因縁"は"終わりを迎える。

「で――でも、殿下!殿下だけをおいて私たちが下がるなんて……ッ」


(マジョリカさんは優しいなぁ……でも、本当にごめん……)



 アインがもう一度口を開く。

 今度は更に力強く、命令口調でそれを伝える。



「王族礼を発する――足手纏いになる前に、ここから退室しろ」



 内心では多くの罪悪感を募らせる。

 ローガスの戦いを経て、グリントにすら言われた親殺しというセリフ。

 そうした心の不安定さを抱きながらのこれは、殊更にアインを揺さぶった。



 ……アインは魔王という存在に昇華していながらも、優しさ(甘さ)や人間らしさを滲ませる。



「ッ……」



 王族令という言葉に、マジョリカが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 すると、不満げな態度を見せながらも、振り向いて扉に向けて足を進めた。



「どうかご無事で……殿下」



 マジョリカがそう語ると、近衛騎士がアインの背中に向けて深く頭を下げる。

 続けてマジョリカに倣って足を進めると、謁見の間から速やかに退室していった。

 すると、謁見の間に残されたのは四人――ハイムの三人に加え、アインが一人で相対している。



「そろそろ……放せよッ!」


「っと……」



 アインの手甲から剣を抜くと、グリントはアインを足蹴にして距離を取る。

 すると、驚きに染まっているグリントへと許婚のアノンが近づく。



「グ、グリント様……」


「はぁ……はぁ……一体何なんだよ、あの化け物――アノン、危ないからもっと下がっててくれ」


「――お身体は大丈夫、ですか?」


「あぁ、何も問題ないぞ」



 グリントの身体を気遣うと、心の底から心配そうにグリントを見つめた。



「身体に産まれた聖なる力……それが崩れ去った場合、どうか一度退くことをお考え下さい」


「はは、負担が大きいからか?悪いが、俺はあいつを倒すまで終わる気はない――だから、ここで待っていてくれ」



 はじめのやり取りのように、グリントは自然体にアノンの言葉に否定の意を示す。

 その様子を見ていたアインは不可解だと言わんばかりに考えた。



(グリントは操られていないのか?どうして、さっきからアノンの言葉に逆らって……?)



 ローガスやレイフォン、そしてラルフの三人までも好きに動かしているというのに、グリントだけを野放しにする理由が見当たらない。



「待たせたな、化け物。再開……するぞ」



 グリントが眩いオーラを強める。

 アインのように体全体にそれを纏うと、剣を構えて走り出した。

 一段と早くなった動作で襲い掛かるのだ。



 ――だが、強化されたのはグリントだけじゃない。



「俺が彼らを下げた理由が分かるか?」



 アインは棒立ちで剣を構えると、それであっさりとグリントの一撃を防ぐ。

 じりじりと加わるグリントの力を受けながらも、アインは少しも後退することがない。



「いいから、さっさとくたばれよ……!」


(……きっとこいつは、身の丈に合わない力を得たんだ。技量と比較にならない膂力が……その証明だ)



 それなりの衝撃がアインの全身に走る。

 だが、どこか違う・・・・・のだ。



「それはな、俺もどこまでの力を出せるのか分からないからだ――ッ!」



 アインが腕に力を加えてグリントを押し戻す。



「何を強がってんだよッ!この化け物がッ!」



 グリントが吠えるのを横目に、腰を深くして構えるアイン。

 吸い込まれるかのような錯覚を覚え、グリントが足の指に力を籠める。



 謁見の間の床がひび割れ、壁がびしびしと音を奏でる。

 空気が泣き叫ぶように金切り声をあげると、ふとした瞬間にそれが収まる。

 全てがアインに吸収されるかのように引き込まれると、突然の静寂が訪れたのだ。



「受け止める気があるのなら受け止めろ。避けられるのなら避けてみろ。……諦めたのなら、神に祈れッ!」



 ――次の瞬間。



 暴風……まさに暴風だ。

 それでいて、幾重にも重なった刃のようだ。

 アインが横一線に振った剣が、グリントに――そして、奥に控えるラルフとアノン目掛けて牙を剥く。



「アアアァァァァ――ッ!」



 例えるならば、空間ごと切り裂いた……あるいは、空間そのものを爆発させた。

 それほどまでの巨大な衝撃が、数メートル程度しか離れていないグリントの全身に襲い掛かる。



「な――ッ!?うぐぅううう……ッ!」


「グ……グリント様ァ!?」



 一身に受け止めるグリントが苦しそうに声を上げた。

 すると、後方からはアノンの心配そうな声が届く。何一つ演技をしてい無さそうな、グリントを心から心配している声だった。



「こ……こんなのッ!俺なら……ァアアアアッ!」



 ガラスが割れるような音がグリントの全身から響く。

 すると、光芒でできた外装が一本ずつ崩れ去っていった。

 弦楽器の弦が突然切れてしまうかのように、崩れた外装が派手に飛び散った。



「はぁ……はぁ……ど、どうだ……受け止めてやったぞ……ッ!?」


「――あぁ、そうだな。だが、苦し紛れだ」



 しかしどうだ。

 グリントの姿はさっきとは比べ物にならないほどみすぼらしい。

 自慢の聖なる鎧は崩れ去り、埃で顔中を汚している。



 すると、グリントが勝ち誇った表情をした次の瞬間、謁見の間が崩壊をはじめたのだった。

 ……力を込めた一撃とはいえ、ただの一振りで出せる影響じゃない。

 それを見て、アノンが呟きながら考え出した。



「――嘘。あの・・デュラハンだろうとも、天騎士の鎧を一撃で崩し切るなんて真似は……」



 カインの事を思い、自らの知る事実に照らし合わせて、たった今のアインの一撃を振り返る。

 完全に想定外だったようで、愛するグリントに縋るような瞳を向けた。



「ッ……グリント様!消耗が多すぎます!一度下がって、お身体を……」


「ははっ……そんなことできるはずがないだろ!いくらアノンの言葉だとしても、それは受け入れられない!」


「なんでッ……どうして、どうして聞いてくれないの……!?」



 グリントは頑なにアノンの言葉に背く。

 つづけて、息を整えながら身体に力を籠め、もう一度同じ鎧を現出させた。



「父上の仇すら取ってない……!こんなとこで終われるか!」



 戦う姿勢を崩さず、グリントは更に闘気を高める。

 だが、彼の身体に異常が出始めた。



「……うっ……おぇ……」


「――グリント?」



 グリントが吐血したのだ。加えて、よく見てみれば、年を取ったかのように顔つきが変貌している。

 だが、グリントは赤黒い血液を漏らしながらも、強気な面持ちでアインに立ち向かうのだった。



「化け物、そろそろお前の首をとってやる――ッ」




 *




 戦いは続いた。

 アインの攻撃を警戒したグリントは、アインが力を貯めるのを防ぐため、細かな攻撃を繰り返す。

 しかし、グリントがアインに押されているのは変わらない。一方のグリントも引くことは考えずに、アノンの忠告を無視し続けた。

 何度も光り輝く鎧を生み出し、アインに攻撃を仕掛けては砕かれるを繰り返す。

 グリントはその都度、身体に深いダメージを追ったが、アインに抱く憎悪ゆえか、攻撃を止める事は無かった。



 ――この状況を鑑みて、アノン・・・が参戦してきたのだ。愛しい男のため……グリントを勝たせるために。



「……貴方は歴史を繰り返すのね。イシュタリカの王太子さん……いえ、新たな魔王様、かしら?」



 ピタッ、とアインとグリント――二人の動きが止まる。と同時に、アノンが目を薄く金色に光らせた。

 不思議と澄んだ彼女の声が、戦いに集中していた二人にも影響をもたらす。

 グリントは魔王という言葉に少しばかり動揺したが、彼女の語る言葉に耳を傾けるのだった。



「何が言いたい」



 アインが答える。

 すると、心の奥底から声が聞こえてくる。

 ――≪頼るな≫

 ……という一言だったが、アインの心を強く揺らぶる。



統一国家・・・・イシュタリカ、初代国王マルク……彼の事はご存知でしょうけど」


「アノン!今は俺とあいつが戦って――」


「彼は家族全員を殺したの。知ってるかしら?」


「……」



 アインが黙って耳を傾けた。グリントが語り掛けようとも、アノンは語るのを止めない。

 聞いてはいけない……赤狐の言葉に耳を傾けるな。頭の中で理解していたが、彼女の語り口調やその内容……そして、聞かなければならない・・・・・・・・・・という強迫観念に駆られる。



 加えて、繰り返される≪頼るな≫という言葉が心の中に漂い続けた。



「ドライアドの貴方ならご存知でしょう?根付く……というのは、一つの呪いだわ。でも、その呪いを使うことができた者も存在した……それが、エルダーリッチのシルビア。彼女が家族にもたらした呪いは、結局、家族全員を死に至らしめたんだもの」


「――やめろ。もういい」



 続きを聞きたくなくなり、アインがアノンにやめろと告げる。

 だが、アノンは薄ら笑い浮かべて語り続けた。



「マルクがアーシェに止めを刺した。するとあら不思議……カインとシルビアの二人も、アーシェと同じく命を落としちゃった。……あら?ということは、マルクは家族全員を殺した……そう言えるんじゃないかしら?」



 その言葉以上に心を揺さぶられ、アインの視界がうっすらと暗くなる。

 はぁ、はぁと息が荒れ、心に宿る感情がどす黒く変貌していった。



「……それは、お前が」


「私が原因とでも?そうかしら?――でも、人々を殺したのはアーシェで、そのアーシェを殺したのはマルク……そのせいで家族全員を殺したのもマルクで、貴方はその子孫。そして、ローガス殿という父を殺して、同じことをしているのよ?私が何か悪いことをしたのかしら」


「元凶が偉そうに何を言ってる……!」



 すると、アインの身体に異変が生じはじめる。

 徐々に徐々にだが、ドライアドの根が足元に生えると、デュラハンの鎧が少しずつ浸食されていった。

 だが、それは足元だけでおさまり、根はすぐに枯れてしまう。



「強がるなよ。たかが一度……魔王をたぶらかせたからって」



 そうは言っても、アインの心境は穏やかにならない。

 自分が悪いんだ……自分が悪いことをしたんだ。と、不思議な強迫観念が続く。



「心外ですよ?私はただ、彼女と仲良くしたかっただけなんだから。その後に彼女が何をしようとも、私に関係はないでしょう?」


「――ありがとう、アノン。君のおかげで、あいつは罪を理解したみたいだ」


「いえ、構いませんよグリント様。……ですから、貴方もその罪を認め、頭を下げて詫びなさい」



 最後にアノンが脈絡のない台詞を口にして、目をそっと金色に輝かせる。

 すると、グリントは笑みを浮かべて駆ける――目指すは混乱したアインだ。

 アインはどことなく鎧からも艶が失われ、全身がさび付いたかのように姿を変える。



「心の弱い男だな……お前はッ!」


「ッ――!」



 呆然としていたせいか、グリントへの反応が一瞬遅れる。

 おかげで、アインは手甲でグリントの剣を防御したのだが……。



「割れた……?」


「はっ!なんだ、お前も限界なんじゃないか……っ!」



 口の端から吐血を漏らしながらも、グリントは意気揚々とアインに襲い掛かる。

 二回目の攻撃からはアインが簡単に防御できたが、そこでも問題が発生した。



(鎧にひびが……?そんな、どうして……)



 アノンの言葉を聞いてからというもの、全身に違和感が溢れてきた。

 どことなく身体が自分のものではないかのような、ふわっとした浮遊感をアインを襲う。



≪頼るな≫



 心の中で自分の声が響く。

 頼るなとは一体なんだ、頭を振って気持ちを切り替えようとするが、しきりにその声が届いた。



≪頼るな≫



 心を埋め尽くす頼るなという言葉に、アインは強い頭痛を感じる。



「やめろ――うるさい、やめろッ!」



 力任せに剣を振る。

 すると、グリントの頬に深い傷がつくられ、より一層の憎しみをグリントが抱く。



≪頼るな≫



 頼るなという言葉とともに、アインの鎧がぽろぽろっと崩れ去る。

 グリントはこれを絶対的な好機と感じると、アインの首元に向けて剣を突き立てた。



「『あぁ、頼らない』」



 すると突然の事だった。

 謁見の間に響き渡る、二つに重なるアインの声だ。

 頼らない、そう一言アインが口にすると、アインの足元から太いツタがあらわれる。

 ツタといっても、その先端には鋭い牙を持つ口があり、グリントの剣が突き刺さる直前に、ツタがグリントの片腕に牙を立てた。



「痛ッ……あ、うぁぁあああッ――!」



 這うようにツタが伸びると、天井にぶつかり、壁にぶつかり……そして、最後は口元を振り回して空中でグリントの片腕を噛みちぎる。



『――ッ!――――ッ!』



 ぐちゃぐちゃと音を立て、ツタがグリントの片腕を咀嚼する。

 口元からは赤い鮮血を漏らし、食べ終わると満足そうにアインの足元に戻っていった。

 一方で、アインはふらついて視点が定まっていない。



「あぐっ……あぁ……お、おれの手が……ッ」



 グリントは目元に涙を浮かべ、無くなってしまった片足を撫でさする。



「――そ、そんな……どうして……!?」



 慌てた様子のアノンがグリントに近寄ると、来ていた服を裂いて傷をふさいだ。



「なんで、どうして私に刃向って……」



 予定通りではなかったようで、アノンが狼狽える。



「ア、アノン……ッ!身体が、身体がおかしいんだ……すごく重くて……ッ!」



 グリントの言葉を聞き、アノンが慌ててグリントの手をとった。

 その手は十代のグリントからは程遠い、四十代と言われても遜色ない年取った手をしている。



「グリント様。一度退きましょう。もう、身体が限界……だと」


「ははっ……だから、そんなことは出来ないって言ってるだろ?でも、ちょっと分が悪いな」



 するとグリントは立ち上がり、鎧を失ったアインを見る。

 アインはどこか呆然とした表情をしながらも、グリントの隣にいるアノンに目線を向けていた。

 というよりかは、アノンの身体に宿る、とあるモノに目を向けているようだが。



「――そんな目で、俺のアノンを見てるんじゃ……ねぇッ!」



 だが、皮肉なことに、アインの瞳がグリントに怒りを与えた。

 分が悪い事を察していたというのにも関わらず、精神的に未熟な部分を見せてしまったのだ。



「俺は……頼らない……自分の強さで戦いを……」



 何も障害は無かった。アインは頭痛に耐えるように頭を抱え、グリントに対しての抵抗を何もしなかったからだ。

 グリントが片手で構える剣は、吸い込まれるようにアインの胸を貫いたのだ。



「……勝った」



 グリントが呟く。

 完璧な手ごたえに加えて、このアインの様子だ。

 間違いなく、自分は父の仇を取って、兄に勝っていると証明できた――と、嬉しさを顔ににじませた。



 ――が、アインの耳元が赤く煌き、その宝石がガラスが砕けるような音と共に砕け散る。



「なんだ、この石……」


「ッ――グリント様!ダメ、離れてッ!」



 アノンには覚えがあったのだろう。その宝石に気が付くと、慌てた様子でグリントを呼んだ。

 そう。輝いたのは、アインがシルヴァードから譲り受けた……大地の紅玉だ。



「アノン?どうしたんだ、急に――」



 振り返るグリント。すると、胸元をそっと押され、アインの身体から剣が抜ける。

 まだ生きていたのかと、グリントが止めを刺そうと剣をもう一度構えるが……。



「この、しぶといや――」



 しぶとい奴だ。

 きっと、グリントはそう語りたかったのだろう。

 だがそれを言い終える事は叶わず、グリントは振りかぶった聖剣ごと、真っ二つに切り裂かれる。



「グリン……ト……様……ッ?」


「後は、お前だけだ」



 アインの手元が小刻みに震えていた。

 何かにあらがうかのように、それでいて、弟グリントを殺したという事に対する罪悪感のように。



「嘘でしょ。グリント様……グリント様ァァアアッ!」



 物言わぬ肉塊と化したグリントへと近づき、アノンはグリントの顔を抱く。

 これまた演技ではないようで、アノンがグリントを愛していたのが強く伝わってくる。

 彼女は悲劇のヒロインらしく振舞うと、涙を流しながらアインを睨んだ。



「あはは……そう、親殺しの次は弟殺しね?」


「……だからなんだ?」


「だからなんだ?へぇ、そう。本当にただの化け物なのね……!」


「……ふざけるなよ。俺たちを散々弄んだ奴が被害者面するのかッ!?」



 さっきと比べ、アインは正気に戻ったようにみえる。

 気にしていないのか、それとも覚えていないのかは分からないが、ついさっきみせたツタに関しても触れる事は無かった。



「最初に弄んだのは誰よ……ッ!私を物みたいに扱って、好き勝手に汚してッ!」


「――もしかして、魔王城のあの部屋は……」



 嫌な記憶だが、魔王城の呪われた部屋というモノがあった。

 それは赤狐によって作られたとのことだったが、アノンの言葉がそれに重なる。

 詳しい話は知らないが、アノンの過去にも暗いことがあったのだろう。



「お前の過去は知らない。だが、俺たちに害を成すのなら……こうなるに決まってるだろ」



 アインがアノンに剣を向ける。

 もしかすると、一考する価値のある過去なのかもしれないが、彼女が仕出かしたことを忘れることは出来なかった。

 甘い性格だという自覚のあるアインですら、アノンを許すことは出来ないのだから。



「……可哀そうな人。親を殺して、兄弟を殺す。ねぇ、どんな感触だったの?暖かかった?気持ちよかった?ねぇ、教えてよ」


「もういい。もういいから……終わらせよう」


「教えてちょうだい?どうだったの?ねぇ、ねぇ?」



 ニタァっと笑い、白い歯を見せつけ、紅く腫れぼったくなった瞳でアインを見る。

 すると彼女はグリントをそっと床に置くと、アインに抱き着くように近づいた。



「――お、おい!こっちに来るな!」


「ねぇ、教えて……?」



 敗北してしまい、そして、愛しいグリントを失って狂ってしまったか。

 アインはそれを察し、剣を構えた。それ以上進めば身体に突き刺さる――そんな構え方だったのだが、アノンは止まることなくアインに抱き着いたのだった。



「なっ――お、お前……!?」


「……ほら。教えなさい」



 片時も予想したことのないことをアノンがみせる。

 身体に深く突き刺さった剣を気にすることなく近づくと、アインに体を密着させた。

 だが、それで話は終わることなく……。



「ッ――……ん……はぁ……」



 二人の唇が密着した。

 アインは一瞬わけもわからず身体を止めてしまったが、強くアノンの胸元を押して距離を取る。



「なっ……お前、いきなり何を……ッ!」



 汚らわしい、その一言に尽きる。

 唇を拭ったアインは、床に倒れたアノンに剣を突きつける。



「っ……ねぇ……祝福って、なんだと思う?」



 激しい痛みに耐え、アノンが笑って口を開く。



「私の祝福はね……私の愛なの。大きくなってほしい、強くなってほしい、そして……身体の奥底に眠る本質(・・)を高めてくれる……そんな祝福なのよ。私の呪いと……この祝福は……表裏一体の私の宝物……だったの……」



 こう呟いたアノンは、満足そうな笑みを浮かべる。

 すると、覆いかぶさるようにグリントの身体に身を重ねた。



「なんで……貴方には通用しなかったのかしら……アーシェにはすぐに……効いた……のに……」


「……何故かは分からないが、俺はお前の呪いに勝てた……それだけだろ」


「ふふ……そう。まぁ、もうどうでもいいわ……さぁ、貴方に祝福がありますように……」



 弱弱しかった呼吸も終え、アノンが完全に息絶える。

 アインはその様子を確認すると、大きくため息をついて、蚊帳の外だったラルフに目を向けた。



「――後はお前だけだ。ラルフ」


「あっ……おほっほほぉ……呼び捨てとは、不敬であるぞ」



 戦いの間に影響が強まったのか、ラルフにも不可思議な言動が出始める。

 独特の気持ち悪さにアインが舌打ちをすると、ゆっくりとラルフの下に足を進める。



「『でも、その前に腹が減ったかな』」



 重なるアインの声が響くと、グリントの手を噛みちぎったのと同じツタが三本生まれる。

 アインの背中から生えたツタは一直線に伸びると、倒れたアノンに噛みついた。

 すると、アインは無意識に発した声に驚きを露にする。



『――ッ……!』


『――!』


『――――!――!』



 ツタが目指した場所は胸元だ。

 アインの剣でできた刺し傷に入り込むと、アノンの魔石を噛み締めるように咀嚼した。



「なッ……なんだよ、これ……」



 見覚えのない・・・・・ツタに驚くアインは、ツタが勝手に動いてアノンに襲い掛かった事にも衝撃を覚える。

 すると、ツタは魔石を食べ終えて満足したのだろう――スルスルッとアインの身体に戻ると、何事もなかったかのように消え去った。



「――身体の奥底に眠る本質、か」



 死に際にアノンが口にしていた、彼女の持つ祝福の効果だ。

 もし、もしも……アノンによる呪いの影響を、実は少し受けてしまっていたとすれば、



「……歴史を繰り返す。そうか、お前はそれが言いたかったのか」



 相乗効果とでもいえばいいのだろうか。

 つまり、アインは逃げきれて・・・・・いなかった・・・・・となってしまう。

 この事を自覚すると、身体の奥底が不快に脈動していることに気が付いてしまった。

 切ない表情でアノンの死体から視線をそらすと、ラルフに向けて一瞬で近づき、戸惑うことなく黒い石を砕いた。



「ぁ……あああああああぁぁぁぁ……ッ!」


「ごめん。もしかすると、ラルフ王も被害者なのかもしれない。だけどさ、生かしてはいけないんだ」



 苦しみに満ちた叫び声をあげ、ラルフは萎れるように生命活動を停止する。

 腐臭を漂わせながら横たわると、最後は嬉しそうな表情で死に絶えた。



「――こうなるんだったら、クローネのご褒美、先に貰っとけばよかったかな……」




 *




 謁見の間から離れたところ。

 マジョリカや近衛騎士は、そこでアインの帰りを待っていた。



「……マ、マジョリカ殿!」



 一人の近衛騎士がやってきた男に気が付く。

 間違えるはずもない――やってきたのは、彼らの未来の王なのだから。



「殿下ッ!終わったのね!?」



 マジョリカがその声によってアインの姿に気が付いた。

 アインが戻ってきたという事は、アインが勝利したという事に他ならない。



「――ただいま。みんな」



 浮かない表情のアインが答える。

 すると、向かえた一同は、アインは疲れているのだろう……と労った。



「これで……私たちとあの獣たちの因縁は終わったのね?」


「さすがです。殿下ッ!」


「はは、これは帰国してからのパレードが楽しみですな!」


「……うん、俺も楽しみだよ」



 想像すればこれほど楽しいことは無い。

 帰国して祝い、帰りを待つ者達と顔を合わせる。



(……それに、クリスとディルの安否も調べなきゃ)



 したいことはたくさんあった。

 だが、やはりアインの表情は一向に晴れる事がない。

 しかしアインは空元気で笑みをつくると、待っていたマジョリカと近衛騎士たちに命令を下す。



「マジョリカさん。悪いけどひとっ走りして、ディルたちの様子を見に行ってもらってもいい?そのまま、イシュタリカの勢力を港町ラウンドハートに退くように命令してほしい。もちろん、俺の名前でね」


「――え、えぇ、構わないのだけど……殿下はどうするの?」


「俺はゆっくり行くよ。ごめん、かなり疲れちゃってさ……」


「ご安心くださいマジョリカ殿。我々、近衛騎士が殿下をお守りして――」


「あー、それも大丈夫。実はウォーレンさんの部下が近くにたくさん控えてるんだ。だから、みんなはマジョリカさんと協力しててほしい」



 もちろん、アインが語ったような事実は存在しない。



(……ごめんね、嘘ついて)



 心の中で謝罪をするアイン。

 近衛騎士はアインの言葉を疑うことなく信じると、なるほど!と頷いてアインの言葉に従った。



「承知致しました!では、我々はクリスティーナ様……並びに、ディル護衛官の安否確認に参ります!」


「うん。頼んだよ」


「――わかったわ!それじゃ、先に行って待ってるわね!」



 こうして、アインはマジョリカと近衛騎士たちを引きはがすことに成功する。

 これから先に生じるであろうことを考え、皆を急いで退かせたのだ。

 走り去っていく仲間たちを眺め、アインは一度だけ『ごめん』と静かに呟くのだった。



「……そうだ。悪いけど、お邪魔しにいこう」




 *




 少し遅れてハイム城を出たアイン。

 たった一人で隠れるように歩き、目的の建物を目指して進んだ。

 十年前のことといえど、意外と覚えているものだ――と、笑いながら自分の記憶力を称賛する。



「お邪魔します……って、戦いでもあったのかな?……すごい荒れてる」



 建物に入ると、以前とは違い、荒れ果てたホールの様子にアインが驚く。

 だが、横を見れば、目的地は綺麗なままだったことに喜び、足を進めるのだった。



「……ここは変わらないんだな。あの時と同じで綺麗な場所だよ」



 不快な脈動を感じながらも、アインはそこを優雅に歩く。



「――アウグスト大公邸。その庭園……俺の人生は、きっとここから始まったようなもんだからね」



 アインがやってきた場所は、思い出深きアウグスト大公邸だった。

 今は人っ子一人いない静かな場所だが、お披露目パーティが開かれた当時は、それはそれは豪華で賑やかな席だったことを思い出す。



「ここでクローネに出会って、お母様とクローネの二人に想定外のプロポーズをして……港町ラウンドハートに戻ってからは、クリスと出会った。うん、どう考えてもここが始まりの地だ」



 華やかで美しく整備された庭園を歩き、アインは楽しかった思い出に浸り続ける。

 ……すると、この庭園でも最も思い出深い場所にたどり着く。



「やぁ。久しぶりだね」



 そぅっとブルーファイアローズを手に取ると、あっさりとそれをスタークリスタルに変貌させる。

 当時の再現をしてみるが、今は一人なのがひどく寂しい。



「少し疲れた、かな」



 身体に漂う倦怠感に負けると、すぐ傍にあったテラス席に腰かける。

 このテラス席も、三人で夜の茶会を楽しんだ時の思い出の地だ。



「――だいたいさ、クローネももったいぶりすぎだって思うんだよね。むしろさ、あそこでキスの一つでもされたら俺すごかったよ?多分もう数日前にはこの因縁終わらせて、ぱぱっと王都に帰ってたはずだし」



 冗談めいた声色でアインが語る。



「そりゃさ、俺も奥手だったかもしれないよ?でもさ、俺だってクローネの香りとか感触に耐えるの必死なんだし、それを察してほしいよね――あ、もちろんお母様のキスもなんだかんだ色々やばかったなぁ、マグナで一緒のお風呂、ってのもきつかった。それに、思えば、魔王城に行く前のクリスとやった儀式……?とかも、今だにあの感触が残って……こんな時に何考えてんだろ俺」



 不快な脈動が高まった。

 楽しい思い出に浸り続けることで避けていたが、それを強制的に自覚させられてしまう。

 すると、アインの足元からは無意識に根が生まれ出る。

 地中ではもうすでにアウグスト大公邸を飛び出し、ハイム王都中に広がろうとしていたのだった。



 どこかで何かを吸っているのだろう。

 アインの身体には、これまでないほどの充実感が募り続ける。



「あとはそうだなー……駄猫にもなんだかんだ世話になった気がする。割合としては俺が世話したのが多い気がするけど、この辺は気にしないで上げようと思う」



 ――ボト、ボト。



 地面へと、いくつもの宝石が身体を落とす。

 ブルーファイアローズが自然と変貌し、すべてがスタークリスタルとなって地面に落ちた。



「まぁ、みんなに世話になったよね。特にお爺様には……うん、心労掛け過ぎたのは割と申し訳なく思ってる」



 と言いつつも、へらへら笑いを止めないアイン。

 ひとしきり笑い終えると、頬杖をついて微笑んだ。



「――でもほら、やれることなら最後に責任ぐらいとっておくべきだよね」



 するとアインは思い出す。

 一人の忠義の騎士から受け継いだ、とある大切なスキルの事を。



「それに、今なら使えるかなって思ってるんだ」



 心の中で強く念じた。

 考えるのは三人の大切な人たちで、念じれば念じるほどに、身体の中から魔力が失われるのを感じる。

 それが数分ほどつづくと、アインは達成できたことを強く察する。



「ふぅ……やっぱりさ、自分のケツは自分で拭けっていうからね。ったく、いい子に育ったもんだよ俺ってば」



 もはや立ち上がる気力もなく、五感も薄れ、一番感じるのは不快な脈動ばかりだ。



「俺が思ってたのは、ラスボス・・・・は赤狐――あと、セオリーに沿うなら、グリントが立ちはだかるんだろうなーって思ってたんだ。……あれ、よく俺ラスボスなんて単語思い出せたな……すごいじゃん」



 すると、アインは自らの手で作ったスタークリスタルを見て、柔らかく微笑んだ。



「アーシェさんが、嫉妬の夢魔……でしょ?だったら、俺なら……うん、どうせならカッコいいのがいいな。――あ、それじゃ……!」



 意外と名前はすぐに思いついた。

 自分で自分に名を付けるのはどうかと思ったが、今はこれぐらいしか考えられることが無かったのだ。







「――【 暴食の世界樹 】とかどうかな。名前だけならすごいカッコいい気がする。……っと、そろそろ危ない感じか……ごめんね三人とも、頼んだよ」



 胸元を抑え、アインが頼むと口にする。

 すると、目の前で三つの光りが生まれた。

 


「はぁ……」



 生まれた光は飛び上がり、王都へと――そして、港町ラウンドハートに向かって飛び去って行く。







「『……腹減ったなぁ』」



 この言葉を最後に、アインは意識を失った。

 それから間をおくことなくアインの身体が木に包まれると、その木はみるみるうちに成長していく。

 瞬く間に巨大化をつづけたそれは、すぐに数百メートルを超す、巨大で太く……禍々しい大樹へと変貌していくのだった。



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