因果

 ふと気が付くと、アインは涼しい風が吹く草原にいた。なにか柔らかいのを枕にしているようで、首も決して辛くない。

 あえて問題をあげるならば、ここが何処かということぐらいだった。



 体を起こそうとしても起こせない。まるで体の動きが制限された夢のようだった。



 ……ところでアインは目を開けなかった。目を開いてないのに、なぜかその場の状況が理解できる不思議な現象。

 でもアインは分かった。そこが穏やかな空気に包まれた平原で、どこまでも青い空がひたすらに広がっている。



 アインの顔の上から鼻歌が聞こえてくる。女性の声で、彼女がアインを膝枕している。だからアインはこのような場所でもリラックスしていられた。



 その女性が、眠っているアインの頬を撫でる。



「……よしっと。もういいかしらね」



 何がもういいの?アインはそう口にしたかったが声に出せない。だがそれでも、彼女はアインの考えを理解できたようだ。



「貴方自身のことですよ。さぁもう大丈夫……ごめんなさい、迷惑をかけたわね」



 俺自身のこと?迷惑をかけた?貴方は一体何を言ってるんだ……アインが心の中でそう思うと、彼女はただ困った様子になり、アインの頭を優しく撫でた。



「……さぁ行ってらっしゃい。もう何も心配いらないわ、次からは私がなんとかするから。本当にごめんなさい……」



 彼女はアインの気持ちに、答えを与えなかった。だが唐突にアインの体に自由が戻ってきたように感じる、彼女のことを、そしてここはどこなのかを調べるため。アインは目を開き彼女の方を向こうとしたが、体を動かすと同時に景色は白く輝き始める。




 *




「っ貴方は一体……!」



 アインはそのまま体を起こすことに成功した。だが気が付いてみれば、先ほどまで感じていた場所ではなく、そこはイシュタリカの城内。アインの部屋だった。



「……あ、あれ?」



 頭の中を整理する。落ち着け、自分はどうしてここにいる?さっきの場所はどこだ……?考えれば考える程、分からなくなってしまう。……まず自分は、エウロに名代に行ってたはずだ。それで帰りに……帰りに?



 最終日には、巨大な海結晶の引き揚げ作業を見学した。その後の記憶が思い出せない、何をした?いつ帰ってきた?いつ城についた?



「……夜か」



 外を見れば、辺り一面が漆黒に覆われていた。

 イシュタリカの城下町は、遅い時間でも数多くの灯りを見受けられる。だがそれも深夜2時過ぎともなれば、アインの部屋から見ても、数える程に少なくなる。今がその時間帯のようだ。



「あ、あれ?なにこれ……怪我したのかな俺」



 アインの右腕は包帯で覆われていた。その包帯には見覚えがある。カティマの研究室にあった、特別製の包帯だ。

 マジョリカのような、封印に関するスキルを持つ者が作った包帯。何故そんなものが自分の腕に巻かれてるのか、全然理解できない。



「ふーむ。まぁいいか」



 腕に違和感は感じない、だからその包帯を一気に剥がした。というよりもアインがその包帯に触れると同時に、それはまるで灰のように消え去ってしまう。



「訳が分からん。さて……まずは」



 チリンチリン。

 アインが枕元に置いていたベルを鳴らす。これを鳴らすことで、給仕がいつでもアインの許へと来てくれる。



「まだ若いってのに、物忘れが激しいってのは勘弁したいところなんだけど。疲れが溜まってたのかな」



 初めての国外への名代。

 そのせいか、疲れが溜まっていたのかと考えたアイン。

 それもそのはず、なぜか久しぶりに弟と再会し、ハイムの面倒な王族とのやりとり。精神的にも大いに疲れていたのだから。



 悠長にそんなことを考えていたら、外から騒がしい音が聞こえた。するとすぐにドアは解放され、アインの部屋に入ってきたのはマーサとクリスの二人。



「ア……アイン、様っ……?」



 先に口を開いたのはクリス。その表情はまるでお化けでもみるかのように、驚きに染まっていた。



「やぁクリスさん。ごめん帰って来てからの記憶がないんだけど、俺いつ城に戻ってきたんだっけ?ちょっと弟とのやりとりで、精神的にも疲れてたみたいで……」



「アイン様ァッ!」


「ちょ、え……?な、なにクリスさん!?」



 アインの言葉を聞いたクリスは、大粒の涙を流しながらアインに抱き着いた。どうしたのかと、あまりのことにアインも反応できない。



「ア、アイン様っ……お体は、お体は如何……でしょうか?」



 マーサの表情も、アインからしてみればどうしたの?といいたくなるような表情をしていた。

 驚きのあまり何も口にできていないような、どうしようかと迷ってしまった様子が感じられた。



「ん?あぁ帰って来てから長い時間寝てたみたいだし問題ないかな、むしろ寝る前よりも好調になった感じ。それでどれぐらい寝てたの?」


「……クリス様。私は陛下達をお呼びして参ります。アイン様を御頼みしても?」


「は……はいっ……大丈夫、ですっ……」



 今だ泣きはらしているクリスが、マーサへと了承したと返事をする。

 まだアインは状況が理解できない、なんでクリスはこんなに泣いているのか。



「ねぇクリスさん。どうしたのさ?そんなに泣いて」


「だって!だってアイン様がっ……アイン様がっ!」


「う、うーん……そう言われても、ちょっとわからないけど」



 年上の女性、それも美しいクリスを慰めるというのは少し気恥ずかしい。

 だがこんなに泣かれていては、何もしないというのも何か違う気がしたアイン。アインの胸元で泣き続けていたクリスの頭を、子供をあやすように撫でさするアイン。



 そうこうしているうちに、マーサが大急ぎで戻ってきたようで、呼ばれてきた者達は皆同じような表情を浮かべた。

 呼ばれてきたのはオリビアにシルヴァード、そしてララルアの3人だった。

 その中でも特に、オリビアはクリスと同じ反応をしたのだった。



「ア……アイ、ン……本当に、アインよねっ……?」


「え、えぇお母様。帰って来てからの記憶がないのですが、名代を終えて帰国しました。いろいろあったので、たくさん話をしたいことがあるんですよ……っと、お……お母様?!」



 駆け出して、クリスの横で同じく泣き始めたオリビア。

 あれ?お母様までどうして……?そう思ったアイン、困った顔を浮かべシルヴァード達の方を見上げた。



「アイン」


「お爺様。名代を終え、無事に帰国しました。申し訳ないのですが、疲れていたせいか状況が分かっていません……教えて頂くことはできますか?」



 アインの視線を受けたシルヴァードが、その名を口にする。そしてアインは名代を終え帰国したと告げた後、状況の説明を求めた。何かを我慢するような、なんとかしてその表情を保っているようにみえるシルヴァード。その様子すらもアインには不思議に映る。



「……久しぶりに、アインの声が聞けて嬉しく思う。もうすぐカティマが来る、あ奴も加え話すとしようじゃないか」



 ……久しぶり?

 何を言ってるんだ?そう思ったアインだが、カティマがきたら話すを言われたので、彼女の到着を待つことにする。



 シルヴァードの言葉から十数分後、カティマが寝巻のまま到着した。寝巻といっても猫の着ぐるみのようなもので、第三者からしてみれば、意味が分からない寝巻だ。猫が猫の着ぐるみをきる必要性が理解できない。



 そんな間抜けな姿であろうとも、シルヴァード達にとってしてみれば、今は誰よりも心強い人物だったのだ。



「……ようやく起きたのニャ。この問題児め」


「問題児って……ハイムの人たちが居たのは俺のせいじゃなくってさ」


「それじゃないニャ。……なにも、わかってないのニャ?」



 彼らがカティマを待っていた間も、アインはクリスとオリビアに抱き着かれたままだった。それは今も同じく、二人は力強くアインにしがみついている。

 だがシルヴァードやララルア、それどころかマーサなどの誰一人すらそれを咎めることがなく。それに対していつものシルヴァード達と違った印象を抱くアイン。



「あとはグリントのこと?それとも」


「まぁ今回のは、意図してないってわかってるんニャけど……まぁいいニャ。ほりゃオリビア、クリス。ちょっと退くニャ」



 アインに近寄ったカティマが、オリビアとクリスの二人をアインのそばから除ける。



「お、お姉様っ!今ぐらいは……っ」


「あ……あうぅ……」



 オリビアが恨めしそうな顔をカティマに向け、クリスは捨てられた猫のような顔をアインに向けた。

 対照的な二人だったが、それを全く意に介することなく、カティマは二人をアインから離す。



「アイン。歩けるかニャ?」


「歩けるかって……そりゃもちろ……あ、あれ?」



 ベッドから降りようと、立ち上がるために体に力を入れたアイン。だがいつものように体が動かず、ベッドから転げ落ちそうになる。その様子を見て、カティマが小さな体でアインを支え、ベッドの上に戻した。



「まぁ少しのリハビリは必要だニャ」


「リ、リハビリ?」



 この部屋の空気は、皆が言葉を発しづらい空気が漂っている。

 それでもカティマはアインへと語り続ける。



「なにもおかしいことじゃないニャ。いろいろ世話はしてたし、魔道具で体の調子を整えても居たニャ。でもそう全てがうまくいくわけじゃないからニャー……」


「ごめんカティマさん……意味が分からない。リハビリが必要って、どういうこと?」



 少しだけ表情を真面目なものに変えたカティマ。ついにその質問への答えを告げた。



「……半年ニャ。アインがエウロから帰って来てから、あの事件が起こってから半年近くアインはずっと、ずっと……そのベッドの上で、意識を失っていたニャ」



 寂しそうな表情で、『もうすぐアインも5年次だニャ……』最後にそう付け加えたカティマ。

 アインがエウロから帰国して、すでに半年近くの時間が経っていたのだ。



 その後は、アインも呆然とすることしかできなかった。クリスとオリビアの二人は、アインと離れたく無さそうにしていたが、シルヴァードの言葉もあり一緒に退室することとなる。



 深夜にする話でもない。だからこそ、その場は一度解散し朝一で集まろうということになった。

 その後のアインは、一睡もできなかった。なにせ情報は一つも無く、いきなり半年の時間が経ったと言われただけなのだから。

 必死に記憶を思い返そうと、何があったのかを考えていた。数時間して、ようやく最後の状況を少しだけ思い出してきた。



 エウロから受け取った土産。それがきっかけになってアインは、まるで自分が自分でないかのように変貌していた。



 だが今は、その土産のことを考えたくなかった。たった一人でいるときに、あのことを考えてしまうとまたどうにかなってしまいそうだ。そう思えば、他のことを考えて思考を反らすしかない。



 ……自分の体を見てみる。何か違和感があると思っていたら、体が成長していたのだ。アインは育ち盛り、そりゃ半年もすれば寝たきりだろうと、体は少しずつ成長する。

 アインは自分の体の成長に、少しの喜びを噛み締めていると外が明るくなってきた。




 *




 朝になるとマーサが迎えに来た。

 彼女は足が不自由な人が使う魔道具、分かりやすく言ってしまえば、魔石で稼働する車椅子のようなものを持ってきた。

 アインの介助をして、アインをそれに座らせるとそのままアインを連れて行く。



 到着した場所はシルヴァードの私室。そこいいたのはシルヴァードとララルア、それにクリスにオリビア。最後にカティマの計5人がアインの到着を待っていた。



「待っていたぞアイン」


「お待たせしましたお爺様」


「アイン。さぁこっちにいらっしゃい」



 オリビアに誘われ、アインはオリビアの隣に移動する。オリビアはソファに座っているが、アインはその横に並ぶことになった。そしてクリスはオリビアとは逆の、アインの反対側の隣に移動し、アインは二人に挟まれる形になった。



「アイン君?体の具合はどう?」


「自由に動かないのが歯がゆいぐらいですね、他には問題ないですよ」


「そう……ならよかったわ」


「アイン。もうすぐロイドとウォーレンも到着する。だが先に聞きたいのだ」



 ララルアがアインに語り掛けた後、一呼吸おいてシルヴァードが口を開く。



「……なんでしょうか?」


「国の危機となることがあれば。お主はどうしたい?アインは王太子、決して自ら危険に飛び込む必要はない。だが仮にアインにしかできぬことがある。そうなったとして、アインはどうしたい?」



 国難、まるで海龍の時のような話だ。だが今回の場合、最初からアインにしかできないことがある。そう分かっているという。つまりアインがいなければ、解決できないかもしれない。



「その国難は、此処にいるみんなやウォーレンさんやロイドさんたち。……クローネ、彼女も被害を受けると思ってもいいんでしょうか」


「勿論だ」



 真っすぐとアインを見つめるシルヴァード。その目線を受けて、アインも気持ちを込めて答えることにした。



「……今となってはイシュタリカは、俺の祖国です。家族を守るため、大切な人たちを守るためなら。俺は危険であっても立ち向かいたいと思います」


「そう、か。……皆、アインの言葉は聞いたな?」



 シルヴァードはそう言いながら、部屋にいる者達の顔を見た。

 ララルアは目を瞑り、ただ静かに構えている。オリビアは隣に座るアインの手を、強く握りしめていた。

 そしてクリスは自分の手を血が出ていそうな勢いで、拳を強く握りしめている。カティマはやれやれと言った様子で、シルヴァードに向かっていつもの様子で頷いた。



「アイン。今のお主なら、もしかすれば変わった反応を得られるかもしれぬ。ついて参れ」


「つ、ついていくってどこにですかっ……?」


「謁見の間だ。ロイドとウォーレンも待っている」



 これからシルヴァードが何をしようとしてるのかアインには分からない、だがそれでも彼が付いてこいといったのだから、アインは黙ってついていくことにした。



 クリスに車いすを押され、シルヴァードに続いて部屋を出る。それにカティマもついてきたが、ララルアとオリビアの二人は付いてこない様子だった。




 *




 シルヴァードの私室を出てからというもの、誰も口を開くことなく謁見の間の入口へと到着した。

 そこにはシルヴァードが口にしていた通り、ロイドとウォーレンの二人がアインの到着を待っていた。



「アイン様。お久しぶりでございます。体が成長なさいましたし、如何でしょう?ロイド殿に新たな服を作ってもらうのは」


「ウ、ウォーレン殿……それは勘弁願いたい」


「くっ……ははは!二人はいつも通りで安心したよ。ごめん、待たせたかな」


「いえ滅相もない。このウォーレン、アイン様を待つならたとえ何年であろうとも、お待ちいたしますよ」


「それは待たせすぎだね。……お爺様。ここで何を?」



 ウォーレンとロイドはいつもの様子だったことに、アインは安堵した。そして次は、シルヴァードがわざわざ謁見の間を目指してきたことの意味だ。



「まず、中に入ってもらう」


「え、えぇわかりました……」



 ロイドがその声を聞き、謁見の間の扉を開く。中にはだれもおらず、ただ厳かな空間が広がっているばかり。



「クリスさん。お願いね」


「はい。お任せくださいね」



 クリスに車いすを押してもらい、中に入るアイン達。



「あ、あれ……?」



 中に入り、シルヴァード達が進む後ろを進んでいたアイン。アインの車いすを押していたクリスが、違和感を感じた。



「どうしたのクリスさん」


「い、いえ……急に重くなったような気がしただけです。すみません……なんでもありません」


 

 異変を感じたようだったが、気のせいと考えたクリス。続けてアインの車いすを押し始める。



「そう?ならいいけど」



 そのまま進み続け。シルヴァードにウォーレン、ロイドの三人は玉座のそばに到着する。

 謁見の間には、一つのラインのような目印が存在する。それはイシュタリカ王シルヴァードと一定の距離を保つため、金糸を使って縫われた一つの区分けのようなものだった。

 アイン達がそこに到着すると、クリスが唐突に動きを止める。



「クリス?どうしたのだもっと近くに寄るのだ」


「……動かないのです。ここより先に……まるで壁があるかのように、進めなくなっております」



 その後ろでは、カティマが何かに納得したようで頷いていた。



「クリス殿。少し強めに押してくだされ」



 ウォーレンにそう言われ、クリスが少し強く車いすを持ち上げるように動かした。

 するとその異変が露になる。



『来ないで……来ないでっ……!』



「なんじゃっ……この声、はっ!?」



 ただの声じゃなかった。その声を耳にしていると、体が冷たくなるような、眠くなるような感じを抱く。なにか危険なものとしか思えない。



「クリスっ!アインを玉座から遠ざけるニャ!急ぐニャ!」


「は……はいっ!」



 カティマの指示に従い、大急ぎでアインを遠ざけたクリス。すると先ほどまで感じていた、体が冷えるような何かはすぐに消えていく。そして何もなかったかのように、事態は収束したのだ。



「……カティマよ。お主の半年の研究成果、どうやら残念なことに"正解"だったようだな」



 シルヴァードはそう言いながら、謁見の間の上。玉座の真上の壁に設置された、魔王の魔石を見つめていた。


「はいニャ。研究がうまくいって、ここまで悲しかったことなんてないニャ……。こんな悲劇なんて、誰も望んでなかったニャ」


「え、えっと……カティマさん?何を言ってるのかなって」



 珍しく悲しそうな表情を浮かべるカティマ。その様子を見てると不安になるアイン。



「何の因果なんだろうニャ……。たった一人の人間に、こんなにも奇妙な縁で結ばれた存在が集まってくるニャんて」


「だから。カティマさんってば!」



 カティマは一冊の本をアインへと手渡した。



「…きっとニャ。この長い間続いてきた因果は、アインにしか断ち切れないのニャ」



 カティマが口にする言葉に、謎は深まるばかりだったが、まずは手渡された本を見る。

 見た目でよくわかる、ここ最近作られた新品の本だった。著者を見ると、カティマとクリスの名が連名で書かれている。

 タイトルにはこう書かれていた。




『悲劇の魔王』と。


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