[閑話]ある日の彼女の勇気。

 ある日の夕方。

 クリスはその日が休日で、疲れを癒していたところだった。



「……制服、かぁ」



 目をぱちくりとさせ、クリスが見た。

 場所はシュトロムの屋敷にある自室で、ついさっき届いたばかりの品を開けていたのだ。

 それは、決してクリス宛ての荷物ではない。

 だが、クローネが不在のため、代わりに受け取って検品をしていた。

 彼女はオリビアと共に、シュトロムにある店を見に行っているのだった。



 ところで、送り主はオーガスト商会で、片手でもてる程度の木箱が一つ。

 その中身は、服……と言っては分かりづらく、制服というのが適切だろう。

 中には、制服が何着分か詰め込まれていたのだ。



「へぇ……結構、堅め? の意匠なんだ」



 届いたものは女性もので、上はシャツにジャケット、下は膝丈程度のスカートだ。

 これを何処で使うのかというと、



「アイン様のお店……って言っていいのかわからないけど、順調ですね」



 バルト苺に関しての販売を行う店。そこで使う制服だったのだ。

 まだ品数は少ないが、いずれはアインの力を用いて、新たな品も追加される予定はある。

 ここ、シュトロムを始点として、大陸中に名をはせることを期待してしまう。



「えぇっと……うん。品物は大丈夫、検品はおしまい……っと」



 受け取りのサインと検品のサイン。

 その両方を終えたクリスは、木箱に張り付けられていた紙に記入する。

 ドアを開けてマーサを呼ぶと、彼女に紙を手渡した。



「後は、クローネさんの執務室に運んでおしまいかな――あれ?」



 すると、彼女は気が付いた。

 ついさっき見ていた制服の下に、別の制服が同封されていたことに。

 やっちゃった……額に手を当てると、木箱の中に手を差し込んだ。



「で、でも、書かれていた数は入ってたもん……うん、だから、これはきっと……間違えて入っていた分だよね……」



 言い訳がましく言ってみるが、それも確認するべきことには違いない。

 ごそごそと漁り、奥に詰め込まれていた制服を取り出した。

 しかし、生地の色合いがさっきと違うことに気が付き、不思議そうに広げてみた。



「ん、これも制服?」



 お堅い意匠なんてものはなく、羽織るべきジャケットも存在しない。

 近い印象としては、給仕たちが着ている制服だろうか。



 袖の部分はふわっと丸く、腰の部分にはエプロンが縫い付けられる。

 ボタンはしっかりと首元まで閉じるもので、首元につけるためのリボンが同封されていた。

 スカートは膝丈よりも少し短く、クリスのような女性が着れば、太ももが大きく露出されそうだった。



 クリスは思った。搬入の間違いではないだろうか、と。

 色合いはクリーム色で可愛らしいが、さっきの制服と比べ、明らかに意匠が違いすぎるのだ。



「はぁ……クローネさんに、後で確認してみないと」



 と言ったところで、クリスはその制服を木箱に入れ直した。

 そして、蓋を手に取り閉めようとしたのだが、ふと、その手が止まってしまう。

 視線は制服に一直線に向かい、呆けたように眺めてしまうのだ。



「……」



 その日の晩、彼女は出来心だったと口にすることになる。

 相手はアインで、顔を真っ赤にして否定するはめになるのだが、今の彼女は、それを知る由もない。

 では、何をしてしまうのか。

 クリスが伸ばしてしまった腕が、出来心とやらに繋がってしまうのだ。



「私みたいに背が高いと……似合わない、かな」



 オリビアも背は高めだが、クリスはもう少しばかり高くなる。

 決してコンプレックスのような何かではない。

 だが、可愛いという言葉に惹かれる自分が居て、降ってわいた感情に抗えなかったのだ。



 すると、木箱の蓋を床に置き、ゆったりとした動きで、もう一度、制服を手に取った。

 つづけて、もう一度広げてみるが、



「やっぱり……可愛い……」



 ぼそっと呟き、唇が緩んだ。

 口角がゆるやかに上昇し、心なしか、瞳が輝いているようだ。

『私も、可愛いって言われたい』

 誰から言われたい――とは明言しないが、意中の人物が脳裏を掠め、クリスはとうとう決心する。



 ――よし、着てみよう。と。



 性格上、決心してからは早く、問題なのは過程の方だ。

 そこからの行動力はとても高く、クリスは来ていたシャツのボタンを外しだす。

 絹のような肌に、豊かな胸元と真っ赤な下着を露出させ、脱いだシャツを近くの椅子に掛ける。



 つづけて、履いていたズボンを脱ぎだすと、同色の下着と、すらっと長い脚や形のいい臀部を晒した。

 同じくそれを椅子に掛けると、楽しそうに着替えはじめたのだった。




 ◇ ◇ ◇




「う、うぅ……っ!」



 数分後、彼女は若干の後悔を身に宿す。

 部屋に誰もいないというのに、姿鏡の前で、恥ずかしそうに背筋を丸めた。

 両手の先はスカートの裾に向かい、必死になって丈を下ろそうと試行錯誤する。



 しかし、生地は一定以上は伸びることがなく、太もも中間あたりでとまってしまう。

 当然のように長い脚が露出され、内また気味にもじもじと膝をこすらせた。

 その仕草すら、恥ずかしさに対する抵抗に他ならない。



「短い……なんで……こんなに短くなかったのに……」



 目測と違った理由は、履いてる本人に起因する。

 身長が高めで、足が長い。つまり、自然と肌の面積のほうが広くなるのだ。

 ……解決策は無い。



 とはいえ、彼女は見事に制服を着こなす。

 恥ずかしそうに振舞うものの、首元まで閉じられたボタンの上には、フリルがついたリボンが乗せられる。

 また、ふわっとふくらむ袖が違いをつくりだすのだ。



 胸元も立体的に主張しているが、彼女の金髪も一つの素材として、可愛らしく、また、美しく仕上げていることに違いは無い。



「だ、だめだめ……! こんな格好、ぜったいに見せられないってば……!」



 一度でも、見せに行ってみようかと思った自分を叱りつける。

 相手は言わずもがなだが、さすがに羞恥心が圧勝だ。

 圧勝し過ぎて、一人だというのに照れくささが隠し切れないのだから。



 というものの、内心では、やはり感想がほしくてたまらない自分もいた。

 一歩を踏み出す勇気は無かったが、今日は諦めることにしよう。

 クリスがそう心に決め、着替えようとした時のことだ。



 ――彼女はマーサに紙を手渡した時、ある一つの失態を犯していた。

 扉をしっかりと閉めるのを忘れてしまっていたのだ。



「クリス? 扉が少し空いてたけど、どうしたの?」


「荷物を受け取ってくださっていたみたいで……お手数をおかけしました、クリスさん」


「ッ――!?」



 扉が完全に閉じていなかったことで、二人の女性が部屋に入ってきてしまったのだ。

 いつもならノックをするところだったが、今日ばかりは、クリスの失態が仇となる。



 一人は主でもあるオリビア

 そして、もう一人は、自分の何歩か前をいかれてしまっている、クローネだ。

 二人は部屋に入ってくると、そのまま、クリスがいる奥の方に進んできてしまい……



(どうしようどうしようどうしよう……! こ、この姿を見られるのは……恥ずかしい……!)



 狼狽え、辺りを見渡し、どうやって逃げるかを考えた。

 クローネはなんとかなるが、オリビアが相手ではまずいのだ。



(絶対にニヤニヤされるもん……!)



 するとどうなるか。本日中に――いや、数分も経てば、アインの耳にはいることは必然だ。

 これは避けなければならない。

 近衛騎士団の団長として、そして、イシュタリカ王家の血を引く者として、彼女は強く頷いた。



 辺りを見渡して打開策を模索していると、ふと、窓に目線が釘付けになる。

 ……そうだ、そこから逃げればいい。

 彼女は着替えを手に持つと、窓に向かって急いで進んだ。



 エルフは敏捷性に富み、クリスはその典型だ。

 近衛騎士を統べる立場にある彼女は、統一国家イシュタリカにおいて、最強格の一人だ。

 彼女の早さは並び立つ者がいないほどで、それは、この逃亡戦においても生かされる。



(間に合う……っ!)



 窓に手が伸びる。勝った、これなら二人に見つからない。

 勝利を確信し、安堵の笑みが浮かんだ。

 だが、彼女は思い出す必要があったのだ。

 こんなスキルは存在しないが、気持ちとしては、ポンコツというスキルが身に宿っているということを。



「ッ――ふ、ふにゃあッ!?」



 なんてことはない。

 この程度の緊張感では、以前の調査の旅や、ハイムでの戦争のときのような、凛々しさが発揮されないというだけのこと。

 いい頃合いでポンコツスキルを発動させたクリスは、なにもないところで、絨毯に躓いて転んでしまったのだ。



「クリスッ! 今の音は……って……えぇっと、クリス?」


「……あれ、その服は確か、接客する店員用の試作品では……」



 そう、彼女は敗北したのだ。

 自分自身に敗北を喫し、彼女はついぞ諦める。

 諦めるも何も、もう完全に見られてしまっているわけだが。



 床にこけた彼女の下半身は、奇跡的にスカートで隠されている。

 それはきっと、神が与えた慈悲に違いない。

 健気、そして羞恥に紅く染め上げた顔で振り返り、オリビアとクローネに目線を送った。



「……お、お帰りなさいませっ……オリビア様、クローネさん」


「え、えぇ。ただいま、クリス……」


「ただいま帰りました。その、似合ってますよ……?」



 とうとう羞恥心が暴走し、クリスは地べたに横になりながら、両手で顔を隠す。

 何も言わないで下さい。小さな声でこう漏らした。

 呆気にとられていたオリビアが、正気を取り戻してクリスに近寄る。



「はぁ……クリスったら、どうせ、可愛いからって気になって、着てみたくなったんでしょ?」



 コクリ。

 声に出さずクリスが頷く。



「前から言ってたじゃない。クリスは可愛いんだから、普段からそういう服着てみればいいのにって」


「私もそう思いますよ。スカートは少し短いかもしれないですけど、それはそれで可愛いと思いますし」



 オリビアがクリスの頭を撫でる。

 頑張ったであろうクリスの心情を察してか、今日は優しく彼女を愛でた。



「みせたい相手の察しも尽きますし、短くても平気だと思いますよ?」


「……ク、クローネさん、怒らないんですか?」


「その、試作品を勝手に着たことでしたら、むしろどういう感じか見られたので感謝してます、それと」



 そこまで言って、クローネが仕方ないな、という風に笑った。



に見せたいということも、クリスさんなら、私が怒ったり文句を言うことでもないですよ。だから、心配しないでください」



 クローネが言うと、オリビアが首を傾げて頬に手を当て、口を開く。



「貴族ですからね……」


「オリビア様。それどころか、彼の場合は王族ですよ」



 意味深に笑い、そんなものだという感じに言葉を交わす二人。

 すると、クリスはようやく、顔をあげたのだ。



「――き、着替えるので……少し待ってていただけないでしょうか……」


「え? 着替えるの?」


「着替えますよ! ずっとこんな服着てると、やっぱり恥ずかしいので……!」



 もったいない。オリビアがそう口にしたあとに、クローネが首を縦に振って同意した。



「せっかくですし、私とオリビア様も着てみましょうか」


「あら、それはいいですね。せっかくの試作品だもの、来てみないとわからないものね」



 クリスは着替える機会を失した。

 そして、数分後には、クリスの部屋に、同じ制服を着た三人が立つ事になるのだ。



 いったいどうなっているんだ。この状況が分からない。

 惚けた様子で、二人が服を脱いで着替える様子を眺めていたクリス。



 あぁ、二人ともスタイルいいなぁ……。

 内心で何度呟いたか分からないが、惚けていたことだけは覚えている。

 物欲しそうにみていると、

『クリスだって、すごく綺麗じゃない』

 と、オリビアから苦笑いで言われてしまう始末だ。



「――まぁ、オリビア様。すごくお似合いですよ」


「ふふ、ありがとう。クローネさんも、すごく可愛らしくて素敵ですよ」



 着替え終わり、さっきまでクリスが使っていた鏡の前に進む二人。

 ある意味では楽園といえる光景が、部屋に広がっているのだ。



「それじゃ、はじめましょうか」


「……はえ?」


「えぇ、お化粧道具も持っているので、ちょうどよかったです」


「お化粧道具……?」



 オリビアがいい、クリスが呆け、クローネがいい、クリスが呆ける。

 合間合間に呆けた彼女は、二人が何を話しているのかを察することができなかった。



「クリス、ちょっとこっちにきて」



 そう言われ、何も疑うことなく立ち上がるクリス。



「あ、それと、クリスさんは椅子に座っていただけますか?」



 つづけて、近くの椅子に素直に座るクリス。

 長時間の羞恥心などから、思考能力の低下が著しかった。



「座りましたけど……どうしたんですか?」


「クローネさん、私は髪の毛をするから、お化粧をお願いしてもいいですか?」


「はい、お任せください」


「オリビア様? その、何をするんでしょうか……」



 すると、オリビアが楽しそうに答えるのだ。

 一方では、クローネも楽しそうに化粧道具を広げはじめ、



「うーんと可愛くしてあげるわね」


「えぇ、私たちに任せてくださいね」



 ――と、口にしたのだった。




 ◇ ◇ ◇




 アインは自室の机で仕事をしていた。

 今日は長くなりそうだという事で、食事は部屋ですませられるよう、マーサに願い出ている。

 お腹がすいたな。そろそろ食事が運ばれるであろう頃、アインは腹をさすった。



 ――コン、コン。



「はい、どうぞー」



 思った通り、いい頃合いだった。

 アインは笑みを浮かべてノックに答える。

 すると、ドアが開けられ、カチャカチャという食器の音を立て、ワゴンが押されて中に入る。



「ごめん、今日は机に運んでもらってもいいかな。まだ仕事が終わってないから、仕事しながらいただくよ」


「は、はい……!」



 あれ? アインが不思議に思った。

 書き仕事をしていたため、どの給仕がやってきたのかはまだ確認していない。

 しかしながら、答えた給仕の声には、思い当たる節が無かったのだ。



 つまり、こんな声の給仕はいたっけ? という疑問だ。

 良く知っている別人物の声の気がしてならない。



「ど、どうぞ――ッ!」



 彼女はそう言ってアインの机に食事を置いた。

 とうとうアインは気が付くのだ。彼女の声は、良く知る人物なのだから。



「あれ、クリスだったんだ。どうしたの? 食事を運んでくるのはめずら……し……」



 顔を上げると、見慣れていたはずのクリスの顔があった。

 あぁ、見慣れていたはずなのだ。だが、どうにも、今日は違う。



「……クリス?」


「は、はい! 私です……!」



 間違いなくクリスだ。

 この尻尾を振ってくれそうな態度は、間違いなくクリスだ。

 アインにとって大切な身内で、エルフ族の誓いとやらもしたことがある女性。



 ――という前提はある。

 それでも、アインは違った感情を抱いたのだ。

 傍から見れば、彼の様子は一目で分かる。



「……」



 口がだらしなく半開きに彼女を見る。

 見惚れていたのだ。

 いつもと違った彼女を見て、新たな魅力に惚けてしまったのだ。



「――あの、さ」


「は……はい! なんでしょう!」



 長い金髪は緩く巻かれ、艶めかしくカールしている。

 頭のてっぺんにあるカチューシャが、可愛らしさを高めている。



 普段の彼女は化粧が薄めだ。

 それでも十分すぎる魅力があったたため、同姓から文句を言われることは多々あるのだが。

 今日も自然な化粧ながら、薄く塗られた頬紅などが印象的で、新たな魅力を披露する。



 唇もピンク色に潤み、ツンと上を向いている。

 欲望を掻き立てるには必要十分な魅力しかない。

 長い睫毛は座っていても分かり、いつもと違う、蜂蜜のような甘い香りを纏っていた。



 最後に、彼女にしては珍しい服装だ。

 スタイルがいい彼女には、完璧といっていい程に似合っている。

 数十センチしかない距離で見る彼女の全体像は、アインの目線を奪って止まなかった。



「言いたいことは山ほどあるんだけど、一番思ったのは――」




 ◇ ◇ ◇




「あ、クリス。どうだったの?」


「お帰りなさい、クリスさん」



 食事を運んでから少しの時間が経ち、クリスの自室にいた二人の元に帰った。

 頬は今日一番に紅く染まり、瞳は薄っすらと潤んでいる。



「オリビア様……クローネさんッ……うぅ……ぇ……!」



 すると、突然、ぶわっと涙を流し出した彼女。

 失敗した? そんなことはあり得ない。なにせ、相手はあのアインだ。

 二人は慌ててクリスに近寄ると、泣きべそをかく彼女に尋ねる。



「どうしたの、クリス。なにがあったの?」


「はい、ハンカチをどうぞ。せっかくのお化粧が崩れちゃいますよ」


「あぅ……ありがとう……ございます……」



 徐々に涙は勢いを治め、彼女の顔にも余裕が生まれる。

 ふぅ、ふぅ。何度か呼吸を整えると、ようやく何があったのかを声に出した。





「たくさん、たくさん……褒めてもらえましたッ!」





 心から嬉しそうに言ったクリスの表情。

 それは、オリビアとクローネですら見惚れてしまう、そんな魅力に満ちていたのだった。

 流れ出る涙すら宝石のように思える、そんなクリスの輝きだった。



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