狐の提案。

「そんな眉唾物、余はなんの興味もない」


「はは……陛下ならばそうでしょうな」


「まぁ、その、今回ばかりは危なそうなんで、俺も行ったりしないですよ」



 万が一を思えば、この世界から消えるなんて考えたくもないのだ。

 大切な人たちを残して去るなんて、死ぬとき以外は考えたくもない。



(あれ、俺って寿命、どのぐらいあるんだろ)



 世界樹というほどなのだから、人間とは違った寿命に思えてならない。

 一人だけ長生きするかもしれない。考えるだけでも切なく、頭を振って気分を変える。



 すると、アインを抜かした二人の表情がおかしい。

 おかしいというよりは、呆気にとられすぎて、間抜けに見えてしまったのだ。



「あの……なんですか、その顔?」


「……あのアインが遠慮をしたか、ふむ」


「いい傾向ですな。王となる意識の芽生えでしょう」


「うむ。余も、安心して退位できることとなろう」



 なんと人聞きの悪い。アインが眉間に皺を寄せる。

 文句の一言でも言いたくなったが、



(今日はこの辺にしておこうじゃないか……)



 自らの分が悪いことは分かっているのだ。

 下手につっこむことはせず、ただ不満げに振舞うことに抑える。



 座り心地のいいソファに深く腰かけ、ふぅ、とため息をついた。



「それで、なにか策はあるのか?」


「ありませんよ、お爺様。だって、これから考えるところだったので」


「……で、あろうなぁ」



 龍信仰、その中でも面倒くさそうな赤龍の関係者たち。

 調査をするならば、手当たり次第に探り、聞き込みをし、少しずつ情報を集めねばならない。

 リリをはじめとした隠密が手こずっているのだから、難易度は高そうだ。



「私が思うに、まず足取りを掴むことが重要ではないかと」


「うん、俺もウォーレンに同意する」


「シュトロムを拠点にしているとは考えにくいですな。あそこでは活動がしにくいでしょうから」



 ウォーレンはここまで言うと、懐から、折りたたまれた地図を取り出す。



「いつも持ってるの?」


「えぇ、割と重宝するものですよ」



 悪くないかもしれない、参考にしよう。彼の言葉に頷き、広げられた地図に目を向ける。

 ソファ手前のテーブルに広げられ、シルヴァードも同じく目を向けた。



「そもそもとして、信者が単体で、大都市を中心に活動するのは難しいのです」


「例えばスラムとかを拠点にしていても?」


「えぇ。実入りが無く、ただ隠れられるという利点しかない。であれば、目的の達成は遠いでしょう」



 その目的とらも曖昧なんだよな。アインは苦笑いを浮かべるが、



「アイン様の考えはわかっております。目的が分からない、その通りかと。ですが、どうあっても難しいのですよ」


「……って、いうと?」


「金が無ければどうしようもないのです。ですので、考えられる場合としては……」



 すると彼は、ひげを撫でる。

 目を閉じると、深く深く思考するのだ。



「後ろ盾がいる場合は、都市圏でも活動が可能でしょう。もしもいないのであれば、下手をすれば、村や町ぐるみというのもありえるかと」


「そ、それはどっちにしても……」


「うむ……面倒な話であるな」



 今日何度目かわからないため息をつく。

 前者にしろ後者にしろ、どっちにしろ面倒くささは変わらない。



「そのための犯罪組織やもしれませんが、あまり小さなことをしていても実入りは少ない。ですので、何かしらの形で、後ろ盾などはあるでしょうな」



 生活や活動の足し程度でしょう、彼はそう言った。

 何をするにも金は必要となるのだから、意外と、ウォーレンが言うことは正しいのかもしれないが。



「あのさ、前者だったら、貴族とか大商人とかってことだよね?」


「えぇ、その通りです」


「後者だったら、調査することそのものが至難……あってる?」


「百点満点ですな」



 にっこりと笑って言われても、アインは何一つ微笑むことができない。

 だがしかし、彼はその余裕の理由を語る。



「ですので、おびき寄せることに致しましょうか」


「……え?」


「餌を巻きます。所詮奴らは、自らをトカゲと名乗る集団だ。ならば、腹をすかせた頃に美食でも振りまけば、後は手がかりぐらい手に入るでしょうから」



 いとも簡単にいうものだが、彼の策の真意までは掴めない。

 黙ったアインとシルヴァードに対し、彼は更に説明をつづける。



「ティグル殿と連絡を取ります」


「あの、ごめん。もう少し詳しく教えて」


「はったりを使うのですよ。ハイム自治領――いえ、あちらの大陸で龍族の卵が見つかった、とでも吹聴します」



 なるほど、だからティグルなのか。

 目を白黒させながらも、アインは頷く。



「噂と言うのは恐ろしいもので、疑心に駆られ、興味を抱き、やがては視界の端ではなく、瞳の真ん中で見てしまうものです」



 姦計を用いるには、よくそうした噂を流すという。

 彼は、その特性を利用しようとしているのだ。



「そこにちらほら話を盛りましょう。赤龍のものらしい、とでも」


「さすがに、そんな見え透いた嘘には引っ掛からないんじゃないかな……」


「引っ掛からなくてもともとです。この策のみそは、ひっかかるかどうかにはありませんから」



 すると、ウォーレンはハイムからの航路を指し、マグナから王都への道のりを指でなぞる。



「この経路だけでも、多くの人員が必要となります。輸送、防衛、人的な折衝など……何千、下手をすれば万に及ぶ人が関わるのです」


「あっ……そっか、つまり」



 そうだ、アインもここで理解に至る。

 彼の策の肝というやつは、それを奪いに来させようという――そんなちゃちなものではなく、



「商会、貴族、はたまた……村や町の重鎮など。どこかしらに綻びが現れるものです。人は何かをしようとすれば、一人で完結することはできないものですから」


「わざと大々的に話を運び、そこに出てきた動きを確かめるのだな」


「陛下の仰る通りです。しかしながら、これでも作業量は考えたくもないものとなりますので」



 確かにその通りだ。だが、これまでの調査と比べれば、かなり楽にはなったと言える。

 ウォーレンは人や金の流れに注視したいのだ。



「これはあくまでも初手も初手、こちらからも様子を窺うための、最初の一手に過ぎませんから」



 ここには、実際に襲い掛かってもらうことを前提とはしていない。

 相手のことを、馬鹿と舐めてかかっているわけではないのだ。

 数多くの人々が関わるであろうその時に、網にかかればそれで十分だった。



「大工に仕事を依頼できますし、警護や折衝のところで金を使えます。いやはや、民に仕事が行き渡り、我らは調査ができる。最高の話ではありませんか」



 ニヤつくウォーレンの言うことは、なんとも心憎い。

 しかし、彼の言うことはあながち間違いではない。



「卵なんて無いのに、騙すってわけだ……」


「それはもう。狐は騙すのが得意な生き物ですので」



 飄々とアインに返したウォーレンは、新たに語る。



「マルコ殿にも仕事を一つ頼みたいのですが、よろしいですか?」


「たぶん大丈夫だと思うけど、なに?」


「旧王都へ向かっていただきましょう。シルビア様へと、今回の件について意見を賜るべきかと」



 それがいい、アインも承諾する。

 皆が思い浮かべる賢者――それはエルダーリッチのシルビアに他ならない。



「うむ……シルビア様が相手ならば、余たちから使者を送るべきであろうからな」



 シルヴァードですら遜る必要があるというのは、彼女が王家に連なるものだからだ。

 加えて、彼女は初代国王マルクの母、真性の聖母と呼ぶにふさわしい。

 現在はアインの眷属というかたちで限界しているとはいえ、こうした礼儀は失えない。



「お爺様、何か土産物を選定するべきでは」


「であろうな。ウォーレン、一任しても構わぬか?」


「お任せくださいませ」




 ◇ ◇ ◇




 ところ変わって、数日後のハイム自治領。

 統一国家イシュタリカにおいて、貴族の中で唯一の特別格、ハイム公が住まう屋敷。

 その執務室だ。



 それが城ではない理由は単純。

 新王都――いや、まだ王都と呼ぶべきではなく、新たなる都を建都中だからだ。

 港町ラウンドハートと旧王都の中央、そこが新たな都となることになっているのだ。



 彼……ハイム公の屋敷は、そこの一角に構えているのだった。



「あ、あのあの……ディグル様、お手紙です……!」



 まだ十四歳になったばかりの給仕が声を掛ける。

 名を、ヘリオンと言った。

 彼女はティグルがイシュタリカに保護されていた際、リリに任されたスラム育ちの少女だ。



 どうして今でもティグルの傍にいるのか、それは以前、アインが暴露したように、二人が良い仲にあるということから。

 裏では、ウォーレンたちと、ティグルの間でいくつかのやりとりがあったということだ。

 しかし、ティグル本人の意地を守るということから、ウォーレンもアインへは秘密にしているという。



「ありがとう、ヘリオン」



 以前と比べて棘が鳴りを潜める――いや、おおらかに、それでいて、気楽に振舞えているティグル。

 書類仕事の手を止め、彼女から受け取った手紙をみる。



「……すまない、エレナ。新しい仕事のようだ」



 頭を下げ、元気よく去っていく彼女の後ろ姿を眺め、手紙の封をナイフで開けた。



「仕事ですか?」


「差出人はウォーレン殿。封には陛下の印だ」


「――ただごとではなさそうですね」



 すると、彼女はそれまでしていた仕事を止めて、ティグルの机に近寄る。

 ティグルが開けた手紙を隣から眺めた。



「はぁ……どうしてこうなっているのだ」



 手紙を置き、ティグルが頭を抱える。



「エレナ、お前の娘の良い人は、相変わらず賑やかなようだぞ」


「……あの娘はきっと、そういうところにも惹かれてるんだと思います」


「だろうな。まったく……今度はどうなっているのだ」



 ざっと目を通してみた感想がこれだ。

 龍信仰、無限色のトカゲ、アインを襲ったというローブの男たち。

 いったい全体、あの王太子は何をしようとしているのかと、遠くハイムの地で頭を抱えた。



「ま、まぁ、アインは被害者ではあるが……そもそも、アインを襲ってどうするというのだろうか」



 倒せるのかという問題だ。

 窓の外から見える、旧王都に残る世界樹を眺め、嘲るように笑う。



「む? どうやらこちらに、使者がやってくるらしい……」



 眉を吊り上げて言った。



「と、いいますと?」


「私の友人……私の友人となってくれた者たちだ。まぁ、いい奴らなんだろうさ」



 照れくさそうに言い捨てると、手紙をぶっきらぼうにエレナに預ける。

 心なしか、足取りは軽そうにみえてならない。



「私はこれより港町ラウンドハートへと向かう。必要な仕事は選定しておいてくれ、あっちの仕事部屋で作業しよう」


「……えぇ、承知いたしました」



「数日後には使者がやってくる。打ち合わせのため、私も近くで待つことにした」



 彼の後ろ姿に対し、エレナは抑えながらも笑みをこぼしてしまう。

 それを知ってか知らずしてか、ティグルは掛けておいたコートを手に取った。




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