ラウンドハートの当主。

「くそっ!」



 島に生える木に対して、拳をぶつけたティグル。

 夕日に赤く染まる景色すら、今のティグルには不愉快に感じられた。



「くそっ……くそっ……!」



 一番苛立ってしまったのは、自分がイシュタリカを恐れてしまったこと。

 彼らが牙を剥くという事に対して、死の恐怖を味わってしまったのだから。



「……ローガス!」


「はっ」



 すると、ティグルは思い立ったようにローガスに声を掛けた。



「昨日居たロイドとかいう男……。あの男に、お前なら勝てるだろう!」


「……と、いいますと?」


「分かり切った事を聞くな!剣で競えば、あの男に勝てるだろと聞いているのだ!」



 ローガスは言葉に詰まる。

 相手はイシュタリカの元帥だ。

 彼はその力の一端すら見せなかったが、近衛騎士達の動きを見れば、少なくとも、その近衛より数段上の実力者だろう。



 思い返せば、グリントが遊ばれた相手というのが、そのロイドの息子と言うではないか。

 グリントは生まれ持った聖騎士というスキルもあってか、ハイムでは、ローガスや一部の者に次ぐほどの実力者。

 そのグリントが遊ばれた相手の父と聞けば、ローガスも簡単な相手とは思えなかった。



 だが、それを正直に伝えるのはどうかと考える。



 今のティグルの精神状況は極めて悪い。イシュタリカに頭を下げたことに加えて、クローネとは二度と縁を持てなくなる。

 そうした事実があるからこそ、ティグルは過去最大に落ち着かない様子を見せているのだから。



「恐れながら、ティグル殿はその場合、何をお望みでしょうか?」



 グリントが心配そうにローガスを見つめる。

 そんな中、ローガスは言葉を選びながら、まずは何を求めているのかを尋ねた。



「決まっている!せめて一泡吹かせたい!イシュタリカの最強の騎士を倒し、我らの強さも示さねばならないだろう!」



 ——やはり、そういう事か。



 だがローガスとしては、それだけに勝てても意味が無いように感じられた。

 仮に、ローガスがロイドに勝てたとしても、騎士同士の模擬戦でも行えば、恐らく勝負にならないだろう。

 イシュタリカの騎士達は、それほどまでに組織された騎士であり、強さを秘めているのを感じたのだ。



「……ウォーレン殿は断った。つまりティグル殿下は、もう一度それを頼む……そのおつもりなのですか?」


「あぁ!これぐらいなら、あいつだってもう一度考えるだろう!」



 ティグルの頭に血が上っているのは、ローガスだけでなく、エレナとグリントもそれを察した。



「殿下!父の事が受け入れられなければ、今度こそ私があのディルという男を……!」


「……駄目だ。今回ばかりは、ローガスに頼みたいのだ」



 お前ではまだ力不足だ。

 ティグルは、こう口にしそうな気持ちを抑え、頑なな態度でローガスを推す。



「そ、そんな……っ」



 ティグルに拒否されたことで、グリントは悲壮感漂う表情を浮かべた。



 一方、ローガスとしても、ティグルが言いたいことは分かる。

 現状のグリントでは、危ないという気持ちも理解できた。



 ……当然ローガスも、ティグルに命令されれば腕を振るおう。しかしながら、結果に関しては何とも言えなかった。



「——ご命令とあらば、私はこの武を披露致します」



 だからこそ、今できる返事はこれだけだ。

 これ以上のことは、ティグル自身がウォーレンと相談する事。

 エレナは不満そうにしているが、彼女が口を挟むことは無かった。



 これはティグルの最後の意地だ。

 せめて一矢報いたい。そして、イシュタリカに自分たちの強さを見せつけたいという。

 ウォーレンがそれを認めるかは分からないが、ローガスの返事を聞き、ティグルは気を良くする。



「ならいいのだ。……せめてこれぐらいは、これぐらいはしてやらねば気が狂いそうだ」


「……」



 ティグルは今にも狂いそうなほど、気を悪くしている。

 その様子を見ながらも、ローガスはグリントの敗北について考え始めた。



 ——……一番気になっているのは、あのディルという男よりも、アインの方が強いという言葉。



 不思議でならなかったのだ。

 ローガスがアインに抱いていた印象は、器用貧乏な努力家。

 剣の才能は無いにしろ、努力で補い続けていた幼少期を思い出す。



 いずれはその終着点が、他人よりも早くやってくる。

 考え方や性格の問題もあるのだろうが、剣の才能だけで言ってしまえば、グリントとは比べ物にならない。



 それが成長した結果、グリントを子ども扱いした男よりも強いと言われても、やはり半信半疑な部分がある。



 海龍を倒した英雄という言葉の意味も、ハイムに住むローガスにとっては理解が追い付かない。

 それはどんな魔物なのか、そしてどれほど強大な魔物なのか。

 遠くイシュタリカで起こった事件だからこそ、その現実味が無かったのだ。



 だがローガスがどう考えようとも、イシュタリカの近衛騎士達は、アインの方が強いと口にした。

 一番考えられるのは、王太子に対する媚びのような感情。



 そう考えるなら、皆が口をそろえて述べたというのも理解が追い付いた。



 ……もしも、もしもアインがディルよりも本当に強いのならば、ローガスとしては、アインの方が気になってしまう。



「……グリント」


「はい、なんでしょうか。父上」


「エウロでの件。本当にイシュタリカの者達は、アインの方が強いと口にしていたのだな?」


「……していました。信じられませんが、それは事実です」



 念のために、グリントにもう一度確認を取る。

 苦々しい面持ちながらも、グリントは正直に答えた。



「そうか。わかった」



 ローガスは短く答えると、もう一度アインについて考えた。



 生まれ持ったスキルを利用するのは当然の事。

 だがアインがそれを使って、自分の強さに繋げる方法はなんだ?



 どうやって、戦艦よりも大きな魔物を、たった一人の男児が倒すのだろう。

 少なくともローガスには無理だ。そんなものを相手にしても、剣や人が使える魔法なんかでは太刀打ちできない。



 それこそ、十分な戦力を用意して、徹底的な作戦の下で行動する必要がある。



 だが、聞いた話によれば、海龍を単独討伐した英雄とのこと。

 海上にあって、人が海の魔物を相手にすることすら難しい事だというのに、一体全体どうなっているのだろう。



 頭の中で仮想の魔物を作り出してみても、自分と同程度の大きさですら、海上では難しいのだから。



「……わからん」



 ふと、無意識のうちに言葉に出してしまったローガス。



「何が分からないのですか?」



 その声にエレナが答え、ローガスはどうしたものかと考え始めた。



「あぁ……。アインが今では英雄と聞いて、その素養があったかと不思議に感じておりました」



 エレナとしては、反応に困る。

 だがまずは、一つローガスに指摘することがあった。



「ローガス殿。お気持ちは分かりますが、今この場でその名を呼び捨てにするのは……」


「おっと……。すまない、その通りでしたな」



 "いつも"の癖で、アインと呼び捨てにしてしまったことを反省する。



「どう思われますかな?王太子殿の力量について」


「……そうですね」



 ハイムに居る時から、クローネはアインに惚れていたのは間違いない。

 だが、イシュタリカに渡ってからは、それが更に増しているのも間違いない事だ。



 となれば、アインが海龍を倒した英雄という言葉には、エレナにとって、より一層の信憑性がある。



「少なくとも私は、剣についての良し悪しは分かりません。勝敗がどうであったかとか、どちらが優勢か……ぐらいです」



 ——ですが。



 と前置きして、言葉を続ける。



「あの方は、媚びられているのではありません。イシュタリカの民からは、本心から慕われているのを感じました。……だからこそ、英雄であるという事実には、嘘は無いと思います」


「なるほど……そう思われますか」



 エレナとしては大した答えはしてないが、ローガスは納得したように頷く。

 すると、視界の端に移ったイシュタリカの艦隊に目を向けて、そこに居るであろうオリビアの事を考える。



「……やはり、彼女に聞くしかないのだろうか」



 アインについてを知るならば、オリビアが最善と考えたローガス。

 使者は門前払いをされてしまったのだが、もう一度試してみる事を検討するのだった。




 *




 ハイムの一行が、屈辱を胸にして帰っている頃。

 ホワイトキングのラウンジへと、ウォーレンが帰船したのだった。



「ただいま戻りましたが……ふむ。皆さま、揃いも揃ってどうなさいましたか?」



 出迎えたのは、シルヴァードにロイド、そしてアインとクローネの四名だった。

 ケロッとした顔で戻ってきたウォーレンを見て、一同はため息をつく。



「どうしたも何もないだろう……」


「うむ。皆が、ウォーレン殿の帰還を待っていたのだから」



 部下だけを連れ、重鎮はたった一人で向かって行ったウォーレン。

 彼がどんな会話をしてきたのか、それが気になってしょうがなかったのだ。



「それは、それは。お待たせして申し訳ありません」



 いつもながら、好々爺な笑みを浮かべ、楽しそうに声を上げる姿を見ると、待っていた者達としては拍子抜けだ。

 ……だがそれは、ウォーレンが持ってきた結果を見るまでの話だ。



「とりあえず、いくつかの結果は持って参りました」



 そう口にすると、ウォーレンは数枚の書類をテーブルに広げる。

 広げ終わったのを見て、皆はそれに注目した。



「ウォーレンさん。これって……」


「ほ、本当にやってのけてしまうだなんて……」



 最初に、アインとクローネの二人が驚かされることになる。

 すぐに続いて、シルヴァードとロイドの二人も驚いた。



「……全く。いつもながら、有言実行な男よ」


「さすがはウォーレン殿だな……」



 広げられた書類は、ウォーレンが今日の会談で得た成果だ。

 言ってしまえば、これでハイムとの面倒事はすべてが解決したとなるのだから、驚きも一塩だ。



「急に汽笛の安全点検をすると命令したらしいが、それは関係しているのか?」



 分かり切っていた事だが、シルヴァードが尋ねた。



「汽笛の安全点検に関しては、元々考えていたのですよ。万が一があってはいけませんから。それがいつ行われようとも、出航前ならいつでも構いませんしね」


「ならばもう一つ聞こう。このアインの即位に関する資料を何故持っていったのだ?」



 するとウォーレンは笑顔を浮かべ……。



「自慢したくもなりましょう?我らがアイン様が、こうまで慕われているという証明です。マグナの光景を見せれば早いのですが、それが出来ないことから、この資料を選ぶこととしたのです。……残念だったのは、その私の自慢話をあまり聞いてくれなかったという事ですな」



 ウォーレンは、どこまでもその姿勢を貫くつもりのようで、本心を語ろうとはしない。

 シルヴァード達はその姿を見て、呆れたように笑みを浮かべる。



「ですが、最後に一つ面倒事はありましょうな」



 顔の向きを変え、ロイドを見てウォーレンが語る。



「わかりやすい事ですが、ティグル王子は確実に、ローガス殿を用いて、我らに決闘か何かを申し入れてくるでしょう」



 それを聞き、ロイドが立ち上がって声を上げた。



「それはいい!ならば、今度こそ我が武を示す時!」



 昨日はウォーレンが断りを入れた話だが、こうして話してくれてるのだから、悪い事にはならないだろう。



「役不足ではないのか?」



 だが、シルヴァードが横から声を向けた。



「ローガスが相手では、ロイドは勿体無く思えてしまう」


「へ、陛下……?そんなご無体な……」


「ですが、ロイド殿。私としても、難しい部分がありましてな……」


「今度はウォーレン殿までっ!なぜだ、なぜ私では……——」



 三人の会話を聞いていたアインは、なんでそんなことを言うのかと考えていた。

 すると、エウロでの件が頭をよぎる。



「もしかして、ウォーレンさんが考える難しい事って、戦力を見せてしまうからってこと?」



 もし、これが原因だったとすれば、ウォーレンはどこまで考えているのだろう。



「おぉ。さすがはアイン様。その通りでございますよ」



 ——当たってしまった。



「ウォーレン殿!?そ、そんなことまで考える必要が……!」


「あるのですよ。私としては、ハイムとの約束なんて信じておりません。"万が一"の機会があるとすれば、ロイド殿の力を隠しておくのも悪くないかと」



 ロイドにとっては非情な一言。

 そうは言っても、ロイド以外の皆は理解できる話だ。



 ハイムに自殺願望に似た何かがあったとして、条約を破る。

 となれば、今度こそイシュタリカは牙を剥くことになるが、その時のために戦力を隠しておくのは悪くない。

 艦隊を連れてきているとはいえ、それの実力は知られていないのだから、ロイドの力を見せてやる必要があるのかと思ってしまうのだ。



「ですが、ウォーレン様。そうすると、一体誰をその相手に選ぶのですか?そもそも、その決闘を受ける気があるのかも気になりますが」



 クローネが、皆の疑問を代表して尋ねる。



「私は言葉では否定しましたが、ローガス殿の力自体は気になってます。ですから、それを見られるならば、悪くない気がするのですよ」


「……なんて狸な男だ」



 シルヴァードが呆れたように口にしたが、ウォーレンは飄々とした様子でそれを受け流す。



「……でしたら近衛騎士を?それとも、リリ殿でしょうか」


「その両者では難しいですね。近衛騎士では力不足で、リリでは相性が悪すぎます」


「では、クリスさんを?」



 一体誰なのだろうか、クローネは引き続きウォーレンに尋ねた。



「それもありませんね。クリス殿を出すにも勿体ない。当然ですが、アイン様は以ての外ですよ?」


「わ、わかってるってば……!」



 若干期待した瞳をしていたアインに対して、ウォーレンはくぎを刺すようにそれを口にする。



「私が考えるローガスという男の強さは、ロイド殿に似た強さを感じます。そうなれば、良い対戦相手が居るではありませんか」



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