黒龍の話とエルダーリッチの師匠の話。
「唐突ですね。正直、赤龍の件から進むと思ったんですが」
アインはこう答えるが、実のところ、もっとも聞きたかった話の一つに違いない。
もう一つは、赤龍は魔石を食べて急成長するだろうか? という疑問だ。
「私たちからしたら、赤龍なんて空を飛ぶ赤い蜥蜴だもの。それとも、こっちのほうが興味があるかしら?」
「……色々思うことはありますが、黒龍の方が興味があります」
結局は未知な黒龍について知りたかった。
赤龍も戦ったことはないが、それでも、シルビアがあっさりと倒してしまったという過去はある。
つまり、アインでも対応可能ということ。
――アインとクリスの二人は深く座りなおし、ほぼ同時に呼吸を落ち着かせる。
チラッと一瞬、クリスが窓の外に目を向けると、唐突に吹雪きだした旧王都の夜景があった。
「まずはそうね……これを見てごらんなさい」
シルビアが虚空から黒い靄を出現させる。
すると、中からゆったりと彼女の杖が姿を見せ、やがてそれは空中で静止し、テーブルの上に浮いた。
「まじまじと見たことはないと思うけど、これが私の杖なの」
言われてみればその通りで、あくまでも大きな杖――という印象しかない。
いい機会だと思い眺めてみると、全体は黒く、それでいて木の枝のように節だっている。
だが、それだけだ。これ以上に特別な感想は抱けなくて、カインの大剣をみたときのような感覚はなかった。
「この杖は何も特別なことはしてないわ。私が昔、この
「っていうと、加工らしい加工はしていないんですね」
「えぇ。表面を綺麗にしたぐらいかしら」
どうして今なのか。杖を見せたことが不思議でならなかったが、アインは察しが悪いということもない。
時と場合によっては感情に左右されることもあるが、あくまでも今は冷静だ。
ただ静かに杖を眺めていると、それが海龍の骨を見たときと同じ感覚に至った。
「――もしかしてその杖、黒龍の骨で出来ている……? いや、骨そのものなんですか?」
同じく想像はしていたのか、クリスはハッとした面持ちながらも小さく頷く。
数呼吸ほど置き、シルビアは曖昧ながらも答えを返す。
「恐らくね。でも骨というよりは……角、かしら?」
「……まさか生来の魔道具だったなんて……私も見るのははじめてです」
思わずクリスも驚きの言葉を漏らした。
「ふふ、そうかしら? ハイム王都に残ってるアイン君も、同じような存在だと思うわよ」
自分のことながら困ったように笑うアイン。
しかしそうと聞いては、必要ないのなら燃やしておくべきだろうか?
いずれ、ウォーレンやクローネに相談することを心に決めた。
「それで、私がこれを黒龍の角と思った理由はね。黒龍が私と近しい性質を持つ魔物――って聞いたことがあるからなの」
龍種に属するが、その力の根源は魔力とされる。
また、近しい性質というのは、もう一つ理由があって――。
「魔物が魔力を蓄えるのはまず魔石。後は、攻撃手段に使う部位や、身体中で一番固く安全なところだって、相場が決まってるの」
「黒龍にとっては、その部位っていうのが角に該当するんですね」
「えぇ。海龍はまた別だけど、多くの龍種は角が一番堅牢な部位だから」
ということで、それが角だという理由は分かった。
あとに残されるのは、どうして黒龍かと断定できた理由についてだ。
「最後にどうして黒龍か分かったのか、っていう話だけど。この杖は私と相性が良すぎたの。だからかしら?」
「……というと、どういうことでしょうか?」
「ふふ。アンデッドの私と相性がいい杖ってなると、その素材もアンデッドの物じゃないと駄目なの」
「あれ、黒龍ってアンデッドなんですか」
「龍種のアンデッドは黒龍だけだもの――っていうのは、私も師だった方から聞いたの。まぁ、私が大きくなったら
また彼女は、どうしていつも気になることを口にするのだろう?
エルダーリッチ・シルビア。彼女の師というのが気になってしょうがない。
――が、とりあえず黒龍からだ。
「話を戻しましょうか。私が伝えたかったのは、黒龍は厄介な存在だということよ。だって、私が千年以上旅をした中で、これ以上の素材になんてお目にかかれなかったんだもの」
「言い方を変えれば……強いってことですか?」
コクリと彼女が頷いたのを見て、クリスとアインが顔を合わせて表情を硬くした。
しかし千年というのはすごい歴史だ。
「シルビアさんは伝承をご存知ですか? 『黄金に浸かりし赤龍は、天を漆黒に染めし黒龍へと昇華するだろう』というものなんですが」
「勿論。だって、私がマール君に教えたことだもの。本当はその後に、歴戦の亡者の力を捧げる……ってつくのだけどね。あ、これも師から聞いたことなんだけど」
「……あ、はい。そうでしたか」
もう驚かないぞ。シルビアが多くの歴史を残したことなんて今さらだ。
大地の紅玉然りだが、どうにも縁があるように思えてならない。
「黒龍へ昇華する。いえ、進化すると言った方がいいわね。溶かされた黄金が魔力を宿した湯に変わり、その湯で肉体という檻から解放された赤龍こそが――」
「黒龍、ということですか。それにしても、シルビアさんの師匠はよくそんなことまで知っていましたね」
頷き返すシルビアは、懐かしむように言葉をつづける。
「本当かどうかは知らないけど、大陸を掃除するときに、一度だけ黒龍を倒したと言ってたわ。もしかすると、この杖の元の持ち主は、私の師が倒した黒龍なのかもしれないの」
「俺の想像以上にすごいお師匠様のようで……」
考えてみると、シルビアの師がごくありふれた存在なはずがない。
逆に、これぐらい突き抜けている方がしっくりきた。
「クリスさんから聞いていたけど、赤龍が大きくなることも懸念しているのよね?」
「はい、実はそうなんですが」
「諦めなさい。それはどうしようとも阻止できないから」
やはりかと、半ば予想していたが肩を落とした。
魔石なんて集めるのは容易すぎる。
店先での販売を規制するのもほぼ不可能で、したところで……といった感覚だ。
「大きくなるまでは、最低でも数か月以上はかかるわ。現実的なのは、この間にある程度目星をつけて追手を放つことかしら」
「そうなんですが、足取りがつかめていなくて……」
アインとしても追手を放ちたい。
彼女の助言はもっともだが、それを実行できるだけの情報が無いのだ。
「いいえ。最終的な行き先は決まってるわ。今どき溶岩がある地域なんて一部だけだから」
「溶岩ですか?」
「私がこの杖を拾った場所と同じ、大陸の西側よ」
「ッ――アイン様! ムートン殿が仰っていた話では……!」
クリスがふと、つい先日の会話を思い出した。
「ムートンさん? ムートンさん……あぁっ!」
思い出すのは彼の言葉。『馬鹿みたいに昔、西側には巨大な火山があった……ってことらしいぜ。だからその名残で、地中に宝石が埋まってるってことだ』
今のこの瞬間、シルビアの言葉と話が繋がった。
そしてムートンは言っていなかったが、溶岩がまだ眠っているとシルビアは口にしたのだ。
「で、でも! 溶岩が無ければいけない理由は……」
「山のような金を溶かせる場所、それを冷まさないでいられる場所なんて他にはないのよ? 魔法でどうにかするにも、人の力ではどうにもならないわよ」
「そうか……だから溶岩が……」
たった一か所だけではあるが、要注意な場所は特定できた。
これだけでも、シルビアの下を尋ねた価値がある。
光明が生まれたことで、アインの顔にもようやく明るさが戻りだす。
「あの地の溶岩は特殊なの。昔はいくつも火山があったけど、あの場所以上に温度が高いところはないわ」
恐らく、その溶岩を露出させるのも一苦労なはず。
龍信仰のローブの者たちだって、こればかりは一筋縄ではいかない。
「ですがアイン様。赤龍復活で目標が達成されている可能性も、まだあると思うんですが……」
ローブの連中が純粋に赤龍信仰のための仕事をした。
黒龍というのは、アインらによる勇み足の可能性だ。
「うん。可能性はあるかもしれないけど、でも」
「あらら……クリスさん、そんな可能性はないと思うわよ」
シルビアが苦笑して、唐突にクリスの頭を撫でた。
あやすような手つきに対し、クリスはぽかんと口を開けて彼女を見る。
「ローブを着た男たちは、アイン君の剣を奪い去ろうとしたのよね?」
「は、はい。私は留守番でしたが、そのようなこともありました」
「……クリス。お願いだから不貞腐れないで」
服装がいつもと違うからか、凛としたというよりは、どことなく可愛らしいその姿。
しかし、アインからすれば苦笑するばかり。
「さっき言ったと思うけど、歴戦の亡者の力を捧げる……っていうのがあるの。彼らはそれを分かっていたから、アイン君の剣を得ようとしたんじゃないかしら」
辻褄は合う。
リビングアーマーの素材を使っていることは、別に隠している事でもない。
カインやシルビアを狙わない理由も、過去の魔王騒動の件から理にかなっている。
力を捧げさせるなんて、なんともアンデッドらしさが強い。
(レオナードが言ってたな……儀式には他にも必要なものがあるらしいって。それが歴戦の亡者……アンデッドの素材ってことか)
この話の中でいくつもつながった話。
本格的に、黒龍という存在を召喚しようとしているのだろう。
残されたのは、龍信仰の連中の目的だが、
(こんなの分かるはずもないし、今はただ、その目的を阻止することだけを考えればいい)
むしろ阻止出来たら、その中にある動機なんて興味がない。
興味がないというのは言い過ぎだが、何よりも大切なことは履き違えていない。
多くのことに納得したところで、アインは唐突に立ち上がる。
「ごめんなさい。少し考えたいことができたので、ついでに頭の中を整理してきます」
「えぇ、たくさんお話したものね。少し休憩にしましょうか」
「アイン様……?」
どうしたんだろう? 不安な目を向けるクリスに微笑みかけると、そのままの足で一度部屋を出た。
急な出来事に彼女は戸惑っていたが、誰かがいる場所では、脳裏を掠めたことを冷静に考えられる気がしなかった。
――魔王城の廊下は薄暗くて多少不気味ではあるが、今はその落ち着きが嬉しい。
「……目的は不明だったが、赤龍は神隠しのダンジョンを目指した……ね」
その目的は、当時赤龍を倒したシルビアたちですら理解していない。
しかし、話を聞いているうちに、アインはとある手掛かりにたどり着いていたのだ。
これはアインだけが知りえる話であり、他の人物は絶対に知らないという自信がある。
「前に王都で聞いたけど、神隠しのダンジョンは神が住んでるっていう話だっけか……はぁ」
まさかね、と。半信半疑ではあったが、冷たい窓に額を押し付けてみると、不思議とその仮説が正しいように感じてきた。
「例えばだけど、赤龍は黒龍を倒した相手に恨みを持っていて、その恨みを晴らすために行動したとしよう」
赤龍に仲間意識があるかは知らないが、あくまでも仮説だ。
神隠しのダンジョンの素材を研究所に使ったのは、赤龍に精神的な刺激を与えるため――こんなふわっとした理由をつけてもしっくりくる。
内心では、そんな精神的刺激はありえないと思っていても、今のアインはそれすらも正しく思えてしまう。
「恨みを晴らすための相手。その居場所があのダンジョンだった……?」
ところが現状、神隠しのダンジョンにいるかもしれない、とされているのは一人しかない。
そう、神と呼ばれる存在だ。‥……加えて、
「以前黒龍を倒したのがシルビアさんの師匠。で、シルビアさんのような存在の師匠を務められる
シルビアは師を彼女と形容した。つまり、師は女性だったということ。
大分昔に別れたとのことだが……。
「――シルビアさんの師匠って、あのロリ女神様なんじゃ……」
大陸を掃除していた時、とシルビアは言っていた。
そもそも、そんなことをしようとする者が普通なはずもない。
「しっくりし過ぎだよなぁ……はぁ。聞いていいのかな? いや、聞くのもそれはそれで少し……なんというか……」
煮え切らないのは、神という存在を近くに感じることへの戸惑いだ。
仮にダンジョン奥に座するのなら、アインは会いに行きたいと思ってしまう。
自衛のためにもそうだが、安易に聞くべきではない気がした。
――が、様々な面で疑わしい話ではある。
だが神のことを考えてみると、多くの事柄がすとんと落ち着いた気がしたのだ。
今日の自分は冴えている……と、アインは自然と苦笑いをこぼした。
◇ ◇ ◇ ◇
……ところで、場所は変わりアインが去った後の室内では、クリスがちょうどシルビアの師についてを尋ねたところだった。
彼女もまた、シルビアという女性の師が気になっていたのだ。
「年齢不詳だった、ですか?」
「えぇ。師はアーシェと同じぐらいか、それより小さかったもの。分かるのは、彼女が女性だということと、私より遥かに熟達した魔法の使い手だった、ということぐらいかしら」
なんて不思議な存在だろう。
目を白黒させていたクリスは、シルビア以上の魔法の使い手と聞いて驚いていた。
「あの地が。ダンジョンが神の家って教えてくれたのも、その師なのよ。どうしてそんなことを知ってるのかは、私は今でも分からないのだけど」
「……私も是非お会いしてみたいです。シルビア様のお師匠様に」
彼女の師が持つ叡智とやらは、自分の想像が追い付かない領域の話なのだろう。
聞いているだけでも尊敬できる女性とあって、興味が絶えることは無かった。
「私が何もできない身体だったときに面倒を見てもらったの。だから、私もまた会いたいのだけど、本当にどこにいったんだか……ところで、私は二人に協力できたかしら?」
「は、はい! それはもう、アイン様もお喜びのはずですから……!」
「ふふ。それは良かったわ」
シルビアはそう言ったところで、唐突に胸の間から一枚の封筒を取り出す。
どこからそんなものを……。クリスが戸惑うが、シルビアは何かに気付いたようにそれを手渡してきた。
「これは招待状なの。ライゼル伯爵がパーティを開くそうなのだけど、良かったら代わりに行ってきてくれないかしら?」
彼女曰く、パーティに参加するのは気が向かないとのこと。
協力したことへの礼と思って。と、シルビアはアインに伝えるようクリスへ言った。
予定は詰まっているが、礼をしないわけにもいかない。
結局、後でアインに相談しようと決め、受け取った手紙を懐にしまい込んだ。
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