冒険の序章

 唐突に渡されても困惑する。一体この本は?そして魔王ってなんだ?頭の中に、疑問ばかりが浮かんでくる。



「……聞きたいことあると思うニャ。でもまず軽く目を通すニャ」


「わかった。じゃあまずは読んでみるよ」



 謁見の間の空気に押されてか、アインは素直にその一冊に目を通すことを決めた。

 まだ真新しい革製の背表紙。その手触りはまだ柔らかく馴染んでおらず、革独特のエイジングも一切見受けられない。

 型押しの文字が読みやすかった。



 少しの間、手触りを楽しみながら気持ちを落ち着かせたアイン。ようやくその本の表紙を開き始める。



「……カティマさんとクリスさんが作った本?」


「そうニャ。この半年の間、死に物狂いで調べまくって、やっとできた本ニャ。価値をつけるのも難しいニャ」



 それほどまでの自信作なのだろう。研究一筋だったカティマが、そうまで口にする程の代物らしい。

 アインにしか断ち切れない因果がある。カティマが口にした言葉が気になり続ける、その手がかりを見るため、アインはその一冊に集中し始めた。



「おっと、待つニャ。この布で体を覆ってから読み始めるニャ、……念のためだニャ」




 *




 魔王の発生条件について記す。



 1.純粋な人間種にはなることができない、異人種やハーフは魔王に至る可能性を持つ。

 2.幾度進化を続けようとも、最初生まれた種族の魔王として発生する。例えば鳥類の魔物として生まれ、別の種族に進化したとしても、鳥類の魔王となる。

 3.魔王に到達する才能がない限り、魔物がいくら魔石を食そうとも、レベルをあげようとも。そこに至ることは無い。



 上記の条件の許、この一冊を進めることにする。



 大陸イシュタルへと魔王が出現したのは、記録の中では過去に一度。

『嫉妬の夢魔アーシェ』ただ一人。

 彼女は嫉妬の名を冠するが、彼女が魔王として覚醒した当初は、その名を冠していなかった。それについての詳しい情報は後述する。



 過去のイシュタリカでは、現在では異人種とよばれる人種も魔物とされていた時代があった。現在では魔物寄りの体格をしていようとも、言葉が通じ、危害を加えない存在には異人種としての権利が与えられる。

 だがまだその意識が薄かった時代、魔王アーシェはその多くの者達にとっての王だった。



 彼女は人見知りすることが多く、王としては未熟だったと聞く。



 そんな彼女には二人の家族が居た。デュラハンにエルダーリッチの二人だ。

 この家族たちから、アーシェが魔王となる一つの国は始まる。



 3人の家族は、大陸イシュタルを長い年月をかけて旅を続けてきた。その旅の中で、数多くの出会いが3人を迎える。

 長きにわたる旅の中で、3人の家族は多くの魔物(異人種)を助け、名を広めていたのだ。



 それが続くことにより、3人の名前は多くの者達が知ることとなる。



 3人は優しかった。困っている者がいればそれを助け、共に戦った。すると3人を慕う多くの者達が集まり、一つの町に発展していく。

 それからというもの、3人はその新たにできた町を起点に、多くの旅を続けてきた。旅先で新たに助けられた者がその町を目指し、移住する。

 長い年月をかけてこの流れが続き、町は大きく発展を続ける。



 町はいつものように穏やかな空気に包まれ、その日々が続くかのように思われていた。



 だが唐突にそれは起こった。何の前触れもなく、まだ魔王となっていなかったアーシェが、高熱を発して意識を失う。

 ……それから3日後、彼女は何事もなかったかのように目を開いた。その彼女が目を覚ました日が、魔王アーシェの誕生の日だった。



 その情報は、町に住む者達に大きく伝えられる。その情報を聞いた町に住む者達は、王の誕生を祝い、国が出来たと喜んだという。



 それからというもの、魔王の誕生を聞いた数多くの魔物たちが、その町へと移住し始める。そして町はついに、国へと昇華したのだった。



 人間たちの国とは違い、質素で慎ましやかな文化だったという。それでも住む者達にとっては、生きるのに不自由ないことが何よりも有難かった。



 それも数年ですぐに状況が変わる。あることをきっかけに、その国は崩壊を始める。



 きっかけはある種族……赤狐だ。その種族がアーシェが魔王として君臨する国へと加入したこと。

 赤狐達は人当たりが良く、すぐに溶け込み、国民たちとも多くの交流をしていた。

 だが徐々に、徐々に国の様子が変わってくる。建築されたアーシェの城に、赤狐の長の女性が入るようになってから、国は険悪な雰囲気に包まれ始めた。



 多くの国民に気に入られる。人気があったその長は、とんとん拍子に地位を手に入れ、最後には魔王の側近の一人となることができた。その女性は数多くの献策を行い、国の発展に貢献してきた。



 だが彼女がアーシェのそばに行くようになってからというもの、彼女が落ち着きを保てなくなる時が多くなった。

 情緒不安定になり、独り言を多く口にしていたという。



 国民はひどく心配し、彼女がよくなることを祈っていた。そしてその時からだ、魔王アーシェの近くからデュラハンとエルダーリッチの二人の側近が、距離を置かれることになった。



 唐突に二人の側近は、少し距離のある新たな村に向かわされる。その結果、魔王アーシェの横には、一人の赤狐の女性のみが控えることになった。



 結局魔王アーシェの精神状況は回復せず、そして事件が起こることになる。魔王アーシェが『嫉妬の夢魔アーシェ』として目覚めたことだ。

 彼女は自分の欲望に忠実になり、自制心を持つことなく暴れ始めた。



 突如暴走を始めた魔王アーシェの許へと、デュラハンとエルダーリッチは命令を無視して戻る。だが3人が再び顔を合わせることは無かったという。なぜなら彼女がそれを拒否したからだ。



 その後は全てを破壊するといわんばかりに、暴走をし続ける。遠くに住んでいた人々の都を襲い、自分に従わない魔物たちの命を奪った。



 その後は数多くの犠牲の下、イシュタリカによって魔王は討伐されることになる。

 ……そして結論として、なぜ魔王が暴走を始めたのか。赤狐は何をしたのか。それを記すこととする。




 方法は分からない、だが魔王アーシェは『孤独の呪い』と呼ばれる、古い呪いを使われていた。

 それは"赤狐の長のみ"がもつ、一つの種族スキルとされている。どのようにして魔王アーシェにそれを作用させたのか、その方法はまだ分かっていない。




 *




「ざっくりだけど読んだけど。これってつまり、前に見つかった仮説が立証されたってこと?」


「そうニャ。例の赤狐が魔王を呪って、その呪いによって魔王は暴走。その結果がイシュタリカに伝わってることになるのニャ」


「……それまで、魔王は無害だったんだよね?」


「そうだニャ」



 アインはカティマの補足も聞き、なにが悪かったのか理解する。理由はどうあれ赤狐が諸悪の根源だということだ。



「じゃあこれまでのことはわかった。それで続きは……?」


「アインがエウロから帰る時、何があったのかを教えるニャ」


「っ……あぁ。わかった」



 ようやくだった。なぜ半年も時が経っていて、このようなことになっているのか。長い前置きが済んだことで、ついにその説明を受けられる。



「運命のいたずらニャ。エウロから渡された土産の中に、その赤狐の長を象った人形があったのニャ。それでアインは正気を失ったということだニャ」


「なるほどね。でも正気を失っただけで、どうしてこんなに長い間寝てたの?その意味が分からないな」


「申し訳ニャいけど、こういう特例もある。といった風に結論付けるしかなかったニャ。……アインの中の、デュラハンが暴走したのニャ。クリスから聞いたのが確かなら、彼(デュラハン)が使ったのは彼(デュラハン)の技ニャ。たったの一振りでホワイトキングに大きな損傷を与えられる程の攻撃力……でたらめニャ」



 カティマは淡々と説明を続ける。だがアインは疑問だらけで、理解が追い付かない。



「ま、待ってよカティマさん。それって……俺がまるでデュラハンに操られたような」


「そう言ってるニャ。じゃないとあんな技使える訳がないのニャ……今まで手に入ってたデュラハンの資料、そんなのあてにならない攻撃力だったのニャ。それほどまでの……ユニーク個体のデュラハンだったと思われるのニャ」


「アイン様……アイン様が倒れた後、体力や魔力を測定しました。体の状況を見るためです。すると魔力は完全にゼロ、そして体力も尽きかけていたのです」



 カティマの説明に、クリスが当時の状況を付け加えた。アインは膨大な体力と魔力を持つ。それがなぜそんなにも減ってしまったのか。



「そういうことだニャ、アイン。アインの魔力では足りない分を、体力を無理やり変換して使ったんだと思うニャ」



 それほどまでに、そのデュラハンの攻撃力は恐ろしい強さを誇っていた。そういうことだった。



「もっとわかりやすく言うニャ。多分そのデュラハンは、海龍なんて余裕で一刀両断できたかもしれない、それほどの実力者だったのかもしれないのニャ。まぁそんなわけで、アインは体に大きな負担を強いられて、それを回復するために体が休眠状態に入ったのニャ」


「……そっか。なるほどね、つまり自分の家族……魔王に危害を加えた相手の姿を見て、カチンときたってことか。それならもう一つの事も理解できる」


「ニャから、アインの体が暴走しないように、封印加工を施した特殊な布をかぶせてたってことニャ。今もそういうこと……それで、もう一つの事ってなんだニャ?」



 カティマが首を傾げる。だがアインはそんなカティマから視線をずらし、玉座そばにいるシルヴァードに目を向けた。



「お爺様」


「……あぁ、なんだ?」


「赤狐がエウロに……あちらの大陸に移った事。何かの準備をしているとお考えですか?」


「いつもながら察しの良い子だ。確かに、余はそう思っている」


「そして将来必ず、イシュタリカに何かをしてくると?」


「……あぁ。その通りだ」



 懸念はつまりそういうことだ、奴らは魔王を扇動して人を襲った。どういう目的で人を襲わせたのか、それもこれから先情報を集めなければならないだろう。そしてその姿が隣の大陸から見つかったということ、これから先何もないとは思えない。



「そっか……うん。なるほどそういうことか……それじゃ、下手をしたら俺も狙われるかもしれないわけだ」



 静かにうなずくシルヴァードを見て、アインは納得した。



「ねぇカティマさん。そのデュラハンを抑えようとしてた封印は、おそらくもういらないと思う」


「……なんでだニャ?」


「"彼女"が大丈夫っていってたから、やっと意味が分かったよ……さっきいったもう一つの事っていうのは、彼女の事。だから平気だよ」


「だ、誰のことを言ってるのニャ……?」



 アインは一つだけ、深く呼吸をした。



「彼らと縁を持った俺が最適だろうね。……お爺様、まずは俺に調べさせてください。……赤狐のことを」



 もし万が一……赤狐が行動を起こそうとしても、それは近い将来じゃないかもしれない。遠い未来のことかもしれない。

 アインはそんなことを考えた。だがそれでもデュラハンやエルダーリッチ……彼らと縁を持った身としては、それを捨ておくことは考えられない。



 アインはシルヴァードにロイド、そしてウォーレンにカティマ。……最後にクリスの顔を一目見てから、自分の決意を言葉にするのだった。




 *







 アインが目を覚ましておよそ一カ月。



 数多くのことが目まぐるしく流れていった。

 まずは学園だ、定期試験を特例として引き延ばしていたため、貯まっていた試験を全て行った。もちろん成績は下がってしまったが、それでもなんとか一組(ファースト)を維持するのは成功。

 その後久しぶりに再会したバッツやレオナード、ロランの3人とゆっくり話をした。ただアインは、長期の仕事についていたことになっている、そのため彼らはアインをお疲れ様と労った。

 車いすを使っていることはつっこまれたものの、旅先で怪我をしたと説明した。



 その後は必死に体のリハビリを続けた。とはいっても、彼女(エルダーリッチ)が何かをしてくれたのか、アインの体はすぐに快調に向かい、一カ月もたった今ではむしろ前よりも好調な気がした。



 そしてようやく、エウロへと向かう前にした約束を果たすため、彼女の下を訪れた。



「やぁクローネ」


「……やぁ。じゃないと思うのだけど?」



 城ではなく、町に構えられた彼女の家……オーガスト商会の本拠地であり、クローネの今の家だった。

 唐突に約束無しに向かったアイン、そんなアインが『やぁ』と言い出すのだから、クローネとしてはたまったものではない。

 ちなみに今日は、彼女の祖父のグラーフは商会の業務で出張中らしい。



 アインが半年ぶりに目を覚ました日、その日のうちに彼女(クローネ)は城に来た。もちろん目に多くの涙を浮かべ、アインに抱き着いたのはクリスやオリビアと同じ反応。

 その日からというもの、この一カ月の間のほとんどの日を、アインのリハビリに付き合ってきた。

 そして今日。今日はアインも休むということから、クローネも自分の家に居た。



「はぁ……まぁいいわ。いらっしゃいアイン、中に入って」


「うん。ありがと」



 綺麗に纏められたクローネの部屋に入る。この建物へと来てからというもの、商会の人間には大きく驚かれていたアイン。だがクローネとのことを知っている彼らは、なにも疑うことなくアインをクローネの部屋へと通した。



「全くもう……わかる?女性にはいくつもね?支度をしなきゃいけないこともあるの。だから急に来るのはっ……」



 少し怒られながらも、アインはただニコニコしながら口を開く。



「ねぇ。デートしよっか」


「…………っ!?」



 暫くの硬直の後、大げさに驚いたクローネを見て喜ぶアイン。アインが唐突に様々なことをするのは日常茶飯事、だがそれでもアインのその急な言葉には、彼女の思考を奪うのに十分な攻撃力があった。



 外はもうすぐ春ということで、暖かな陽気と穏やかな空が広がっている。そんな中二人のデートが始まる。




 *




 その暖かな陽気は、デートをするには絶好の日和となった。人通りの少ない場所を歩き、目的地へと到着していた。



「きゃっ……もう、水とばしちゃだめでしょ?ね?」


「いやー和むね」



 デートといっても、遠出するわけにもいかず。かといって王都の近くではそう目立つ場所にも行けない。買い物に行くのはぎりぎりのラインだ。大通りなどは避けなければいけない。

 そこでアインが選んだ場所は、王都の港。マグナに比べると狭い港だったが、そこに停泊していたプリンセスオリビアの近くだ。

 ここならば、イシュタリカの民は普通入ってくることがない場所のため安心できる。



「ちょっとアインっ?デートとかいっておきながら、貴方はどうしてそこで見てるだけなのかしら?」


「クローネがそいつらと遊ぶの見てると、すごい癒されるんだよね」



 ちなみに今日はアインの護衛はいない。だが隠密行動の者達が、陰からアインとクローネの二人を見守っていた。

 クリスに無理をいってこういう形に収めてもらっていたのだ。



「っ……そ、そう……で、でもだめよ?ちゃんと私の相手もしてくれないと」


「わかってますよお嬢様。よっと」



 アインは桟橋に置かれた木箱に腰を掛けていた。そしてクローネが遊んでいた相手は双子の海龍。さすが魔物というべきなのか、彼らの成長速度は尋常じゃなかった。というよりも、おそらく餌に問題があるのだろう。



 一人の犯人が、面白がって双子へと多くの魔石を与えていた。一つ1000Gなどの安いものから、高価なものでは50000Gを超えるようなものまで買い与えていた。



 日々の成長記録をつけてくれることや、世話をしてくれることはありがたい。だがここまで育つとは、その犯人も予想していなかったようで、『こうなるとは思ってなかったのニャ!でも止められないのニャ!』などとのたまっていた。

 そのため双子の海龍は、きっとこれからもすくすくと成長することになるだろう。



「それにしてもさ、ほんっと半年寝てる間に大きくなったよこいつら」


「キュルルァー?」


「キュー?」


「声は可愛いのだけれど、もう体の大きさは可愛いだけじゃないものね」



 エルとアル。二頭の海龍はすでに体長5mに到達し、今でもなかなかの戦闘能力を持っている。近海に棲息している小さな魔物たちを自分で狩り、それを餌としているようで、たまにおみやげを城に持ち込む。

 稀に海結晶を持ってくるので、あまり馬鹿に出来ない土産だった。



「二人とも今は水路を通って城に帰ってこられるけど、もうすぐ厳しくなるね」


「えぇ。そうするとお父さんアインとしては悲しいのかしら?城ならすぐに会えるけど、ここだと少し時間がかかるものね」


「……ま、まぁ大きく育つのが一番だからね?」



 くすくすと笑いながら問いかけるクローネを見ていると、今日会いに来てよかったと思ったアイン。



 二頭の海龍のため、城の水路と外の水路を繋げていた。数多くの封印を行い、厳重に作られたその通路は彼ら双子のためだけに作られたのだ。



「……それで?どうしたのアイン?」


「どうしたのって?」



 海龍の頭を撫でていたクローネが、その美しいライトブルーの髪を靡かせながら振りむいた。



「はぁ……もう。わからないと思ってるのかしら?いい加減怒るわよ?」



 ムスッとした顔をしても、その可憐な容姿に変わりはない。少し微笑ましく思ったが、本当に怒られる前に正直に言うことにした。



「もしも俺がさ、完全に魔物みたくなったらどうする?」


「……あ、あれ?えっと……う、ううん……予想外だわ……」



 アインが答えたと同時に、虚を突かれた表情をするクローネ。何か当てが外れたようだ。



「どうしたのさクローネ?」


「……ええっと。赤狐の事だと思ってたのだけど、違ったのかしら?って……」



 アインが赤狐を調べるということはクローネも聞いている。その調べる方法はまだ確定まで到達していないが、それでも数多くの場所へと足を運ぶことになる、そしてそれには危険も伴うのは当然のことだ。



「あぁっごめん!そっちだと思ってたんだ……まぁそれも一つの問題だけど、今はちょっと違ったというか」


「え、えぇまあいいのだけれど……。魔物になるって、つまりデュラハンのように?」


「そういうこと。可能性としてはあり得ないことじゃないって、カティマさんが言ってた」



 すでにジョブがネームドとなっているアイン。それは通常魔物が会得するものだからこそ、その懸念と推測は無視することができない。そして赤狐を調べていくうちに、デュラハンの影響を受けて完全に魔物化することが心配だった。



「つまり魔物として、生まれ変わることがあるかもしれないってこと?」


「そう言ってもいいかな。魔物になるってことだから」



 首をかしげながらアインを見るクローネ。揺れる髪から、クローネ独特の花のような甘い香りが漂う。



「……過去にそんなことあったの?」


「昔はそういうことができる魔法もあったって、だからあり得ないことじゃないらしい」



 アインの返事を聞いて、クローネは更に考え始める。細く形の良い白い指を口に当てる姿は、どことなく艶めいていて美しい、当然アインの目を奪っていた。



「じゃあこうしましょうか」


「え、えっと……?」


「えぇ。貴方がもし本当に魔物となってしまうことがあったら。生まれ変わったアインから、またこれを贈ってほしいの」



 クローネがアインに向けたのは、彼女が左腕に装着しているスタークリスタルのブレスレット。

 それは昔と変わらず、美しい輝きを放ち続けている。



「そうすれば問題ないわ。そうでしょ?生まれ変わった新しいアインからも、同じくスタークリスタルを贈ってもらえるなら、私はなにも文句ないもの。ね?」


「も、問題ないって……ありまくりだと思うけど」



 クローネが何をいってるのか理解できない。魔物となっても、またスタークリスタルを贈ってくれたらそれでいい、そんなことをいわれても、アインはただ困惑するばかり。

 だがアインはスタークリスタルを贈ることの意味を、もう一つの意味プロポーズを失念していたのだ。



 クローネはその証として、アインからスタークリスタルを受け取れるのなら、それだけでよかったのだ。



「まぁそれぐらいでいいなら勿論……でも、いいの?」


「はぁ……もうっ。それぐらいっていうけれど、私がここにいるのは、その"それぐらい"から始まっているのよ?そんな軽い扱いをされると悲しいわ」



 クローネが胸の下に手を組み、アインに不満の意思を伝える。



「ご、ごめんっ!でも驚いてさ……」



 咄嗟に言いつくろうアインの姿を見て、クローネはまた柔らかく微笑みを浮かべた。



「ふふ……もう。いいわよ、だからもしそうなることがあったら。……約束ね?」


「……あぁ。約束するよ。もしそうなったら、もう一本スタークリスタルをクローネに受け取ってもらう」



 アインの返事を聞いたクローネは、足取り軽く歩きはじめ、アインの隣に腰を掛けた。



「赤狐のことはしょうがないわ。アインが一番の適任なのだから、それが一番いいのは私もわかるの」



 アインの手をとり、その上に自分の手を重ねて語り始めるクローネ。



「……常に王都を離れるわけじゃないのでしょ?」


「ひと月のうち、半分ぐらいだと思う。イシュタリカは水列車がいろんなとこに続いてるから、そのおかげで移動時間は少なくて済むよ。なんだかんだ学園も行かない訳にはならないしね」



 そして恐らく、これからはギルドへも出入りすることになるだろう。なにせ冒険者たちが持つ情報は、国が持つ情報よりも格段に多いのだから。



「……そう。それで……いずれ、ハイムとかに行くこともあるのね?」


「うん……あると思う。あっちのほうがもしかしたら、情報は多いかもしれないからね」



 自分から伝えるつもりだったが、ハイムに行く可能性があることを、クローネは既に予想していた。

 アインのことが心配なのか、手に取ったアインの手を撫でさするクローネ。少し気恥ずかしいのとくすぐったいので、アインは徐々に緊張し始める。



「アインが心配に思ってたこと、私に言いたかったことはそれで全部?」


「え?あ、あぁ……そうだけど」


「そう。ならいいの……それじゃ行きましょうか。ほら、立ってアインっ!」



 アインの手を握ったままクローネは唐突に立ちあがり、アインを引っ張り始める。それに抵抗することなく、アインはその流れに身を任せる。



「ちょっ……ク、クローネ急にどうしたの!」


「……デートなんだから、一つの場所にいる必要はないでしょ?大通りを通らなければ、大きな騒ぎにもならないわ。さぁ行きましょ?今日これからは、私の買い物に付き合ってもらうの!」



 満面の笑みを浮かべるクローネの姿、それはいつ見ても眩しく感じる。

 彼女に手を引かれながら、アインは双子と遊んでいた桟橋を立ち去った。双子の海龍は若干寂しそうな声をあげたものの、二人のことを見送った。



 少しずつだが、アインが進む道は険しくなるだろう。だからこそ、今日のような時間を楽しみたい。

 それはアインだけでなく、クローネも同じことを考えていた。


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