雨の降る日に。
アインがエルフの里につき、クリスの家で体を癒していた頃まで時間は遡る。
王都の墓地。その中でも、歴代の騎士達が埋葬される領域へと、今日は多くの重鎮や騎士が足を運んでいた。
「……高潔なる魂が、これから先もイシュタリカを守ってくださることでしょう――」
聖職者が祈りを捧げると、出席していたシルヴァードやウォーレン……そしてロイドといった重鎮も祈りを捧げる。
今日この日に埋葬されたのは、エウロで命を落とした一人の騎士だ。
老衰などで亡くなったということではなく、シルヴァードやウォーレン達の命令によって亡くなった者として、特例で彼らも同席している。
「では、元帥閣下」
「……うむ」
聖職者が声を掛けると、ロイドが亡くなった騎士の剣と盾を持ち、それを棺桶に収める。
今日から二日間、この地は多くの見張り付きとなるが、普通の王都民も足を運ぶことができる。
亡くなった騎士に感謝を……と考えるのは、他の民も同じだからだ。
「大儀であった。歴代の英霊と共に、安らかなる眠りに――」
ロイドが装備を納めると、同僚だった騎士が棺桶を閉じる。
それを見て、遺族が嗚咽を漏らした。
「これから先は、ゆっくりと休んでいてくれ。……さぁ、彼に暖かな布団を」
土と口にしなかったのは、ロイドなりの気遣いかもしれない。
その声を切っ掛けに、騎士が少しずつ土をかけていく。
騎士達も数人が涙を堪えきれず、それが周囲の人間にも伝染していった。
気丈に振舞っていたロイドも、両手は強く握りしめる。
「――余は、恐らくこれから先も命令することとなろう。……騎士に死ねと口にするのだ」
ロイドがシルヴァードの隣に戻ると、言いづらそうに語り掛けてきた。
「だが、止めることはできぬ。これこそが、イシュタリカの未来につながるからだ」
「……陛下。これこそが、我らイシュタリカ騎士の生き方なのです。死すことは無念であろうとも、国のために命を落とすことは本望」
「ふふ……。優しいのだな、ロイドよ」
「いえ、そのような事は」
二人は騎士達の作業を見ながら語り合った。
すると、急にぽつりぽつりと雨が降り出す。小粒で勢いのない小雨が墓地を包み込んだ。
「陛下。こちらを」
「……うむ」
ウォーレンが近寄ると、シルヴァードに外套を着せる。
「天も悲しんでいらっしゃるようです。――きっと、彼の死は無駄にならないでしょう」
「無駄にはせんさ。余がなんとしても決着をつける」
「……頼もしいお言葉ですよ。陛下」
「あぁ。……ところで、ハイムの動きはどうだ?いい加減、余もしびれを切らしそうだが」
――何度、艦隊を派遣するのを我慢したかわからん。
憎しみを込めて呟くと、ウォーレンの言葉を待つ。
というのも、ハイムの動きが分からない状況だったことから、イシュタリカも軍の派遣などを一切していないのだ。
相手がただハイムだけというなら問題ないが、赤狐がいるとなれば話は別。
なにせ、過去には魔王にも干渉していた歴史があるのだから。
「今朝の報告では、少し慌ただしくなってきたと聞きました。……もしかすると、近いうちに何か仕出かすかもしれません」
「……場合によっては、旧ラウンドハート領に攻め入って足掛かりとする。二人はどう考える」
「元帥として答えるなら、私はその意見に賛成です。――ハイムが他国に攻め入る事でもあれば、その隙を使うのが最善かと」
「えぇ。私も同意見ですな。しかしながら、魔道兵器を利用しての攻城などを主軸に置きたく思います」
純粋に人が相手ではないからこその慎重さだった。
魔導兵器……艦隊にある主砲のように、魔石を利用して武力を行使する兵器の事をさすが、騎士を犠牲にしないためにも、ウォーレンはこうした提案をする。
「うむ。それでよい。悪いが、状況によってはハイム国民のことを守ってはやれぬな」
「……陛下。そうするしかないのです。我らイシュタリカ騎士が守るべきはイシュタリカの民。無益な殺生は避けたく思いますが、赤狐を追い詰めることができるならば、非情な判断も……避けられません」
シルヴァードの言葉に、思いつめた表情でロイドが答えた。
「いざとなれば、ロックダムなどの国に協力を申し出ることも検討いたします。そうすれば、現地の情報も得やすくなりましょう」
最後にウォーレンが答えると、シルヴァードとロイドの二人はすぐに頷く。
すると、シルヴァードの視線は、土をかけていた騎士達に向かう。
「……終わったようだな。――ロイド、遺族の許へ行ってきてもよいぞ」
「へ、陛下?ですが、それでは陛下の護衛が……」
「構わぬ。これほど多くの騎士が近くにいるであろう」
戦力を言えば、この場にいるのは、イシュタリカの騎士の中でも最高戦力が揃っている。
つまり、外敵の襲来を警戒するのはあまり必要がなかった。
「余も墓前に向かう。一言、声を掛けるぐらいさせてもらうとしよう」
「陛下……。承知致しました。格別のご配慮、感謝致します」
こうして、ロイドは深く頭を下げてから歩き出した。
目指す先には亡くなった騎士の遺族がいる。元帥として、そして亡くなった騎士の上司として……ロイドは遺族の許へと向かった。
「では、向かいましょうか」
「うむ。そうだな」
ウォーレンが先を促し、シルヴァードも足を進める。
芝生を踏む音に混じって、泥を踏む水っぽい音が耳に伝わる。
徐々に曇り空が広がってきた王都は、ここにいる者達の気持ちを代弁しているように感じられた。
一歩一歩が重く、墓前までの距離が目に見えるよりも遠く感じる。
シルヴァードの呼吸が自然と小刻みになると、憎しみ、悲しみ、そして動揺など……多くの感情が蠢いた。
頬に降る小粒の雨が、申し訳程度にシルヴァードの熱を抑えるのだった。
「――ロイドも申しておったが。余からも伝えよう」
大儀であった。シルヴァードはこう呟く。
すると、跪いた騎士の肩に手をかけるように、シルヴァードが墓石に手を置いた。
王や宰相が出席することも異例の事態だというのに、シルヴァードがこうした行動を見せたことで、遠巻きに見ていた騎士達はもう一度涙を流す。
頬を流れる水。
それが雨なのか涙なのか、どれが正解かはシルヴァードにしか分からない。
だが、墓石に置いた手は静かに震えていた。
ウォーレンはこのシルヴァードの姿を見て、斜め後ろに立ち、ただじっと寂しげな表情を向けるばかり。
「初代陛下の御許にて、我らを見守っていてくれ」
目を伏せてそう口にすると、数秒してから振り向いた。
力強い瞳でウォーレンを見つめ、覚悟を秘めた様子で一歩を踏み出す。
「別れは終えた。城に戻り、急ぎハイムについての会議を行う」
「――はっ。お心のままに」
より一層の気合が入ったようで、早速会議に向かうと口にした。
ウォーレンも同じように答えると、シルヴァードの一歩後ろに控える。
「なんとかして、奴らを追い詰める策を考えて見せましょう。――……む?」
すると、歩き出してすぐの事だった。
背後から、無理に板を割るような音が鈍く響くと、泥が地面に落ちたような音がウォーレンの耳に聞こえる。
どうしたのだろう、そう考えてウォーレンが振り返ると……。
「陛下アァッ!」
「なっ……ど、どうしたのだウォーレンッ!?急に何を……っ」
シルヴァードからしてみれば、一瞬の出来事だ。
突然ウォーレンが自分の背中を押したと思えば、覆いかぶさるように自分の背中に身体を乗せた。
当たり前のようにシルヴァードが声を上げる。……だが、ウォーレンからはいつものような返事が届くことが無かった。
シルヴァードが慌てた様子をみせるが、騎士達が目を変えて剣を抜き近寄ってくる。
一体何事かとシルヴァードが首を振るが、背後で何が起こっているのかが分からない。
そうしていると、この状況に気が付いたロイド。身体を大きく動かすと、大きく叫びながら剣を抜いて走り寄ってきた。
「へ、陛下ッ……陛下ァアアアア!」
鬼気迫る表情で近寄ると、先に近寄ってきたはずの騎士より早くロイドが剣を振る。
「うおああああああ!ああっ!――……ぬあああっ!」
地響きが鳴るほどの勢いで大剣を振り回すロイド。
金属が引き裂かれるような音が響き渡るが、それから先も、しばらくの間剣を振り続けた。
「ロ……ロイド!なにが、なにがどうなっているのだっ!」
「誰か!誰か、マジョリカ殿を呼んで来いッ!この魔物(・・)の特徴を伝え、陛下の名の元にお連れしろ!」
主君の声に答えることなく、ロイドが騎士に指示を出した。
すると、数人の騎士が慌てた様子で墓地を後にする。
「ぁ……はぁ……っ……ぐぅ……」
――なぜ答えない!
シルヴァードはロイドにもう一度声を掛けようするが、背中に居るウォーレンが苦しげな声を漏らす。
ふと、それで冷静になったシルヴァードは、自分の背中が生暖かい何かで濡れていることに気が付いた。
「バーラ殿もだ!急ぎ呼んで来い!大通りを通り、途中で合流できるようにしろ!」
「ロ、ロイド!一体何が、何が起こっているのだ!?」
胸騒ぎが止まらず、ロイドよりも大きな声で彼を呼んだ。
「っ……へ、陛下っ!……ご無事で、ご無事ですか……!?」
珍しくロイドも慌てている。
落ち着かない呼吸で倒れたシルヴァードの顔の傍に寄ると、両ひざをついて両手でシルヴァードの顔に手を当てた。
「な、なにを言っているのだ……?余はなんともないが、一体なにが……何が起こったのだ!」
「はぁ……はぁ……そ、それは何よりです……。誰か!誰か清潔な布を!急ぎ止血を!」
「清潔な布?止血……?――まさか、ウォーレン……!ウォーレンッ!」
シルヴァードが慌てて声を漏らせば、ウォーレンという男は必ず慌てて返事をするはず。
だが、今となってはその声なんてものは届かず、それどころか、苦しそうな喘ぎ声すら耳に届くことはない。
鼓動が弱弱しく伝わるが、それはつまり、ウォーレンの体が弱っているということの証明だった。
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