偶には、祖父も口を出す。
「……それに、我らがハイムとの取引を許容できるはずがないでしょうに」
大きくため息を吐いて、ウォーレンがラルフにこう告げた。
「取引とは、信用できる相手でなければ出来ません。それは規模が大きくなるほど、影響力が高まる事でしょう」
「貴様っ……!人を舐めるのも大概にしろ!」
ラルフが文句を言う前に、ティグルが立ち上がって声を上げる。
すると机の前に飛び出すと、ウォーレンに対して指を指す。
「国家間のやり取りにおいて、貴様の態度はなんだ!我々ハイムに対して、真面目に対応する気がないのか!」
ハイムの一同が考えていたことを、ティグルが強気な口調で告げる。
こうなってしまっては、止めるつもりだったエレナも、口を開くことができない。
「わざわざここまで出向いたというのに、我らと和解する気があるのかっ!?」
それを聞いたウォーレンは、驚いたような表情を浮かべる。
「……これはこれは、驚きました」
心底驚いた様子で、ウォーレンがティグルに答えた。
一方、ウォーレンの姿を見慣れている、イシュタリカの者達からしてみれば、それはただの演技にしか見えなかった。
「我々イシュタリカは、和解をしにきたつもりはありませんが……?」
「っ……貴様、何と言った?」
呆気にとられたティグルは、聞き間違いかと思い、もう一度ウォーレンに尋ねる。
「ですから、我々イシュタリカは、ハイムと和解する気はございません」
「和解する気がない……?」
「えぇ。だってそうでしょう?重大な密約すら守れない。あげくに、我々とエウロの仲を邪魔立てする。……どうして、和解する必要があるのですか?」
さっきまでの勢いは失ってしまったティグルが、弱まった声色でウォーレンと語り合う。
「だ、だが!イシュタリカは海結晶が欲しいのだろう!?将来的なことを考えれば、和解が必要なのでは……——」
「確かに欲しいですな。ですが、その問題は解決に向かっております。エウロで採れた海結晶は、十分な成果を上げており、他国に頼る必要が無いのです」
ハイムとの国交があったのは、イシュタリカが喉から手が出るほど必要だった、海結晶が大きな要因。
それが関係ない今では、わざわざハイムと縁を持つ必要がない。
これほどまでに、エウロとの国交が実を結んでいた。
それに、海結晶に頼らなくとも良い技術の開発だ。
アインがイシュタリカに来たときから進んでいたが、それも加味すれば、ハイムに頼る必要性は皆無となる。
「お分かりいただけましたか?」
何一つ、イシュタリカにはメリットがない。
だからこそ、ハイムとはどうなっても構わないのだ。
言い方を変えるならば、イシュタリカは、今までの不満を清算しにきたとでも言えるだろう。
……艦隊を連れてまでやって来たのは、示威行為も兼ねての事だろうが。
「切っ掛けは、王太子殿下の一言です。それを聞いた我々と陛下は、皆で気持ちを共有いたしました」
「お、おい!それはおかしいだろう……?貴様が口にする言葉は、まるで我々との関係を……」
ティグルが予想を始めた瞬間。
一人の男がウォーレンを止める。
そしてその男は、ティグルを正面から見つめると、この会談で、初めて口を開いたのだった。
「第三王子よ。気が付いたであろうが……」
彼の名はシルヴァード。
イシュタリカの絶対的な存在であり、現代のイシュタリカ王だ。
シルヴァードの目線がティグルを射抜くと、さすがのティグルも、無意識のうちに一歩後退していった。
「この会談が最後だ。我々は、貴様らハイムとの関係を、完全に終わらせに来たのだからな」
まるで空気が軋むような、そんな錯覚を覚えたハイムの一行。
これが大国、イシュタリカの王なのか……と、一言一言が、重く体にのしかかる。
「へ、陛下……相手は私が——」
「よい。ウォーレン、余にも話させよ」
手でウォーレンを抑えると、シルヴァードが続きを語った。
「第三王子よ。余の問いに答えよ」
「っ……」
シルヴァードに気圧されながらも、ティグルは頷いて答えた。
「如何なる立場をもって、我が王太子に指を差し、そして、斯様(かよう)な事を口にした?」
「か、斯様な事……ですか?」
「分かるであろう。お主が他国にも礼を求めるならば、お主の態度はあってはならん。なぜなら、アインは王太子だ。第三王子とは立場が違う」
正論だった。
ティグルは、まだ王太子のような立場にはない。つまり、アインと比べれば立場が低い。
「余の言葉に、間違いはあるか?」
「……ご、ございません」
「非礼を詫びよとは言わん。しかしながら、お主の言葉は少々耳障りだ。事の道理が分からぬ駄々っ子であると、そう自らを評すると同じ事」
「……っ!」
両手の拳を握りしめ、爪が皮膚に食い込むほどに、力を加えた。
ティグルは、そうでもしなければ、何もかも我慢できなくなりそうだったのだ。
「理解したならば、席に戻れ。それ以上を進むならば、我が騎士が剣を振るうこととなろう」
それを聞いて、ロイドがシルヴァードに近づいた。
睨み付けてはこなかったが、鋭い眼光でティグルを見つめる。
緩やかな服のおかげで、足元が隠れていたが、ティグルの足は静かに震えていた。
初めて目にする、イシュタリカの元帥という男の凄みが、真っすぐにティグルを貫いていく。
「……イ、イシュタリカは、戦争行為は行わないのではなかったのですか」
震える足を隠しながら、ティグルはこうして訴えかける。
だがそれでも、足が前に進まないようにと細心の注意を払った。
「我々から仕掛けることは無い。だが、お主がそれ以上進み、こっちに来るならば、我々は警戒をせねばならんであろう」
「意味が解らない……!どうして私の事を警戒すると……っ!」
「これは可笑しな事を申しますな。我々は友好国でなければ、同盟国ですらない。関係を表現するならば、敵国が一番近い関係でしょう?」
慌てふためくティグルに対して、ウォーレンが語り掛ける。
「その敵国の者が近づいてくる。警戒しないはずがないかと」
「ぐっ……そ、それは、都合のいい解釈にすぎる!」
苦し紛れの言い訳を声に出すが、そんなものは通用しない。
「仮にそうだったとしても、別に構わないでしょう。我々の考えは、我々のものだ。他国に指図される筋合いはございません」
——もう状況を気にしている場合じゃない。
エレナがそう考えて、ティグルを止めようと立ち上がり、声を上げる。
これ以上の事をさせてしまっては、本当に万が一の事態になりかねない。
「殿下ッ!一度お戻りください、どうか……っ!」
「エレナ!?……くっ!」
ティグルは苦々しい面持ちで、自らの席に戻っていく。
足取りは重く、苦虫を噛み潰すどころか、一気飲みでもしたのかと思う程、不愉快そうな表情をしていた。
つまりティグルは、完全敗北した形で、顔を真っ赤に染め上げて席に戻ったのだった。
「しかし、存外イシュタリカも狭量であったか」
息子が席に着いたのを確認して、今度はラルフが語りだす。
彼の仇討ちをするというつもりではなかったが、舐められた状況に嫌気がさしていたのだ。
「我らとの縁を完全に切りたいのであれば、黙って国交を断ち切ったままでいればよかろう。一々こんな場所まで用意して、人々を集めて語る言葉が、先ほどの様な事か」
鼻で笑うかのような声で、ラルフがシルヴァードに向かって語った。
受け取り手によっては、今の言葉もその通りだと納得することだろう。
しかし、イシュタリカ側は全く意に介さず、ただ冷静な面持ちでその場に座っている。
ラルフが語り終えると、数秒間をおいて、ウォーレンが口を開く。
「……たった一人の女性のために、大陸中を駆け巡る。なんとも美しい話ですな」
この言葉には、ラルフだけでなくティグルも反応した。
「冒険者にも依頼を出し、あげくには、とある国に強要して手紙を忍ばせる。いやはや、なんとも面倒な人々もいたもので……」
「……ウォーレンと言ったな。貴様、その口を閉じねばっ——」
明らかにハイムを指している言葉に、ラルフが不満を露にした。
「聞いたところによると、そのためにも増税が重ねられたとのこと。なにせ、冒険者への依頼料はとても高額だ。必死になって探したのも、理解できる話ですから」
ラルフが口を開こうとするが、ウォーレンは止まらずに言葉を告げる。
「きっと、国民は貧窮したことでしょう。王子が恋に追われたツケが、自分たちに来るのだから」
皮肉を口にしたつもりが、その倍の言葉で返事を返された。
その事実にラルフは、息子のティグル同様に、顔を赤く染め上げる。
「……とまぁ、こんな国もあるのですから。我々がこのぐらいの意地があろうとも、きっと大したことではございませんよ」
最後は笑みを浮かべ、罵るような言葉は口にしなかった。
何かを答えようと思ったラルフも、言葉が浮かばないのか、唸るように声を漏らすばかり。
「……なにも、言葉だけが強さじゃないだろう?ウォーレンよ」
すると、若干落ち着いたのか、ティグルが会話に混ざってくる。
「言葉だけじゃない、とは?」
ついさっきの、ラルフの言い負かされっぷりを隠すかのように、ティグルが自信満々に語る。
「見てみたくはないか?我らが大将軍、ローガスの強さをな」
こう口にすると、手でローガスの方を指し示す。
「いえ。結構です」
「そうだろう、そうだろう……。……って、結構だと!?」
「えぇ、結構ですと申し上げました。別に興味もありませんので……」
どうでもいいよ、そう言わんばかりに、ウォーレンが冷めた様子で言葉を返す。
だが、シルヴァードの背後では、ロイドが悲しそうな瞳でウォーレンを見つめていた。
一瞬、自分の出番かと思ったロイドは、心の中を喜びで埋め尽くした。
だというのに、あっさりと否定されてしまい、ついそんな瞳を見せてしまう。
「仮に剣を競い合ったとして、意味があるのでしょうか?」
「い、意味なんぞ……お互いの強さを示せるであろう!」
「左様でしたか。でしたら、尚更興味がございません。ローガス殿が強かろうとも、我々にとってはあまり必要のない情報ですので」
「なっ……!?」
絶句するとはこのことだろう。
ティグルは生まれて初めて、ここまで言葉に詰まってしまった。
「ですが、ティグル王子は、強さを競い合いたいのですね?」
「う、うむ!その通りだ!」
なんだ、折れてくれるじゃないか。
ティグルがそう考えたのも束の間。
「力を競うならば、もっといい案がございますよ。お互いに艦隊が揃っておりますし、そちらで競うのは如何かと」
「……は?」
——今、奴は何と言った?あの艦隊を使って、それで競い合うだと?
ティグルの心に、動揺が走った。
島についてから目の当たりにした、イシュタリカの艦隊の姿を思い出す。
それは思い出すだけでも、ティグルに大きな衝撃を与えてしまう。
「ばっ、馬鹿を言うな!そんなことできるはずがないだろう!」
ティグルがこう口にするのも、当たり前のことだ。
ハイムには、イシュタリカの戦艦に対抗する手段がない。
島に着いたとき、ティグルは言葉では強がったものの、これには賛同することができない。
「なぜですか?力を競い合うのでしょう?」
「競い合うとはいったが、被害が大きすぎるではないかっ!」
「決闘であっても、不慮の事故はつきものです。同じことでは?」
「だから!規模が違うだろう!」
今日のティグルは、大きな声を上げてばかりだ。
そうさせてくるウォーレンを見て、苛立ちが募るばかり。
「では仮に、ローガス殿が大怪我を負うことがあっても構わないと?決闘も、何が起こるか分かりませんので」
「くっ、そ……それは……っ!」
決闘においても、不慮の事故なんてあって当たり前だ。
万が一ローガスが死ぬことでもあれば、それもハイムにとっては大きな痛手となる。
「それが無理なら、やはり艦隊同士がいいのでは?なぜ、艦隊同士は受け入れてくれないのです?」
不思議そうに見つめるウォーレンに対し、ティグルは声を小さくして答えを述べる。
「だからそれは、被害が大きく……」
「被害が大きい?我々の事なら、お気になさらずに」
「そちらの問題ではない!こちらの被害の問題だ!」
——……失言だ。
エレナはこの会話を聞いていて、ティグルの失言に気が付いた。
彼は自らの口で、自分たちが劣っていると認めてしまった。
言葉巧みに誘導され、ウォーレンのやりたいように言葉を引き出された。
語り口調の違いだろう。
ウォーレンの話し方は、常に自然体で語り掛けてくる。
だからこそなのだろうが、返事をするのも、随分と素直に口を開いてしまうのだ。
「おぉ。なるほど、なるほど」
その言葉を聞いたウォーレンは、今日一番の笑みを浮かべる。
「"戦力差"ならば、仕方ありませんな。確かに、勝負にならない競い合いには意味がない……配慮が足りておりませんでした」
ティグルは反論を考えたが、これは自らの失言が原因なのだ。
ついに、口を開くことができなかった。
「ふん……!我らが強みは陸の上。海上での戦力なんぞ、意味がない」
「えぇ、存じ上げておりますよ。ハイム王」
艦隊の件は考えないようにして、ラルフが陸での強さを主張し始める。
語り手が変わり続けて忙しないなと、ウォーレンが渇いた笑みを浮かべた。
「ふふ……そうだろう、そうだろう。なにせ我らは、大陸において覇を唱える王国なのだから」
「勿論、存じ上げておりますよ」
相手を持て成すような笑顔を浮かべ、ウォーレンが答える。
「実は、我々も自信があるんです。なにせ大陸イシュタルは、周辺にある大陸と比べても、数倍の規模を誇る地です」
周辺の大陸といっても、それは一つしかない。
ウォーレンが示唆するのは、間違いなくハイムが存在する大陸の事だ。
「初代陛下が大陸を統一なさった時から、我々は陸での戦力にも長けております」
それに加えて、過去には魔王騒動もあった国だ。
騎士達が弱いはずがない。
「ならば、模擬戦でも——」
ラルフが乗り気になって、模擬戦でも、と提案しようとした矢先の事。
「陛下。陸の戦いなど、実際の戦でなくば分かりません。我らの真の強さを示すには、たかが模擬戦では足りないでしょう」
「ロ、ローガス……。なるほど、言われてみればその通りだ」
「ですので、それはまたの機会に致しましょう」
口を開いたのはローガス。
次の瞬間には、模擬戦を提案しようとした時の事だった。
ローガスはこう口にすると、ラルフが模擬戦を提案することを阻止したのだ。
一方、ローガスの言葉には素直に従ったラルフを見て、ローガスに向かう信頼の度合いが良く分かる。
「……ほう」
驚いた顔で見るのはウォーレン。
ウォーレンは模擬戦を提案されても、断るつもりだった。
だがラルフがそれを提案する前に、ローガスが止めに入った事で、ウォーレンが一つの事に気が付く。
——近衛の動きを見て、力量を理解したのか。
大将軍を務めるだけあってか、見る目はあるようだ。
どうやら、ハイムで井の中の蛙になっている訳ではないのだな、と。
……できるならば、武一辺倒ではなく、アインとの件も気を使ってほしかったものだが。
ウォーレンはローガスの事を、このように評価した。
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