お・も・て・な・し。
リリは急ぎ場所を移して、ウォーレンへの連絡の支度をする。
移動した場所はマグナの拠点。ウォーレンの部下でも、隠密を主とする者にしか知らされていない場所だった。
「すぐに出てくださいよー……っと」
用意していた魔石をはめて、魔道具を作動させる。
徐々にその中身が光始め、作動音が聞こえてきた。
「……」
こちらが作動すると、ウォーレンの執務室の魔道具に反応が送られる。
それに答えてくれた時、二人は声でやり取りをすることができるのだった。
『さて、どなたでしょうか?』
——繋がった!
息を吐いて安堵して、一度咳払いをしてから自分の名を名乗る。
「リリです。マグナから連絡しております」
『おぉ、リリですね。実はこちらからも、一つお伝えしたいことがあったのですが……どうしましたか?』
——閣下が伝えたいこと?
自分の報告も重要だが、まずはウォーレンの言葉を優先した。
「私も1つご報告がございます。ですが、閣下が私に伝えたいこととは……?」
『わかりました。では先に話しましょう。』
「はっ!」
言葉一つも聞き逃さぬように、声が発生する部分に顔を近づける。
『"亡命"です。詳しい話はまだ届いておりませんが、"ハイム"からの亡命が一名参りました」
それを聞いたリリは、先ほどのエレナの事を思い出す。
一人でベンチに座っていた彼女は、最初はきっと一人じゃなかったのだ。
嵌められた訳ではないが、あくまでも結果として一人になってしまった……そうした仮説を考える。
「……もしかしてそれは、今日の昼過ぎから夕方の間の話になるのでしょうか」
『おや?詳しいですね。さてはて、まだ情報は数人しか知らないはずですが、リリは何処で知り得たのでしょうか』
穏やかな声色ながらも、まるで追い詰めてくるかのようなオーラ。
それでも感じる、何が何でも話させようとする雰囲気がリリに襲い掛かる。
「そのことが、私の報告に繋がります。よろしいでしょうか?」
それでもリリは、落ち着いて言葉を続けていく。
『えぇ、続けてください』
「先ほどの事ですが、エレナ様……いえ、エレナを見つけました」
このことを伝えると、ウォーレンの返事が聞こえなくなる。
それが数十秒も続いたかと思えば、あっけにとられたような声で、ウォーレンがようやく返事をした。
『も、申し訳ない……。つい、何が何だか分からなくなっていました」
「……お察しします」
よかった。先ほどの自分の醜態が、緩和された気がして喜ぶリリ。
『なるほど。先ほどの亡命に関しては、今回のエレナ殿の事……それに繋がるわけですか』
「その……如何なさいましょう?」
ウォーレンに判断を求めるしかないので、リリはこうして尋ねることにしたのだ。
しかしできるならば、首を持って来いという命令はしないでほしい。密かにそう願っていた。
『船の状況を確認させたところ、一隻が波にさらわれた様子。つまり、その船には護衛達が乗ってきたのかもしれません。ちなみに、亡命をしてきたのは文官です。ですので、いわゆる側近に近い立場の者が消えた。……そして護衛も居ないとなれば、エレナ殿は一人でしょうね』
その考えには、リリも同意だ。そうなると、ベンチで一人で黄昏ていたのも理解できる。
……実のところ、あまり見たくない姿ではあったが。
「一見、精神的にも憔悴しているように見えました。その理由が今の閣下のお言葉……という事ですね」
『恐らくはそうでしょう。……ふむ、さすがにお可哀そうだ。 ——おっとリリ?首を持ってこいなんて言いませんから、安心してくださって結構ですよ」
「っ……な、何のことでしょうか?」
好々爺のように笑い声をあげ、ウォーレンは話を続ける。
『はっはっは!いえ、お気になさらずに。ですが……少しばかり、
「……お聞かせ願えますか?」
悪だくみをするときの話し方。長年の経験から、ウォーレンの語り口調を察したリリ。
『連絡はありませんでしたが、もしかすると、エレナ殿はお客様かも知れません』
何を言うのかと思えば、またしても突拍子のない話だった。
「……は、はぁ。お客様、ですか」
空返事をする程に、ウォーレンの言葉の意味が分からない。
『となれば我々としても、ささやかながら歓待をするべきでしょう。機密になる部分はお見せできませんが、まぁ、船やいくつかの施設ぐらいならお見せしてもいいでしょうね』
「か、閣下?もしや貴方様は……」
徐々にウォーレンの言葉の意味が理解できたリリが、恐る恐るウォーレンに尋ねる。
『本来ならば、"敵国"の重鎮ならば捕えたい部分でもあります。ですが、クローネ殿のお母様という事もありますので、今回は強引な手段は避けることにしましょうか」
「は、はっ!」
『マグナにあるのは、我々のほんの一部分です。それでも構いません』
静かに生唾を飲み込んで、次のウォーレンの言葉を待つ。
『リリ。貴方が案内役をしなさい。王家の船以外ならば、リリの判断で見学をさせても結構です』
「か、閣下!?それはあまりにも……」
『見たところで、なにか対策ができますか?』
「……いえ、できないかと」
ハイムをしばらく見てきたリリからすれば、軍の戦力で比較するならば、ハイムは確実に勝負にならない。
そんな中。たかが戦艦を間近で見たぐらいでは、何一つ変わることは無い。
対策を講じようとも、そもそも、イシュタリカの戦艦を相手にできるだけの戦力が無いのだ。
『ハイムの王子たちを弄んで差し上げましょう。わざわざ多額の費用を投じてまで、自らの首を絞めるのですからね』
楽しそうに口にするウォーレンの言葉が、リリの耳に届く。
『リリ。意味は分かりますね?』
「勿論です。では、アイン様の護衛は交代で行いますが……よろしいでしょうか?」
『結構です。エレナ殿からも、目を離さぬように』
面倒な事と、楽しい事。それが一挙に押し寄せたリリは、宝箱を手にしたような感覚を覚える。
プレゼントを貰った子供のように、目をキラキラと輝かせた。
「……では明朝。私(わたくし)リリは、エレナ様の下に向かいます」
ニコッ、と微笑んで、明日の朝に思いをはせる。
「待っててくださいね、エレナ様。私が気持ちのいい目覚めをプレゼント致します」
*
リリがウォーレンから指示を受け取ってから、少し後の事だ。
遅くなる前に、宿に戻ったアイン。
意気揚々と、買ってきた土産を見せようとしたが、オリビアはまだ風呂に入っていた。
マーサも同じく浴室にいるため、アインは自分で皿を用意して、その上に土産を並べる。
「うん。我ながら」
——……買いすぎた。
大皿を宿から借りて、2つも埋める程の量を並べた。
これでは自分とオリビアでは余る。マーサとディルにも協力してもらうべきか……。
「ま、まぁ味は良いから。それに毒だってない」
万が一毒が盛られていようとも、アインが手に取った時点で消えたようなもの。となれば、その心配も必要ない。
「ふぅ……気持ち良かったわね、マーサ」
「そうですねー。たまにはこうした景色もいいものです」
すると風呂から上がった二人がやってくる。
マーサはメイド服を着ているが、オリビアは薄手のワンピースを着ている。
身体のラインが良く分かる、煽情的な格好をしていた。
「って、アイン様!?この料理は一体……」
アインに気が付き、このような出迎えになった事を詫びようとした。
……そのつもりだったのだが、テーブルに置かれた山の様な料理を見て、マーサは絶句する。
「見ての通り、お土産買いすぎちゃいました……」
「あらあら、アインったら」
口に手を当てて笑うオリビアは、風呂上りとあってか、首筋が火照って色っぽい。
いつもしている仕草だというのに、それだけでも艶めかしく見えた。
「……ご夕食は、少なめにした方がよろしいでしょうか?」
「う、うん。ごめん、そうしてもらえると助かる……。というか、半分ぐらい持っていって、ディルと食べてくれたら嬉しいです……」
置かれた料理は、明らかに二人分には多すぎる。
考え無しに買ってしまったことを後悔するアイン。
「ではお言葉に甘えまして、ディルと一緒に頂きますね」
苦笑いを浮かべながらも、アインに助け船を出すマーサ。
一方オリビアは、ただ微笑み続けるばかりだった。
「あ、味は良かったからね!ただ買いすぎただけで、質は高いから……はい」
終わりに連れて低くなる声が、アインの失敗を物語る。
「アイン様。出店通りにでも行ってきましたか?」
「っ!?な、なんで分かったの……!」
あっさりと看破されてしまい、アインも驚きの声を上げた。
「アイン様にオリビア様。お二人とも好きな場所だと思いまして、事前に調べておきましたから」
「あらそうなの?じゃあ丁度いいですね、アイン。……一緒に食べましょ?こんなにたくさん嬉しいですよ」
聖母のように微笑むオリビアを見て、アインは少しばかり救われた気分になる。
「ねぇ、マーサ。たまにはこんな夕食もいいでしょ?」
「……そう、ですね。あまりこうした機会は設けられませんから、お二人が楽しめるならば私はそれで……」
マーサも頷いたことで、オリビアがポンッと手を合わせる。
「うんうん。それならマーサ?私はアインと二人でご飯食べるから、マーサもディルのところに行ってきていいわよ?」
「オ、オリビア様?」
なんのために来た給仕なのか、そう思わせるオリビアの言葉に、マーサが狼狽える。
「せっかくのお土産なんだから、暖かいうちに持っていってあげて?」
「……はぁ。わかりました。では何かございましたら、すぐにお呼びくださいね。それと、お夕食は少なめに作らせますので、出来上がり次第お持ち致します」
「はーい。マーサもゆっくり休んできてね」
最後はアインへと一言礼をして、マーサはこの場を後にした。
「じゃあアイン、いただきましょうか」
優雅な歩きで近づいてきたオリビアが、アインのすぐ隣に腰かける。
「どれも美味しそうね。……アインのお勧めはどれかしら」
「全部お勧めなんですが、その中でも特にこの串が……——」
アインはオリビアと共に、マグナの美食を楽しみ始めるのだった。
*
いくらマーサが半分持っていったとはいえ、それでも明らかに量が多い。
アインが多めに食べることで、なんとかその土産を片付けることができた。
「夕食は断っておいて正解でしたね……」
途中でマーサに声を掛けて、夕食は断るように伝えて貰った。
そう考えてしまう程、アインの買ってきた土産の量が多かったのだ。
「でも美味しかったですよ?ご馳走様、アイン」
オリビアは苦言を一言も口にせず、ただアインの土産を楽しそうに口に運んだ。
町中で見たものや感じたことを話しながら、二人は食事の時間を楽しむ。
串を上品に食べる姿という、なかなかレアな光景を目にすることができたアイン。
「それはよかったです。ですが、もし次回があるならば、この量はやめた方がいいですね」
苦笑いを浮かべ、買いすぎてしまったことを後悔する。
「マーサとディルが手伝ってくれたけど、そうですね……。二人で食べるときは、もう少し減らしたほうがいいかもしれないです」
アインを気遣うように、もう少しと口にした。
しかし、アインとしても少しどころじゃないことは分かっているので、オリビアの気遣いに感謝する。
「ふぅ……お腹いっぱいだ」
宿に戻る前にも、アインは食べ歩きをしていた。
そのせいもあってか、腹の中は多くの海鮮が詰め込まれている。
「お外は楽しかった?」
口元を拭いたオリビアが、笑みを浮かべてアインに尋ねる。
「はい。本当に多くの人混みでしたけど、なんというか……賑やかな場所を歩いて、自分の気分も高揚してたと思います」
特に、屋台で会話していた時はそれが顕著だった。
その後はローブの女性を手助けしたりなど、短いながらも有意義な時間だったと思う。
「お母様は、ずっと浴室に?」
「えぇ、そうですよ。夕焼けが綺麗で、湯船に浸かるだけでも楽しかったですから」
「なるほど。じゃあもう少ししたら、俺も入ってこようかな……」
楽しそうに語るオリビアを見て、アインも興味を抱く。
風呂に入るだけでも、そうした付加価値があると嬉しいものだ。
「少し休んだら、かしら?」
「そうですねー……。でないと、お湯につかるのも苦しそうですから」
現状、アインは満腹なので歩きたくない。
となれば、しばらく休憩をしなければ、湯船に浸かるなんてもってのほかだ。
「確かに。そうしないと、折角の入浴もリラックスできませんものね」
「でも、もうほとんど陽も沈んできてますし……。お母様の時ほどは、いい景色じゃないかもしれませんが」
そっと海に目をやると、もはや暗くなり始めており、茜色に染まる部分も狭まっている。
「これからも、まだしばらくマグナに滞在します。だから、アインも一番いい時間にゆっくりできると思いますよ」
「……そうですね」
思えばその通りで、まだまだアインの滞在時間はある。
今日は出店通りを楽しんだことで、むしろ悪くない一日だったのだから。
すると、オリビアがハンカチを取り出す。
よく見ればオリビアの首元に、一筋の汗が流れているのがわかる。
「少し暑かったみたい。汗かいちゃったわ」
困ったように微笑みながら、髪の毛を持ち上げて汗を拭く。
白い首筋が露出され、オリビアはそこにハンカチを押し当てる。
「はぁ……さっき入浴したばかりなのに」
残念そうな声を聞き、アインは一つ提案する。
「でしたらお母様。軽くシャワーでも浴びて来ますか?」
それぐらいなら、髪の毛を濡らさなくても平気だろう。
そしてただお湯を浴びるだけで済むのだから、オリビアにとっても気軽にすることができる。
「うーん……そうしよう、かしら」
たかが汗。もちろん渇くので問題ないのだが、現状あまりいい気持がしないのだろう。
オリビアはアインの言葉を聞くと、少しだけ考えてから頷いた。
「わかりました。それじゃ——」
——それじゃ、俺はここで待ってますね。
アインはこう返事をするつもりだった。……そのはずだったのだが、オリビアはわかりましたと聞いて、アインの手を取り立ち上がる。
「え、えっと……?」
どうして自分の手を取ったのか分からない。
アインはオリビアの手を見て、不思議そうに首を傾(かし)げる。
「お母様?どうしたんですか?」
椅子からオリビアを見上げ、アインはこう尋ねた。
「……どうしたもなにも、入浴しに行くんですよ?」
「は、はい。それは知ってますが……どうして俺の手を?」
あぁそうか。もしかしてエスコートが必要なのかもしれない、アインはそう思ったが……。
「だって、アインも入浴するのでしょう?だから、一緒に行こうとしてるだけなんだけど……」
——違う。どこかで言葉を履き違えている。
自分は確かに風呂に入ると口にした。そしてその後、オリビアにもシャワーを浴びてはどうか、と提案した。
だがどうして、それが一緒に風呂に入るという事なるのか……。
「確かに俺も入浴しますが、俺は後で入るので、お母様が先で……——」
さすがに、一緒に入るのは厳しい。いろんな意味で。
「どうして?アインも行こうとしてたのだから、一緒でいいと思うの」
「……俺もいい歳ですから、お母様と一緒というのも」
産まれ方としては、多くの部分で微妙なラインだが……。
「ア、アインは私と一緒に入るのが嫌、なの?」
効果音を付けたくなるほど、悲しそうな表情となるオリビア。
悲しそうな表情となられるとは思わなかったので、アインも咄嗟の返しに戸惑い始めた。
「嫌とかではなくてですねっ……!もう学園も卒業の年齢ですし、それに今までもずっと一緒に入ってませんから……」
「でもアイン。港町に住んでた時は、一緒に入ったりしてたじゃない……!」
頑なにラウンドハートと口にしないのは評価できるが、その言葉は今は通用しないだろう。
「お母様。その、それは俺が幼いころのことですから」
オリビアに入浴を補助してもらっていたのは、アインが1歳と少しになるまでのこと。
それ以降は、ラウンドハート邸にいた給仕たちが、アインの世話を手伝っていた。
つまり10年以上も、一緒に入っていない計算となる。
「でも、アインはアインですよ?そんな幼いとか大人だとか、私には関係ないもの」
「え、えぇ。確かに俺はアインですが……」
今日のオリビアは機嫌がいいだけでなく、強く自分の意思を主張してくる。
だがこう話しているうちに、アインに名案が浮かんだ。
「……わかりました!一つだけ条件があります!」
「条件……?どういう条件ですか?」
——勝った。
オリビアにそう言わせたことで、アインは勝利を確信した。
だが正直な事をいえば、オリビアと風呂に入ることに興味がないわけじゃない。それどころか、前向きに検討したいところだ。
それでも、まだ自分の理性が残っているので、そうしたラインは保てている。
「その条件とは、水着です!」
立ち上がったアインは、オリビアよりも背が高い。
となれば、今度はオリビアがアインを見上げるため、先ほどとは光景が変わる。
「水着?」
きょとん、とした顔でアインを見つめるオリビア。
首を傾げる姿が可愛らしいが、今はそれどころじゃない。
「はい。水着を着ることができれば、裸じゃありません。だから俺も、水着を着てくれるなら浴室に向かいます」
言い切ったアインは、自信満々な表情でオリビアを見る。
するとオリビアはそんなアインを見て、ゆっくりと視線を地面へと下ろす。
悲しませてしまっただろうか。アインはそう心配したが、オリビアはすぐに口元に手を持っていき、くすくすと笑い声をあげた。
「お、お母様?どうして笑ってるんですか?」
急に笑い出したオリビアを見て、どうしたのかと尋ねる。
「う、ううん……なんでもないの。ただ少し、嬉しかっただけです」
「嬉しかった?」
一体先ほどの言葉で、何が嬉しかったのか。思い返しても見ても、アインにはそれが分からない。
「えぇ、そう。アインが一緒にお風呂に入ってくれそうだから、嬉しくなっちゃったの」
「……ですから、それは条件を守ってくれるならと」
海に入る予定がないのに、水着なんてもってるわけがない。
というのに、このオリビアの余裕はなんなのだろうか。
「ねぇ、アイン。……私の勝ちみたいですね」
するとアインの側を離れていき、オリビアは1つのバッグに手をかける。
「はい、これ。ちゃんと来ていくから、アインは先に入浴しててくださいね」
サファイアのような青い水着。
それを手に取ったオリビアが、勝ち誇ったような笑みでウィンクする。
「…………あるぇ?」
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