まぁ、言いつけは守ってますので。

 ティグルの驚いた声を耳にしたハイムの重鎮たちは、慌てた様子で箱の中身をのぞき込む。



「……ウォーレンよ。これは一体、どういうつもりだ?」



 合点がいかないラルフは、睨み付ける様にウォーレンを見る。



「万が一、私の言葉に満足出来なかった場合はお使いください」


「つ、使えと申されても……。貴様、何のつもりだ……」



 ラルフが言い淀むほどに、その中身は意外性に満ち溢れていた。

 こうした場で無ければ見慣れている物だが、こんなものを渡されても、その意図が掴めない。



「……ウォーレン殿。失礼ですが、私もこの品の意図が分かりません。教えていただけないでしょうか」



 すると、エレナが口を開き、その品についてを尋ねる。



「ん?エレナ殿は、それを見たことがありませんか?」


「い、いえ。もちろん見たことはございます。なにせこれは……」



 エレナが続けてウォーレンに尋ねる。

 冷遇していたはずのエレナだったが、こうしてウォーレンに尋ねれくれたのは有難かった。



「これは、"ナイフ"です……。さすが、イシュタリカの物というべきでしょうか、結構な業物とお見受けしますが」



 箱に入っていたのは、ただのナイフだ。

 言葉を添えるとすれば、切れ味がよさそうで、高級そうなナイフという事。



「おぉ!さすがはエレナ殿。仰る通り、それは職人が作り上げた一品でして、切れ味は保障致しますよ?」


「……ですので、これを我々に手渡した意味を教えていただけないかと」



 エレナの率直な感想は、ウォーレンと語り合うのは疲れるという事だ。

 それはウォーレンの性格が悪いという意味ではなく、あくまでもその独特な話運びについてだ。

 一々、惚けるように間合いを持たせるのが、どうにも憎らしい。



「簡単な事です。今日の会談で、私の話に納得して頂けないのであれば、それを使ってくださっても結構ですよ。という意味です」



 そう口にすると、ウォーレンは自分の左胸を主張する。



「ここです。ここに一刺しでもしてくだされば、貴方達ハイムは、もしかすると別の道を歩めるかもしれない。そういうことですね」



 何を馬鹿なことを言ってるのだ。

 ハイムの一行は、例外なくこうしたことを考える。

 いきなりナイフを渡され、納得できなければそれを使えと言われても、その言葉に理解できる者がいるだろうか?



「……このナイフを使う必要。その可能性があるのですか?」


「さぁ、どうでしょう。必要あるとすれば、それはハイムのお返事次第かと。……さぁ、

席にお座りください。本日の会談を始めましょう」



 後はもう、返事をする気が無いように見えた。

 ティグルやラルフは、意味が分からないながらも、話が進まないことを嫌い、ウォーレンの言葉に従って席に着く。

 エレナは不満げながらも、後に続いて席に座った。



「ウォーレンよ。そちらはまだお主しかおらぬようだが、会談を始めるというのか?」



 ラルフが口を開き、イシュタリカ側の重鎮が、ウォーレンしか居ないことを指摘する。

 背後にいる黒づくめの集団も気になったが、護衛としているのだろうと考え、それについては指摘しなかった。



「えぇ。今日の会談は、イシュタリカからは私だけですから」


「……昨日から考えていたが、貴様は我らを舐めすぎではないのか?」



 あまりにも傲慢な態度に、ラルフも苛立ちを露にした。

 だがそれでも、ウォーレンは全く意に介する様子を見せない。



「残念ですが、舐めているわけではないのです」


「ふん。どうだかな……!それに、舐めている訳で無いのなら、どう考えているというのだ」



 ——……では、お教え致しましょう。



 ウォーレンがそう口にすると、彼は初めて、敵意を込めた眼光を向けた。

 こんな姿を見せるのは初めてで、それこそ、アインやシルヴァードですら、目にしたことが無い顔つきをしていた。



「友好関係にもない、ただの格下相手だ。本来ならば、陛下やアイン様が同席することすら、貴方達には勿体無い事と知りなさい」



 エレナやティグルが考えるウォーレンという男は、常に冷静沈着で、敵意なんてものは表面に出さない人物。

 それでいて、会話の中に剣を隠し持つ、純血種の文官と考えていた。

 だというのに、先程見せたウォーレンの眼光は、まるで魔物のように獰猛で、自分たちを狩りに来たように錯覚させた。



 その迫力と言葉に呆気にとられ、ラルフは口を開け閉めすることしかできない。

 だが、一足先に正気に戻ったエレナが、ウォーレンの言葉に反応した。



「ウォーレン殿。……貴方の発言は、見る者によっては戦争を求めているように感じられます。それは、イシュタリカの文化や理念から言っても、避けるべき事ではないかと」



 毅然とした態度で、ウォーレンの言葉に反応を投げかける。

 だが、それでも彼の様子が緩和する気配は無かったのだ。



「場合によっては、それも致し方無いかと。その致し方ない状況とならないことを、祈っておりますがね」


「っ……ウォ、ウォーレン殿……!?」



 ——最悪の返事。一番耳にしたくなかった答えだ。



 強気になった?いいや、違う。

 きっと、今のウォーレンがハイムに見せているのは、イシュタリカという国の強さだ。

 その言葉を口にしても、相手が怯むという自信があるからこそできる、強者にのみ許された対応。



 エレナは気持ちを切り替えた。

 目の前に居る老人は、ただの老人じゃない。

 イシュタリカという大国の、強さの象徴なのだと。



「もう一度言います。初代イシュタリカ王の言葉は、貴方達イシュタリカにとって、何よりも順守すべき事ではないのですか!?」



 ティグルやラルフが口を開けなくなっていたため、エレナが続けてウォーレンとやり取りをする。

 だが、そのエレナも動揺が大きくなってきたのを感じる。

 この流れは非情にまずい、どうにかしないといけない……。そう、頭の中を必死に動かした。



 イシュタリカが我慢の限界。

 そしてハイムが、イシュタリカが先制攻撃を仕掛けないという事を信じすぎていた。

 都合のいい事を信じ続けて来たツケが周ってきたのは分かっているが、ここまで来てしまっては、それに頼るしかないのだ。



「"まだ"、その致し方ない状況にはなってませんから。——……まずは、席に置いた資料に目を通していただけますか?先に、少し自慢させていただきたいのですよ」



 それを聞いたハイムの重鎮たちは、例外なくその紙を手に取った。

 書かれているのは、賛成派と書かれた箇所と、反対派と書かれた箇所。

 最後には、そのどちらとも言えない層がまとめられている。



「……この資料について、ご説明を頂けますか?」



 嫌な予感しかしなかったが、エレナはウォーレンに説明を求める。



「えぇ、勿論です。……その資料の内容を答えたのは、イシュタリカの貴族達です。見事なものでしょう?」



 エレナはそれを聞くと、もう一度紙に視線を戻す。

 そんな資料を用意していた?やめてくれ、どちらが優勢かなんて、見たくもない。



 だがそれでも、紙に書かれた内容を見ないわけにはいかない。

 エレナは食い入るように、紙に書かれた内容に目を通す。



 この時分を狙っての資料の提出。

 書かれているのは、賛成派の文字と反対派の文字。だがそれは、わかりやすく数字が偏っている。


 

 ウォーレンの先ほどの態度と併せて、この資料だ。

 イシュタリカ貴族がハイムに抱く感情、ハイムの一行は、それを突きつけられたと感じたのだった。



「ただ、アイン様の件をどう思うか。それを尋ねただけですが、中々興味深い数字が上がりました」



 ウォーレンの声を聞きながらも、ハイムの一行は資料を食い入るように見つめる。

 その中でも、エレナはすぐに書かれた内容について理解した。

 それが、最悪な内容だったという事を。



「エ、エレナ。これはまさか……ハイムに攻め込むことについての、賛成派と反対派の数……なのか?」


「たった今、ウォーレン殿は、王太子アイン様の件と口にしましたから、恐らくはその通りかと……」



アインはマグナの民にとっては英雄だ。

そして王都は、アイン達王族の人気が高くても当然の地域。

この二つの都市が飛び抜けているという事は、分かりやすい結果と言えよう。



「……港町マグナ。それに王都の貴族たちは、七割を超えて賛成派なのですね」



 ウォーレンは、頑なに言葉を選び続けているように見えた。

 それもそうだろう。言い方によっては、初代イシュタリカ王の言葉を全て否定しかねないのだから。



「その資料は、一年前の内容です。マグナは特にですが、恐らくその数字も跳ね上がっていることでしょう。なにせ、アイン様の人気の高さはうなぎ上りですから」



 海龍討伐の英雄。

 その英雄が地元マグナの人間たちから、人気が上がらないはずがないのだ。



「ま、待てっ……!一体どれが、我々の行いのどれが、攻撃的な行為と見做されるというのだ!」


「おや、話が変わりましたね。ですが、その件ですか……ふむ……その件に関しては」



 ティグルの声を聞き、ウォーレンが一瞬考えた様子を見せた。

 話が変わった?だが非情な事に、今のハイムにはそれを気にする程の余裕がない。

 今はただ、この話を終わらせるために全力を尽くすのみだ。



「考えるならば、密約を破ったという事。そして、イシュタリカ王家の血を引く者に対しての対応です。付け加えるならば、エウロでのティグル王子の件も、参考程度に追加しておきましょうか」



 エレナは頭を抱える。

 それを指摘されては、何も反論ができないじゃないか、と。



 密約を破ったのは決定打だが、その後の二つに関しても、受け取り手によってはそうなっても仕方ない。

 むしろ、今までが見逃されてきただけなのだから。



「それが攻撃行為だと、イシュタリカ王が考えたのか!?」


「いえ。現状では、陛下のお考えではありませんよ」


「ふ、ふん……!貴族だけなのではないか!ならば簡単な事だ、イシュタリカ王が望まぬならば……っ!」



 ティグルはまだ強気だった。

 一方、エレナとしては全てを諦めたくなってしまう。

 今まで見逃されてきた部分があるだけで、こうして出られてしまっては、なんと反論すればいいのかと、その答えも見つからない。



「私(わたくし)、ウォーレンが持つ命令権について、お教え致しましょう。基本的には、王位や王太子に次ぐ権限です。艦隊を動かすことができれば、それを組織するための権限も持っています」



 ティグルに答える前に、ウォーレンが淡々と言葉を口にする。



「初代陛下のお言葉はとても重い。ですから、いざとなれば、"私だけ"が毒となればいいのです」



 ——……あぁ、今日のウォーレン殿は最悪だ。



 エレナが考えうる、聞きたくない事ばかりを口にするウォーレン。

 今の言葉の真意を理解してしまい、エレナの考えは決まった。

 もう、自分たちに出来る事は一つだけなのだ。



「幸いにも、王太子殿下がおります。もしも、私がイシュタリカの毒となろうとも、あのお方ならば、その毒も浄化してくださることでしょう」



 脳裏によぎるアインの姿。

 自慢の王太子の姿を思い浮かべると、ウォーレンは一瞬だけ笑みを浮かべる。



「エレナ殿。この毒という言葉の意味、それを理解できますね?」


「……理解したくありませんが、してしまいました」


「ははは……それは結構」



 ツケが周ってきたという事なのだろう。

 ハイムが自由にやってきた、そのツケというやつが。



「私の命令権があってこそ、"いざとなれば"、私は毒となれるのです」



 明言はしていないが、これは脅しだ。

 こうした脅しも好まなかったウォーレンが、ついにその牙を剥いたという事だ。



 そもそもとして、密約を破った時点で、攻め込まれてもおかしい話ではなかったのだ。



「そうか……。だから今日は、王族の方たちがこの場に居ないのね」



 エレナはこう呟いて、ウォーレンがただ一人でやってきたことの意味を理解した。



 結局のところ、ウォーレンが語る内容は、黒に近い灰色。

 そうした事情があるからこそ、彼は、シルヴァード達を連れて来なかったのだろう。



「とはいっても、私たちの先制攻撃とはならないかと。なにせ、ハイムには先ほど伝えたような過去がある。時期がずれてしまいましたが、攻撃されても文句を言えない話だ。……そうは思いませんか、エレナ殿」



 エレナは答えに迷ってしまった。



 それを肯定してしまえば、自分たちの行いを悪と認めてしまうことになる。

 そして否定してしまえば、ハイムは今までと同じ行いを繰り返す事になる。



「ですがね。それを無かったことにできる、とっておきの話があるのです」



 こう語ったウォーレンは、久しぶりに優しげな表情を見せる。

 表情の落差に、一塩の安心が出来た。



 状況が危険になってきたことで、ラルフとティグルの二人は、全てをエレナに任せっぱなしだった。

 エレナとしては、こうなるならば、最初から全てを任せてほしかった……そんな気持ちを抱く。



「それは、穏便に済ませていただける……そういった意味でしょうか?」


「えぇ、勿論です。私としても、穏便に済ませられる方が有難いので……」



 なんと疑わしい言葉だ。

 脅し文句を並び立てていた癖に、こうして緩急をつけてくるのだから。



「その条件をお聞きしても?」


「畏まりました。では、条件をお伝えいたしましょう」



 ウォーレンはそう口にすると、ハイムの一行を端から端まで確認する。

 皆の表情を見終わった後、エレナたちがもどかしさを募らせた頃、ようやくになってその答えを告げた。



「まずは一つ目。我々に対する接触を、完全に絶っていただきましょう。それは、我々の友好国エウロを経由することも同意義とします。それが破られたとき、今度こそ、攻撃的行為として"処理"します」



 当然の要求だ。

 ここまでは想定できたため、エレナも安堵する。

 ただイシュタリカと関わらなければいいだけなのだ、それだけは、なんとかして守らせなければならない。



「ですので、当たり前ですが、ティグル王子にはクローネ殿の事を諦めてもらいます」


「っ……そ、それはできないっ!私がこれまで、何のために努力をしてきたと……っ——」


「それは私の考えるべき事ではございませんので、ハイムでお考え下さいませ。……それにクローネ殿は、もう未来は決まっているも同然ですので」


「未来が、決まっている……?」



 ウォーレンの言葉が、まるで人魚の歌声のように聞こえてくる。

 その声を聞いていると、自分の精神が惑わされたかのように、意識を奪われるのだ。

 


 ——……ティグルは、ウォーレンの言葉をじっと待った。



「陛下や我々は、二人の事を見守ることにしております。ですので、横やりを入れるような真似はしておりません」



 曖昧に語りながらも、そこまで説明すると、ウォーレンは咳ばらいをして、話を変える。



 ウォーレンの語った言葉。

 エレナはその真意を、アインとの仲のことだと理解する。

 だが今は、その話よりも重要な事がある。



「次に、エウロとの不可侵条約を結んでいただきます。面倒事は避けたいので、よろしくお願いしますね。こちらに関しては、エウロと関係を持つなという意味ではありません。ただ、侵害的な行為を犯してはならないという意味ですので」



 これはあまり頷きたくない話だ。

 万が一、エウロといざこざがあった時、ハイムは強く出ることができなくなる。それは正直痛い話。

 だが、頷かない訳にもいかない。



「最後に。やはり謝罪でしょうか?」



 その声には、ラルフがピクっと体を反応させた。



「たかが謝罪、されど謝罪。……無いよりはいいかと思いますので、一筆書いていただきましょう」


「……私に謝罪をしろと、貴様はそういっているのだな?」


「えぇ。そうですが……なにか問題でも?」


「き、貴様は王に対して頭を下げろと……そう申しておるのだぞっ!」



 机を勢いよく叩き、苛立ちを隠す気もなく立ち上がったラルフ。

 すると、大会議室の外側から、汽笛の音が聞こえて来た。



「……なんだ、今の音は」



 中々大きな音を鳴らしたので、ラルフもその音に耳を傾ける。

 それを聞いて、はっとした顔になるのはエレナ。ラルフが口を開いていたのも忘れ、エレナはウォーレンに対して、慌てた様子で尋ねる。



「ウォ、ウォーレン殿……!今のはもしや、イシュタリカの艦隊の音では……?」


「その通りでございます。いくつかの意味はありますが、"主"に、艦隊が出航する際の合図音ですね」



 ——……いくつかの、意味?


 

 となれば、まだ出航とは決まっていない?

 エレナは淡い期待を抱くと、ウォーレンを真っすぐと見つめる。



「……今の音は、一体どんな意味があるのですか?」



 早合点して、ウォーレンに遊ばれるわけにはいかない。

 その言葉遊びに翻弄される前に、まずはその意味を尋ねなければいけなかった。



「残念ですが、お答えする義務はございません」



 だが、ウォーレンの返事は非情だった。

 思えば確かに、それを答える必要は無い。

 そしてその態度すらも、大国イシュタリカの宰相、ウォーレンには許されることだった。



「くっ……た、確かにそうですが……!」



 エレナの様子を見て、ティグルやローガスが表情を変えた。

 願う事は、それが出航の汽笛ではないという事。だが、ウォーレンはその答えを口にしない。



「まさかウォーレンよ。お主……艦隊をっ……!」



 事の重大さに気が付いたラルフが、顔を真っ青に染め上げる。

 当たり前だが、ラルフもイシュタリカの艦隊を確認しているのだから、あの艦隊が動くと聞けば、冷や汗どころの話じゃなかった。



「……独り言なのですが、基本的には指揮官の合図が必要となります。ですので、その指揮官の口を封じてしまえば、艦隊は動きを止める事でしょう。……たとえばそう、そのナイフなどを用いて、相手の息の根を止めるなど」



 ナイフが置かれていたことの意味。

 それをハイムの一同は理解した。



 万が一、そのナイフを使ってウォーレンに切りかかりでもしたら、明確な敵対行動となり、イシュタリカは何も気にせずハイムを攻め落とせる。



「もし、私の願いを聞き入れてくださるのであれば、イシュタリカだけでなく、同じくハイムも幸せな結果となりましょう」



 イシュタリカの艦隊と、正面切って戦うのもいいだろう。だがしかし、それをする場合は、勝ち目なんてものは考えてはいけない。

 ……つまり、ハイムが生き残るためには一つしかない。ウォーレンの求めた要求に応じることだ。

 



「……くっ……き、貴様っ……!」


「父上、一体どうすれば……!」



 ラルフとティグルの親子が、憎しみに満ちた瞳をウォーレンに向ける。

 だがいつもの事ながら、ウォーレンは全く気にする様子が無い。



「エ、エレナ……!」



 困った時のエレナだ。

 ラルフはついに、情けない声を出してエレナに助けを求める。

 だがエレナとしても、こんな状況を打開する術があるはずもない。


 

 更にいえば、その汽笛の音が、出航の合図かを確認する術もない。

 例えば別の用事で鳴らしたとしよう。そうすれば、こうまで慌てる必要はない。

 だがそれがハッタリで無かった場合。ハイムが払うツケというモノは、国を失う程の大きさとなろう。



「……陛下。ウォーレン殿の言葉を、受け入れるしかありません」



 心の中では理解していた。

 ティグルもラルフも、そうするしか道が残されていないことを、理解したくないが、分かっていたのだ。

 そして、エレナにそのとどめの一言を告げられて、二人は力なくその言葉に頷く。



「……ウォーレンよ、その条件を飲もう。だから、艦隊を止めてくれ……っ!」


「ち、父上……」


「馬鹿者!ティグル、お前も頭を下げるのだ……!」



 一国の王が頭を下げるという姿。

 それはエレナたちに取っても初めて見る姿だ。

 皆は一瞬、呆気にとられたものの、エレナやローガス、そしてグリントも例外なく頭を下げた。




 *




 それから少しの時間が経ち、ラルフとティグルは、ウォーレンが望んだ書類に記入をする。

 謝罪については、全て二人の直筆だ。

 二人は生まれてこの方、こんな屈辱を味わったのは初めての事。

 もう少しで歯が割れそうになるほど、口元に力を込めたのだった。



「……ふん!これでいいのだな、ウォーレン!」



 投げ捨てるように、記入した用紙を手渡すティグル。

 ラルフは、すでに全てがどうでもいい様子で、つまらなそうに席に座っている。



「……ふむ、ふむ」



 渡された紙に目を通し、間違いがないかを確認するウォーレン。

 その姿すらも、殺したくなるほど憎らしかった。



「えぇ。結構です。お疲れさまでした。謝罪の書については、明日、陛下達も居る時に受け取りましょう」


「っ……チッ!」



 ウォーレンが納得したのを確認して、ティグルが席に戻る。

 それを見たエレナは、ウォーレンに艦隊の件を伝えた。



「で、ではウォーレン殿。艦隊は……——」



 ……と、エレナが語ろうとした刹那の事。

 エレナも聞きなれている声が、大会議室に響く。



「閣下。報告に参りました」



 エレナの言葉を遮ったのはリリだ。

 どうしてこんなときに……エレナはリリを、涙目で見つめる。



「はい。どうしましたか?」


「はっ。……艦隊の汽笛について、"安全確認"が終了致しましたので、そのご報告に参りました」



 ——……え?



 リリの言葉を聞き、エレナがきょとんとした顔を見せる。



「それは何よりでした。問題ありませんでしたか?」


「はい。何一つ、問題ありませんでした」



 待ってくれ、二人は何を話しているんだ。

 エレナは二人が話しているのを気にしながらも、たまらず口を開いてしまう。



「ちょ、ちょっと待ってください……!ではさっきの汽笛の音は……っ」


「……えぇ。"偶々"なのですが、今朝、安全確認をしなさいと命令をしていたものでして」



 ——にゅふふー。困ってる、困ってる。



 ウォーレンの隣に立つリリは、エレナに対してペロッ、と舌を出して見せた。



「そんなはずはないでしょうっ!だって、さっきウォーレン殿……は……」



 エレナは、この瞬間に気が付いた。

 結局のところ、仕組まれたハッタリだったという事に。

 ハイム……そしてエレナは、ウォーレンとの心理戦に敗北したのだった。



 これほどまでの悔しさは、エレナも感じたことが無い。



「ま、まさかウォーレン。お前は艦隊を出航させるつもりなんて……」



エレナとウォーレンの会話を聞き、ティグルが口を挟んだ。



「あるはずがございませんよ。そんなことをしてしまえば、ただ事では済まされませんし。それに、費用も馬鹿になりませんので、避けたいところですね……」



 ほっほっほ、と笑い声を出して、楽しそうに笑うウォーレンの姿。



「しかしながら、一応は、ハイムからこのお約束をいただきました。万が一破られることがあろうものならば、次は何も気にすることなく、陛下ご自身の命令によって、ハイムに攻め入る事が出来るでしょうから」



 形はどうあれ、ハイムは同意したのだ。

 イシュタリカと完全に縁を切ることに加えて、エウロ経由での国交も封じられる。

 更に、謝罪の件も約束をしてしまった。今更これを破る事となれば、今度こそ……という話だ。



 イシュタリカにとって、ハイムがウォーレンとの約束に同意した。

 その事実こそが、何よりも重要だったのだ。

 なにせその事実があれば、イシュタリカにとって、それ以上の大義名分は無いのだから。



「こ、このっ……!」



 ——この狸が……!



 俯いて、机を強く叩いたティグル。

 二日連続で担がれたという事実に、ただただ気を弱くしてしまうばかりだ。



「ふ、ふん!だがイシュタリカも、中々物騒な者だらけなのだな!こうして、我々との戦いを望む者ばかりだとは……!」


「ん……?いえいえ。誤解されているようですが、その賛成派と反対派というのはですね……——」




 *




「ねぇ、アイン。この紙の数字って何かしら?」



 所変わって、プリンセスオリビアの一室。

 そこでは、アインとクローネの二人が、仕事終わりの休憩を楽しんでいた。



「んー……?あぁ、その紙の事か。なんか今朝、ウォーレンさんが会談に行く前にくれたんだよね」



 クローネが手に持っていたのは、ウォーレンが大会議室に持っていったのと同じ書類。

 ただ、賛成派や反対派と書かれているそれをみて、クローネはなんの資料なのか興味を抱く。



「妙に、マグナと王都の賛成派が多いけど、どういうこと?」


「……ちょっと恥ずかしいんだけどさ」



 クローネに聞かれると、アインは照れくさそうに口を開く。



「俺の即位について、時期を早めるのに是か非か?っていうのを、意見を聞いて回ってたみたい」


「へぇ、そうなのね」


「お爺様も、退位して休める時間も悪くないとか思ってるらしくて、ウォーレンさんが調べてたらしいよ。内容がそんな話だから、公にはできないけどね」



 つまり、多くの貴族たちが、アインが王位につくことに賛成しており、それが早くなることも歓迎しているという事だった。

 ウォーレンが自慢したくなるのも、理解できる話だ。



「ふぅん……でも、すごい人気なのね、アインってば」



 機嫌よく近寄ってくるクローネを見て、アインも照れくささを増してしまう。

 


 ちなみに、反対派に関しても、別にアインの即位を否定している意見ではない。

 現状、シルヴァードが壮健であることや、人気も高いのが影響して、わざわざ、アインの即位を早める必要はないだろう。そういう意味合いとなっている。



「もう、照れなくてもいいのに」



 ハイムの一行は、またウォーレンに踊らされただけだったのだ。

 その資料について彼らが思っていたのは、イシュタリカの貴族が、ハイムを攻撃するのに賛成かどうかという話。

 だが現実には、アインの即位についての意見だったという話だ。



「ま、まぁ嬉しいけどね?」


「ふふ……。アインが慕われてると、私も嬉しいかな」



 つまり、会談の終盤に、ナイフを使って攻撃でもしようものならば、イシュタリカとしては、初代イシュタリカ王の言葉に背くことなく、ハイムを攻められたという筋書になっていたのだ。



 今頃、大会議室では、その事を聞いたティグルが、床にへたり込んでしまっているのだが、この二人には知る由もなかった。


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