横暴な貴族?

「満足いったのニャ」



 イストの夜の駅は、息が白くなるような気温と澄んだ夜空が印象的だった。

 オズから赤狐のことを教えて貰ってから、まだ一日という短い時間しか経っていないが、カティマは王都へと戻ることにしていた。



 予定通りディルを護衛に借りて、アインとは一足先に別れることになる。



 カティマが滞在したのは数日だったが、昨日オズと別れてからも長い時間ディルと町に繰り出し、様々な物を購入したり見学したと聞いた。そうして短い期間といえども、カティマはこの旅に大いに満足したのだった。



 そしてカティマとディルのそばには、バーラとメイの姉妹も控えている。



「さぁ行くニャー。ほら付いてくるのニャ!」



 肉球で、ばしばしとバーラの腰の部分を叩くカティマ。昨日宿に戻ってから、アイン達は素性を明らかにした。それを聞いたバーラは一瞬で放心し、気を取り戻すまで30分程の時間を要した。妹のメイはなにがなんだかわからなかったようで、アインの膝の上でニコニコ座っているだけだったが……。



「カ、カティマ様わかってます!わかってますからそんなに叩かないで!」



 途中から面白くなったのか、ばしばしとバーラを叩く速度が速くなっている。痛くはないと思うが、その見た目のうざさは速度と比例して増大していく。



「で……ではアイン様。先に王都に戻ることをお許しください」


「いやーむしろカティマさんを任せてごめんって思ったりするけど、気を付けてね」



 苦笑いを浮かべるディル、通常ならばアインを優先したいところだが、カティマにも護衛が必要となるのは当然の事。

 そして自分よりも実力があるクリスが残って、王太子アインの護衛をするのは納得できる。



「お兄ちゃんお兄ちゃん!またすぐ会える!?」


「会えるよ。だからちょっと待っててね、おいしいお菓子もたくさんもらえるからね」


「ほんと!?」



 妹が出来たみたいで、彼女が甘えてくれるのが嬉しくて、アインもついメイを甘やかしてしまう。

 自分が連れてきた手前、本当なら共にいるのが最善なのだろうが、今回はしょうがない。



「すみません殿下っ……こらメイ!駄目でしょ!」


「だ、だってお兄ちゃんはお兄ちゃんだし……」


「まぁ少しずつ教えてあげればいいよ。急に環境を変えさせたのはこっちなんだから、文句なんてあるわけもないからさ」



 礼儀もくそもあったもんじゃないが、頭を勢いよく上げ下げして謝罪するバーラの姿。ただ彼女が申し訳なく思っている気持ちは簡単に理解できる。



 ——駅の外で別れの挨拶をしていた一同だったが、出発の時刻が徐々に近づいてきた。



「さてそれじゃアイン。そろそろ行くニャ……私なりにいろいろと支度もしておくから、安心するといいニャ」


「頼んだよカティマさん。それじゃみんな気を付けて!」



 今日の朝のうちに、カティマたちの荷物は王家専用列車へと積み込まれているため、彼女たちは手ぶらで列車に向かって行く。その中でも持ってきた荷物というよりも、カティマが購入した物ばかりがスペースを食っていたが。



「……」



 静かに手を振って、カティマにディル……そしてバーラとメイを見送った。彼女たちが見えなくなると同時に、深く息を吐き、そのアインの息は一瞬で白く染まった。



「冷えますから。宿に戻りましょうか?」



 同じく見送ったクリスが宿に戻ろうと提案する。ここにただ立ち止まっていても、体が冷えてしまう。



「それじゃ行こうか。……でも、バーラ達大丈夫だと思う?」


「なんだかんだ肝は据わってますよ彼女は。スラムという厳しい環境を生き延びてきたんですから、ウォーレン様達に厳しくされようとも、へっちゃらだと思います」


「確かに……」



 アインはそんな厳しい生活なんてしたことがない。ハイムに居た頃はそれなりに嫌味な扱いはされていたが、それでも平民と比べればよい暮らしができていた。



 だからバーラたちの暮らしていたスラムでの生活はわからない。だが先日見たあの環境を想えば、逞しく育つのも当然だろう、そう理解できる。



 彼女たちは王都に到着次第、まずはウォーレンや王宮の識者たちと面会することになる。また少し能力を見せることになると聞いた。彼女が持つ治療の魔法……その程度を調べることになっている。



「昨日は宿に戻ってからもゆっくりできませんでしたね。オズ教授から貰った資料……今日お読みになりますか?」



 どちらかというと私服に近い恰好をしたクリス。長く美しい金髪も今日は結ばれておらず、さらさらと風に靡いていた。

 アインは少しずつ彼女の新たな一面を理解し始めている。すぐに分かったのは、彼女は服装に応じて態度が変わりやすいといったことだ。



 つまり私服だったりすると、表情や仕草が柔らかく感じる。だが騎士服を着ていようとも"やらかす"機会が多いのは、もはや彼女の人間性と割り切るしかないのだろうか。



 たった今彼女が発した言葉も、普段の彼女からは考えられないような仕草を伴っていた。



「……あれ?どうしたんですかアイン様?」



 トンットンッと。軽快なリズムで歩いていた彼女が振り向いた。背中……腰のあたりに手を組み、体を九の字にするように振り向いたその仕草。アインを下から覗き込むように下げられた顔は、上目遣いにアインのことを真っすぐ見つめている。



「い、いやなんでもないっ……とりえず宿に戻って夕食にしよう!うん!それがいい!」



 彼女の容姿にスタイル、そして止めに先ほどの仕草。そんじょそこらにいる美女なんかも、尻尾を撒いて逃げ出してまうような、そんな姿に見とれてしまった。



 だがアインとしても、素直に見とれていたなんて認められるわけもなく。そこからはもう勢いで誤魔化すことにした。



「え?ちょ、ちょっとアイン様待ってくださいっ!」



 唐突に足早に進み始めたアイン。そして数歩分置いていかれたクリスが、急ぎ足でアインの隣に並んだ。



「そんな急がなくてもっ……」



 若干不満そうにしているクリスの顔を、アインは横目で確認する。誤魔化すために悪戯するときみたく笑ってみせると、クリスはやれやれといった様相を見せた。



「目的だった赤狐とかの資料は手に入ったから、あとはどうしよっかな」


「……楽しみにしていらっしゃった、ワイバーン便などを見学するのは如何ですか?あとは魔物闘技場とか……」


「っ魔物闘技場!?なにそれ!?」


「試験的に飼育している魔物たちが戦う場所です。所有している研究者や貴族たちが、自慢の魔物を出して競い合うんです。行ってみますか?」


「行く!すごい楽しそうじゃんそれ!」



 前世の年齢も加えれば、年相応とは言えないだろうか?……だがとうに薄れてきたそんな記憶を考えても意味が無いように感じる。この世界に産まれてから、大人のように振舞おうとしてもどこかうまくいかないことばかりだった。



 素直に泣くこともあれば、オリビアに甘えることもある……。少し前にアインはそれを考えてみたが、もう完全に自分は"アイン"という存在に変わったのだ、そう考えることにしていた。



「ふふ……では、明日からの日程でお時間があるときにでも参りましょうか」



 ……といっても、アインが大人びて手のかからないいい子だというのも事実。それを思えば今のように大きく喜ぶ姿もあまり目にすることはなかった。オリビアもそんなアインの姿を見たかっただろう……クリスはそれを考えれば、なんとなく少しの優越感に浸れた。




 *




 彼の研究室には、ご機嫌な鼻歌が響いていた。ここ数日、どうにも楽しいことばかりで機嫌がいい。



「いやはや長生きはするものです。こんなにも楽しく興味が惹かれることに出会えるのですから」



 普段はすることがないが、指でペン回しをしている彼。昔からなにか楽しいことがあったり、達成感を得られたときについしてしまう癖のようなものだった。



「私は裏切者ですかね?それとも……ううん。これもなかなか難しい、ですが人間社会も同じことではないだろうか。同じく人同士で争い合う。これは今までもそして今でもある、至極当然な事。ということは人間は裏切りあっている……これも間違いがない」



 例えば犯罪。小さな犯罪だろうとも、相手からしてみれば明確に被害を受けたということに間違いはない。そして彼が最近していることは、同族に明確な被害を与えているといっても間違いはないのだ。



「知識がある者達に大きな違いはない。ただ敵なのか味方なのか……あるいは中立なのか。この3点になるでしょう。ですが……襲われる側からしてみれば、中立といった立場の者も敵のようなものだ。なにせ助けてもくれないのだから。考えれば考える程楽しくなりますね。ですがこの曖昧な境界線に立つのが、きっと何よりも面白い……これは間違いない」



 彼が言葉にする曖昧な境界線とは、彼にとっての中立という認識だ。

 だがはたして中立というのは平和主義なのか?答えは是……ということはなく、逆だ。平和主義なんかじゃない、それが彼の考えだった。



「ただあくまでもどちらの味方にもならない、これが中立……では第三者とは?これは中立ではない。観測者……まるで観測者のようなものを第三者と呼ぶべきだ、たとえばそう。神のような存在が第三者というべきではないか!」



 彼はいつも唐突に考えを始める。その内容は二転三転することも多く、そのひとりごとの中で数多くの自己完結と問題提起を行っている。



 正直、彼が一人で考え事をしている時の頭の中は、きっと他の人間には理解できないことだらけだろう。



「っ……そうだ。こういう時こそ頼るべきだ、スピリチュアルであり……且つ実体性がない。愛……愛だ!愛に頼るべきだ!」



 ドンッ。

 大きな音を立てて机をたたいた彼。



 そのまま大げさな歩き方で壁に配置されているケースに足を運ぶ。そこに近づくにつれて、顔が紅潮し心拍数が徐々に上がっていく。



「今出してあげますよっ!さぁ……さぁどうぞこちらへ!」



 そうして扉を開き、彼が頼るべき"愛"が入った箱を取り出した。それを慎重に運び、部屋の中央にあるソファ。そこのテーブルへと持っていく。



「まだどこか香しい。そして開くときはいつも興奮を抑えきれませんよ……さぁ、どうか私に姿を見せてください」



 愛に頼るべき。彼はそう口にしていたが、あれはただの口実。"愛"に会うためにわざわざああして考えてだけの事。

 だが彼にとっては、この茶番めいた口実が何よりも重要だった。それは彼を構築している性格、その中の重要な因子の一つでもあるからだ。



「あっ……はぁー……今日も綺麗ですよ。美しい光だ」



 取り出したものを優しく、そしてゆっくりと撫で始める。愛おしく、自分にとって何よりも大事なそれを。まるで恋人のように撫でていく。

 すると自分の下半身へと血が集まっていくのを感じる、その熱も彼にとっては心地よいだけのことだ。



 更に鼻を"それ"に密着させ、大きく呼吸を繰り返し香りを嗅ぐ。



「興奮しているっ……これは、そう。まるであなたの隣に居た女狐を殺した時のように、その後にあなたの血を全身に浴びた時のように!それほど嬉しいのですっ!」



 ここ最近の出会いは、彼にとって興奮の連続だった。それは彼が過去に経験した、ある事柄と並ぶほどに。



「はぁ……はぁ……ふぅ、落ち着けました」



 ひとしきりそれをめでた後、ようやく満足できた彼。

 火照った顔も心拍数も、そして下半身に集まった大量の血液も落ち着いた様子となり、興奮していたテンションも徐々に降下していく。



「これは貴方が与えてくれた幸運なのですか……?愛しの父よ」



 そう静かに"オズ"は呟いた。



 呟いた後は、父の魔石へと数回舐めるようにキスをして、ようやく再度ケースへと戻した。

 名残惜しく思えるが仕方がない。大事に扱わなければならないのだから……そう納得することにしている。



「あの薄汚い女狐の魔石は、いずれ王太子殿下にお贈りするとしましょう。……女の魔石なんていう薄汚いものを手放せる、いい機会でもありますしね。きっとお喜び頂けるに違いない!」



 彼は女が嫌いだった。それは同種だけでなく、他種族も同様にだ。

 ちょっとした義務程度の気持ちで別に保管していたが、ちょうどいい機会だ……手放すことにしよう。そう心に決めた。



「ですがあのように美しいアイン王太子殿下へと、薄汚い女狐の魔石を渡す……?い、いやむしろ私の魔石をお渡ししたい!だというのに……どうしてだ?どうしてまだ私を苦しめるのだ女狐っ……!」



 彼がどう嫉妬心を抱こうとも、その気持ちは誰にも伝わることなく、イストの夜と共にかき消されていった。




 *




 天気は快晴。そして人が多く賑わっているこの場で、アインは注目を集めていた。



「……ではその女を寄越せ。それで我慢してやる」



 その男はこう口にした。場所は魔物闘技場……アインが楽しみにしていたこの場で、ちょっとばかりの面倒ごとが発生していたのだ。



「その女って、俺の隣に居る彼女でいいのかな?」


「そう言っているだろう。全く……その程度もわからぬのか」



 つまりはクリスを寄越せということだ。もちろん承諾するつもりも、妥協案を出すつもりもない。



「大体なんでそんなことをしなきゃいけないの?意味が分からないけど」


「……何度もいっただろう!貴様が近づいたせいで……我が家のワイバーンが動かなくなったのだ、何をしたのか分からぬが、賠償するのは当然のことだこの愚か者め!」



 あぁ。どうしてこうなったんだろう……。



 これは少し前のことだった。アインがこの魔物闘技場に姿を現し、外で魔物を披露している者達へと近づいた直後の事だ。



 ある一人の貴族が連れていたワイバーンが、急に縮こまって動かなくなってしまった。飼い主の言うことも聞かず、もはや使い物にはならない。それほどまでに怯え切ってしまっている。



「(ねぇクリスさん。何が起きたのさ……)」


「(恐らくですが……アイン様は特に、龍種からしてみれば恐ろしいのかもしれません。特にワイバーンは下位の龍種なので、尚更かと)」


「(……な、なんで?)」



 自分が何をしたのか?それが不思議でならなかったから、つい小声で隣のクリスに問いかける。



「(……海龍ですよ。魔物は気配に敏感ですから、あれを吸ったことでアイン様にある海龍の気配を感じ取ったのでは?)」


「(責任俺じゃんそれ)」



 少し残っている、海龍の気配に恐怖したのだろう。そう考えたクリス……だがあながち間違いではなかった。

 なにせ王都にいる海龍の双子は、同じく気配を感じ取ってアインを親と思って懐いているのだから。



 だからこそ海龍のように強大な存在を感じれば、ワイバーンが怖くなるのも当然だろう。



「……さて、どうしたもんか」


「なにをぼそぼそと話しているのだ!さっきから貴様……不敬だぞ!」



 太った貴族が言葉を発するが、アインは『うーん』と考えるばかり。

 だが簡単に女を寄越せという貴族がいることに、驚きを隠せないアインだった。


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