因縁"は"終わりを迎える。
「で――でも、殿下!殿下だけをおいて私たちが下がるなんて……ッ」
(マジョリカさんは優しいなぁ……でも、本当にごめん……)
アインがもう一度口を開く。
今度は更に力強く、命令口調でそれを伝える。
「王族礼を発する――足手纏いになる前に、ここから退室しろ」
内心では多くの罪悪感を募らせる。
ローガスの戦いを経て、グリントにすら言われた親殺しというセリフ。
そうした心の不安定さを抱きながらのこれは、殊更にアインを揺さぶった。
……アインは魔王という存在に昇華していながらも、優しさ(甘さ)や人間らしさを滲ませる。
「ッ……」
王族令という言葉に、マジョリカが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
すると、不満げな態度を見せながらも、振り向いて扉に向けて足を進めた。
「どうかご無事で……殿下」
マジョリカがそう語ると、近衛騎士がアインの背中に向けて深く頭を下げる。
続けてマジョリカに倣って足を進めると、謁見の間から速やかに退室していった。
すると、謁見の間に残されたのは四人――ハイムの三人に加え、アインが一人で相対している。
「そろそろ……放せよッ!」
「っと……」
アインの手甲から剣を抜くと、グリントはアインを足蹴にして距離を取る。
すると、驚きに染まっているグリントへと許婚のアノンが近づく。
「グ、グリント様……」
「はぁ……はぁ……一体何なんだよ、あの化け物――アノン、危ないからもっと下がっててくれ」
「――お身体は大丈夫、ですか?」
「あぁ、何も問題ないぞ」
グリントの身体を気遣うと、心の底から心配そうにグリントを見つめた。
「身体に産まれた聖なる力……それが崩れ去った場合、どうか一度退くことをお考え下さい」
「はは、負担が大きいからか?悪いが、俺はあいつを倒すまで終わる気はない――だから、ここで待っていてくれ」
はじめのやり取りのように、グリントは自然体にアノンの言葉に否定の意を示す。
その様子を見ていたアインは不可解だと言わんばかりに考えた。
(グリントは操られていないのか?どうして、さっきからアノンの言葉に逆らって……?)
ローガスやレイフォン、そしてラルフの三人までも好きに動かしているというのに、グリントだけを野放しにする理由が見当たらない。
「待たせたな、化け物。再開……するぞ」
グリントが眩いオーラを強める。
アインのように体全体にそれを纏うと、剣を構えて走り出した。
一段と早くなった動作で襲い掛かるのだ。
――だが、強化されたのはグリントだけじゃない。
「俺が彼らを下げた理由が分かるか?」
アインは棒立ちで剣を構えると、それであっさりとグリントの一撃を防ぐ。
じりじりと加わるグリントの力を受けながらも、アインは少しも後退することがない。
「いいから、さっさとくたばれよ……!」
(……きっとこいつは、身の丈に合わない力を得たんだ。技量と比較にならない膂力が……その証明だ)
それなりの衝撃がアインの全身に走る。
だが、
「それはな、俺もどこまでの力を出せるのか分からないからだ――ッ!」
アインが腕に力を加えてグリントを押し戻す。
「何を強がってんだよッ!この化け物がッ!」
グリントが吠えるのを横目に、腰を深くして構えるアイン。
吸い込まれるかのような錯覚を覚え、グリントが足の指に力を籠める。
謁見の間の床がひび割れ、壁がびしびしと音を奏でる。
空気が泣き叫ぶように金切り声をあげると、ふとした瞬間にそれが収まる。
全てがアインに吸収されるかのように引き込まれると、突然の静寂が訪れたのだ。
「受け止める気があるのなら受け止めろ。避けられるのなら避けてみろ。……諦めたのなら、神に祈れッ!」
――次の瞬間。
暴風……まさに暴風だ。
それでいて、幾重にも重なった刃のようだ。
アインが横一線に振った剣が、グリントに――そして、奥に控えるラルフとアノン目掛けて牙を剥く。
「アアアァァァァ――ッ!」
例えるならば、空間ごと切り裂いた……あるいは、空間そのものを爆発させた。
それほどまでの巨大な衝撃が、数メートル程度しか離れていないグリントの全身に襲い掛かる。
「な――ッ!?うぐぅううう……ッ!」
「グ……グリント様ァ!?」
一身に受け止めるグリントが苦しそうに声を上げた。
すると、後方からはアノンの心配そうな声が届く。何一つ演技をしてい無さそうな、グリントを心から心配している声だった。
「こ……こんなのッ!俺なら……ァアアアアッ!」
ガラスが割れるような音がグリントの全身から響く。
すると、光芒でできた外装が一本ずつ崩れ去っていった。
弦楽器の弦が突然切れてしまうかのように、崩れた外装が派手に飛び散った。
「はぁ……はぁ……ど、どうだ……受け止めてやったぞ……ッ!?」
「――あぁ、そうだな。だが、苦し紛れだ」
しかしどうだ。
グリントの姿はさっきとは比べ物にならないほどみすぼらしい。
自慢の聖なる鎧は崩れ去り、埃で顔中を汚している。
すると、グリントが勝ち誇った表情をした次の瞬間、謁見の間が崩壊をはじめたのだった。
……力を込めた一撃とはいえ、ただの一振りで出せる影響じゃない。
それを見て、アノンが呟きながら考え出した。
「――嘘。
カインの事を思い、自らの知る事実に照らし合わせて、たった今のアインの一撃を振り返る。
完全に想定外だったようで、愛するグリントに縋るような瞳を向けた。
「ッ……グリント様!消耗が多すぎます!一度下がって、お身体を……」
「ははっ……そんなことできるはずがないだろ!いくらアノンの言葉だとしても、それは受け入れられない!」
「なんでッ……どうして、どうして聞いてくれないの……!?」
グリントは頑なにアノンの言葉に背く。
つづけて、息を整えながら身体に力を籠め、もう一度同じ鎧を現出させた。
「父上の仇すら取ってない……!こんなとこで終われるか!」
戦う姿勢を崩さず、グリントは更に闘気を高める。
だが、彼の身体に異常が出始めた。
「……うっ……おぇ……」
「――グリント?」
グリントが吐血したのだ。加えて、よく見てみれば、年を取ったかのように顔つきが変貌している。
だが、グリントは赤黒い血液を漏らしながらも、強気な面持ちでアインに立ち向かうのだった。
「化け物、そろそろお前の首をとってやる――ッ」
*
戦いは続いた。
アインの攻撃を警戒したグリントは、アインが力を貯めるのを防ぐため、細かな攻撃を繰り返す。
しかし、グリントがアインに押されているのは変わらない。一方のグリントも引くことは考えずに、アノンの忠告を無視し続けた。
何度も光り輝く鎧を生み出し、アインに攻撃を仕掛けては砕かれるを繰り返す。
グリントはその都度、身体に深いダメージを追ったが、アインに抱く憎悪ゆえか、攻撃を止める事は無かった。
――この状況を鑑みて、
「……貴方は歴史を繰り返すのね。イシュタリカの王太子さん……いえ、新たな魔王様、かしら?」
ピタッ、とアインとグリント――二人の動きが止まる。と同時に、アノンが目を薄く金色に光らせた。
不思議と澄んだ彼女の声が、戦いに集中していた二人にも影響をもたらす。
グリントは魔王という言葉に少しばかり動揺したが、彼女の語る言葉に耳を傾けるのだった。
「何が言いたい」
アインが答える。
すると、心の奥底から声が聞こえてくる。
――≪頼るな≫
……という一言だったが、アインの心を強く揺らぶる。
「
「アノン!今は俺とあいつが戦って――」
「彼は家族全員を殺したの。知ってるかしら?」
「……」
アインが黙って耳を傾けた。グリントが語り掛けようとも、アノンは語るのを止めない。
聞いてはいけない……赤狐の言葉に耳を傾けるな。頭の中で理解していたが、彼女の語り口調やその内容……そして、
加えて、繰り返される≪頼るな≫という言葉が心の中に漂い続けた。
「ドライアドの貴方ならご存知でしょう?根付く……というのは、一つの呪いだわ。でも、その呪いを使うことができた者も存在した……それが、エルダーリッチのシルビア。彼女が家族にもたらした呪いは、結局、家族全員を死に至らしめたんだもの」
「――やめろ。もういい」
続きを聞きたくなくなり、アインがアノンにやめろと告げる。
だが、アノンは薄ら笑い浮かべて語り続けた。
「マルクがアーシェに止めを刺した。するとあら不思議……カインとシルビアの二人も、アーシェと同じく命を落としちゃった。……あら?ということは、マルクは家族全員を殺した……そう言えるんじゃないかしら?」
その言葉以上に心を揺さぶられ、アインの視界がうっすらと暗くなる。
はぁ、はぁと息が荒れ、心に宿る感情がどす黒く変貌していった。
「……それは、お前が」
「私が原因とでも?そうかしら?――でも、人々を殺したのはアーシェで、そのアーシェを殺したのはマルク……そのせいで家族全員を殺したのもマルクで、貴方はその子孫。そして、ローガス殿という父を殺して、同じことをしているのよ?私が何か悪いことをしたのかしら」
「元凶が偉そうに何を言ってる……!」
すると、アインの身体に異変が生じはじめる。
徐々に徐々にだが、ドライアドの根が足元に生えると、デュラハンの鎧が少しずつ浸食されていった。
だが、それは足元だけでおさまり、根はすぐに枯れてしまう。
「強がるなよ。たかが一度……魔王をたぶらかせたからって」
そうは言っても、アインの心境は穏やかにならない。
自分が悪いんだ……自分が悪いことをしたんだ。と、不思議な強迫観念が続く。
「心外ですよ?私はただ、彼女と仲良くしたかっただけなんだから。その後に彼女が何をしようとも、私に関係はないでしょう?」
「――ありがとう、アノン。君のおかげで、あいつは罪を理解したみたいだ」
「いえ、構いませんよグリント様。……ですから、貴方もその罪を認め、頭を下げて詫びなさい」
最後にアノンが脈絡のない台詞を口にして、目をそっと金色に輝かせる。
すると、グリントは笑みを浮かべて駆ける――目指すは混乱したアインだ。
アインはどことなく鎧からも艶が失われ、全身がさび付いたかのように姿を変える。
「心の弱い男だな……お前はッ!」
「ッ――!」
呆然としていたせいか、グリントへの反応が一瞬遅れる。
おかげで、アインは手甲でグリントの剣を防御したのだが……。
「割れた……?」
「はっ!なんだ、お前も限界なんじゃないか……っ!」
口の端から吐血を漏らしながらも、グリントは意気揚々とアインに襲い掛かる。
二回目の攻撃からはアインが簡単に防御できたが、そこでも問題が発生した。
(鎧にひびが……?そんな、どうして……)
アノンの言葉を聞いてからというもの、全身に違和感が溢れてきた。
どことなく身体が自分のものではないかのような、ふわっとした浮遊感をアインを襲う。
≪頼るな≫
心の中で自分の声が響く。
頼るなとは一体なんだ、頭を振って気持ちを切り替えようとするが、しきりにその声が届いた。
≪頼るな≫
心を埋め尽くす頼るなという言葉に、アインは強い頭痛を感じる。
「やめろ――うるさい、やめろッ!」
力任せに剣を振る。
すると、グリントの頬に深い傷がつくられ、より一層の憎しみをグリントが抱く。
≪頼るな≫
頼るなという言葉とともに、アインの鎧がぽろぽろっと崩れ去る。
グリントはこれを絶対的な好機と感じると、アインの首元に向けて剣を突き立てた。
「『あぁ、頼らない』」
すると突然の事だった。
謁見の間に響き渡る、二つに重なるアインの声だ。
頼らない、そう一言アインが口にすると、アインの足元から太いツタがあらわれる。
ツタといっても、その先端には鋭い牙を持つ口があり、グリントの剣が突き刺さる直前に、ツタがグリントの片腕に牙を立てた。
「痛ッ……あ、うぁぁあああッ――!」
這うようにツタが伸びると、天井にぶつかり、壁にぶつかり……そして、最後は口元を振り回して空中でグリントの片腕を噛みちぎる。
『――ッ!――――ッ!』
ぐちゃぐちゃと音を立て、ツタがグリントの片腕を咀嚼する。
口元からは赤い鮮血を漏らし、食べ終わると満足そうにアインの足元に戻っていった。
一方で、アインはふらついて視点が定まっていない。
「あぐっ……あぁ……お、おれの手が……ッ」
グリントは目元に涙を浮かべ、無くなってしまった片足を撫でさする。
「――そ、そんな……どうして……!?」
慌てた様子のアノンがグリントに近寄ると、来ていた服を裂いて傷をふさいだ。
「なんで、どうして私に刃向って……」
予定通りではなかったようで、アノンが狼狽える。
「ア、アノン……ッ!身体が、身体がおかしいんだ……すごく重くて……ッ!」
グリントの言葉を聞き、アノンが慌ててグリントの手をとった。
その手は十代のグリントからは程遠い、四十代と言われても遜色ない年取った手をしている。
「グリント様。一度退きましょう。もう、身体が限界……だと」
「ははっ……だから、そんなことは出来ないって言ってるだろ?でも、ちょっと分が悪いな」
するとグリントは立ち上がり、鎧を失ったアインを見る。
アインはどこか呆然とした表情をしながらも、グリントの隣にいるアノンに目線を向けていた。
というよりかは、アノンの身体に宿る、とあるモノに目を向けているようだが。
「――そんな目で、俺のアノンを見てるんじゃ……ねぇッ!」
だが、皮肉なことに、アインの瞳がグリントに怒りを与えた。
分が悪い事を察していたというのにも関わらず、精神的に未熟な部分を見せてしまったのだ。
「俺は……頼らない……自分の強さで戦いを……」
何も障害は無かった。アインは頭痛に耐えるように頭を抱え、グリントに対しての抵抗を何もしなかったからだ。
グリントが片手で構える剣は、吸い込まれるようにアインの胸を貫いたのだ。
「……勝った」
グリントが呟く。
完璧な手ごたえに加えて、このアインの様子だ。
間違いなく、自分は父の仇を取って、兄に勝っていると証明できた――と、嬉しさを顔ににじませた。
――が、アインの耳元が赤く煌き、その宝石がガラスが砕けるような音と共に砕け散る。
「なんだ、この石……」
「ッ――グリント様!ダメ、離れてッ!」
アノンには覚えがあったのだろう。その宝石に気が付くと、慌てた様子でグリントを呼んだ。
そう。輝いたのは、アインがシルヴァードから譲り受けた……大地の紅玉だ。
「アノン?どうしたんだ、急に――」
振り返るグリント。すると、胸元をそっと押され、アインの身体から剣が抜ける。
まだ生きていたのかと、グリントが止めを刺そうと剣をもう一度構えるが……。
「この、しぶといや――」
しぶとい奴だ。
きっと、グリントはそう語りたかったのだろう。
だがそれを言い終える事は叶わず、グリントは振りかぶった聖剣ごと、真っ二つに切り裂かれる。
「グリン……ト……様……ッ?」
「後は、お前だけだ」
アインの手元が小刻みに震えていた。
何かにあらがうかのように、それでいて、弟グリントを殺したという事に対する罪悪感のように。
「嘘でしょ。グリント様……グリント様ァァアアッ!」
物言わぬ肉塊と化したグリントへと近づき、アノンはグリントの顔を抱く。
これまた演技ではないようで、アノンがグリントを愛していたのが強く伝わってくる。
彼女は悲劇のヒロインらしく振舞うと、涙を流しながらアインを睨んだ。
「あはは……そう、親殺しの次は弟殺しね?」
「……だからなんだ?」
「だからなんだ?へぇ、そう。本当にただの化け物なのね……!」
「……ふざけるなよ。俺たちを散々弄んだ奴が被害者面するのかッ!?」
さっきと比べ、アインは正気に戻ったようにみえる。
気にしていないのか、それとも覚えていないのかは分からないが、ついさっきみせたツタに関しても触れる事は無かった。
「最初に弄んだのは誰よ……ッ!私を物みたいに扱って、好き勝手に汚してッ!」
「――もしかして、魔王城のあの部屋は……」
嫌な記憶だが、魔王城の呪われた部屋というモノがあった。
それは赤狐によって作られたとのことだったが、アノンの言葉がそれに重なる。
詳しい話は知らないが、アノンの過去にも暗いことがあったのだろう。
「お前の過去は知らない。だが、俺たちに害を成すのなら……こうなるに決まってるだろ」
アインがアノンに剣を向ける。
もしかすると、一考する価値のある過去なのかもしれないが、彼女が仕出かしたことを忘れることは出来なかった。
甘い性格だという自覚のあるアインですら、アノンを許すことは出来ないのだから。
「……可哀そうな人。親を殺して、兄弟を殺す。ねぇ、どんな感触だったの?暖かかった?気持ちよかった?ねぇ、教えてよ」
「もういい。もういいから……終わらせよう」
「教えてちょうだい?どうだったの?ねぇ、ねぇ?」
ニタァっと笑い、白い歯を見せつけ、紅く腫れぼったくなった瞳でアインを見る。
すると彼女はグリントをそっと床に置くと、アインに抱き着くように近づいた。
「――お、おい!こっちに来るな!」
「ねぇ、教えて……?」
敗北してしまい、そして、愛しいグリントを失って狂ってしまったか。
アインはそれを察し、剣を構えた。それ以上進めば身体に突き刺さる――そんな構え方だったのだが、アノンは止まることなくアインに抱き着いたのだった。
「なっ――お、お前……!?」
「……ほら。教えなさい」
片時も予想したことのないことをアノンがみせる。
身体に深く突き刺さった剣を気にすることなく近づくと、アインに体を密着させた。
だが、それで話は終わることなく……。
「ッ――……ん……はぁ……」
二人の唇が密着した。
アインは一瞬わけもわからず身体を止めてしまったが、強くアノンの胸元を押して距離を取る。
「なっ……お前、いきなり何を……ッ!」
汚らわしい、その一言に尽きる。
唇を拭ったアインは、床に倒れたアノンに剣を突きつける。
「っ……ねぇ……祝福って、なんだと思う?」
激しい痛みに耐え、アノンが笑って口を開く。
「私の祝福はね……私の愛なの。大きくなってほしい、強くなってほしい、そして……身体の奥底に眠る本質(・・)を高めてくれる……そんな祝福なのよ。私の呪いと……この祝福は……表裏一体の私の宝物……だったの……」
こう呟いたアノンは、満足そうな笑みを浮かべる。
すると、覆いかぶさるようにグリントの身体に身を重ねた。
「なんで……貴方には通用しなかったのかしら……アーシェにはすぐに……効いた……のに……」
「……何故かは分からないが、俺はお前の呪いに勝てた……それだけだろ」
「ふふ……そう。まぁ、もうどうでもいいわ……さぁ、貴方に祝福がありますように……」
弱弱しかった呼吸も終え、アノンが完全に息絶える。
アインはその様子を確認すると、大きくため息をついて、蚊帳の外だったラルフに目を向けた。
「――後はお前だけだ。ラルフ」
「あっ……おほっほほぉ……呼び捨てとは、不敬であるぞ」
戦いの間に影響が強まったのか、ラルフにも不可思議な言動が出始める。
独特の気持ち悪さにアインが舌打ちをすると、ゆっくりとラルフの下に足を進める。
「『でも、その前に腹が減ったかな』」
重なるアインの声が響くと、グリントの手を噛みちぎったのと同じツタが三本生まれる。
アインの背中から生えたツタは一直線に伸びると、倒れたアノンに噛みついた。
すると、アインは無意識に発した声に驚きを露にする。
『――ッ……!』
『――!』
『――――!――!』
ツタが目指した場所は胸元だ。
アインの剣でできた刺し傷に入り込むと、アノンの魔石を噛み締めるように咀嚼した。
「なッ……なんだよ、これ……」
すると、ツタは魔石を食べ終えて満足したのだろう――スルスルッとアインの身体に戻ると、何事もなかったかのように消え去った。
「――身体の奥底に眠る本質、か」
死に際にアノンが口にしていた、彼女の持つ祝福の効果だ。
もし、もしも……アノンによる呪いの影響を、実は少し受けてしまっていたとすれば、
「……歴史を繰り返す。そうか、お前はそれが言いたかったのか」
相乗効果とでもいえばいいのだろうか。
つまり、アインは
この事を自覚すると、身体の奥底が不快に脈動していることに気が付いてしまった。
切ない表情でアノンの死体から視線をそらすと、ラルフに向けて一瞬で近づき、戸惑うことなく黒い石を砕いた。
「ぁ……あああああああぁぁぁぁ……ッ!」
「ごめん。もしかすると、ラルフ王も被害者なのかもしれない。だけどさ、生かしてはいけないんだ」
苦しみに満ちた叫び声をあげ、ラルフは萎れるように生命活動を停止する。
腐臭を漂わせながら横たわると、最後は嬉しそうな表情で死に絶えた。
「――こうなるんだったら、クローネのご褒美、先に貰っとけばよかったかな……」
*
謁見の間から離れたところ。
マジョリカや近衛騎士は、そこでアインの帰りを待っていた。
「……マ、マジョリカ殿!」
一人の近衛騎士がやってきた男に気が付く。
間違えるはずもない――やってきたのは、彼らの未来の王なのだから。
「殿下ッ!終わったのね!?」
マジョリカがその声によってアインの姿に気が付いた。
アインが戻ってきたという事は、アインが勝利したという事に他ならない。
「――ただいま。みんな」
浮かない表情のアインが答える。
すると、向かえた一同は、アインは疲れているのだろう……と労った。
「これで……私たちとあの獣たちの因縁は終わったのね?」
「さすがです。殿下ッ!」
「はは、これは帰国してからのパレードが楽しみですな!」
「……うん、俺も楽しみだよ」
想像すればこれほど楽しいことは無い。
帰国して祝い、帰りを待つ者達と顔を合わせる。
(……それに、クリスとディルの安否も調べなきゃ)
したいことはたくさんあった。
だが、やはりアインの表情は一向に晴れる事がない。
しかしアインは空元気で笑みをつくると、待っていたマジョリカと近衛騎士たちに命令を下す。
「マジョリカさん。悪いけどひとっ走りして、ディルたちの様子を見に行ってもらってもいい?そのまま、イシュタリカの勢力を港町ラウンドハートに退くように命令してほしい。もちろん、俺の名前でね」
「――え、えぇ、構わないのだけど……殿下はどうするの?」
「俺はゆっくり行くよ。ごめん、かなり疲れちゃってさ……」
「ご安心くださいマジョリカ殿。我々、近衛騎士が殿下をお守りして――」
「あー、それも大丈夫。実はウォーレンさんの部下が近くにたくさん控えてるんだ。だから、みんなはマジョリカさんと協力しててほしい」
もちろん、アインが語ったような事実は存在しない。
(……ごめんね、嘘ついて)
心の中で謝罪をするアイン。
近衛騎士はアインの言葉を疑うことなく信じると、なるほど!と頷いてアインの言葉に従った。
「承知致しました!では、我々はクリスティーナ様……並びに、ディル護衛官の安否確認に参ります!」
「うん。頼んだよ」
「――わかったわ!それじゃ、先に行って待ってるわね!」
こうして、アインはマジョリカと近衛騎士たちを引きはがすことに成功する。
これから先に生じるであろうことを考え、皆を急いで退かせたのだ。
走り去っていく仲間たちを眺め、アインは一度だけ『ごめん』と静かに呟くのだった。
「……そうだ。悪いけど、お邪魔しにいこう」
*
少し遅れてハイム城を出たアイン。
たった一人で隠れるように歩き、目的の建物を目指して進んだ。
十年前のことといえど、意外と覚えているものだ――と、笑いながら自分の記憶力を称賛する。
「お邪魔します……って、戦いでもあったのかな?……すごい荒れてる」
建物に入ると、以前とは違い、荒れ果てたホールの様子にアインが驚く。
だが、横を見れば、目的地は綺麗なままだったことに喜び、足を進めるのだった。
「……ここは変わらないんだな。あの時と同じで綺麗な場所だよ」
不快な脈動を感じながらも、アインはそこを優雅に歩く。
「――アウグスト大公邸。その庭園……俺の人生は、きっとここから始まったようなもんだからね」
アインがやってきた場所は、思い出深きアウグスト大公邸だった。
今は人っ子一人いない静かな場所だが、お披露目パーティが開かれた当時は、それはそれは豪華で賑やかな席だったことを思い出す。
「ここでクローネに出会って、お母様とクローネの二人に想定外のプロポーズをして……港町ラウンドハートに戻ってからは、クリスと出会った。うん、どう考えてもここが始まりの地だ」
華やかで美しく整備された庭園を歩き、アインは楽しかった思い出に浸り続ける。
……すると、この庭園でも最も思い出深い場所にたどり着く。
「やぁ。久しぶりだね」
そぅっとブルーファイアローズを手に取ると、あっさりとそれをスタークリスタルに変貌させる。
当時の再現をしてみるが、今は一人なのがひどく寂しい。
「少し疲れた、かな」
身体に漂う倦怠感に負けると、すぐ傍にあったテラス席に腰かける。
このテラス席も、三人で夜の茶会を楽しんだ時の思い出の地だ。
「――だいたいさ、クローネももったいぶりすぎだって思うんだよね。むしろさ、あそこでキスの一つでもされたら俺すごかったよ?多分もう数日前にはこの因縁終わらせて、ぱぱっと王都に帰ってたはずだし」
冗談めいた声色でアインが語る。
「そりゃさ、俺も奥手だったかもしれないよ?でもさ、俺だってクローネの香りとか感触に耐えるの必死なんだし、それを察してほしいよね――あ、もちろんお母様のキスもなんだかんだ色々やばかったなぁ、マグナで一緒のお風呂、ってのもきつかった。それに、思えば、魔王城に行く前のクリスとやった儀式……?とかも、今だにあの感触が残って……こんな時に何考えてんだろ俺」
不快な脈動が高まった。
楽しい思い出に浸り続けることで避けていたが、それを強制的に自覚させられてしまう。
すると、アインの足元からは無意識に根が生まれ出る。
地中ではもうすでにアウグスト大公邸を飛び出し、ハイム王都中に広がろうとしていたのだった。
どこかで何かを吸っているのだろう。
アインの身体には、これまでないほどの充実感が募り続ける。
「あとはそうだなー……駄猫にもなんだかんだ世話になった気がする。割合としては俺が世話したのが多い気がするけど、この辺は気にしないで上げようと思う」
――ボト、ボト。
地面へと、いくつもの宝石が身体を落とす。
ブルーファイアローズが自然と変貌し、すべてがスタークリスタルとなって地面に落ちた。
「まぁ、みんなに世話になったよね。特にお爺様には……うん、心労掛け過ぎたのは割と申し訳なく思ってる」
と言いつつも、へらへら笑いを止めないアイン。
ひとしきり笑い終えると、頬杖をついて微笑んだ。
「――でもほら、やれることなら最後に責任ぐらいとっておくべきだよね」
するとアインは思い出す。
一人の忠義の騎士から受け継いだ、とある大切なスキルの事を。
「それに、今なら使えるかなって思ってるんだ」
心の中で強く念じた。
考えるのは三人の大切な人たちで、念じれば念じるほどに、身体の中から魔力が失われるのを感じる。
それが数分ほどつづくと、アインは達成できたことを強く察する。
「ふぅ……やっぱりさ、自分のケツは自分で拭けっていうからね。ったく、いい子に育ったもんだよ俺ってば」
もはや立ち上がる気力もなく、五感も薄れ、一番感じるのは不快な脈動ばかりだ。
「俺が思ってたのは、
すると、アインは自らの手で作ったスタークリスタルを見て、柔らかく微笑んだ。
「アーシェさんが、嫉妬の夢魔……でしょ?だったら、俺なら……うん、どうせならカッコいいのがいいな。――あ、それじゃ……!」
意外と名前はすぐに思いついた。
自分で自分に名を付けるのはどうかと思ったが、今はこれぐらいしか考えられることが無かったのだ。
「――【 暴食の世界樹 】とかどうかな。名前だけならすごいカッコいい気がする。……っと、そろそろ危ない感じか……ごめんね三人とも、頼んだよ」
胸元を抑え、アインが頼むと口にする。
すると、目の前で三つの光りが生まれた。
「はぁ……」
生まれた光は飛び上がり、王都へと――そして、港町ラウンドハートに向かって飛び去って行く。
「『……腹減ったなぁ』」
この言葉を最後に、アインは意識を失った。
それから間をおくことなくアインの身体が木に包まれると、その木はみるみるうちに成長していく。
瞬く間に巨大化をつづけたそれは、すぐに数百メートルを超す、巨大で太く……禍々しい大樹へと変貌していくのだった。
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