「ほら、アイン様は優しいんです。言いましたよね? 優しいアイン様ですから、私は勝てるんですよ――いろいろと思うことはありますけど……」



 剣を扱う者として、急所を守らずの突進は自殺行為だ。

 差し違える覚悟で行うもので、アインもその程度ならいくらでも対処が出来る。というのは、いつもの話。

 今回、アインの脳裏に浮かんだことは二つある。



(ッ……今の今まで、もう一段階速く動けることを隠してたッ!?)



 先程の加速は見たことが無い。つまり、彼女は切り札として温存していたということ。

 それだけならなんとかなるのがアインだが、何分、相手が悪く、クリスが言うように、アインがクリスを大事に思っていたことが露呈する。

 幾度となく空を切ったアインの剣――無意識のうちに、彼女に怪我をさせまいと腕から力が抜けていた。



 だが。意地の張り合いならアインも負けていない。



「クリスッ! 俺はそれでも、負けるつもりなんて微塵もないッ!」



 強引な手元の変化はまさに強者の特権。

 幾度となく交わされた思惑。アインはそれでもクリスの動きに勝ってみせたのだ。



「……微塵もないと仰るのなら、さっきの優しさは不必要でしたね。でも……さすがです、アイン様。まさかこれにも反応してしまうなんて――」



 すると、彼女の手元からレイピアが離れ、地面に落ちる直前。

 アインは彼女が諦めたことを察し、彼女のレイピアを跳ね返そうと構えられた剣、腕の力を抜いて間もなく。



「でも、一撃は一撃……ですよね?」



 トンッ……アインの胸元に添えられた彼女の両手。

 こんなのが一撃? 確かに、剣による一撃なんて決め事はない。

 わざわざ握り拳にして添えたのは、恐らく彼女にとって攻撃とするため。

 クリスはアインの呆気にとられた顔を見て笑い、レイピアが地面に転がった。



(こんなことで――)



 剣を振りかぶったアインの胸元はがら空き。

 すでに懐にいた彼女。そんなアインの胸元に手を当てるなんて造作もないことだった。



「色々と裏をかかれた感じがして、少し悔しいんだけど」



 同時に、アインの胸の内に宿る自責の念。

 真面目にやると言っておきながら、無意識の加減していたことを恥じた。



「私も悔しいですよ? 無意識のうちに手加減されてたんですから、剣を扱う者としては悔しいです。だいたい、アイン様から仕掛けても来なかったじゃないですか……最初から対等な勝負にはならないと思ってましたけど、差は歴然でしたね」



 彼女は悔しさから逃れられない。だが、今日はそれ以上に重要なことがある。



「アイン様の優しさに甘えた勝利です。でも、勝ちは勝ちなので……」



 クリスの握り拳が解かれ指先が伸びる。アインの肌を伝い、数秒掛けて彼の頬を両手で抱いた。



「私、やり直したかったんです。クローネさんにもしっかりと伝えて、自分も頑張っていいんだ……って分かってから、ずっとずっと――あの時のことをやり直したくてたまりませんでした」


「……あの時?」


「はい。だからアイン様……私の勝ちですので、今からすることも許してくださいね」



 近づく顔、鼻先が一足先に擦れる。

 アインがクリスのまつ毛の長さを眺めてすぐ、最後に彼女が目を瞑り、二人の唇が重なったのが分かった。



(ッ――!?)



 しっとりと柔らかく温かい。

 頬に添えられた彼女の手もあり、顔中がクリスで覆われた。

 彼女の甘い香りに脳が溶かされそうになる。



「んっ……」



 どこか艶めかしい吐息交じりの声。

 数十分にも感じられる数秒が終わりを迎え、彼女は真っ赤な顔で――それでいて充足した笑顔で口を開く。



「――っ……はぁ……これで、私の初めてをやり直せました」



 そういえば、戦う前にクリスは口走った。

 自分の力でアインを認めさせる、女として見てもらうためにと。

 彼女なりの矜持、事故による根付きの交換条件なんてこともなく、情に絆されて自身を女に見てもらうことを嫌った。



「凛々しいアイン様も素敵ですけど、今回のことは私が頑張らないと駄目なんです。だって、ずっとクローネさんだけを見てきたアイン様に、私のことも見て! って意識を変えてもらわないといけないですもんね」



 不器用な恋心をアインにぶつけた結果、彼女の想いは大きく前進する。

 素早くまばたきを繰り返したアインの表情は呆気にとられたまま。しかし、彼はおもむろに自身の唇をそっと撫でた。

 唐突な行いが、彼の意識を変えたのだ。



「アイン様ー? その、何度撫でても、もう唇はありませんよ……?」


「……知ってる。だから今、さっきまでどう償おうって思ってた自分を恥じてたところ」



 時にカッコ悪くもあり、時に鈍感すぎるところもあったアイン。

 想いがクローネに向けられていたことを思えば、こればかりはどうしようもない。

 だが現状、自身の行いを悔いていた想い人を見て、クリスはまた……何度目か分からない自覚をした。



「あ、ごめんなさい。実は結構恥ずかしさが限界なんで、先に外に出てますね」



 背を向けたクリスが鼻歌交じりに軽快に歩く。

 背中で腕を組み、艶めかしい髪を揺らす後姿がふと止まる。振り返り、頬を赤らめたまま口を開く。

 アインは、ついさっき重ねた彼女の唇に目を惹き付けられた。



「――アイン様、大好きですッ」



 月の女神と称した美女の可憐な仕草と表情。長い髪が揺れた。

 最後に彼女は、「今日からまた、よろしくお願いします」と宣言して立ち去る。見慣れたはずのクリスを見て、アインは握っていた剣を力なく落とした。



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