ハイム王都攻略戦[2]

 ハイム王都周辺は、決して荒野のような土地ではない。

 地面は青々とした緑にあふれ、所々に木々が生い茂る――古くからの伝統と、自然の美しさが共存している。



 ただ、今では兵士の行軍に合わせて泥にまみれ、青空が美しい日にはよく映えた王城ですら、暗い雨雲のような空気を纏っていた。

 そんな中、アインとディルの二人が馬を進ませると、辺りに蹄音を響かせる。



「――ディル。この辺でいいよ」


「……ですが」



 目と鼻の先にいるハイムの軍勢を見て、ディルが心配そうにアインを気遣う。

 相変わらず、ディルやイシュタリカの者達から見れば正気を失っているようにしか思えないが、イシュタリカに対しての敵意は変わらないハイム兵。

 アインに万が一があればと思うと、彼の隣を離れる事が躊躇われる。



「大丈夫だよ。危なくなったらすぐに退くし、この距離だから攻撃も――まぁ、届かないことは無いけど、避けられる」


「そこは、嘘でも届かないと言ってほしかったのですが」


「……呆れた顔で見ないで。ちょっとした冗談だってば。ね?」


「はぁ……。冗談を言うような場所ではないかと思います」



 呆れた表情ながらも、いつものアインには安心させられる。

 自らの体に漂っていた緊張感も緩和すると、手綱を握る手にも余裕ができた。



「あははは……――あ、そういえばさ、口上戦って、いわゆる口喧嘩みたいなものだよね?」


「え、えぇ。そうなるかと思いますが」


「うーん。俺さ、口喧嘩ってしたことない気がするんだよね」



 どうしたもんかな、と言わんばかりの姿をみせ、ディルに意見を求める。



「ですが、過去にはウォーレン様や陛下を言い負かしたこともあるかと思いますよ?」


「それって別じゃない?喧嘩っていうよりは、意見の押し付け合い……みたいな感じだったし」



 アインは、海龍騒動での処罰の件や、クリスを専属護衛にするための話し合いを思い出した。

 だが、いずれも喧嘩というには違う気がしてならない。



「どっちにしろ、やることは変わらないか。前哨戦――がんばってくるよ。終わったら一度帰ってくるから、待っててね」


「……ご武運を」



 今度こそだ。

 アインがディルの傍から離れ、馬を小走りで前に進める。

 ここまでの間みないようにしてきたが、すでにハイムの軍勢の前方では、彼らの大将軍ローガスの姿がある。



 巨躯を惜しげもなくさらす見事な馬――その馬に乗り、馬に負けない体躯でアインがやってくるのを待っていた。



「――こんなかたちで会話することになるなんてね」



 アインが近づくにつれ、ハイム兵たちが乗る馬が鳴き声を漏らす。

 本能に近い動物ということもあってか、アインという存在の力強さに気が付いたのかもしれない。

 セージ子爵のワイバーンが怯えたほどなのだ。たかが軍馬では我慢できるはずもない。



「いっちょ、頑張りますか」




 *




 ディルと別れ、アインはひとり馬を走らせること十数秒。

 両者の勢力が居ない、中間といえる地点に近づいたアインは、ゆったりと進んでくる相手に目を向けた。

 ハイムにこの男ありと唄われる男にして、幼き頃のアインへと剣を教えた男。



 先日はロイドを相手に痛い敗戦を演じたが、彼の眼には力強さが宿り続ける。



「……」



 やってきたローガスは馬の足を止めると、馬を横に向けてアインへと視線を向ける。

 戦意を宿しながらも、どこか困惑しているような――ローガスも多くの感情に苛まれているようだった。

 口を開きそうになったものの、彼は目つきを幾度となく変えるのみで、アインと沈黙を交わすばかり。



 無言のやり取りが数十秒続いた後、先に口を開いたのはローガスだった。



「偉大なる祖の言葉を忘れ、凡愚――いや、蛮族と化したイシュタリカの王族が……何の用があってこの地に参った!」



 随分な言われようだな。

 内心では呆れ果てて笑い声でも漏らしたくなったが、アインがそれを寸でのところで耐える。

 ローガスの背後では、気を良くしたハイムの軍勢が声をあげている。



「我らが宿敵を崇め、同じく獣に落ちた者共よ――蛮勇を極めしその性根、我らは一変たりとも許しはしないッ!」



 ローガスの言葉へと重ねるように、蛮勇と口にするアイン。

 一方で、イシュタリカの軍勢もアインの言葉を聞き、ハイムを威嚇するように槍で音を鳴らす。



「……我らハイム王国の宝を連れ去った挙句、貴様らは我らの信仰すらも愚と称するか!」



 アインは、宝とはなんだ?と自問自答するが、答えはすぐに脳裏に浮かぶ。

 ティグルやエレナの事を指していると気が付くと、それをどう説明しようかと考えた。

 だが、この場において彼らの発言を口にしようとも、ローガスが信じるはずもない。



 その証拠に、赤狐を貶されたと気が付いたローガスの顔は、一目見て分かるほど興奮に染まっている。



「人の機微すら知らぬ王太子では、国の器すら知れるというものッ――。哀れな侵略者へとなり下がったようだな!」


「歴史ある統一国家とやらも、すでに死んだと見える!我らがハイムの前に立つは、すでに亡霊と化した死にぞこないか!」



 アインが口を開く前に、ローガスが立て続けに声をあげた。

 すると、ハイムの軍勢の士気がうなぎ上りと言わんばかりに高揚し、正気を失っていながらも、ハイムの名を高らかに叫ぶ。

 狂信者のように長い時間にわたって声を上げ続け、イシュタリカに向けて圧力を与える。



「亡霊、か」



 どっちが亡霊なんだ。

 哀れに見えてきた父の姿に、アインがぼそっと呟いた。



「あぁ……我らイシュタリカは、喜んで亡霊となろう」



 不敵な笑みを浮かべ、アインがハイムの軍勢を見渡した。

 イシュタリカの騎士達は、次にアインがなんと口にするのかを首を長くして待つ。



「――だが、ただの亡霊ではない。我らはイシュタリカに仇成す存在を討ち――英霊となる。我らがイシュタリカに未来をつくり、この世の果てまで届く灯りとなろう!」



 騎士の士気は圧倒的優勢に傾いた。

 騎士達はアインの言葉を聞き、海を渡ってから最高潮の高揚感を得る。

 自然と漏れ出すアインの名が止まらず、巨大な一つの集合体となりハイムを威嚇した。



「ふん……祖国を裏切った者が英霊となる?笑わせるな!」


「……は?」


「貴様らイシュタリカは、補佐官にもハイムの裏切者をおく始末……揃いも揃ってこの様だ!貴様と補佐官だけでなく、国そのものの器すら疑えるというもの!」



 クローネの事を貶すように語ると、アインを裏切者と称したローガス。

 唐突の言葉にアインが戸惑ったが、彼女たちの事を指すと気が付くと、強く歯をかみしめる。



 ローガスはが口にしたのは、会談の日に知り得た情報だ。

 というのも、クローネは自らの意思でイシュタリカを目指したということで、それをローガスは裏切りと称する。



「――言うに事欠いて、それかよ」



 この戦場で口にすることか。

 浅ましさ、気の毒さ、それでいて不憫に感じる切なさを抱き、少しばかりの苛立ちを込めてローガスを見つめる。



「……国と国の誓いすら守れぬ男に、その言葉を――裏切り者だと口にする権利はない!」



 もはや、王太子アインと大将軍ローガスの口上戦ではなくなっている。

 いっときの会話に、アインの心にとめどない何かが流れ込んだ。



 赤狐の影響がなくとも、今のようにアインを――そしてクローネをも貶しただろうか。

 小さな興味が生まれ出るが、重要なのは今を考える事だ。

 揺れ動く心を律し、感情的にならないようにとローガスに答える。



 だが、ローガスも引くことなく口を開き、アインに詰め寄った。



「口だけは達者だな。だが、それだけでは――」



 ――祖国を裏切った?



 アインは少しばかり考えてしまった。

 自分の祖国とは、やはりハイムだったのだろうか……と。

 だが、アインの心の中で答えは決まっていた。



「……決まってるさ。考えるまでもない」



 ――これから先も、イシュタリカでずっと幸せに暮らしたい。



 心の中をこうした想いで満たすと、不思議と、胸がすっと透き通ったような感覚に浸れた。

 すると、父だった男――ローガスの言葉に心を揺らしたことを恥じると、晴れやかな表情を浮かべる。



 あぁ、そうだ。

 自分の祖国は既にイシュタリカだ。



 はっきりとこの感情を思い出し、心に一本の芯が通る。



「だが、それだけでは幼子であろうとも出来ること!貴様らイシュタリカが――」



 ローガスがアインを煽ろうとした刹那。

 天を仰ぎ見たアインが手で制すると、屈託のない笑顔の後に、ローガスが後ずさるほどの迫力を込めて口を開いた。



「いや、もういい。……あまり強がるな」



 あまり大きな声ではないものの、アインの声が遠く離れたロイドまで伝わった。

 風に乗ってか、それとも別の何かの要素だろうか。

 この時の事は謎が残ったが、辺りの人々が例外なくアインの声を聞いた。



「獣はな、強い敵を前にすると……威嚇を止められないんだ。だから、それを止めろというつもりは無い」



 今日一番の煽り文句を口にしたアイン。

 すると、射殺すような瞳を向けたローガスを見て、アインは言葉を更に続ける。



「さっきは、我らの器まで論じてくれたが……教えてやろう」



 先程のローガスの言葉に、アインが王の覇気を込めて答える。



「我らの器は、大陸イシュタルの雄々しさそのものだ」



 ローガスは反論を唱えようとしたのだが、アインがみせる不可思議な圧力の前にだんまりを決め込んだ。

 静けさを取り戻していたイシュタリカの騎士たちは、アインの言葉に再度盛り上がりを見せる。



 イシュタリカだけでなく、ハイムの――そこではアインのみが口を開くことを許されたような、威圧的な空間が作られる。



「だからこそ、俺はお前たちと分かりあう気はない。お前たちの価値観を知りたいとも思わない」



 アインは踵を返すように馬を進めると、ローガスの傍からゆっくりと離れていく。



「……流れる血や汗、骨の髄に至るそのすべてが――我らがイシュタリカそのものという証明だ」



『戦友の顔を見ろ。その身に纏う鎧を見ろ。皆の目に映る総てが我らの誇りだ』



 先日のアインはこう口にした。

 だが、今日はその身体全てがイシュタリカと比喩する。

 アインが剣を抜き去ってそう言葉にすると、イシュタリカの騎士たちが歓声を上げる。



「――ならば、蛮族の器とやらを我らに見せてみよ」



 体中に力を込めて、ローガスがアインの背中に声を届ける。

 すると、アインは馬を止めることなくローガスに答えた。



「あぁ、いくらでも見せてやるよ。……それと――」



 その時だ。

 空気が割れ、アインに向かって吸い込まれるような感覚に至ったのは。

 ぐらつく足元を抑えるローガスに向けて、アインが最後に言葉を投げかけた。



「さっきの事だけど、彼女の事が分からないなんて当然だ。彼女の器なんて、獣に図れるものじゃない。だから教えてあげるよ」



 ローガスが思い当たるのは一つだ。

 それは、アインとクローネを裏切者と称した件に尽きる。

 ……このことに気が付いたローガスに向けて、アインが初めて笑みを見せた。







「――クローネの器っていうのはな、クローネ自身の美しさに匹敵するんだ」



 ローガスにのみ聞こえる声で伝えたアイン。

 自らの大切な女性をこう表現すると、満足げに馬を走らせるのだった。




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