調査の後に

 事務所の入り口のドアの前まで戻ってきた二人は、肩を貸し借りしたまま、シャロン、クロエの順で中に入ったのだが、


「い、痛ってて、シャロン、もうちょっと優しく……」

「優しくって、どうしろと……?」

「今の歩き方だと衝撃がモロに体に……もう少し優し痛ったあぁっ⁉」


 シャロンが一歩踏み出した瞬間、クロエが悲鳴を上げた。


「お、おい、いくら何でも今のはオーバーすぎないか⁉」

「うう……いや……本当に痛いんだって……」


 クロエが掠れた声で答えた。


「……クロエ、これはもう諦めろ。今の、すっごく、そっと、慎重に、体を動かしたんだからな……?」


 シャロンは、完全に諦めた口調で言った。

 クロエが表情に絶望を滲ませる。


「……マジかよ……」

「マジマジ、大マジ。机のとこまで、出来る限りそっと動くけど、痛いのはもう我慢してくれ」

「…………わかった」


 クロエは消え入りそうな声で言った。

その後、クロエはシャロンの力を借りて机用の椅子に座るまで、何度か悲鳴を上げる事になった。


「ああ……クソ……」


 椅子に座ったクロエは、被っていた帽子を取り、机に置きながら悪態を吐いた。


「大丈夫かよ……って、大丈夫じゃないんだよな、悪い」

「何でこんなに痛いんだよ……」


 そこまで言ってから、クロエは顔をシャロンに向けた。


「……シャロン、人体とか、そうでなくても物を一時的に浮遊させる魔法とか、ないのか?」

「へっ?」


 シャロンは虚を突かれたような表情になり、


「…………あっ」

「『あっ』って……おい、相棒⁉」

「わ、悪い悪い、忘れてたんだって!」

「本当か……?」

「いや、本当、本当だって。お詫びになるか分かんねぇけど、後で痛み止めの魔法薬持ってくるから勘弁してくれ」

「……分かった」


 クロエは、諦めたように言った。


「……トランク刑事じゃねぇけど、本当に病院行かなくて大丈夫だったのかよ……?」

「病院のベッドの味を堪能する時間はない……」

「そりゃそうだけどよ……」

「そういうシャロンの方はどうなんだよ?」

「へ? 俺?」

「見てなかったけどさ、『蝙蝠女』に殴る蹴るされたんじゃないのか?」

「あー……それなんだけどよ……」


 シャロンはそう言いかけて黙って、


「……どうしたんだ?」


 クロエに促され、話を続ける。


「あ、いや、何て言うか……やたら攻撃を手加減された気がして、な……」

「と言うと?」

「パンチもキックも、インパクトの寸前に威力を殺してた気がする、っていうか……」

「ふむ……」


 クロエは理由の推測を始め、


「あとあれだ、プールに落ちたマスカーにやったの、仕掛けてすらこなかった」

「何っ?」


 即座に中断した。


「……本当にか?」

「このタイミングに嘘吐いてどうすんだよ」

「……それもそうか」


 クロエはそう言って、少し考えて、


「……シャロン、お前と『蝙蝠女』のやり取り、覚えてる限りで全部教えてくれないか? さっき警察に説明してたのを、もっと詳しく」

「え? いいけど……」


 シャロンは、クロエが合間に挟む質問に答えながら、一時間程かけて、自分と『蝙蝠女』のやり取りを説明した。


 その全てを聞いて、クロエは暫く考えてから、


「……成程な」

「……今ので何か分かったのか? 正直言って警察に言ったのとあんまり変わらないんだけど……」

「ああ、あくまで推測だが、何となく『蝙蝠女』がやった事に説明はつきそうだよ」

「じゃあ……聞かせてくれ」

「分かった。恐らくは──」


 クロエの推測を聞いて、


「……ああ、そうかそういう事か!」

「案外単純だったろ?」

「ああ、結構単純だったな……」

「まあ、あくまで『たぶん』、なんだけどな」


 クロエはそう言ってから、


「……悪い、一本吸っていいか?」

「タバコか?」

「ああ」

「どうぞ」

「どうも」


 クロエは礼を言って、懐から黄緑色の紙の箱とマッチ箱を取り出した。箱から紙煙草を一本取り出し、口にくわえる。マッチを一本取り出し、箱の側面で擦って点火し、その火を煙草に移した。マッチを振って火を消しながら、煙をゆっくりと吸う。


「……タバコなあ……」


 シャロンの呟きを聞いて、クロエが煙を吐いてから顔を向ける。


「……やっぱり、マズかったか?」

「あ、いや……タバコの臭いは嫌いじゃねえけど、自分で吸おうとは思わねえな、って」


 口から煙を吐きながら、クロエが答える。


「まあ……私も、自分から吸いたいとは思わないし、他人に勧める気にはならないかな」

「……じゃあ、何で今吸ってんだ?」

「…………」


 クロエは一度煙草を口にくわえて考える素振りを見せ、それから煙を吐いた。そうしてから、机の左側、引き出しが三つの引き出しの一番下に左手を伸ばす。

 そこは、簡易的な金庫になっていた。クロエはダイヤルに左手を伸ばし、少し考えてから、ダイヤルを三度回した。


 解錠した引き出しを開け、中から一冊、少しだけ雑な字で『個人手記』と書かれた、やや古くなっているノートを取り出す。

 ノートを何ページか捲ってから、クロエが答える。


「……ミスタ・ホワイトが遺した手記に、こう書いてある。『酒、煙草、ギャンブル。三つとも娯楽だ。最後のは殆どやった事がないから何とも言えないが、前の二つは、人生において時に大きな力を貸してくれる。依存し過ぎなければ、という前提が常に存在するが』」


 それを聞いて、シャロンは少し考えて、


「……何て言うか……普通だな。この単語をどう定義するかにもよるんだろうけど」

「ああ。でも、常に心に留めておくのは難しいと思う」

「それもそうだな」

「私を助けたあの人は、そういうのを守っていきたかったんだと思う。自分が出来る範囲で……」

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