ちょっとした騒動と、彼の力。

 扉を開けると、そこは別世界――とまではいかないが、思えば、アインが冒険者ギルドに足を踏み入れるのは初めての経験だ。

 数年前、赤狐の調査を本格化させる際には、学園の教官だったカイゼルからの紹介状を受け取ったことがある。

 だが結局のところ、その紹介状はクローネに預け、クローネが代行して調査聞き取りを行い、アインは足を運ぶことがなかった。



「へぇ……こんな感じなんだ」



 高さ数メートルはありそうな巨大な掲示板が何個も飾られ、女性の職員が梯子を使って紙を張っている。

 一枚一枚の紙質が違い、使われている文字の色も違いがあった。つまり、それは依頼書か何かを意味しているのだろう。

 何人もの冒険者たちが掲示板の前に立ち、頷いたり仲間と話をしながらそれを吟味していた。

 分厚い木の床や、一枚板をそのままテーブルにしている受付など、らしさ・・・を目の当たりにしたアインは、心躍るような期待感に表情を緩ませる。



「――早速ですが、ギルド長のいる場所に向かいますか?」


「少し見ていってもいい? 連絡なしの……言い方を変えれば、抜き打ちでの実態調査を兼ねてるわけだからさ」



 アインはこう答えて、チラッと目を掲示板に向けた。



「畏まりました。それなら少し見ていきましょうか」



 クリスが頷いたことで、アインは掲示板に向けて足を進める。

 語るのが遅くなってしまったが、今現在のアインは、以前マグナで着ていたローブに身を包んでいる。

 シルヴァードがお忍びで使っていたという、例のローブだ。

 当然だが、伴をしているクリスもローブを羽織っている。



「お、珍しいな。ブラックフオルンが姿をみせたって?」


「それも複数らしいわよ?」


「いいんじゃないか? 明日はブラックフオルンの討伐にでも――」



 ……と、三人組の冒険者たちの声が届いた。

 ブラックフオルンという言葉には、アインも覚えがある。



「……珍しいですね。ブラックフオルンがこんなところまで姿をみせるなんて」



 クリスが不思議そうに口を開いた。



「え、そうなの?」


「奴らはバルトや、大陸の反対側の人が少ない地域に向かわなければ、そうそう姿はみせないんです。シュトロムは王都にもそれなりに近くにあるので、少しおかしいかな……と思いますね」


「へぇ……何かの前兆ってこと?」


「いえ、そこまでは……。時折、迷い込むように移動してしまう魔物もおりますので」



 アインが安堵した面持ちで息を吐く。

 それならよかった、と口にすると、張られていた依頼に目を通した。



「依頼主、商業ギルド。樹齢四百年を超える大木を求める。太さは……って、こんな依頼もあるの?」


「恐らく貴族による家具の製作依頼でしょうね。それほど見事な木材となれば、確実に魔物が生息しておりますので」


「……それに、大木を運ぶのが大変って感じ?」


「えぇ。そうなります」



 なるほど。アインが頷く。

 依頼料を見てみれば、98万Gと記載があった。

 それが安いのか高いのかの相場は分からないが、一般市民からしてみればそれなりの報酬に違いない。



「今度俺も何かやって――」


「えぇ。もちろん却下致します」



 屈託のない素敵な笑顔。それでいて、鈴のような声でさらっと拒否されたアインは、だよね、と苦笑いを浮かべた。



「……依頼主、アルベロ男爵家。奥様が可愛がっていらっしゃる、犬のマックスが迷子になってしまいました。至急捜索を――」


「あ、あはは……似たようなのはよくありますよ。冒険者としては片手間にできる仕事なので、小遣い稼ぎに悪くないんです……」



 依頼料、50万G。

 金が回ると思えばいいのだろうか。それとも、こんなことに大金をはたくなと怒ればいいのだろうか。

 アインの精神状況は複雑だった。



「王太子としては複雑な心境だよ」


「え、えぇ……。私もそう思いますが、あまりこうした問題には介入できませんから……」


「きりがないからね。まぁ、しょうがないか」



 すると――ドンッ。

 突然、アインの背中が強く押された。



「邪魔だぞ。読んだんならすぐに移動しろって」


「新人か、お前? ほら、先輩に場所譲れ」



 筋肉質な体躯を持った二人の冒険者が立っていた。

 彼らはアインをわざとらしく手で押しのけ、書かれていた依頼に目を通す。



「ごめんごめん。ここに来たのは初めてなんだ」


「ったくよぉ。てめぇみたいな素人は、さっさと魔物に食われちまえ」


「はっはっはっは! おいお前、言い過ぎだろうよそりゃ!」



 特に気にしていなかったアインは、素直に謝って掲示板から身体をずらす。

 彼らの態度はいいものではなかったが、暴食の世界樹を名乗る魔王のアインからしてみれば、どことなく可愛げがあるように思えた。



「ッ――!」


 しかし、クリスは苛立ちをあらわにし、レイピアに手を伸ばしてしまう。

 その動きに二人の気が付き、半笑いで振り返る。



「……喧嘩うってんのか? お前」


「女かお前? いいのかそんなことして?」



 剣呑な空気が辺りに漂いだす。

 アインはクリスに目配せをして落ち着かせると、そのままクリスの前に立つ。



「鞘のベルトが緩んだみたいだ。別に剣を抜こうとしたわけじゃないから、気にしないでくれ」


「はぁ……そんなアホみたいな言い訳が通用すると思ってんのか、なぁ」


「しねえよなあ。そうだろ?」


(えぇ……こういうのって、本当にあんの? いや、もういいじゃん。やめとこうよ)



 押しのけられたのは、アインとしても水に流す気だった。

 だから、クリスが剣に手を伸ばしたのも水に流してほしいものだ。

 細かいことを指摘すれば、クリスの手はレイピアには届いていない。届く前にアインが止めたからだ。



「通用しないならどうすればいいんだ?」


「金か女でいいぞ。授業料として払ってけよ」


「ま、当然だよな。新人?」



 この瞬間、アインが感じた感情は悲しみだ。

 イシュタリカに居る人間は、もっと民度が高いと思っていた……いや、もしかすると、そう思いたかったのかもしれない。

 彼らは冒険者という立場にあるが、その全てが荒くれ者じゃないということは、カイゼルやマジョリカと対話していたからこそ、アインは強く理解している。

 あるいはここが新興都市でもあるから、そうした自由度が高すぎるのかもしれないが、今の発言は全てを水に流すのは難しい。



「悪いけど、そのどちらも受け入れる気はないんだ。謝罪で終わらせてもらえないかな?」



 アイン達をみて、周りの冒険者の態度は様々だ。

 喧嘩か? と楽しそうに眺める者や、呆れた様子でこちらを見る者もいる。

 ギルドの職員は慌てた様子で立ち上がり、奥の部屋に走っていった。上司でも呼びに行ったのだろう。



「俺と相棒はな、バルトでも評判の冒険者なんだ。旧魔王領近くでも狩りをして、さらに奥の山地でも魔物を倒してきた」


「新人。偉大な先輩には黙って従っとけって。な?」


「最近は復活した魔王が住んでるってことらしいけどな。俺たちにかかれば、大した迫力にも感じなかったぜ!」


「はっはっはっは!」



 彼女たちは普通に生活しているというのに、わざわざ威嚇するように振舞うはずがないだろう。

 アインは頬を引きつらせた。



「まぁ、金は持ってないだろうからな。俺は女でいいぞ」



 ――と、ここで冒険者が身体を乗り出してクリスに手を伸ばす。

 もちろんクリスは自身で対応が可能だ。しかし、それはアインの前でするべきではなかった。

 もしもアイン自身に対しての暴言や暴力なら、アインはそれでも、笑って受け流したことだろう。

 しかし、



「……あ? なに掴んでんだよ、お前」



 アインは伸ばされた冒険者の腕を、クリスに触れる前に強く握りしめる。



「そういうのはやめておこう。お互いのためにも」



 最終通告だった。……すると、後ろに立つクリスは、アインの身体に、純粋過ぎる魔力が高まっているのを感じる。

 味方でなければ恐ろしい。相対する事すら寒気を催す。そんな純粋さをみせつけられる。

 ここにいるアインは、あくまでも人間の範疇に納まる身長をしている。

 しかし、ハイム王都でみせた巨大な世界樹――その強さがすべて、その身体に詰まっているのに変わりはない。



 だが、あくまでも魔力の機微に聡いクリスだからこそ気が付けたのだ。

 冒険者の二人組はその様子に気が付くことなく、へらへらとした顔でアインに目を向けた。



「あぁ。わかったわかった。いいから、お前はもう寝とけ」



 すると、クリスに手を伸ばしたのとは別の冒険者が腕を振り上げ、アインの頬目掛けて振り下ろした。

 ……のだが、その腕は途中で止まってしまった。なぜなら、



「っ……ぁ……」



 突如として、クリスに手を伸ばした冒険者が、喘ぐように声をあげて目を回した。

 顔面を蒼白に染め上げ、臆病に口を震わせ、小鹿のような足は支えを失った。

 そのまま気を失って大の字に倒れ、それを見て、アインに殴りかかろうとした冒険者は驚き止まってしまったのだ。



「お、お前……何をしやがったッ!?」



 すると、アインの得体の知れない力に驚き、殴ろうとした腕を止めて、アインの胸ぐらを強くつかんだ。

 そして彼は理解したのだ。相棒がなぜ気を失ったのか。相棒が気を失う前、何を目にして倒れてしまったのかを。



「――なにもしてない。ただ、俺は暴食の世界樹ってだけのことだ」


「ぅ……なん……その……ぁ……」



 彼はアインと目をあわせた。アインの瞳が翡翠のような美しさをみせた。

 しかし、その美しい宝石ひとみのさらに奥へと、アインは力を隠し持っている。

 ……彼が目にしてしまったのは、まさにそれだ。

 アーシェにカイン、そしてシルビアの三人が暴食の世界樹を止めに行った時。傷ついた暴食の世界樹から、黒くドロッとした液体が流れていたのを思い出したい。そして中には、いくつもの巨大な目がギョロッと蠢いていた。



 魔王であるアーシェですら恐怖を抱いた、暴食の世界樹という存在の証明。

 その気配を目線を通じて感じてしまった彼らは、その強さを彼らの器で受け切れられず、気を失うという結末を迎えたのだ。



「ア、アイン……様?」



 何をしたんだろう。後ろに立つクリスには、二人が突然倒れたことしか分からない。

 ちょん、ちょん。アインの服の袖を引っ張る。クリスが遠慮がちに、何をしたのかと態度で尋ねる。



「彼女は俺のだ。触れることは許さない」



 自然とこのような言葉が口から漏れた。

 正しくは、私の護衛――となるのだが、省略されてしまう。

 どうして漏れたのだろう。と考えれば、答えは簡単だ。

 いわゆる、魔王アインとしての振る舞いをみせたことで、アインの心に強い高揚、興奮が生じたのだ。


 

 それは暴走した以前のようなどす黒い感情ではなく、純粋に、アイン本人が抱いた気分の高まりだ。

 そのせいもあってか、アインは今のようなセリフを口にしてしまったのだ。



(……調子に乗ってしまった)



 正直言って、凄く恥ずかしい。

 自分は何を言ってるんだ。ツッコミを自分で自分に加えると、アインはクリスが服を引っ張るのを感じながらも、少しの間を置いた。



「別に、大したことはしてないよ。ただこうやって、近くで目をあわせてただけ」


「ッ――……そ、そう……でしたか」



 ふいに近づいたアインの顔に驚いたクリスは、ローブの下で顔を赤らめる。

 一方でアインは、またやってしまった。と頭を抱えたくなった。

 魔王の振る舞いによって生じた多くの脳内麻薬が、再度、アインの行動に影響を与えたのだった。



「でも、こんな騒動に会うなんて思わなかったな。こういうものなの?」



 気絶させたのはやりすぎだっただろうか?

 王太子という身分を隠し、抜き打ちで足を運んだのだから、こうした騒動は我慢するべきなのだろうか。

 あるいは、ギルド職員がやってくるのを待ち、穏便に済ませるべきだったのだろか。アインは内心で自問する。



 ――しかし、クリスに手を伸ばしたのを許せなかったのは事実なのだ。

 となれば、この選択でもよかった。という風に、アインは自答するに至る。

 他の手段を用いようとしても、結局は力に頼る事になってしまう。それならば、今さっきの行動でもそう悪くはないのかもしれない。



「あ、あのあの……その……むしろ私個人としては、今の騒動は悪くなかったです……それどころか、大歓迎なところもあって……」


「……個性的なお返事。ありがとう」



 結局のところ、一番得をしたのはクリスということだ。

 気持ちを寄せる相手から、気分が高揚していたからとはいえ、自分のものだという発言をされたのだから、わんこ気質のクリスからすれば、その全てが特上のご褒美だというのは当然のこと。

 それに加え、近くでみたアインの瞳に心揺らされたのは言うまでもないのだから。



 騒々しかったギルド内にて、二人が突然倒れたことで舞い降りた静寂。

 二人はその対照的な空気に気を向けることなく、二人の周りだけ緩んだ空気を醸し出した。



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