会談に向けて。
待ちに待った二人の到着。それを機に、アインは本格的な調査に移る。
古くからの漁師の家系に出向いたり、資料が保管されている施設を巡った。
時にはマグナの歴史を研究している者にも声を掛け、話を聞くほどだ。
クローネとクリスの二人が居ることで、アインの行動は効率化が重ねられ、予定管理に抜かりはなかった。
言い方を変えれば、ようやくいつも通りに戻ったと言えるだろう。
だが、マグナの調査は、結論から言ってしまえば、成果を上げることは出来なかった。
今までの調査は、イストとバルトの二つの都市。それは一か月間ほどの短期間で、いくつかの成果を上げてきた。
だが、その調査結果が特別良かっただけで、今回のマグナが特筆して悪いということではない。
周囲の者達も、残念そうに感じていたものの、そう納得が出来た。
およそ半月に及ぶマグナ滞在。
その内訳としては、公務が主な仕事となった。多くの公務を終えられたことに関しては、そう悪いことではないのかもしれない。
「そもそも調査自体、こんな短期間で終わるはずがないよね」
クローネとクリスが到着してから、瞬く間に、十日程度の日数が過ぎる。
王家専用列車に乗る際は、来たとき同様の多くの見送りを受けて、アインは王都への帰路に就く。
夕方には、王都に到着予定の王家専用列車。
その道のりの最中、アインはそう呟いた。
「えぇ。なにせ、今までが"良すぎた"のよ。普通、調査なんて数年単位でやるものだと思うし……あ、一カ所でって意味よ?」
イストでは一月(ひとつき)程度。バルトもその半数と少しだ。
それだけの短い滞在期間で、多くの成果を上げてきたとはいえ、全てが上手くいくはずがない。
クローネも口にするが、そう簡単に成果なんて望めるものじゃない。
「でもね、今までに溜まってた、マグナ関連の公務が一気に進んだわ。それだけでも、今回マグナに来た甲斐はあったと思うの」
「うーん……それも大事なことだからなあ」
この車両には、アインとクローネの二人しかいない。
それは、いくつかの溜まった仕事を、二人で片付けていたからだ。
ようやく一息ついたので、こうしてゆっくりと会話を楽しんでいる。
「でもこれで、しばらくは大きな予定は入らないかな」
「……いえ。夏になれば、とってもとっても大きな予定があるわよ?」
アインが知る限りでは、マグナ以降は特別な用事が無かったはずだ。
あるとすれば、学園の対抗戦ぐらいなのだが、アインは参加がまだ不透明。更にいえば、それは夏に行われる行事じゃない。
そんな状況でのクローネ言葉に、アインは耳を傾ける。
「な、夏?ごめん、夏って何かあったっけ……ド忘れしちゃったかも」
「大丈夫、アインは忘れてないわよ。この話を私が聞いたのも、今朝方の事だから」
クローネはそう言うと、一通の手紙を取り出す。
それを見ると、送り主はウォーレンと書かれていた。
「ウォーレンさんから?」
「えぇ、そう。……少し長い内容だから、要約して私が伝えましょうか?」
「あー……うん。クローネが確認済みなら、そうしてもらおうかな」
念のため中を開いて手に取るが、大凡の内容は、クローネに語ってもらうことにした。
数枚の紙を手に持ちながら、クローネの声に耳を傾ける。
「それじゃ、まずは一つ目ね。ハイムから亡命者が来たっていう話ね」
「……は?」
「バードランドからの船に乗って、ハイムの城に仕えていた者が、イシュタリカに亡命してきたの」
予想していなかった言葉が、アインの耳に入る。
「亡命って、あの亡命?」
「……この亡命って文字なら、間違ってないと思うわよ?」
クローネはアインの手を取って、その手のひらに指をなぞって文字を書く。
少し、こそばゆかったが、意味は伝わった。
「残念ながら、間違ってなかった。というか、いつの間にこんな手紙を?」
「だから、今朝よ。宿を出発する前に、王都からの緊急便ということで私に届いたの」
——続けていい?
そう訴えかけるクローネの目を見て、アインは続きを促す。
「なら、続きね。なにか工作しにきたのか、そういう疑念もあるから、マグナで厳しい管理下に置かれてるわ」
自分が先ほどまでいた町に、ハイムからの亡命者が居たのかと思えば、驚きが募るばかりだ。
「なんでまた亡命なんて」
「聞き取りによると、戦争になるのが怖かった……って答えたらしいけど、本当のところはどうかしらね」
まだ疑念も消えてないのだから、その言葉を信じることは出来ない。それがクローネの真意だった。
「あれ?でもこれって夏は特に関係ないよね?それじゃ、二つ目があるってこと?」
「えぇ、その二つ目が本命よ」
クローネが咳ばらいをして、居を正す。
「夏に、ハイムとの会談が決まったわ」
——なるほど、そりゃ大きな予定だ。
ようやく?それとも、やっとだろうか。クローネの言葉を聞いて、アインはきっかけとなった事件を思い出す。
「……そっか、あの手紙からはじまって、ついにここまで辿り着いたんだ」
『……いっそのこと、一度決着をつけますか?』、シルヴァードの前でそう語った時から、多くに歳月が経った。
国家間のやり取りは時間が掛かるとはいえ、本当に、ここまで多くの時間が必要とされた。
「アイン。楽しみなの?」
「——実は、ちょっとだけ」
顔を合わせて笑う二人は、元々はハイム王国の民だった。
今ではその二人が、ハイムに対して牙をむこうとしている。
「あのね。アインと一緒で、実は私も楽しみなの」
そう言って、クローネが微笑む。
「あれ?クローネって、争いごと嫌いじゃなかったっけ」
「好きじゃないわよ?だけど、今回の事は別ね……。まぁ、色々な思いがあるけど」
苦笑いを浮かべるものの、声色は引き続き楽しそうだった。
「でも大丈夫?あの第三王子も来ると思うけど」
「えぇ、そうね。……あの人も来るのよね。一応、顔も思い出しておかないと……」
随分と酷い言い草だ。
アインもそれを聞いて、驚いた表情を浮かべる。
「そんな顔しなくてもいいじゃない……」
「ご、ごめん。でも実際そうだよね、成長してるし、顔なんて分からないか」
「……?特徴は覚えてたけど、ハイムにいた当時の私だって、町中ですれ違ったら、きっと誰か分からないわよ?」
クローネによる、ティグルへの記憶はまだ続く。
「分からない……?」
「えぇ。王家の服を着てたら分かるけど、そうでなきゃ分からないわよ。王家の服って相変わらず派手ね、ってぐらいしか覚えてないもの」
王族相手ながらも、クローネはいつものクローネだった。
「そもそも、覚えてるわけないじゃない。パーティで偶に会う程度の人なんて、特徴ぐらいしか覚えないもの」
「いや、相手王族なんだけど……。それに、クローネには結構ぐいぐい来てたって聞いたし」
幼いころから、ティグルはクローネを気に入っていたと聞いている。
となれば、さすがに顔も覚えやすいと思ったのだが。
「他の人達も、第三王子と同じぐらい、私の事を娼婦扱いしてたわ。なら、みんな同じことでしょ?」
そう言って、机の上に肘をつくと、その上に頭を乗せた。
「……なるほど」
皆が幼心ながらも、必死にクローネの気を引こうとしていたのだろう。
それを思えば、若干気の毒な気もする。
「ハイムに居た時、一目で顔を覚えた人なんて、アインとオリビア様だけだもの。だから、あの第三王子とかは本当にどうでもいいの」
こう語りながらも、そっぽを向いて、面倒くさそうにするクローネ。
「あっ……イシュタリカに来てからは大丈夫よ?仕事もあるし、会話した相手の事はしっかり覚えてるから……!」
慌てた様子のクローネが可笑しくて、アインは笑みを浮かべる。
「わかってるってば。別に心配してないよ」
「そ、そう。……ならいいのだけど」
毛先を指で弄って、慌てたことを隠そうとするクローネ。心なしか、頬も若干上気している。
その彼女に助け船を出すわけでないが、アインは気になった事を一つ尋ねる。
「そういえば、クローネのお母さんってハイムの重鎮?だったと思うけど」
アインの言葉を聞いて、クローネが顔を上げる。
「もしも、クローネのお母さんが来たら……その——」
——どうするの?
アインはそう尋ねるつもりだった。
しかし、アインがそう口にする前に、クローネが食い気味に言葉を告げる。
「アインに、そしてイシュタリカに害を成すなら。私はお母様相手でも、徹底的に言い負かすつもりで行くかしら」
「……さすがクローネ」
こう言い切ったクローネを前に、アインは一言、彼女を称賛する。
「でも、当たり前の事よ。私はエレナという女性のお腹から産まれたけど、今は味方とは言えないもの。私の味方はイシュタリカ、そして私が従うのはアイン……貴方よ」
強い瞳でアインを見つめるクローネ。
いつもながら、クローネという女性は美しいだけでなく、凛とした強さを秘めている。
「でもね、アイン。もしもじゃなくて、確実にお母様は来るわ。だって、お母様以上に仕事が出来る文官なんて、ハイムには居ないはずだもの」
アインの返事を待たずに、クローネは言葉を続ける。
「イシュタリカの文官代表は私じゃないわ。それでもきっと、私とお母様は相対すると思うの」
「あ、そっか……。イシュタリカの文官代表って」
イシュタリカの文官代表……。
それはきっと、ウォーレンという男だろう。
好々爺な時もあれば、刃のように研ぎ澄まされた瞳をすることもある。そして時には、全てを見透かすように、会話の流れを完全に掌握する。
イシュタリカに置いて、彼以上に、話術や"策"に富んだ男はいない。
「そう、ウォーレン様ね。あの方と正面から論戦をするのは、頭のいい人なら、必ず避けることを最善に考えるはずよ」
……と、近年で最もウォーレンの教育を受けた者が口にする。
「ウォーレンさんに任せとけば、なんか大丈夫そうな気がする」
「ふふ……そうね。それには私も同意するわ」
徐々に和やかになってきた空気の中、アインは受け取った手紙をめくる。
「あれ?これってなに?」
紙の中には、地図の様な紙が混じっており、アインはその紙に興味を抱く。
「どれかしら?」
アインの隣に席を移すクローネが、アインの持つ紙に目を向ける。
垂れた髪の毛が邪魔だったようで、片側の髪の毛を耳に掛けた。
「あぁ、この島の事ね」
それを見たクローネは、合点がいった様子で頷く。
「島?」
「えぇ。ほら、前に少し話したでしょう?会談する場所のこと」
隣に腰かけたクローネが、アインを見ながらこう口にする。
「私たちが少し整備をして、会談用に使う無人島の事ね」
「あー!わかったわかった。その島のことか」
大陸イシュタルから見て東側に位置して、ハイム寄りではあるが、およそ中間地点。
「ハイムも大変でしょうけどね。護衛とか船の用意とか……」
「俺たちと比べるとね……。それでも、元はあっちから突っかかってきた訳だし、文句もないでしょ」
エウロでの件だけでなく、わざわざエウロに送らせた手紙を思い出した。
「……あれ?そういえば結局、この会談って目的なんなの?」
ふと、アインはこうした疑問を抱く。
「元はと言えば、クローネとグラーフさんの情報が欲しいんでしょ?はっきり言って、クローネがその会談に来るなら、会談の意義が無くなる気がするんだけど……」
「そのことに関しては、どうせ、私がイシュタリカに拉致でもされたと思ってるのよ。それで、お爺様と私を救出すれば、恩を売れる。するとお爺様も、あの王子との婚姻を後押しする……そういう感じじゃないかしら」
思い返すと、ティグルが似たようなことを口にしていた気がする。
与太話過ぎて、あまり覚えていないが……。
「……でもさ、会談に来て
「えぇ、当然ね」
当たり前のように語るが、アインはまだ疑問を抱く。
「じゃあ結局、この会談の意義って……」
「私たちだけの事じゃないでしょ?」
そう口にしたクローネを前に、アインはすぐに考えを口にする。
「そりゃ、俺とお母様の件もあるけど。後は……エウロとの国交についてとかかな?」
「はい、正解よ。横やりを入れられないようにも、話すことはいくつかあるものね」
こう考えてみると、それなりに話すべきことはあった。
「切っ掛けは私の件かもしれないわ。だけど、いい機会だから、この機会に色々と清算してしまえばいいの。そうすれば、お互いに気が楽でしょ?」
「……俺としても、縁が切れるなら楽でいいかな」
幼少期の事を思い返し、アインは不貞腐れたような顔を浮かべる。
クローネはその顔を見て、小さく微笑んだ。
「会談の話題に関しては、ウォーレン様が考えるはずよ。だから、そろそろ楽しい話でもしましょ?」
「楽しい話?」
不貞腐れた顔が一変し、クローネの事を、キョトンとした顔で見つめる。
「もうすぐ卒業式でしょ?その前に、学内で対抗戦っていうのがあるのよね?」
「そういえば、そんな行事もあったね」
というよりも、もうそんな情報を手にしていたのかと驚いた。
「観覧が許可されてるらしいの。私も見に行くつもりよ」
楽しそうに告げられたが、アインとしては、まだ出場を迷っていた。
「正直言って、まだ出場するか迷ってるんだけどね」
するとクローネは、意外なものを見たような瞳で、アインに視線を送る。
「どうして迷ってるの?」
「い、いや、だってさ……。分かるでしょ?考えてみるとさ、ほら……ね?」
力量差を考えて、出場は見送るか検討していた。
その催しに、水を差してしまわないかが心配だったのだ。
「いいじゃない。アインの強さを見せてしまえばいいのよ」
自信満々にクローネが口を開く。
「貴方は未来の王なの。その未来の王が、そんな些細な事で迷ってはいけないわ」
相も変わらず、澄んだ声で言葉を繋き、アインを鼓舞するように語り掛ける。
「きっと、貴方と剣を交えることを楽しみにしてる人もいるわ。ならそれでいいじゃない、一緒に楽しんでくればいいのよ」
バッツの言葉を思い出した。
確かに彼は、アインとの戦いを楽しみにしていたのだから。
「だからアインは、黙って貴方の剣を見せつければいいの」
「……そう言ってもらえると、出場していいかなって思えるから不思議だよね」
苦笑してこう告げると、対照的に、クローネは喜んだ様子を見せた。
「いいじゃない。アインも同じく学園の生徒なのよ?最後にそういう思い出を作ったって、誰も文句なんて言わないわ」
——考えすぎよ。
そう言って、クローネはアインを後押しすると、立ち上がって窓の近くに歩いていった。
「……うん。いい景色ね」
足取り軽く歩くクローネは、機嫌がいいのが一目でわかる。
アインはそのクローネの言葉を受けて、出場してもいいかな……と考え始めてきた。
「……本当のことを言うと、もう一つだけ理由があるの」
「それって、俺の出場に関してってこと?」
「えぇ、実はね——」
窓の外を見ていたクローネが振り返り、アインの方を向く。
「一番の理由は、私がアインの活躍する姿が見たいだけなの。……って言ったら怒るかしら?」
首を傾(かし)げて、美しい髪を揺らしてアインに微笑む。
「……勿論、怒らないよ」
お陰で出場する気持ちが固まってきた。
そんなことを口にでもすれば、クローネを助長させてしまう。かわかわれ始めるのが分かっているので、アインはその気持ちは口にしない。
「ねぇ、ねぇ。出場してくれるの?」
すると、ウキウキしながら近づくクローネ。
さっき立ち上がったばかりなのに、どうにも忙しない様子だ。
悪戯っ子のように笑いながら、楽しそうに歩いてくる。
「ま、前向きに検討するということで……」
稚拙な言い逃れだが、今はこれで押さえたいアイン。近づくクローネから目をそらしながら、こう答えた。
「ただいまもどりまし……あれ?お二人とも、なにかありましたか?」
「あらあら、賑やかですね」
そしてクリスが、しばらくぶりにアインの車両へとやってきた。
その隣には、当たり前のようにオリビアが共に居る。
「クリス。それにお母様も、お帰りなさい。実は……——」
アインは何があったのかを説明し、王都に到着するまで、4人で語らう時間を楽しんだのだった。
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