龍の炎。

「あぁ、おぞましい……おぞましい……」


「おぞましい……!」


「――なんと醜いッ」



 ピク、と。ローブの男たちが動きを止めた。

 同時にアインは複雑な感情を抱き、鼻先を軽く掻いた。



(……なんか、一方的にそう言われるのも少し切ないけど)



 彼らが言うように、姿をみせたマンイーターは相当な威圧感がある。

 口元からよだれを垂らしている姿なんて、それはもう、確かに――



(いや、俺がそんなこと言ったら可哀そうだ)



 その感情を誤魔化すように、胸元にいるクローネの頭を撫でる。

 くすぐったそうに身を揺らした彼女をみていると、相応の落ち着きを取り戻せた。

 居を正すため、息を大きく吐いたアイン。



 すると、今にも襲い掛かろうとしているマンイーターに対して、強い口調で命令を下す。



「一人残らず捕獲しろ」



 ――と。

 その瞬間、マンイーターは一斉にアインをみた。

 常人であれば伝わらないその意思も、主たるアインには伝わってくるのだ。



『ェ……ハヒヒ……』


『フヒェ……ヘアァァ……』


『――ハァ?』


「おい、ちょっと待て。最後のお前……喋っただろ、なぁ」



 伝わったその意思は、不満の一言。

 捕まえろ? 殺せという指示でなければ、食べろという指示でもない?

 マンイーターは不満だった。

 分かりやすい敵だというのに、わざわざ捕まえろといってくることが気に入らなかった。



 放たれる禍々しさは、ハイム王都でのそれとは違った落ち着きがある。

 決して可愛らしさや美しさは感じられないが、少なくとも、無差別に暴れるような存在ではない。

 マンイーターは身体を大きく揺らし、聞き間違いじゃないのだろうか……と、指示をもう一度待っていた。



「……捕獲しろ」



 相手が驚き立ち止まっていたからいいものの、随分とやんちゃなマンイーターだった。

 アインはもう一度強い口調で命令を下す。

 すると、マンイーターは今度こそアインの指示に従った。



 蔓が伸び、ツタが伸び、地を這うように襲い掛かる。


『エヘヘァ……ッ』


 獰猛な口を大きく開いて襲い掛かる姿は、誰が見ても恐ろしさを感じることだろう。

 ローブの男たちは戸惑いながらも、捕獲されないために後退していく。

 だが、すでに遅すぎるのだ。



 暴食の世界樹アインがもたらす栄養魔力というのは、ただの人々に計り知れる力ではない。

 過去の実力者たちが束になって戦い、ようやくになって動きを止められるほど、力に満ち溢れているのだ。



「アイン、どうなってるの……?」



 愛しい男の胸元に顔をうずめたまま、クローネが尋ねる。

 すでに耳から手は放しており、彼女の耳にも、マンイーターの声は届いているはずだ。



「捕まえようとしてるんだよ。ごめん、もうちょっとだけ待ってて」


「えぇ……それはいいのだけど……その、さっきの声は……?」


「眷属みたいなものかな。出てくるときの声はうるさそうだったから、さっきは勝手に耳を塞いだんだ」



 答え終えると、アインはマンイーターたちの働きに目を向けた。



「こ、この――離せッ!」


「なんだこの蔓は……どうして切れないのだ……!」



 十数人のうち、すでに数人はマンイーターに捕獲されていた。

 今にも噛みつきそうに口を開いているのが心臓に悪い。しかし、なんだかんだとアインの命令は守っている。

 弄ぶように吊るされている姿が、なかなかに滑稽に思えてならない。



「くっ……聖なる炎に燃やされてしまえ!」



 ローブの男のうち、一人が魔道具らしきものを投げつける。

 それはマンイーターの一体にぶつけられると、



「どうだ! これこそが、龍が放つ聖なる炎だッ!」



 ぶつかった途端に、まるで油をまき散らすかのように液体が広がる。

 つづけて発火すると、勢いよく業火が舞い上がったのだ。

 焦げ臭いにおいが辺りに充満し、マンイーターの花弁が一気に燃えつきる。



「神のために!」


「神のために!」



 勢いづいた男たちは、ついさっきのように声をあげる。

 業火はマンイーターの全身を焼き、とうとう、



『――アァァアア……?』



 力ない声をあげ、一体のマンイーターが萎びれ焦げて、二度と動かなくなったのだ。

 ……やはり、炎は何よりも弱点だ。

 アインは自身も動く必要があるかと、剣に手を伸ばしかけた。



 だが、主たるアインまでもが驚かされる出来事が起こる。



『ェ、エヒ……エヒヒヒヒッ……!』



 燃え尽きたマンイーターの根元から、新たにマンイーターが自然に生えてみせたのだ。

 ローブの男たちをあざ笑うかのように声をあげ、弄ぶかのように、伸ばした蔓で彼らの手足を縛り付ける。



「え、えぇ……元気すぎるでしょ……」



 引く手前の表情でアインが戸惑う。

 少なくとも、アインが何かを命令して復活させたということはない。

 今のは完全にマンイーターの力そのもので、燃やされたというのに生き返ったことに驚かされた。



 むしろ死んでいなかったのだろうか。

 自身が産み出した眷属ながら、その生命力には驚嘆する。

 剣を掴みかけた手を止め、順調に捕まるローブたちの男に目を向けた。



 そして、最後の一人が捕まった時。



「クローネ、終わったみたい」


「えぇ、分かった……わ……って。な、なにこれ……?」



 できれば見せたくなかったが仕方ない。

 最初はそうするつもりだったが、今頃になって、それは無理だという事に気が付いた。



「暴食の世界樹の眷属かな。ちょっと見た目は……怖いかもしれないけど、襲ってこないから心配しないで」



 クローネは頷く。

 それに、マンイーターの興味は、捕まえたばかりのローブの男たちに向けられている。

 食べていいとでもいえば、一瞬で食べてしまいそうな気配があった。



(まぁ、そんなこと言うつもりは無いけどね……っと)



 クローネの手をぎゅっと握り、アインは近くに吊るされていたローブの男に近寄る。



「見ているのが辛かったら、目を閉じていても構わないよ」


「貴方を迎えにハイムに行った時、もっと凄惨な光景を見たのよ。大丈夫だから、心配しないで」


 

 イシュタリカとハイムの戦力がぶつかり合った戦場に行ったのだ。

 その時の事を思い返してみると、この光景程度では気後れすることはなかった。

 彼女は強かった。それでも、アインは彼女を守るように距離を狭める。



 すると、ローブの男がアインに気が付き、必死になって抵抗しようと試みるのだが、



「ッ……ぐぅ……!」



 マンイーターは頭が良かった。そうした仕草を感じて、すぐに拘束をきつくしたのだ。

 手足だけでなく、いつのまにか首元にさえツルが巻き付いている。

 変な行動一つ取ってみれば、すぐさまアインを守るために命を刈り取ることだろう。食欲も入り混じっているかもしれないが、本質はアインのためのはず。



「私を誰か分かっていて襲ったのか。それとも、知らずに襲ったのか」


「……」



 ローブの男は黙秘した。

 何も答える気はないのだろう。

 ――すると、



「かっ……はぁ……! あぁ……!」


「待て。それ以上はやめておけ」


『アァッ……イヒィ……!』



 尋問するための知恵まであるとは恐れ入った。

 マンイーターに対し、念のために制止を加えたアイン。

 咳ばらいを一度してから、もう一度同じことを尋ねる。



「私を知っていたのか、否か。答えろ」


「ッ……知……らん……!」



 なんだ、無差別なのか。

 この言葉だけで信じるのはどうかと思うが、ひとまずはそう考えることにした。

 後程、王都かどこかの牢屋にでも運び、詳しく尋問をする必要がある。



「名乗れ。そして、お前たちの目的を教えろ」



 もうすぐ黒騎士たちが到着するはずだ。

 そのまえに、アインも襲われた当事者として聞いておきたかったのだ。

 しかし、ローブの男は黙秘を続けたかと思えば、



「聖なる炎よ……聖なる炎よ……あぁ、貴方様の信徒を救いたまえ……!」


「おい。何を言っているんだ」



 次の瞬間、ローブの男は大きく叫んだ。



「神の御許へッ!」


「ッ……同士を一人にさせては、ならん……!」


「今こそ、偉大なる神の御許へ!」



 同調するように、波紋が広がるように。

 彼の言葉につづいて、次々と、男たちが大きく叫んだ。

 その後は、歯をカチカチと鳴らす音が聞こえてくる。



「アイン、様子がおかしいわ……!」


「わかってる! お前たち、何をするつも――」



 マンイーターに捕まっているローブの男たち。

 皆が一斉に炎に包まれた。

 それは、一体のマンイーターを燃やした時のような強烈な猛火で、たちまち肉の焦げる匂いが広がった。



 アインはすぐにクローネを抱きしめ、その光景をみせまいと彼女の目を覆う。

 一方の彼女は、突然の行動に面食らったようで、何も言うことなく、ただ硬直させた身体でアインに抱かれるのだ。



(なんだこれ……。尋問から逃げるため、自分から命を絶っているっていうのか……?)



「アイン様ッ! 今の音はいったい……!」


「な、なんだこの植物たちは……!?」



 騒ぎを聞き駆け付けた男たち。

 黒い甲冑を身に纏う二人の男と、近衛騎士が数名やってきた。



「クライブ、サイラス。来てくれたのか」



 石畳が割れ、マンイーターが蠢く。

 肉の焦げる匂いや燃えカスとなって地面に落ちた何か。

 この状況をみて戸惑った彼らだったが、何よりも先にと、アインの近くに駆け寄る。



「――マルコ。どこから見ていた」


「申し訳ありません。奴らが燃える直前となります」



 いつの間にか背後に立っていたマルコに対し、振り返ることなく尋ねる。

 彼もまた、異変を感じてここまで急いでやってきたのだ。



「あの炎に覚えはあるか? ただの炎とは思えなかった。……おおよそが、人工の炎とは思えない」


「……仰る通り、あれは人がもたらせる炎ではありません」


「覚えがあるなら、その正体を聞きたい」



 またひと悶着ありそうなことに、アインが苦笑いをした。

 笑うのは不謹慎だが、どうにも自分の人生は波乱に満ちているな……と笑うしかないのだ。



龍の炎ドラゴンブレスでしょう。だからこそ、不思議でたまりません。どうしてそれを人が使えたのかと……」



 ハッとしたアイン。言われてみれば、確かにローブの男が口にしていた。

 聖なる龍の炎と言っていたことを朧げに思い出し、その手がかりをマルコに尋ねる。

 


「使っていたのは魔道具経由だ。それでもおかしいことなのか?」



 マンイーターの一体が燃やされたことを考え、アインが言った。



「いくら規模が小さかろうとも、その力は龍のそれに違いありません。であれば、かような小さな魔道具程度では、扱いきれるとは思えません」


「なるほどね……。魔道具に詳しい人にも、少し相談してみたほうがよさそうだ」



 頭に浮かんだのはロランとマジョリカの二人。

 朝一で連絡を取ろうと心に決め、アインはため息をついてから口にする。

 もしかすると、意図せずして同級生が集合するかもしれないな、と。



「ごめん、マルコ。俺が知ってることは屋敷で教えるから、この場は任せてもいいかな?」



 と言い、胸元に居るクローネをみたアイン。自身の保身のためではないのだ。

 マルコは何も言わずに頷くと、



「では、マンイーターを戻していただけますか?」


「わかった。――助かったよ、ありがとう」



 マンイーターを見てそう言うと、アインはポケットから小さな魔石を取り出す。

 港にいる双子に与えようと持っていたものだが、それをマンイーターの口元目掛けて放り投げた。



『ギ……ギッ!』


『ハギャ……ガリッ』



 大きな口に、手のひら大程度の魔石が投げられる。

 小さくて物足りないかもしれないが、マンイーターは嬉しそうに咀嚼した。

 ……それから間もなくして、地中にもぐりこむように姿を消したのだ。



(どこに収納? されてるんだろ)


「ありがとうございました。では早速……団長が不在の今、私が指揮を執る。一同、状況確認を」



 指示を聞いた黒騎士と近衛騎士が動く。

 形が残っていないローブの男たちに近寄り、状況を詳しく確認し出した。

 その後、アインは心配そうにしているクローネを強く引き寄せる。



「馬車が参りますので、お二人はそれに乗ってご帰宅ください」



 マルコが言うように、少し待つとすぐに馬車がやってきた。

 近衛騎士が何人も周囲を固め、先頭にはクリスがいた。

 厳重だが、そんなものだ。アインはクローネと共に馬車に乗り、



(……犯罪組織、ね。大事(おおごと)になりそうだな……これ)



 果たして、シュトロムだけの問題で済むのだろうか。

 アインは深く悩んで考え、窓の外を眺めながら頬杖をついた。


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