[閑話]夜の城下町をあなたと。
「……王太子殿下?」
呆れた表情を浮かべ、クローネがアインへと視線を向けた。
早速、アインはクローネの執務室へとやってきたので、予定通りにクローネを誘ったのだが……。
「もう一度、仰っていただけるかしら?」
あ、これ怒ったかもしれない。
クローネは紙の束をトン、トンと整理すると、とても魅力的な笑顔でアインを見つめるのだった。
「で、ではクローネ様。我々はこれで……」
「えぇ。お疲れさまでした」
女性の文官がそう口にすると、何とも言えない表情でアインに頭を下げて退室していく。
大丈夫。怒ってても相手はクローネだからね。……と、力強く微笑むと、アインも彼女の事を見送った。
「――ご武運を」
すれ違いざまに応援を貰い、アインは小さくありがとうと呟く。
「……何よ。内緒話なんかして」
分かりづらいように振舞ったつもりだが、すれ違いざまのやり取りにクローネも気が付いた様子。
すると、明らかに不満という声色で語り掛けてきた。
「頑張ってください……だってさ」
下手に隠すのも悪い事だろう。
可愛らしく不満げにしているクローネに対して、あっさりとやり取りの内容を口にする。
嫉妬してくれたのかと思い、アインが嬉しそうにクローネに近寄る。
「それで、もう一度言えばいいんだっけ?」
「……えぇ。お願い致します。この忙しい時期に、王太子殿下は何をご所望なんでしょうか?」
「え、だからデート行こって言ったじゃん」
ケロッとした口調でアインが答える。
ハイム関連の話が続く中、クローネにも多くの仕事が舞い込んでいる。
自分が知る中では、アインも同じく仕事が忙しいはずだというのに、そんなときにデートに行こうというセリフを口にするとは思わなかった。
「――ねぇ、アイン」
深くため息をつくと、言い聞かせるように優しく声に出す。
「アインも忙しいでしょ?ほら、机の上には私の仕事も溜まっちゃってるの。……お誘いをいただけたのは本当に嬉しいわ。だけど、今は難しいと思うの」
「それも分かってて来てるんだよ。……ほら、半分もらうよ」
「あ……ちょ、ちょっと?急に何を――」
クローネの目の前の机に近づくと、アインは紙の束を手に取り、それを手に取って別のテーブルに向かう。
すると、胸元からペンを取り出して、書類の内容を確認してサインをしていった。
「半分俺がやる。夜には終わるだろうし、偶には暗くなってから外に出るのも悪くないよ」
「……本気なの?」
「はは……本気だから手伝ってるんだけどね」
「で、でもアインだって仕事が残ってるはずじゃ……」
王太子の補佐は誰だと思っている。
他でもない自分なのだから、アインが受け持つ仕事の量だって知っているのだ。
だからこそ、自分の仕事を手伝うよりも、アイン自身の仕事を終わらせてほしいと思った。
――しかし、アインはやると決めたら行動力のある男だ。
「必要な分は終わらせてきた。ウォーレンさんにも渡してあるから、咄嗟の嘘なんかでもないからね」
「う、嘘。結構あったはずなのに……」
バルトに行った時なんか、明らかに自分の方が出来ていたという自負があった。
だというのに、こうまでするアインの行動力に驚かされる。
呆気にとられると、クローネのペンも動きを止めた。
「それで?クローネが断る理由って、忙しいからってだけだよね?」
「――う、うん。そうだけど……」
「じゃあ、終わらせれば外に行けるってわけだ。そういえばさ、夜に二人で城下町を歩くなんて初めてじゃない?」
「……護衛が付いてくるでしょう?」
「いや、多分目に見える護衛は付かないよ。ウォーレンさんの部下が距離を空けて付いてくると思うけどね」
「不用心すぎるわ。デートはしてもいいけど、でも護衛は付けないと」
書類を片付けながらアインは会話を続ける。
結局、クローネはアインとのデートを承諾してしまうが、護衛を付けるべきだと難色を見せた。
「クローネはさ、ロイドさん以上に強い人を知ってる?」
勿論、貴方の方が強いわ。
声を大きくそれを口にしたかったが、アインの言葉……その真意はまた別のような気がした。
数秒迷ったクローネは、自信なさげにこう答える。
「……きっと、魔物とかでない限りは居ないと思う」
「はは、そっか」
すると、アインはクローネの返事に満足した様子を見せ、うんうんと頷いて機嫌よく答える。
「じゃあ、大丈夫だよ。不用心って思うだろうけど、それなら俺を殺せる人は居ないから」
*
アインは随分とラフな格好に身を包むことになったが、存在感までは隠し切れない。
綿で作られたパンツに足を通すと、上には白いシャツ一枚を見に纏った。
気分が高揚しているせいか、若干火照った体を冷やすためにも袖を一段捲る。
腰にはいつものようにマルコの剣を携えているが、その姿だけならば特に目立つ格好ではない。
ただ、着ている人物の存在感に問題があるだけだ。
ちなみに、クローネは細身のワンピースに身を包むと、腰のあたりでリボンのように紐を結んでいた。
幅広なストールを肩に掛け、寒くならないようにと気を使った。
また、それは露出が多くなりすぎないようにという、そんな配慮にも一役買っていた。
これはオーガスト商会で取り扱いのある服装であり、それはつまり、普通に市販されているという事になる。つまり、特別目立つ服装ではない。
ただ、こちらも、来ている人物に花あり過ぎるという問題があった。
「普通に目立ってるんだけど。どうして?」
「……目立たないはずないでしょ」
明らかに纏う空気が違う二人を見て、王都の民はすぐに気が付く。
気軽に声を掛けたり近寄ることは無かったが、頭を下げていく人物や、アイン達の事を口ずさむ者は多くいた。
「だから、目立ちたくないならローブを羽織るとかしなきゃ……」
「んー……。それだと、なんか違う気がするんだよね」
「――違うの?」
首を傾げてアインを見上げる。
二人はこうした会話を続けながら、人通りが少ない通りに道を変えた。
小奇麗に整理されたこの道は、貴族向けの店……つまり、高級店が立ち並ぶ人通りの少ない道。
進み続けると、マジョリカ魔石店も見えてくる通りだった。
「なんか、それだとデートっぽくない。隠れてコソコソしてる感じで、俺の予定と違う」
「……指摘したいことだらけだけど、よく陛下が許可してくださったわね」
「ん?お爺様なら、お小遣い渡そうとしてくれたけど……」
「陛下……」
王族の自由さを感じ、クローネが頭を抱えた。自分が考えすぎなのかと思い、少し困惑してしまう。
しかし、シルヴァードの場合は、アインの事情(魔王)を知っていることもあり、ある程度は楽観視していたのだ。
もし、赤狐が王都を攻めてくれば……という心配は意味が無い。
というのも、ここまで攻め入られてしまえば、そもそもとして護衛が意味をなさないからだ。
「自分のお金はあるから、貰ってきてないけどね。――でも、断った時のお爺様が少し悲しそうだった」
「……また機会があったら、今度は貰ってあげていいと思うの。それで、陛下にお土産を買って帰りましょ?」
悲しそうにしているシルヴァードを思い浮かべ、クローネは不憫に感じてこうした案を口にする。
「あー……そっか。そうすれば角が立たないのか」
勉強になったらしく、アインが笑みを浮かべて頷く。
シルヴァードの日ごろの苦労を思えば、孫に小遣いをやる贅沢を奪うのも可哀そうだ。
アインが納得したのを見て、クローネも笑みを浮かべる。
「ところで、急にどうしたの?」
「急に?っていうと?」
「分かるでしょ?デートの事。急に私の執務室にまで来たんだもの。初めは、何か事件かと思ってドキッてしたんだからね?」
「――我ながら、いきなり行ったことは申し訳ないと思ってるんだけどね」
ばつが悪そうに笑うと、照れたように空を見上げた。
「それで、どうしたの急に。そんなに私と一緒に居たかったの?」
ほんの悪戯程度の気持ちだった。
アインが慌ててくれればそれでよし。そんな、いつも通りのやり取りのつもりだったが、今日のアインは素直に答えるのだった。
「うん。そうだよ。だから急いで誘いに行ったんだし」
「――っ!」
一つ文句を言うならば、不意打ちは勘弁してほしい。
クローネの心が、会談の時の続きをしたくなってしまう。勿論、城下町のど真ん中でそんなことをする気にはならないし、我慢しなければいけない。
不条理な怒りだが、そうした感情を抑えんがため口を堅く閉じると、切なそうな瞳で眉間にしわを寄せた。
「……ばか」
「あ、あれ……?俺、いま馬鹿って言われた?」
驚きをあらわにしてクローネを見ると、クローネはぷい、と顔をそらす。
「……ばかばか」
「ちょ、ちょっと?こっち見てってば!それと、今絶対続けて馬鹿って言ったよね!?」
つーん、とした様子で無視をすると、指先で髪の毛をくるくると弄る。
アインはその仕草を見て、クローネの機嫌が悪くないという事に気が付いた。
どうして不満そうなのかは分からなかったが、少し不貞腐れているのだろう。そう考えることにした。
「ほら。せっかく綺麗にしてきたんだから、そうしたら崩れちゃうよ?」
クローネが遊ばせていた指先を握ると、少し強引に振り向かせる。
「あっ……も、もう」
女性の扱いに慣れてきたのは少し寂しく思うが、アインが心を揺さぶってくる事実はどうしようもない。
実際のところ、揺さぶられるのに喜んでる自分もいて、想いが育ち続けているという自覚もあった。
「――ほんと、アインの方がすっかり大きくなっちゃったのよね」
「いやいや……いつまでも小さいままだと、格好もつかないでしょ?」
「あら。別に小さいのもいいじゃない。可愛らしくて、頬っぺたも柔らかそうだったし」
「ははは……男としては、可愛らしいって言われると素直に喜べない感情もあるからね」
「そう?いいじゃない、可愛くても。――……そういえば私ね、昔は一つしたかったことがあるの。……今では無理になっちゃったけど」
「したかったこと?」
機嫌を直したのか、クローネが上機嫌でアインの隣を歩く。
大通りを避けたおかげか、アイン達を注目する人もいなくなり、二人はこれまで以上に自由に振舞っていた。
「えぇ。――というのも、小さかったアインを、人形みたいに抱きしめてみたかったの」
「な、なるほど……確かにもう無理だ」
意外と大胆な事を口にされると、アインは一瞬たじろいでしまった。
「念のために伝えるけど、今のアインが嫌とかそんな気持ちは一つも無いの。昔はほら、貴方が王太子だからって我慢したり遠慮してた時期もあったでしょ?。だから、そうした欲求を叶えることはできなかったもの」
遠慮と聞くと、アインはクローネと再会した日のことを思い出す。
思えば、再会したときは膝枕をされていたはずだ。むしろ、そのままの状態で抱きしめられても良かった……と考えるが、照れくさいので口には出さない。
照れくさい言葉と、照れくさくない言葉の境界線。それがどうにも曖昧で困ってしまう。
「――でも、今しちゃうと意味が変わっちゃうものね」
くすくすと笑うと、吹っ切れたようにアインを見る。
「さてと。殿下。……もしよろしければ、エスコートしていただけないかしら?」
クローネはそう口にすると、遊ばせていた右手をそっと差し出した。
まぁ、人通りも少ないしこれぐらいなら許してもらえるだろう。と判断したのだ。
すると、アインはすぐさま手に取ると、流れに任せて手を握る。
自然と指が絡まり合い、手のつなぎ方ひとつとっても距離感が良く分かった。
「……ねぇ」
「ん?なに?」
「王太子だもの。多少手慣れててもしょうがないのだけど、手慣れ過ぎてないかしら?」
「……え?」
「え、じゃなくて。その、エスコート慣れしすぎてない?」
今日のクローネはこういう日なのだ。
面倒くさい女だなと自覚があったが、相手がアインなのだから気にならないはずもない。
とはいえ、アインに甘えっぱなしの日があってもいいか。と楽観視しているように見える。
「そりゃ、ね。パーティの度にエスコートしてれば慣れるよ」
「――いつの間に、貴族の女の子にそんなことをしてたの?」
「うーん、でも、クローネが考えてるような事じゃないかなーって思うけどね」
へらへらと笑うアインを見て、クローネが握った手に力を籠める。
二人は指の一本一本まで感覚が研ぎすまされ、温かみや感触が強く感じられた。
「……それじゃ、エスコートしたってどういうことなの?」
「クローネも分かってるでしょ。俺の場合、エスコートする相手はお母様だよ。後は、たまに駄ね……カティマさんとかね」
カティマを駄猫と言いそうになったのを隠したアイン。
いつものクローネなら苦言を呈するかもしれないが、今日のクローネは、それ以上にアインの事情に興味が向いている。
「な、なんだ……オリビア様の事だったのね……」
安心したクローネが、その安堵を滲ませるようにギュッとアインの手を握る。
アインも優しく握り返すと、クローネに落ち着きを与えた。
「……よかった」
「クローネ。今何か言った?」
「――ううん。なーんにも!」
小さく良かったとつぶやいたクローネは、アインの言葉に楽しそうに返事を返す。
そうして、アインの手に両腕を絡ませて口にするのだ。
「そういえば、見たい服とかあるの。付き合ってもらえるわよね?」
「あぁ。もちろん、時間が許す限り」
クローネの感触がアインの腕に伝わるが、元気に歩き出したクローネを見て、アインも歩幅を広くとる。
愛おしそうにアインの腕を抱くと、クローネは上機嫌なまま足取り軽く前に進んだ。
「じゃあね、じゃあね……!先ずは、あっちの方から行きましょ!」
「ははっ……。お手柔らかに頼むね」
城下町に繰り出した時間は遅かった。
そのせいもあってか、二人の時間は瞬く間に過ぎる。
だが、この日の事も忘れられない一日になったのは語るまでもない。
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